囚われた国家のレビュー・感想・評価
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ガブリエルに暴力的なテロ行為をさせる理由はある。
アメリカ合衆国が存在するのに『“統治者“が存在する』それはもはや矛盾。
偉大なる自由と民主主義のアメリカ合衆国なのだから、アメリカ以外の国が、アメリカ合衆国を統治する事をアメリカ合衆国が許す訳が無い。つまり、アイロニーでエイリアンを登場させているのだ。
つまり、自由と民主主義を貫くアメリカ合衆国の管理社会に対するレジスタンス映画と見るべきだろう。
アメリカ警察と言うよりもかつての『シュタージ』による弾圧で、娼館とLPレコードを登場させたのは、結末に対する演出だと判断する。
ダイレクトに抵抗運動だけを描くとテロを肯定する映像になると言う理由だと思う。
アメリカ合衆国以外で起こるテロ行為をエイリアンからの弾圧と抵抗と見れば納得行く。
しょぼいレジスタンスもの
エイリアン統治とかレジスタンスという宣伝文句から新手の宇宙戦争ものかと思ったら、いきなりラジオニュースで状況説明という手抜きぶり、既に世界は全面降伏状態なので敵役はほとんどエイリアンに隷属したなれの果ての警察組織でした。
ちょっとだけ登場するエイリアンは棘だらけの猿のよう、ルパート・ワイアット監督は猿が好きですね。おまけに登場シーンは照明が暗いので、アラは目立たないが、そもそも見えずらいのは致命的、予算の無いB級SFものは得てしてこんな調子、SFというのは言い過ぎでしょう。
プロットはナチス支配下のレジスタンスものをひねっただけ、世界の危機と言うのに抵抗するのはシカゴ界隈の数人だけ、得体の知れないエイリアンの爆薬でテロは一応成功に見えるが局所的過ぎて焼け石に水、レジスタンスは報復を受けほぼ全員死亡、ディストピアものとはいえ何の見応えも感動も無く、エイリアンに隷属する政府の堕落ぶりを指を咥えて傍観するだけ、何故かレジスタンスの黒人兄弟にスポットを当てていますがドラマ性は薄い、まるで退屈なドキュメンタリー映画のようでした。
シカゴの人が見れば政府への皮肉、暗喩とも取れるのでしょうか、テンポも悪く一向に事件は起きないし、人物がいちいち思わせぶりなのはワイアット監督の作風なので致し方ありません、選んだ自分が未熟でした・・。
これぞレジスタンス!
宇宙人の侵略で完全に支配された近未来の国家。
また宇宙人のディテールが独特!キモイ!恐ろしい!でも高度な科学技術を持った知的生命体で地球の天然エネルギーが狙い。
貧富の差が開き、逆らえば街ごと焼き尽くされる。犯罪者は違う星に流刑になる。
そんな世界で、レジスタンス達が宇宙人を倒す計画を立てる。ドームで何体かの宇宙人を倒すことに成功するもずっとレジスタンスを追っていた警官に摘発され、みんな死ぬか流刑に。
摘発に成功した主人公の父の元相棒の警官は本部長に。
それこそがレジスタンスの狙い。何故なら宇宙人達の地球での居住地に行けるのは本部長だけだったので。
そして体に透明な爆弾を仕込み、宇宙人を倒す為に自爆に向かう。。。
カッコいい!!全てがカッコいい😍‼️これぞレジスタンス!仲間を犠牲にしても守りたい何がある!ほんとすごい映画!
また終わりもいい!エンドロールに各地に宇宙人達への反乱が広がっていく様子。
猿の惑星ジェネシスの監督と同じだそうで、猿の惑星の最後も各地に広がっていく感じだったような。同じような演出だけど意味が全く違うってのもよかった😆‼️
テロリストが主人公
本編を見るまではエイリアンとバチバチに争うアクション映画と思っていましたが実際は
テロリストvs政府でした。エイリアンが出てくるものの設定はあまり生かし切れていないように見えました。そもそも政府vsレジスタンスの映画が作りたかったならエイリアンじゃなくてもよかったんじゃね?とも思いましたがそれは置いといて。最後まで見れば大方理解はできますが、序盤はどんどん新しい人が出てきてなにを目的に動いているのかも分からず後半にテロが起きた時点でやっと筋が見えてきました。終わり方もイマイチでハッピーエンドでもなければ大きなオチがあるわけでもないモヤモヤっとして終わります。この作品一番の見所は爆薬を仕掛けられるターゲットの識別番号が書かれた紙が人から人へと渡って爆破されるまでです。このシーンは後半になるにつれてやりたいことが少しずつ明確になっていき成功するかドキドキな展開なのでお気に入りです。これがなければ星1.5といったどころでしょうか。
まあまあだった
宇宙人がはっきり見せてもらえずもやもやする。画面が暗くて夜なのかと思うと昼で、分かりづらい。地球はもうだめだと言っている警察のおじさんが、なぜ宇宙人の味方をしているのか意味が分からない。その人がお父さんと仲間だったと言って弟は助けるのにお兄ちゃんは全く助けないのはどうしたことなのだ? キャラも薄味で退屈で少しウトウトした。
焦点がぼやけているSF群像劇
映画館で、字幕版を観ました。
可もなく不可もなくといった無難な出来の低予算SF映画。過度の期待をしていなければ十分楽しめる作品だと思います。
エイリアンに制圧された地球を背景に、「テロ」という手段で抵抗の希望をともし続けようとする米国シカゴの少人数レジスタンスの戦いを描く。
一人のスターを中心にありえない大立ち回りの活躍を描くのではなく、どこにでもいそうな一般市民(?)のささやかな抵抗の小さなドラマを時間軸にそって数珠的につなげている感じ。
SFとしては極めてローカル(地域的)で、小スケールな話。ツッコミどころ満載であるが、嫌いではないw
よかった点:
・最初から最後までたいした説明もなくだだーっと話が流れていく割に、なんとなく何が起きてる雰囲気でわかる。
・なんだかんだで最初から最後まで観客を飽きさせない。
・疲れたおっさんを演じるジョン・グッドマンが全然かっこよくないし、冒頭嫌われてもしょうがない役回りなのに、なんかかわいげがある。絶妙な匙加減の演技。すごいな、おっさん!
いただけない点:
・こういう系の映画に共通するけど、地球を制圧するほどのエイリアンなのに、ちょっと馬鹿すぎる。単体で行動して不必要にタイマンしたり、ボディーチェック怠ったり、ゆるすぎる。(まぁ、宇宙航海できるような文明レベルに沿った知性を与えてしまうと映画として話が始まらないからしょうがないんだろうけど。例えるなら、現代の最先端技術を持った悪意ある軍隊が石器時代の人間の集落を見つけて制圧したとして、その石器時代の人間たちに勝てる見込みが1%もあるのかという…)
・テロ万歳なストーリーに賛同できない。上記と関連するけど、宇宙航海できるほどの文明レベルを持つ敵対的なエイリアンに制空権取られたら、現実的に考えればもう既に詰んでいる。何か人間を生かしておかなくてはならない特別な理由でもなければ、反乱起こしてる地域ごと見せしめに全滅させられてもおかしくない。つまり、テロをやったところで何かがひっくり返るはずもなく、テロに対するエイリアンの報復行動に多数の人が巻き込まれ、命運が尽きるまでの時間が無駄に短くなるだけなのでは、などと考えてしまう。
・主なキャストに黒人が多すぎ。正直な話、画面が全体的に暗く、かつ出演されている黒人の俳優の方たちをあまり知らないため、顔が見分けづらくて誰が誰だかわからなくなるときがある。米国という割にはほとんど白人と黒人しか出てこないから、もう少しキャストの人種に多様性があってもよかったのでは…。
・"Beware of Greeks bearing gifts" の訳が残念。確かに「敵を信じるな」ではあるけど、トロイの木馬に関連した諺なのに、そのニュアンスがすっぱ抜けちゃってて、アハ効果が半減している気がする。かといって、良い訳も思いつかないのでしょうがないのかなぁ。翻訳は万能ではないよね…。(あえて訳すなら「プレゼントを携えてようが、敵は敵」とかかなぁ)
・エイリアン側に立つ、人間の秘密警察みたいな組織の俗称の訳が残念。原文ままの「ザ・ローチ」ってなんやねん。蔑称なんだから「ゴキブリ部隊」とかでもよかったのでは。地に巣食うエイリアンのヒントなのかもしれないし。
個人的には、こういうハードな題材のSF映画好きなので頑張ってほしいんですよねぇ。低予算ながら健闘していると思うし、それほど悪い出来でもないと思うので、過度の期待をせずに、だらりとご鑑賞くださいw
囚われなかった観客
この映画を酷評する前に根拠のない持論をベラベラ書き流します。ある程度酷い映画でも少なくとも褒めるポイントは存在します。
「ヲタ恋」は俳優陣の歌唱力が素晴らしく、その部分だけは鳥肌が立ちまくりました。
「犬鳴村」は妖怪たちの怒涛の出演や今までのホラーアクションをギュッと1つの作品に詰め込んでいてむしろ笑える部分がありました。
「カイジ」もご都合主義な場面もありますが、それでも有名原作という盾があるだけ見栄えするシーンもありました。
ただこの作品は褒める部分が一切ないのです。映画自体が短調でつまらないというのもありますが、クリーチャーVS人間の構図ではなく、人間側がどうにかして脱出する方法を考える物語なので期待していた対決ものではなかったです。
人間たちの葛藤の部分も誰がどう動いているのかが分からず、身勝手な行動ばかり取るなーと思って観ていました。巨大岩が動くCGもなんだかチープなもので、笑いにも達しないくらいのレベルです。
最後も問題は解決してないけどとりあえず脱出!みたいな感じの終わり方なので、スッキリしませんでした。
どちらかというとドラマ向けな作品のように思えました。
合わなかった…
率直な感想としては中々退屈な時間を強いられた。
ストーリー展開に興味が湧かないのはもちろんのこと、画面も暗く揺れるシーンがありとにかく分かりづらく見づらい。
エイリアンに支配されダークな世界観を描きたかったのはわかるが、そもそも多くの国民が表面上は不満を持ってるようには見えなかったが、内面では苦しんでるのかそうでないのかイマイチ分からない。
終始描いていたテロ行為は結局失敗し主人公の兄は捕まる。しかラスト20分くらいでそれは狙って失敗しただの、彼等や主人公を追いかけ回していた刑事が最後は反旗を翻す事を想像させて終わる。
後半に怒涛の展開で理解が追いつかなかった。
テロ行為に関しても各々の任務に対して手捌きはいいものの、この辺りも唐突に描かれるためイマイチ引き込まれない。
結局エイリアンはどういった存在で人々はどういう思いで生活してるのがイマイチわからなかった。
強引にこの作品を肯定するのであれば人々は無意識の間に誰かによって支配された日々を過ごしており、それに対して立ち向かうことが大切でありそのような描写を楽しむ作品なのかな。
今回はウルティラで鑑賞したがウルティラの良さと作品はあまりマッチしてなかったように思えた。
この原題は、多分受け入れられないし、変更されるのか?
映画の冒頭、レジストレイターと呼ばれるエイリアンの侵略が始まった10年前、北に逃げようとする両親が運転するステーションワゴンが、警察の非常線を突破したまでは良かったが、主人公のラフェと兄のガブリエルの目の前で、砂鉄が磁石にくっ付くような、またウニのトゲトゲのようなと言えばいいのか、宇宙服?が変形するステレオタイプ的恐ろしさを見せるエイリアンによって両親は黒い煙となって一瞬にして消えてしまう。
amazon.comのレビューの中で、この映画を称して、「アルジェの戦い(1966)」や「セクター5[第5地区](2012)」からインスパイアーしていると述べている方がおられたが、その意見に対してあながち無視が出来ないと思える部分もある。
Natural resource production has increased tenfold.
Employment is at record levels.
Crime at an all-time low.
And we have the Legislators to thank
for this American renaissance !
エイリアンと対峙する独立派、フェニックス。その独立派の過激な活動を阻止しようとするエイリアンとの共存派、コマンダーとして警官を指揮するマリガンとの策略あり、陰謀あり、とどちらかというとSci-Fi映画というよりもむしろ人間臭く、人間の闇の部分をシニカルにまたアイロニックに描いているようで現政権を批判しているのではないかという印象も与えている。しかも蒸し暑い短い夏が終わり、その裏返しのような冬は凍てつくように寒く、また日中でも暗く感じ、その上、人種のルツボで犯罪都市シカゴを舞台にしているので余計に映画自体が重く感じ、偏執(へんしゅう)病的と言えば言い過ぎになるのか?
この映画自体、首を捻りたくなるような部分も散見し、例えば、人間がエイリアンを格闘の末、倒し、そこまではいいのだけれども人間がエイリアンが着ている宇宙服の顔の部分をひっぺ剥がすシーンは、どう考えてもあり得ないし、エイリアンの顔を拝ませるためだけの演出としかないと勘ぐりたくなってしまう。また、フェニックスのメンバーがセレモニー会場を襲撃し、そこからバスで逃げる場面で、走り出したバスが、急に止まってしまい、ヘッドランプも車内灯も消えてしまう。しかし........ヘッドランプ以外の車外灯が付いてるのは....?何故? 重箱の隅を突っつきすぎました。
"So you want to make godzilla our pet? No. We will be his.."で知られる映画にご出演というよりは、むしろジェームズ・ワン監督が、製作または監督をした死霊館シリーズの実在の人物で、つい先日、92歳で亡くなった心霊研究家(ニュージーランドの大学で教鞭をとられていました。)のロレイン・ウォーレンさんの役のほうが、ホラーファンなら当然知っていて当たり前で、ワーナー・ブラザース映画のドル箱シリーズとよべるもので、しかも最新作「アナベル 死霊博物館(2019)」が9月に公開予定となっている。その人、ベラ・ファーミガさん。この映画でもそのターコイス色と言っていいのか透き通った単に水色と言っていいのか、その瞳で見つめられると彼女の妖艶さに参ってしまいそうになる。Nat King Coleの"Stardust"(ある人に言わせると「うっとりした心地または"夢の中"のニュアンスもある」とされる。)のレコードをかけて登場する。しかもなんと、その名前が、"Jane Doe"。名前も不思議なら彼女の演技も不思議に思える。
地元シカゴの定期新聞、Chicago Readerによると「全体的には、あいまいなCGIといくつかの非現実的なパフォーマンスによってゴチャゴチャしている。」しかし、この映画のルパート・ワイアット自身「猿の惑星:創世記(ジェネシス)(2011)」においてパフォーマンス・キャプチャーを多用していかにも自然な動きや表情の変化をいかんなく発揮していたのだが、この前、映画公開に合わせてのインタビューで、「この映画はいわゆる"Gambit"(マーベル・コミックスに見られる、まだこの世に出ていないアメリカのスーパー・ヒーロー映画)で、本当のことを言うと製作期間も限られ、予算も低かった。」と語っていた。それに付け加えるとこの映画実は、前作の「猿の惑星」の製作費の4分の1、約27億円であるのだけれども4月において売り上げが、9億4千万円というBox-office bombの御仲間入り濃厚となっている。
パフォーマンス・キャプチャーと言えば思い出すのが、1985年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロバート・ゼメキス監督。7月に公開予定の彼の新作映画「マーウェン(2018)」、この映画もよい内容にもかかわらず製作費約42億円を回収することが出来るか懸念されている。
映画情報サイト、AV Clubのコメント「この映画は確かに印象に残るものであるけれども地球外生命体の侵略というジャンルの将来、実現するかもしれない題材の面白いところを最悪にもダメにしている。」
この映画のキー・アイテムとして全人類を監視するため、エイリアンによって首筋に埋め込まれた"生体型チップ"(傷跡のない、時たまモッコリと盛り上がる。)やデジタル通信が一切できずにアナログな世界観というのも見どころかもしれない。
STRIKE THE CLOSED ZONE.
LIGHT A MATCH, AND IGNITE A WAR.□
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