マウトハウゼンの写真家
2018年製作/110分/スペイン
原題または英題:El fotografo de Mauthausen
スタッフ・キャスト
- 監督
- マル・タルガローナ
- 製作
- ホアキン・パドロ
- マル・タルガローナ
- 製作総指揮
- ホアキン・パドロ
- マル・タルガローナ
- イシュトバーン・マヨール
- 脚本
- アルフレド・ペレス=ファルガス
- ロジェル・ダネス
- 撮影
- アイトール・マントクソーラ
- 美術
- ローザ・ロス
- 衣装
- マルセ・パロマ
- 編集
- ホセ・ルイス・ロメウ
- 音楽
- ディエゴ・ナバロ
2018年製作/110分/スペイン
原題または英題:El fotografo de Mauthausen
セリフの中に『ドイツの音樂を聞くと緊張感が増すからなぁ』と言う自虐的なセリフがある。
間違いである。
ベートーヴェンの『月光』だ。ドイツの音楽ではない。ベートーヴェンの音楽だ。
この映画にはスペイン人から見たドイツ人への偏見を感じる。
『フィルムを戦後に残した』と言う主人公の功績だけで、写真以外に信憑性が無い。確かにナチスの愚行はあっただろうが、ナチス個人の愚行ではない。ドイツがナチスになって周囲の国々を侵略したのである。
だから、ロシアの愚行はプーチンがいなくなれば、解決すると言う事にはならない。この映画はあまりにもこの収容所の所長の狂気に囚われ過ぎている。
所長以外の取り巻きもナチスなのである。そう言った者の狂気が知りたかった。この話は明らかに脚色されている。
また、スペインはフランコ政権が統治して、親ナチス政権である。また、
こう言った収容所には、スペインにもユダヤにもナチスにも『媚を売って生き抜いた者』はいた。ここでは、一人たけ例に上げているが、もっと沢山いたはずだ。
『夜と霧』が紹介されるが、一読をお勧めする。収容所の怖さが淡々と語られ、作者の冷静さが怖くなる。この映画の主人公もそんな所がある。
最後『スペインの反ファシストは解放軍を歓迎する』と掲げられるが、スペインのフランコ政権は1975年まで続く。そして、現在はフランコ政権を否定せずにスペインは王政復古している。その事実を知るべきだ。
兎に角、映画の中の出来事が、写真のパッチワークの様に貼られ、全体的な歴史の流れに対して、信憑性が全く感じられない。勿論、ナチスを擁護するものではない。さて、
『バンズラビリンス』や『ピノッキオ』の監督と関わりがあるようだ。
そう言えば、『バンズラビリンス』でも似たような表現内容になっている。
さてさて、フランコ政権を100%払拭出来ないでいるスペイン人のナチスに対する考えが分からなくなってきた。
スペインは発展途上国ではない。歴史はヨーロッパ最初の先進国。故に、反ユダヤ主義やロマに対する差別は強かった。だから、フラメンコなどのロマ文化に花が咲いた。勿論、内戦の敵に付いたスペイン人に対しても容赦したとは思えない。
ナチスドイツの夜と霧作戦がユダヤ人のみならず、捕虜となったスペイン人に対してもあったことを、この作品で初めて知りました。
それは1人の写真家とその仲間たちの勇気によって公になったことも。
その過程で多くの人が、尊厳のない無残な最期を遂げさせられたことも。
証拠隠滅することに長けていたナチスドイツ、人間として狂っているとしか思えないこれらの所業が、日の下に明らかにされ、永遠に負の歴史として、世界中の共通認識であることを望みます。
マウントハウゼンではなく、マウトハウゼン。←間違ってた汗
ナチスの標的は、ユダヤ人に比べたらほんのわずか(7千人?)だったかもしれないが、国籍を剥奪されたスペイン人達もいた、という事実。知らなかった。
囚人(と呼ばれるのか)達の役割はさまざまだが、その中で、写真を撮るという役割を与えられた主人公。
何とかナチスの残虐さを世に知らしめたいと仲間達とネガを外部へ持ち出そうとする。
スリリングなシーンでは連携プレーにハラハラさせられながらも仲間の絆の力強さを感じた。
劇?を披露するシーンでは、ドイツ人はしかめっ面だが、明るい芸達者?なスペイン人。民族の血みたいなものを感じ、それが羨ましく思える。日本人だったら何を演じられたか。
スペイン映画はやはりいい。観てよかった。