「いかんせん口数が多すぎる」さくら 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
いかんせん口数が多すぎる
映画は撮影して出来上がった作品だけでは完成とは言えない。それを観た観客の想像力によって最終的に完成する。観客の受け取り方によってはいい作品にもなり駄作にもなる。それが作品として独り歩きするということだ。観客の想像力に訴える映画が幅のある作品だと言うことができる。俳句を味わうのと同じで、表現されていない部分にこそ味わいがあるのだ。
本作品はというと、北村匠海くんのナレーションは悪くないのだが、いかんせん口数が多すぎる。解説過多で自ら作品の幅を狭めて深みをなくしているところがあるのだ。そこがとても残念だ。
いいところは沢山ある。永瀬正敏と寺島しのぶの夫婦は、夫大好きの妻と飄々とした夫の組合せがほのぼのとした幸せを伝えてくれる。正月に餃子を食べるのは中国の習慣で、年の変わり目を祝う儀式でもある。元旦にお雑煮をいただくのと同じだ。次男役の北村匠海は名役者の素質十分で、ドラマよりも映画での演技が特に光っている。本作品では自省的で思慮深い次男を好演。長女を演じた小松菜奈は、映画「渇き」での正体不明の美少女を思い起こさせる演技で、思春期の女子らしい矛盾に満ちた存在を存分に演じきった。24歳で女子中学生を演じられる演技力が凄い。加藤雅也の優しさに満ちたオカマはケッサク。フェラーリのエピソードもいい。
ということで犬も含めて芸達者な役者陣が、幸不幸に襲われる家族劇を上手に演じていたにも関わらず、ナレーションが延々と続くおかげでシーンに集中できず、あまり感動もしなかった。登場人物の台詞が長いのもマイナス。北村匠海や小松菜奈、永瀬正敏の沈黙の演技が素晴らしかったのに、それを活かしきれなかった。
本作品は家族の崩壊と再生を描いていて、家族それぞれに分散して感情移入することが出来ればそれなりにいい映画のはずだが、次男の一人称に引きずられて誰にも感情移入できないまま終わってしまった。俳句のように余計な文言を極力そぎ落とせば、ひとつひとつのシーンが輝いたと思う。