「約束しよう、七草。私たちはまたどこかで会うの。」いなくなれ、群青 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
約束しよう、七草。私たちはまたどこかで会うの。
※原作未読なので、あくまで映画の中から感じた感想であり、見当違いだとしてもお許しを。
ただの青春恋愛映画なら観ないが、予告編に惹かれた。
はじめ、イキってる真辺がウザいなと感じたのだけど、徐々にこの島の世界が現実ではないことに気付きだすと、島とは異質の真辺の正体が気になりだした。なにせ、ほかの人々は、生身の人間とは思えないのだから。その分、真辺だけが人間らしい感情を持ち合わせているように思えたのだ。
彼らが失ったものってなに?と疑問がわき、この島は観念の世界なのか?と思い、いや、現実世界の人間が自分の中の要らない感情とか意識とかこだわりとか、なにか魂の一部のようなものがここに集まってきているのか?と思えてくる。それは、失ったのか、捨てたのか、諦めたのか。
それらが人間の姿にされて、魔女に管理されている。むしろ、現実世界の本人の中のネガティブな部分を魔女が逃がさないように閉じ込めている、のか?、だから戻れないんじゃなくて、戻してはいけないのか?、じゃあ魔女は悪ではないんじゃないか?
じゃあなんで真辺はこの島にやって来たのだ?、真辺が島から戻そうとする七草(の失ったもの)っていうのは、例えば現実世界では必要のない「弱い心」や「負の過去」なのか?、と自分勝手な妄想が膨らんできて、それでも戻したいっていうのは、もしかしたら現実の七草のそういう弱みさえも含めて、真辺は愛しているからなのか?
つまり彼らのいる世界はパラレルワールドなのだ。そんな世界はアニメで描いてこそ分かり易い世界観なのに、あえて実写映画で観させられることで、生々しさを味わわされている。まるで、目覚めた後にさっき見てた夢を生々しく回想している感覚で。
ああ、もう映画のなかに引きずり込まれている。しかも、原作では描かれているであろうことを、あえて映画では端折っているフシがある。それを知る原作読者は、そこを重ねながら観ているのだろう。未読のこっちとしては魔女ってなんだよ、コイツの正体ってなんかくさいなあ、階段の先はなにがあるんだよ、、とかいろいろ惑わされたままラストを迎えて、頭の中には???が巡るのだが、そのおかげで未読ゆえの余白が生まれ、おかげで上記のような想像が芽生えてくるわけだ。おそらく真辺は、何度でも七草を連れ戻しにやってくる気だろう。それがこの映画の映像美に包まれるような余韻となって、けっこう今、気分がいい。