囚われた国家 : 映画評論・批評
2020年3月24日更新
2020年4月3日よりイオンシネマにてロードショー
エイリアン統治に抗うレジスタンスの蜂起。これぞ侵略SF版「アルジェの戦い」
「猿の惑星:創世記」(11)で侵略SF映画のカルトクラシックを再定義し、同フランチャイズの新しいあり方を示したルパート・ワイアット監督が、地球外生命体に支配された世界を描くオリジナル作品。映画はエイリアンと終戦協定を結び、監視国家へと変貌を遂げたアメリカで、反旗をひるがえすレジスタンスの活動に焦点を定めたものだ。
異星人の急襲によって地球全土が侵略され、降伏した人類は政権を譲渡。支配者は閉鎖区域に住み、天然資源の搾取に我々は協力をしている。舞台はエイリアンとのファーストコンタクトから9年後。貧富の差が拡がり、警察によって逮捕者は地球外へと追放。統治者に活動報告がなされるディストピアな拘束社会で、現状を打ち破ろうとする革命蜂起がサスペンスフルに描写されていく。閉鎖区域を爆破する秘密作戦に、人類の存亡と未来をかけた——。
エイリアンの統治に抵抗をくわだてるレジスタンスというと、かつて日本でも話題を呼んだTVミニシリーズ「V」(83〜84)あたりが既視感をうながす。しかし作品のトーンはフランス軍とFIN(アルジェリア民族解放戦線)の紛争をテーマに、アルジェリアが独立を勝ち取るまでの史実に肉薄した政治的傑作「アルジェの戦い」(66)に近い。ニュースリールのような実録形式をよそおう撮像を含め、リアリティを徹底追求したところは同作と似た哲学を共有している。なによりVFXに過度な依存をせず、スタジオセットやスター性を排してドキュメンタリー調を徹底させ、あたかも自分がそこにいるかのごとき緊張感を捉えることに「囚われた国家」は成功している。
そのため登場人物と距離を置く観測的な演出や、派手さやスペクタクルな見せ場のない語り口に評価が分かれるかもしれない。特にキービジュアルを飾った、ガンダムタッチの巨大ロボが大暴れする展開を期待している人は、あきらかにそれとは異なるものを目撃することになるだろう。だがこうしたさりげない異世界感の提示が作品の全体像を引き締めていくし、むしろ透明性の爆発性火薬など小道具の設定にこそ優れたセンスを発揮し、それが物語に有機的に作用していくところに知的水準の高さが感じられる。監督の侵略SFの可能性を拡げる実験的なスタイルや試みを、自分は率先して評価したい。
(尾﨑一男)