フリーソロのレビュー・感想・評価
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生きる理由
アレックスが、幸福な状態だと挑戦することをしなくなるみたいな事を言ってましたが、私には凄く理解できました。私も気がついたら時間だけが過ぎていた人生の方が、挑戦する人生よりも怖いです。彼の生きる理由がフリーソロだとしたら、周りが何と言おうと生きる為にフリーソロをやるのが当たり前なんですよね。エル・キャピタンに登った日は山が怖くなかったと言ってましたが、常に自分と向き合っていると勘が鋭くなるのだと思います。
何となく平均寿命まで生きても、フリーソロで30歳で死んでも、結局人は死ぬのだから結果は同じです。彼らクライマーは生と死を毎日感じながら生きているはずなので、何も考えず何も感じず生きている人よりも密度の濃い人生だなあと羨ましく思いました。
素晴らしい作品でした。
以前にエリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ、ジミー・チン監督による“メルー”がとても素晴らしかったので、楽しみにしていた作品なんです。
今作も凄かったですね。
殆ど平らにしか見えない崖を登って行くその技術や体力もさることながら、支えもないままあの高さに身を晒し、更には登り切るまでひとつのミスも許されないですし、恐怖は当然の事ながらアクシデントも含め何事にも惑わされないその精神力は凄まじいの一言ですね。
その上、撮影まで許してしまうなんてΣ(゚Д゚;o)
その状態で、1000メートル近い断崖を命綱無しで登り切ろうと言うのですから、絶句するだけです。
アレックスさんもですが、これは撮影する方も精神的に嘸かしきつかったと思います。
勿論、監督2人にも様々な葛藤はあったでしょうが、フリーソロをテーマにアレックスさんの撮影を敢行する決断をよくしたものですよね。
ノンフィクションだからこその緊張感…心を揺さぶられる作品でした。
超面白かった!
死と生の二元論の生き方
身を挺する求道者にして表現者
命綱なしで断崖絶壁を登るフリーソロ・クライマー、アレックス・オノルドが、標高2000m以上のエル・キャピタンへ挑戦する様に密着。
先駆者でアレックスの知人でもあるトミー・コールドウェルが、「フリーソロをして亡くなった友人が30人ほどいる」とサラリと言ってしまう戦慄。また、「フリーソロをするには感情を“鎧”で覆う必要がある」とも。
危険と知っていても挑戦を止めないアレックスを支える家族や恋人。「息子にフリーソロはしてほしくない。でもフリーソロをしている息子は輝いているから取り上げたくない」という母親の複雑な心境。
綿密なリハーサルを経て絶壁に挑むアレックスは、求道者でもあり表現者でもある。
葛藤を抱えつつも、そんな彼を追う撮影クルー達にもカメラを向ける。
これほどまでに緊迫したドキュメンタリー映画があったろうか。
2019年最高のドキュメンタリー作品。
人間が本当に命を賭けている瞬間が、これほど長く映し出されている事に、ただただ感動する、が、ヒリヒリし過ぎてもはや見ていられない。ロープを一切使わない、フリークライミングで、何百メートルもの断崖絶壁を登って行く。一瞬でも手足が滑れば、滑落して死亡。文字通りの命懸け。まったくなんという挑戦なのだろうか。それでもその巨大な絶壁をひとつひとつ、手を、指を入れ替え、つま先を踏みしめ、力強く「生」を掴み取って行く姿に、ただただ感動して、なぜだか泣けてきた。
もし上映館があれば、必ず劇場の大きな画面で体感して欲しい。2019年、最高のドキュメンタリー作品だと思う。これを映し出した監督、スタッフ達にも深く尊敬の念を抱いた。
見たことのない浮遊感
挑戦者たちの世界、手に汗握りっぱなしの100分
アウトドアにもクライミングはおろか登山趣味があるわけでもない自分ながら観に行ってグッとくるものがありました。何の保証もなく断崖に挑戦していく人たちに焦点を当てた物語ですが、こういう人たちを駆り立てる何かはアーティストやミュージシャンのそれと近い、渇望というかマジックというか鬼気迫るものがありますね。その男に惹かれ続ける、ある意味その謎を解き明かそうとする監督にも感服です。その2人とこれまで断崖に挑んできた数々の冒険者たちに捧げた記念碑的な作品ですね。創作ではなく実話ドキュメンタリーなのにハラハラしっぱなしの100分、山への興味や映画ジャンル関係なく「挑戦する男」たちの姿を堪能させていただきました。
恐怖を超えるには
「フリーソロ」、ロープも道具もなしに己の身体のみでクライミングすること。失敗したらほぼ確実に死ぬ。
アレックス・オノルドは何か(例えばスリル)に取り憑かれたような人間ではない。ただ純粋に上へ上へと挑戦し続けている。見ている方はスリルどころではない恐怖なのだが、彼は恐怖を超えようとする。どうやって超えるかといえば、ひたすら練習して計画するのだ。クライミングというのはあれほど緻密な計算なのかと驚いた。競技として確立しているのだから当然といえば当然なのだが、どことなく感覚的なものかと思っていた。掴む場所、指の位置、足の替え方。全てを自分の中に叩き込むことで失敗=死への恐怖を超えるのだ。並大抵のことではできない。ただ体力をつければいいものでもない。
彼の周囲の人間関係にも考えさせられるものがあった。恋人は...難しい。彼女は並以上に精神力が強いことは確かだが、本音を語るその姿を見ていると、「この先」について考えてしまう。この映画はとても素晴らしいところで終わってはいるが、この先同じことが繰り返されることに耐えられるのだろうか。恐らく彼が最初に「断念」したのは、ある程度彼女が影響していると考えてしまった。そこからどう関係が変化したのか、実のところ映画だけではよく分からないのだが。情とは厄介なものだなと感じてみたり。(彼女が「クライミングと恋愛が両立できる」というのを複雑な思いで見てしまった)。
ラストのエル・キャピタンへのフリーソロ・クライミングは圧巻。とはいえただの観客である私でさえも、カメラマンのように「見ていられない」気持ちにさせる恐怖だ。しかし本人は何かを克服したかのようにある意味軽々と登る。恐怖を超越するということをこの目で見た。
疑問といえば...あのユニコーンは何だったのかと、フリーソロで稼ぐとはどういう形なのかということ。プロクライマーとしてスポンサーがつくのだろうか?執筆や講演で稼ぐのか...あれほど孤高の生き方を「売る」というのはどういう感情なのだろうか、とふと思った。
そしてそれを「撮る」こと。撮ることがクライミングに干渉する危険を承知しつつも撮る、その姿勢。恐らくこうして完成したものを観ている人間には分からない葛藤があるのだろう。それでも登るのをやめられず、撮るのもやめられない。ある意味人の業が蓄積した映画ともいえるだろう。
知らずに涙が、
最後の登攀シーンが圧巻
期待程ではないかな
直線的な人生とその快楽
一般的な幸福とは違うところに喜びを見出す者はいる。一般的な幸福では全く満足出来ない特異な人種でもある。彼らは死を常に眼前にして、その先にある途方も無い快楽に酔い痴れる。恋愛が足を引っ張ることになる事実が、もはや一般的には理解されないだろう。アレックスがMRIに入って自分の脳ミソの状態を医者に説明されているシーンには思わず笑ってしまった。普通の刺激では物足りないという診断結果。医者のお墨付きを得た変わり者だということだ。しかし、アレックスの人生はとてもシンプルだ。垂直に切り立った花崗岩の壁に登る。それだけ。行動する詩人でもある。生きる意味も理由も別に大したことではない。自分を満足させられるかどうかだけなのだ。アレックスこそ、死ぬまで生きる直線的な人生をとても分かりやすくした人間でもある。
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