ホテル・ムンバイのレビュー・感想・評価
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最初から最後まで行方をハラハラドキドキしながら見守ってしまった。 ...
最初から最後まで行方をハラハラドキドキしながら見守ってしまった。
実話だと知った上での鑑賞なので、かなり心が痛みます。
たくさんの命が、理解不能な思考によって奪われるのは、なんとも耐え難い。
父親は亡くなってしまったけれど、母親と赤ちゃんを救出できたのは、なによりの救いでした。
タージマハル・ホテルの従業員は、非常に勇敢だなと思いました。
貧乏な家庭の子供をお金をチラつかせテロに利用したり、身勝手な宗教的な考えを植え込んで若者を自爆テロに利用したり、、。
いまだに、色々な国でテロ事件が起きているけれど、情報だけではなく、このように映画化されたものを観ると、生々しくて、尚更に痛みを感じます。
このムンバイ同時多発テロ事件の首謀者は、現時点でも捕まっていないということなので、新たなテロ事件が起きないことを切に願います。
世界が争いのない平和な状態になることを心から願います。
ー追伸ー
長時間に渡るテロの様子を、部分部分上手く切り取り、ある家族を主体に置き、観る側に分かりやすく、リアリティとテロの恐怖を存分に含んだ、非常に良く出来上がった作品。
凄すぎる
・事件当日に現場で撮影していたんじゃないかと思うほど生々しさと少年兵の洗脳されている雰囲気が物凄く恐かった。
・無表情で観光客を殺していく少年兵が躊躇なく撃ちまくる姿とマシンガンの銃声が重々しく劇場に響いて銃殺していくシーンが凄惨で恐ろしかった。
・最高に面白かった!と素直に言えない映画で、テロの恐ろしさが凝縮されているように感じられた。とにかくこんなことが二度と起きてほしくないと思った。
・少年兵の一人が家族のためにテロを行ってイスラムの詩?歌?を歌う夫人を殺さなかったのち、特殊部隊に殺されてしまったのが複雑な気持ちになった。
・演出が効いててドンドン魅入った。ベビーシッターがシャワー中にテロが始まったり、避難先に入れ替わりで中々会えなかったり。
・最後の最後にホテルムンバイの今…をざっと触れた所が泣けた。中々、誰かの命のために自分の命を張れないよなと。
・ロシアの元軍人がラウンジで乳首の大きさを電話で確認しているシーンが唯一笑えた。他は緊張感が凄すぎてあっという間だった。
映画館でじっくりと
久々にドキドキした・・・
この手の事実に基づいた映画は数あれど、これほど緊迫感がありドキドキさせられたのはベン・アフレックの「アルゴ」以来かも。「アルゴ」より若干エンタメに寄せてるかもしれないが、これは間違いではないと思うし、凄い映画を観た・・・これが素直な感想だ。
どこまで事実に忠実なのかは分からないが、この人は助かるだろうと思う人達も、いとも簡単に犠牲者になってしまう。生か死か、紙一重の選択による運命の分かれ道が目の前で繰り返す状況に、スクリーン越しの映画とは言えやりきれない感情が渦巻く。
映画として見ても、登場人物の背景や人柄を必要最低限できちんと伝え、実効犯達が黒幕に躍らされて犯行に及んでいるだろう状況もよく分かる。編集も素晴らしいの一言だ。
調べればこのオーストラリアの監督は、これが長編デビューとか・・・。
これからが非常に楽しみな監督だ。
しかしこのインドの出来事を、何故オーストラリアが映画化しようと思ったのか。
そしてこの映画を観たかもしれない犠牲者の遺族は、どのような気持ちなのだろうか。
勿論映画だから多少の脚色があるだろうが、そこを遺族はどう見るのだろうか。
そんな事を考えていたら映画は作れないのかもしれないが、少しでもこの映画が犠牲者や遺族に寄り添ったものであることを祈るばかりだ。
誰が何の為に。
実話を元にしたフィクションって、物足りなかったり、そんな事が起きていたのかと驚いてみたり。色々あると思いますが、これは本当にニュートラルだった。事実は小説より奇なり、ってのも無く。イスラム原理主義過激派側の描写にも、意外性は無く。実話の重みってのが、何故か希薄なのも気になったりして。
ホテルの方々の行動については、尊敬と感動しかありません。映画としては、いっそのこと、ギンギンに過剰演出してしまっても良かったんちゃう?
誰が何のために企てたのか、いまだに諸説が飛び交うムンバイの同時多発テロ事件。この事件は結果的に、イスラム過激諸派の勢力を増長させ、中東情勢を不安定に陥れだと言う見方も出来ます。アメリカ無しでは国家運営が成り立たないと言っても過言では無かった当時のパキスタンの関与を疑い、インド過激派やアメリカのネオコン勢力と考えるムキも有ります。
そんなこんなを考えつつも、人の命がこんなにも軽く奪われてしまう事件が後を絶たない事に暗澹たる気分になってしまいました。
凄惨な事件の全貌。名もなき者達の群像劇。
【賛否両論チェック】
賛:凄惨な事件の中で、それぞれの事情を抱えながら戦い続けた名もなき人々の姿に、思わず考えさせられる。
否:理不尽で無慈悲な殺害描写等が非常に多いので、苦手な人には不向き。
事件当日の様子が淡々と描かれ、無慈悲な犯人達により引き起こされた凶行に、まずは驚かされます。そしてそんな悲惨な現場の最前線で、愛する家族を必死に守ろうとする者や、ゲストを守るために命を賭けた従業員、そして犯人達の事情等、様々な人物の様々な真相が切り取られていく中で、恐ろしくも悲しい事件の全貌が明らかになっていくのが印象的です。
オベロイ料理長が、従業員達にゲストを助ける計画を指示しながらも、
「強制はしない。」
と伝えるシーンで、去る者と残る者それぞれの理由があるところなんかが、観ていて考えさせられました。
殺害シーンなんかは非常に多いので、苦手な人には向かないかも知れませんが、理不尽な暴力に屈しなかった名もなき人々の戦いの記録です。気になった方は是非。
カタルシスには欠ける
なんで上映館が少ないかな〜
勇敢な者たちと悲惨な者たち
ムンバイはインドでは首都圏デリーに次ぐ大都市で、商業、金融の中心地だ。
それなのに、地元警察ではテロに対応できないという。映画の序盤で「警官たちは怯えている」といったニュースコメントも流れる。
テロ対策部隊はあるようだが、事件発生早々に隊長が銃撃戦で射殺されたため機能していない様だ。恐らくその程度の小規模な部隊だということなのだろう。
状況は、デリーからの制圧部隊到着を待つのみとなっている。
高級ホテルでお客を助けるために逃げなかった従業員たちの美談が報道された、実際の事件。
だがこの映画は、ホテル従業員だけにスポットを当てているのではなく、VIPを含む宿泊客たちが助け合う姿や決死の行動、軽装備で敵に立ち向かう地元警官の強い使命感も描き、さらに宗教の強制力を借りてテロリストに洗脳された若者の悲惨さも映し出している。
主人公のホテルマン・アルジュン(デブ・パテル)が出勤する様子を見せるイントロ部で、靴を落としてしまったことにアルジュンは気づかない。
これが物語に大きく作用するわけではないが、上司である料理長(アヌパム・カー)の従業員への厳しさと愛情深さの両方を見せるエピソードに繋がる。
また、高級ホテルの従業員たちは、現地の貧しい労働者階級だということを示してもいる。
そして、この料理長が過酷な状況でリーダーシップを発揮するのだが、そこでアルジュンを強く信頼していることが分かる。
若者たちが小さなボートで乗り付けた海岸から上陸して、タクシーに分乗する場面が坦々と映された後、ターミナル駅のトイレで彼らが武器を準備し始めると緊迫感が高まり、一気にスピード感を上げて大量虐殺へと進展していく。
Tシャツのようなラフな格好にマシンガンを携えたテロリストたちは、銃撃の訓練を受けていて容赦ない殺戮を実行していく。
彼らの行動原理は、神の教えを騙った首謀者によるマインドコントロールと、貧しい家族に支払われると約束された報酬にある。
その報酬が本当に支払われるのかと疑いが脳裏を過った時、生きて帰れないことを自覚している彼らの心の動揺は想像すらできない。
最も極限状態にあるのは、人質となった外国人宿泊客たちであり、頭に銃を突きつけられて客に電話しろと脅される女性従業員たちだ。目の前で同僚が頭を撃ち抜かれるのを見せられた恐怖を思うと胸が詰まる。
ホテル従業員は全員がホテルに残ったわけではない。家族のために逃げるという者に対して料理長は「謝るな」と言う。
残る決断をした従業員たちも、無防備だ。包丁や肉叩きを手にして身構えるコックたちの姿に勇気と同居する恐怖心が浮かぶ。
細かい描写が、活きている。
テロリストの根底に信仰心があるため、この映画には信仰についての見解を示すようなエピソードも挿入されている。
信仰自体は尊いもので、原理主義と言われる「狂信」が対立と憎しみを生むのだろう。そして、信仰心を利用した狂信者による洗脳こそが元凶なのだ。
この実行犯たちのような悲劇の若者を産み出さないために必要なのは、教育なのだろうと思う。
次々と展開していく地獄絵図はリアルで、恐ろしい。
一方で、VIP客(アーミー・ハマー)が赤ん坊救出に向かう場面や、ベビーシッター(ティルダ・コブハム・ハーヴェイ)が赤ん坊を抱いてクローゼットに隠れる場面などは、スリルあるエンターテイメントになっている。
監督のアンソニー・マラスはこれが長編デビュー作だという。
「ボーダー・ライン」のスタッフが集結したとの触れ込みだが、共同脚本も務めていて見事な作劇だ。
印象に残った映像やエピソードがいくつもあった。
しかし…、大勢の人が死ぬ映画だ。
クライマックスで、逃げ惑う人たちと追いかけるテロリストたちの中に突入した制圧部隊は、犯人と被害者を見分けられたのだろうかと心配になったりもした。
インドでも「お客様は神様です」と言うのだなぁ、と妙に感心も。
画的には、赤ん坊の母親を演じたナザニン・ボニアディがなんとも美しい。
テレビドラマ「HOMELAND」でCIAの女性工作員を演じていた女優さん。
だが、全編で最も讃えるべきは、赤ん坊を守り抜いたベビーシッターじゃないか!
良い映画でした!
日本人にはテロの恐怖を想像するのは難しい
緊張感
史実ほど恐ろしいものはない
誰もが生きたかった
最後のテロップが全てを語っている!
感情移入とは微妙に違う【主客合一】とは?
感情移入ではない【主客合一】とは?
事実は小説より奇なり、
を超えて、
ファクトよりもクリエイト。
フィクションで事実を、
観客の胸の奥深くに差し込む。
その深さは報道やニュース、ドキュメンタリー作品(「ジェノサイド・ホテル」もフィクションだけど)よりも深い。
傑作・・って言えない。
感動・・って思えない。
良かった・・って喜べない。
演出の技術はかなり高い。
シナリオ→撮影→編集。
多くの登場人物の気持ちの動きが観たくなるようなサブプロットの編集の繋ぎ方も上手い。
アーミー・ハマーの行かないといけないから行く正義。
地元警察の行かなくてもいいのに行く正義。
ホテルスタッフの行く正義と行かない正義。
訓練された特殊部隊の将校もただの人、
ジョン・マクレーンは夢物語の正義。
(地元警察は行かなくていいというよりも、あの時点でテロリストの正体、人数、火力、訓練度等多くが未知数のまま、突入するのは無謀・・・でも行く!(この地元警察でメインプロットを引く事も可能だったはず、、))
それぞれの登場人物の行動と観客はシンクロしながら事件を見る。
そして、解釈は微妙に違うはず。
観客の主観と客観が、
シンクロする【主客合一】という行為。
その行為は感情移入とは微妙に異なるという事と、
感情移入は物語を追うのに必ずしも必要ではない、
シンクロしたくない登場人物とも主客合一は成立するのがわかりやすい作品でもある。
そして何よりもメインプロット。
この凄惨な実話を先に映画化した「ジェノサイド・ホテル」(フィクション作品)でも書いた。
エンタテインメントでハラハラドキドキの展開で魅せるには、時期尚早ではないか。
テロ発生→状況終了までをメインプロットにしてもいいのか⁈
事件に遭遇した人々を描くだけでも充分にドラマは成立するのではないか。
企画段階での周囲からの批判、製作サイドの内側での葛藤、なんとなく想像できる。
でもあえてフィクション、エンターテインメント。
その大きな理由のひとつは、
未だ逮捕されていない首謀者への怒りではないだろうか。
首謀者への怒り、
何故こんな被害を受けないといけないのか?
と、
何故こんな子供たちが加害者に?
テロリストの少年たちのエピソード。
水洗トイレに驚き、食べ残しのピザを貪る、
タトゥーも見た事ない、そして家族への電話。
◯◯にも三分の理と捉えるかどうかは観客次第。
ここは創作だろう。
ここでも【主客合一】は発生する。
決して少年たちの気持ちには賛同できない、
ただ、どこかで止められなかったのか等考える観客もいるかもしれない。
フィクションの効果を最大限に駆使して、
ドキュメンタリーよりも、
リアルな描写で観客の心を捉え、
エンターテイメントで世界中津々浦々まで作品を届けたいという製作サイドの狙いは一定の効果をあげているのではないだろうか。
テロとはこういうもの
社会的メッセージや正義や非難やサブストーリーとしてプライベートな物語があるわけではなく、ひたすら現実を映し出す恐ろしいとしか言いようのない映画だった。いたずらに怖がらせているわけでもないし、処刑のような惨たらしいシーンがある訳でもない。運の悪いことにその場に居合わせてしまったらという、限りなく有り得る状況がこの恐怖を産むのだと思う。
こんな経験はしたくもないが、テロにあうというのはこういうことなんだろう。危機意識くらいもつのは今のご時世、決して無駄では無いはずだ。
パニックにならない
諦めない
こんなことを漠然と思っただけだが、この実際にあった事件が、見終わったあとも、じわじわと胸を締め付けてくる。
平和な世の中を願わずにいられない
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