あのこは貴族のレビュー・感想・評価
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2年前、鑑賞後の劇場から歩いて帰宅した。銀座方面から勝鬨橋の真ん中...
2年前、鑑賞後の劇場から歩いて帰宅した。銀座方面から勝鬨橋の真ん中あたりで自分はいま前向きと後ろ向きのどちらだろうと数秒考えたが、反対側を銀座方面に歩く人が見えたので心の中で手を振りながらまた歩き始めた。あのシーンの意味が少しわかった気がした。
昨夜、帰宅途中の橋でその記憶が蘇り、寝る前にもう一度配信で鑑賞した。
二度目は物語の余計な詮索をしなくてよいぶん、本来作品が持つ心地良さが増して爽やかに楽しめた。
きっと今日の帰りはあの居酒屋でふらっと瓶ビールでも呑むだろう。
「窮屈さ」と向き合う二人の女性の物語…だけで終わってほしくなかった。
○作品全体
貴族側である華子と庶民側である美紀、どちらも生活に窮屈さが隣り合わせになっているけれど、その窮屈さが向かう先が「押込められる窮屈さ」と「抗う窮屈さ」で対比していたのが面白かった。
根底には「東京」という街があって、「東京」の上にあるそれぞれのコミュニティで生きていこうとする登場人物は、性差を超えて共感できた部分が多い。
共感できたからこそ心に響くセリフがたくさんあった。
『どこで生まれたって、最高って日もあれば泣きたくなる日もあるよ。でも、その日、何があったか話せる人がいるだけで、とりあえずは十分じゃない? 旦那さんでも友達でも。そういう人って、案外、出会えないから』
特にこのセリフ。周りからは順風満帆に見えても、その人が過ごした一日にクローズアップすれば、順風満帆な一日なんてそうそうやってこない。自分が選ばずして窮屈さを感じているのであっても、選んだうえで窮屈さを感じているのであっても、それを吐き出せるから闘っていけるし生活していける。心にストンと落ちてくるようなセリフだった。
登場人物にしろセリフにしろ、地に足ついた(自分の生活の地続きにあるような、といったほうが良いか)作品だからこそ、フィクションっぽいというか、ファンタジーっぽい展開にはちょっとがっかりした部分もあった。
一番はラスト。一言で言ってしまえば華子が生活してきたコミュニティをすべて放り投げて友人のマネージャーをやり始めたわけだけど、そのマネージャーというポジションがすごくフィクションだ。音楽家の友人がいるという部分は良いけれど、なんのノウハウもない中で、今まで貴族社会で生きてきた人間がマネージャーという仕事をするというのは、求められる能力もそうだし、代償があまりにもなさすぎないかと感じてしまった。離婚をしたときに青木家側から酷い仕打ちを受けるけれど、言ってしまえばそれだけで、社会的にマイナスになるわけでもない。もちろん、華子が新しい環境で「泣きたくなる日」を過ごしていないとは思っていないし、友人という「何があったか話せる人」がいるからこその前向きなラストなんだろうけど、それこそ本作の根幹である、コミュニティという要素は「友人」というコミュニティにも、「仕事仲間」というコミュニティにも該当するはずだ。「友人」というコミュニティから「仕事仲間」というコミュニティへと変化した世界を、ちょっとないがしろにしていないか、と思ったりした。
自分はもちろん貴族側のコミュニティでもないし、「東京の養分」から足掻こうとしているわけでもない。それでも生きている中での窮屈さだったり、周りからの目線というものは嫌というほど感じている。そういった部分の描写は素晴らしかった分、ラストの幸一郎の態度も含め、ファンタジーな部分が正直残念ではあった。
おそらくファンタジーっぽいと感じてしまった根幹には、幸一郎のポジションが曖昧なことにあるんだと思う。
女ったらしの二枚舌なわけだけど、最後は華子を尊重している。緩さを持ち合わせている幸一郎らしいといえばそうだけど、そうだとするならば離婚をした後の幸一郎は、「厳格な世界で生きなければ行けない幸一郎」であって、それは救われているのか?と思ってしまう。離婚をすることで間違いなく風当たりが強くなる。それはきっと、庶民の世界以上の風当たりなんだと思う。だからその逆風を与えるだけの「悪役」たる要素がないから、可哀想という感想を抱いてしまう。
幸一郎自身、結婚生活に限界が来ていたのかもしれないけれど、幸一郎は物語の途中で政治の世界で生きていくことを余儀なくされる。この部分に幸一郎がどういうスタンスで臨んでいるのかが語られていないから、幸一郎がどうしたいのかがわからないまま物語が進んでいってしまう。
女性の価値観の描写はセリフも含めて洗練されていたけれど、「仕事で疲れて不機嫌なダンナ」っていうステレオタイプを被せられている幸一郎を見ると、寄り添わない男という記号に逃げてしまっている気がする。それでいてラストはなんとなーく離婚を許容している幸一郎がいるし、ポジションが曖昧になっているなあ、と思ったりした。
メインキャラクターは華子と美紀の二人だけれど、その2人に繋がるのは幸一郎なんだし、幸一郎も含めてそれぞれが感じる社会の窮屈さを描いてあげてほしかったな、と思った。
○カメラワークとか
・橋の上で二人乗りをする少女たちと手を振る華子のシーンが凄くよかった。夜更け、街灯、橋、道路…いろんな要素によって華子と少女たちの世界が切り離されていることが演出されているんだけど、すごく些細な邂逅でありながら、それぞれが一生懸命に今ここで生きてるんだってことを伝えあっているようなシーン。
○その他
・正直一番納得行ってないのは幸一郎と別れたこと。
『どこで生まれたって~』の会話の後、華子は幸一郎に出会ったときに話した映画を見たかを聞く。幸一郎はその映画を見ていなかった。だからそこに華子は「何があったか話せる」人ではなかったと見切ったんだろうけど、そうした場合この華子と幸一郎のシーンって、なんだかチグハグというか、ミスリードな気がするんだよなあ。
そもそも華子という人物は「探る」ということを敬遠する人物として描かれていたはずだ。幸一郎の浮気の気配があるメッセージも見てみぬふりをしていた。この時点で幸一郎が裏表のある人間であることは分かっていたはずなのに、最後の最後で「本当に映画を見ていたのか」と幸一郎に投げ掛けるのは、むしろ「何があったか話せる」人に近づいたように感じてしまうんだよな。結局これは華子にとって「最後だから」で聞いたことなのかもしれないけれど。
距離感も謎だ。今まで二人が崩した姿勢で並んだのは幸一郎がクタクタになって帰ってきて、ベランダに腰掛けたときくらいだ。そこは華子が幸一郎寄り添おうと距離を近づけようとした(結局はそうはいかなかったが)空間だった。映画の話をぶり返すところも、二人は相当に体を崩して、リラックスした空間で話している。それであればここは「近づく」シーンだと思ったのだが、そうではなかった。このミスリードに意味があるとは、ちょっと思えない。
映画の話をするシーンって、今までの環境から変わってしまう決定打でなければ行けないと思うんだけど、そうではなかった。そういった映像演出もあって、納得いかんなあ、となった。
上流階級の人と付き合いもないし、上流階級の人がどんな感じなのか考えたこともなかったので面白かった。
なんとなく地味な感じで、見ようか迷ったけど見てよかった。
個人的には生まれた時から貧乏で、現在も引き続き今も貧乏なので、上流階級の人と付き合いもないし、上流階級の人がどんな感じなのか考えたこともなかったので面白かった。
この映画は上流階級のあまり可愛くない結婚適齢期のお嬢様の話なんだけど、たぶんこういう感じなんだろうなと思った。
この映画は結婚適齢期からで、それまでのことは描かれていないけど、金持ちの息子や娘って、子供の頃というか大学を卒業して就職するまでくらいは最高だと思う。
いいところに住んで、いいものを食べて、欲しいものはなんでも買ってもらえて、いい教育を受けられる。
特に大学生の頃とか最高だと思う。
お嬢様はよくわからないけど、おぼっちゃまなら金目当ての女が寄ってきてもてるんだろうし、暇もあるから親の金で遊び放題できると思う。
若い頃からそんなことやっていれば、自分は生まれながらに特別な存在の貴族なんだと思い込んでも不思議ではない。
その具体例として慶応大学が出てくるけど、もし本当にそうなら貧乏人は絶対に入ってはならない大学で、もし入ったら地獄になりそう。
映画でいえばこの映画の水原希子さんとか、『愚行録』の満島ひかりさんみたいになりそうな感じがする。
もしかしたら『ビリギャル』の人も結果的になってしまったのかもしれない。
でも大学を出て社会に出た段階ではちょっと変わってくる。
社会に出てまで親の金で遊んで暮らすという訳にもいかなくなる。
息子の場合は一時他の会社に就職したりするんだろうけど、結局は親の会社を継ぐことになると思う。
その子が優秀ならいいけど、もし優秀でなかった場合はいろいろ問題が出てくる。
昔ならなんとかなったのかもしれないけど、今だったら下の優秀な人材はそんな人にはついてこないと思うし、そんな人が経営している会社には入ってこない。
下剋上が起こるかもしれないし、経営判断を誤れば最悪倒産ということもありえる。
そして娘の場合は、この映画みたいに早く結婚して後継ぎを作れみたいになりそう。
だけどどこの馬の骨ともわからないやつと結婚する訳にはいかないので、選択肢は一般人より少ない。
美人ならよりどりみどりでどうにでもなるんだろうけど、不美人だと大変なことになりそうな感じがする。
親に言われた通りの政略結婚みたいなものでは、たとえ結婚しても今の人はとても耐えられないと思う。
その辺のところに目をつけてこの映画を作ったんだろうけど、とてもよくできていて面白かった。
門脇麦さんが不美人のお嬢様にぴったりでよかった。
今まで上流階級の人はなんの苦労もなくていいなと思っていたけど、やっぱりそれなりに大変なこともあるんだなと思った。
娘の方はなんとなくわかったので、できれば『あのこは貴族 息子編』みたいなものを作ってほしいような気がした。
自分の人生を、自分の足で歩き出す!!
榛原華子(門脇麦)は、結婚を人生の既定路線と考えていた。
27歳になり周囲も次々と結婚して行く。
内心、焦る華子。
その前に婚約解消があり、
見合いも、友人の紹介する男性に会ったりするが、
中々これっと言う男性に出会えない。
しかし気合を入れた見合いで青木幸一郎(高良健吾)と出会う。
非の打ち所のない相手。
温和で華子の気持ちも気遣ってくれる。
一方で地方から頑張って勉強して入学した外部生の美紀(水原希子)
高良健吾との接点は授業のノートを貸したこと。
やがて美紀は実家からの仕送りが途絶えて、
大学を中退します。
実は私、
この映画で1番素晴らしいと思ったのは、人として失礼な人間が
1人も出てこないことでした。
水原希子と高良健吾の親密な関係に気付いた石橋静河が、
水原を呼び出して、そこへ高良の婚約者の門脇麦が現れる。
2人は喧嘩なんかしません。
門脇は水原を責めません。
しかし水原は静かに身を引くので、門脇麦と
修羅場を演じるどころか、友情のような絆さえ芽生える。
(華子を見ていると、お育ちがいい、とはこの事かと思います)
(大学は慶應義塾大学と設定されてて・・・)
内部生とは、
(幼稚舎や中学、高校から上がってきた学生のこと)
外部生とは、
(受験で大学から慶応へ入学した地方出身者を指す)
私も地方から大学に入った外部生だったけれど、
確かに内部生とは友達にはならなかった。
内部出身者には大人びててセンス良い服装でお洒落な印象。
話す内容も、知らんけど違う感じがした。
内部生の趣味はダンスにテニスにスキー。
外部生には、そんなものに時間とお金を割ける人はいない。
内部生には怠け者が多かった印象(個人の感想です)
勉強しない(レポートを出さない)
学校へ来ない子もいた。
卒業して就職となればコネを利かせた内部生は、
腰掛け程度の会社勤めとか、大学教授の秘書とか、
キャリアを生かせる職には付かないことが多い。
その点で地方出身者はガッツがあって、教師とか
公務員になった者も多かった。
(閑話休題でした)
華子は理想のお相手・高良健吾と結婚して、眼下に東京湾の見える
タワーマンションの住民になる。
そして夫は既定路線だったのか政治家への足がかりとして
議員秘書になる。
そして夫は多忙を極めて帰宅が遅くなる。
義母は跡取りはまだ?
と、華子に問い掛ける。
嫌な人は出て来ない・・・と書いておいて言うのも何なのですが・・・
高良健吾の親や祖父は嫌な人々(一族)でした。
見合いの席で、
「あなたの事は調べさせて貰った」
と、言われ、
祖父の葬儀では義母からは、
離婚した場合、生まれた子供を置いて出て行くのが当然の決まり、
その例(離婚した叔父の前妻は子供を置いて去った)を聞かされる。
これはヤバいですね。
子供は婚家の所有物?
これはキツいです。
こうしてやがて結婚に意義を感じなくなっな華子が
婚家を出て行く、
離婚するのは、当然の成り行きでした。
理想の結婚をした事により、
自我に目覚め、
良家に生まれたしがらみを捨てて、
自立した生き方へと向かう。
華子は恵まれた「貴族」の生活から一歩踏み出したのです。
大雑把に言って家が金持ちなら、頑張って勉強したり、
毎朝満員電車に揺られて働きに行かなくてもいいかもしれない。
庶民は一生懸命勉強して、いい会社に入り、
懸命に働くのかもしれない。
(人それぞれです)
それにしても美紀=庶民(水原希子)の自然体でしなやかな生き方が
一番素敵に見えました。
ぼんやり
いいところ生まれの人も、地方から出てる人もきついんですよ、と、わかりやすく教えてくれた感じ。どちらかというと、地方出の人間の方が楽しそうに描かれていたのがなんとも。
とはいえ、「あのくらいの年代はさ、年上に憧れがちじゃん?田舎から出てきてさ」はいたく共感した。嫌な日も楽しい日もありつつ、あんなキラキラ社会人になりたい。。
外と内
何故か気になっていたタイトル。
門脇さんに惹かれてたのかなとも思ってた。
静かな作品だった。
というか…日常にある音だけが描かれているようで、気負いがなかったのかもしれない。
うるさくもないし、静かすぎるわけでもない。
なんか、馴染む。
物語的には結構な別世界で、上流階級の人々が描かれる。冒頭から見た事もない空間ばかりで、東京にもこんな場所があるのかと、自分の境遇が痛々しい。
門脇さんの雰囲気が素晴らしかった。上品な事もそうだけど、だからこその息苦しさを自覚もなく漂わせてる空気があったように感じる。
メインキャストの皆様はそれぞれ素晴らしく、役を全うするというか、雑味を全く感じない。だからこそ、台詞や、それが揶揄する事柄に目を向けられたような気がする。
物語も案外、起伏に富んではいるのだけれど、作品のトーンが認識させないというか、極めてなだらかなように流れて行く。
特別な事とか結構起こるのだけれど、全然特別なような気がしない。登場人物達が直面する日常として描かれていたからなのかとも思うけど、とても繊細な演出であったように感じる。
棲み分けみたいな事が描かれてはいて、見えない壁とか国境のようなものも感じはするのだけれど、環境の差はあっても、根本的には変わらないなぁと思ってみたり…特に女性が求めるモノは共通なようにも感じた。
なんか、親ガチャとか才能のあるなしはあったりもするのだけれど、結局のところプラマイゼロなのかなぁと。
何に憧れようと、誰を羨もうと、自分の目の前にある事にしか対応は出来ず、変えていけるのも自分の目の前にある事だけなんだなぁと。
自分の問題を、いとも容易くクリアにできる環境の人はいて、その力が自分に無い事を嘆いたところで事態は好転していかないので、自分がどうにかするしかない。
問題の大小は、人によって捉え方は変わるけど、自分にとっての自分の問題は常に大問題なのである。
良い事も悪い事も、他人の物差しでは測れない。
そういった意味で人は平等とも言えるのだろう。
2人が再会し、お互いにまだ好意的であった事に救われた。今度こそ運命的な人に出会えたようにみえた。
このラストをもって、分断や区別をする壁はありはするが、地続きではあると言われたような気がする。
なんか、個々の差を描く事で、その差を取り払った時の同一性を描くような演出なのかな。
ま…その差が漫然とありはするし、それに左右されてもしまうのだけどね。
ただ…この監督のこの作品は好きだなぁ。
どこかど問われても困るのだけど、とても好き。
詩的にも思うけど、見えてるモノの焦点がブレてないようにも思う。
ダージリンでもアールグレイでも紅茶であればいいじゃない!😅
と言うわけにはいかないんですよね、貴族女性は。
何百人もインタビューして人物像を作り上げたのかなと思う位に主要登場人物が、現実にいるステレオタイプにきれいにはまっており、ノベルとは思えない。
キャラクターが自分に当てはまる層ではなかったら、どうしても共感はできないが、この映画を通してみるとそれぞれに感情移入してしまう。
自分も学生の頃は大人になったら絶対東京に住むんだと野心を持っていた。大人になった今、事実、衣食住のうち住を1番大事にしている。
女性からしたら青木は妻への気遣いがない薄情な男ではあるが、青木は青木でかわいそうな人ではあるし
貴族階級ではない人が欲しがる唯一にして最大のものを持ち合わせている華子だが、華子の人生に憧れる人は少ないだろう。
じゃあミキは?となるが、言うまでもない。
東京生活=勝ち とは思わないが
この方程式が正解と思う人の否定もしない。
個人的には
華子と美紀が初対面の日、カトラリー?か何かを落としてしまいとっさに拾おうとする美紀とすぐに手を上げる華子のシーンがとてもお気に入り
美紀が拾おうする手を止めたのが本当に良い。
あそこで拾うとただの非常識な田舎娘像が出来上がってしまい、一瞬で共感の歩みを止めてしまう。
アフタヌーンティー然り
貴族階級以外の人にとってマナーは
自然と身に付くもの
ではなく
頑張って身に付けるもの
なのだ。
本作で制作陣が伝えたかったことが階級問題だとしたら、受け取ったものは異なるが、非常に素晴らしい一作だった。
皆さん少し違うお育ちなのねぇ。分断階層と氏に育ち。
内容は、主人公二人の女性が東京という舞台で繰り広げられる静かで残酷で面白い社会構造を絶妙な衣装や環境や表現力で静かに見せる事に重点をおく不自由な貴族や平民の境目を少し幸せな気分にさせてくれる映画。印象残った台詞は『東京って棲み分けされてるから、違う階層の人とが出逢わなくなってるんだよ』冒頭の慶應大学キャンパス内で友達との会話で語られる場面。好きな場面では、橋の上でお互いの進む方向が違う貴族の華子がニケツの女の子に手を振られ振り返す場面。決して交わらない社会構造を皆見て見ぬふりをしているだけの見えない壁を絶妙に表現した分かりやすい場面だが切なくなった。最後にはお互いの希望が垣間見え成長を感じられる終わりが清々しかったです。美紀は友達と新たな一歩を踏み出し、華子は不自由な階層からの自分の決断で、身辺を一新。再び新たな自分として元旦那と会い悲しみであり喜びの様な複雑な笑顔を見せる所で終わる当たり視聴者に対話投げる様で面白かったです。
門脇麦×水原希子
『事情は分からないけど、どこで生まれたって最高って日もあれば泣きたくなる日もあるよ。でも、その日なにがあったか話せる人がいるだけでとりあえずは充分じゃない?旦那さんでも友達でも。そういう人って案外出会いないから』
最近ハマりまくってた韓国ドラマ・映画と違って現実ではまずない都合よく街でバッタリ会う偶然からの展開とは違って1回こっきり(な筈)の出会いだからこそ、よりこの物語の良さと余韻を甘美なものにしてくれたと思います。凄いよい作品でした。レビューを書きたくなるくらい。
テーマの着眼点がいい!
日本の中にも「階級」が存在する。
平等なんて言葉だけだ。
この現実の中でそれぞれが生きている。
門脇麦さんが三女のお嬢様育ちを見事に演じこの映画をしっかり引っ張っている。
素晴らしい。
とにかく人は打算の中で生きている。
本性、本音は絶対に見せない。
そこに階級の違いは無い。
そんな事を見せてくれる実に深い作品だった。
上面だけの人々で苦手な世界だった!!
長い治腐敗とコロナというショック・ドクトリンで、上級国民はまた一気に資産を増やしたので、上級国民を題材にした映画なぞ観たくないですが、このご時世であえて作ったのは挑戦的だと思います。女性原作なので、あらゆる男性の描写が薄く頼りなく感じます。というか、どの人も表面的なので映画としての深みも無く、この世界は私はとても苦手でした。主人公は特に自分の考えや優雅な振る舞いなどは無く流されるままなので、タイトルはインパクトで付けただけで違うと感じました。学生時代の描写はまだ生き生きとしていました。特にオチも無く、え!?これで終わり!?という感じでした。「ココ・シャネル」(2008)もそうでしたが、貴族を題材にした映画に凛とした姿や思慮深さを求めるのは間違いだと思いました。
水原希子という女優
個人評価:3.8
ノルウェーの森以来、水原希子の演技を見た事は無かったが、なかなかいい女優だと失礼ながら再発見した。
演出もとても丁寧なので、会話劇をずっと見ていられる映画だ。岩井俊二的な雰囲気もあり、センスのある監督だと感じる。岨手由貴子の他作品も見てみよう。
田舎の学級委員長女子が都会の私立大学に進学する
レンタル110
よく見る動画サイトの2021年邦画のベスト10に入っていた
山内マリコの小説の映画化だと
同じ著者の ここは退屈…も映画化されているようだ
5回くらいに分けて観たが
そういう風に章が分かれていて見易かった
この監督の作品は初見
高橋ひとみのビンタ一発で経過を表現しているところとか
なかなかオシャレだと思った
原作をどう解釈しているのかも気になるところ
観る前は主役ふたりのイメージが逆だったがこっちでよかった
オラは田舎の平民なので
田舎の学級委員長女子が都会の私立大学に進学する様がリアル
そういうタイプに憧れがあった
その後の苦労も想像できた
ニュアンスは若干異なるが
オラが東京の会社に就職したときも貴族はいた
山手線の内側に家がある人とか桁外れな金持ち
貴族と平民の間の嘲りとか妬みとか
ぐちゃぐちゃな内容を想像していたのだが
いい意味で裏切られた こういう前向きなテイストが大好きだ
ラストも爽やか あぁいい映画だったなと
いわゆるエスカレーター式に人生のレールが決められている東京出身の良...
いわゆるエスカレーター式に人生のレールが決められている東京出身の良家の女性と、地方から上京してきた自分で決めた道をゆく女性2人の物語。
全229件中、21~40件目を表示