主戦場のレビュー・感想・評価
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私は認めるわけにはいかない。
公開からだいぶん経ちますが、いまでも高い総合評価を維持しており、鑑賞者からはとても勉強になったと高く評価する声が多く見受けられる映画です。
楽しまれた皆様には残念かつ申し上げにくいことですが、この映画を勉強に使うのは危険だと私は思います。皆様はあまりにも純粋無垢でいらっしゃり、その点ではインタビューの中で女子学生が「(慰安婦問題を)知らない」と言い放つシーンに通ずる虚無感にさいなまれました。
これだけ連日話題に上っている問題なのに、詳しく知らない人がこんなにも多いとは思ってもみませんでした。それどころか、歴史認識を巡る理論武装のやり方からして知らない人たちがこれほどに多く、そしてそんな皆様をこの映画はことごとく虜にしてしまっている点には驚きました。
歴史認識は国家間の利益に直接的に響く、重要な学問分野です。決してこの映画のように「かもしれない。きっとそうだ」といった論法で論じるべきではないと考えています。
テザキ氏も皆様も、認識と事実の違いが曖昧であるように思えます。
歴史認識には日韓それぞれの認識が存在しますが、事実はひとつだけです。
韓国では大勢が性ドレイとして日本軍に強制連行されたという認識がありますが、それを裏付ける証拠はこの映画で出てくる程度のものです。あの程度で事実たりえるなら、私は今からでもあらゆる国家犯罪をねつ造できると考えています。
そうならないために史料が存在します。それがみつからないなら、勝手に「事実」にしちゃだめです。
北朝鮮は首相級同士での会合で日本人拉致を国家的な犯罪行為として、「事実」だと認めたがために、今なお厳しい立場に置かれています。
北朝鮮は、日本側も北朝鮮の優秀な人材を国家主導で日本に拉致したに違いないと「認識」し、世界に向けて発信しています。国家に与えうる影響度はどのくらい差がありましょうか。
相手の認識をかんたんに事実と認めれば、ものすごいことになります。
日本はいわゆる慰安婦問題について、一度は国内の誤報を信じて事実でないものを「事実」と認めた後に撤回したせいで国際的な信用ががた落ちしました。このようなことを繰り返さないためにも、事実確認は慎重かつ確実に行う必要があります。
南京大虐殺しかり、慰安婦しかり、相手は数を誇張して責めたてて、微量だけでも事実として認めさせようとする手法をとります。何故か?それで十分だからです。日本が国家主導でそれをやったと認めれば、20万人だろうが1万人だろうが日本をバッシングする材料たりえるのです。
さて、これは慰安婦たちにとって、ものすごく失礼な姿勢だと思いませんか?
あったかなかったかは、この通り大変に重要な問題なのです。しかし、この映画では、その点について述べることはありませんでした。それどころか、差別者でないなら罪を認めることこそが真摯な姿勢だとでも言いたげな論理展開をしていました。
つまり、そういうことです。
利敵行為といわれるゆえんは、この論理展開にあると思います。
何でもアベガー発見器かな?
☆☆☆☆ 連日満席 何度か劇場前まで行ってはほぞを噛んだ。 まだま...
☆☆☆☆
連日満席
何度か劇場前まで行ってはほぞを噛んだ。
まだまだ上映中だが、明日からは朝一とレイトの観に行き辛い回のみとなる…って事で、仕事帰りの早めに速攻で席を押さえる。
割引無しの1800円だがやむおえん。
いや〜観たね〜!噂のドキュメンタリー!
慰安婦問題に関しては、色々と日本人として言いたい事はあれども、そこはそれだ!
そもそも、意図的に歴史認識を修正してしまっては議論の余地すら無くなってしまう。
まあ、この作品に於ける慰安婦問題や歴史認識の修正に躍起になる日本ナショナリズムの連中は…。
本陣に斬り込む為の取っ掛かりでしかないのが、最後に分かるんですけどね(´Д` )
兎にも角にも………………。
若い頃から胡散臭さが強かったが…………。
超特大愚か者である……………。
安◯晋◯の大暴走だけはなんとしてでも止めねばならない。
それだけが同じ時代に生まれてしまった、我々日本人に課せられた【義務】にすら思える。
2019年6月28日 シアターイメージフォーラム/シアター2
慰安婦をダシに監督がプロパガンダしてる
こういう題材の作品ですし、客層が思想的に偏ってしまうのは仕方ないものと思って覚悟していたのですが、それを上回る驚きがありました。
上映館がバレるかもしれませんが、苦言をひとつ申し上げます。
2.5次元のミュージカルを観に行った時みたいな応援団が居て、すごく不愉快でした。「いいぞっ!」とか鑑賞中にリベラルを応援するのは、鑑賞マナーの悪さに驚いてしまいました。
上で述べたとおり、この作品はリベラルに利するよう組み込まれた、酷く古風なプロパガンダ映画でした。鑑賞者側にノーマナーな応援団が付いたのは監督も予想外だったでしょうけれどもねw
一見するとディベート動画なのですが、撮る側が中間的な立ち位置に立とうとしていないのが問題でした。
最も分かりやすい例は、何名かが既に述べているとおり、保守側を「リビジョナリスト」呼ばわりして、あたかも悪役として扱っている点でしょう。ディベートを撮る者として、もっともやってはいけない差別的な行為だと思います。
ホントにYouTuberのなり損ないって、差別的な行為で再生数稼ぐの好きですよね。まがりなりにも監督を名乗る人間がこんなプロパガンダを作品内で展開するなんて、呆れてモノが言えません。
この映画を観るためにお金を支払うことは、差別を助長すると言っても過言では無いでしょう。
また、途中からは監督が言いたかったことに話が逸れていきます。これは慰安婦の方々にとっても失礼な締め方だと思うのですが、日本批判につながるなら彼女たちは文句を言わないのか、苦情はあがっておりません。
すなわち、この映画をめぐる動向を観察するだけで、「慰安婦は反日活動が出来て、お金さえもらえればダシにつかわれたとしても文句言わない」人たちだと分かってしまいます。
真実はどこへ
南京事件や従軍慰安婦が有ったのか無かったのか。 数に誇張はあるでし...
途中から変遷する
リベラル、気持ち悪い。
なぜ女性の戦争時における性差別を論じるのに、『そうならないための施設』を批判するのか。これがわからない。
日本軍が韓国に押し寄せて村や街になだれ込んで、5000人以上の混血児でも残して帰ったのか?
そうならないようにするため、慰安婦が活躍したんだろう?
慰安婦制度を持つ軍隊でありながらベトナムに押し寄せて村や街になだれ込んで、5000人以上の混血児を残して帰って行った国の話は、まさか出さないで良いと思っているのでしょうか。
テザキさんのすんでる国が支援して一緒に戦ってた、慰安婦の住む国が『しでかしたこと』の方こそ、女性の戦争時における性差別という研究発表にふさわしかったのではないでしょうか。
慰安婦が労働の対価を得ていなかったというデマの拡散の方が、よほど女性差別だと思います。彼女たちは貴賎無き『職業』として軍を支えた女性たちで、日本帝国軍兵士の志気の維持や体調管理に大いに貢献しました。もちろん、その見返りにきちんと給金が支払われていました。
これを『金ももらわずにさらわれ放題、犯され放題』なんて言われたら、その職についていた人は普通、腹が立ちます。そうならないことに、思考回路の歪みがあると思います。
私はライダイハンの徹底解明と、慰安婦制度に関する謎の風評被害の撤回を求めたい。
テザキにしてみりゃ慰安婦なんてどーでもいい
議論することは良いことです
左翼の小賢しい罠
この映画を左翼と右翼のバトルに例えるのはなにか違う気がするが、テザキ監督は自国の富裕層(知識階層)がネトウヨ化して差別的な行為を繰り返すのを問題視していた。そして、日本もおなじ憂き目にあっている現状を知り、慰安婦問題からその内情を暴き、問題提議するためにこの映画をつくったそうだ。
この時点で慰安婦問題なんて深く論じる気がさらさらないのを自白したようなものだ。
要は慰安婦の強制連行の存在を盲信する勢力を左翼、証拠不十分で否定する勢力を右翼として戦わせ、否定派を煽って差別的なことをさせるのが目的である。
そのためには日本を貶める論点が必要だ。彼ら左翼は慰安婦の証言を信じてあげることこそが人権の尊重と認識しており、一貫してとして慰安婦問題はあったと信じて疑わない。
この時点で、論理的な議論は不可能である。
結果として、強制連行の証拠は何一つ更新されなかった。
そして、十分煽ったら否定派は悪態をつき始める。左翼はこれで十分だったのだ。
あとは右翼=差別的!というレッテルを張って、証拠として彼らの悪態を写す。
これだけで十分だったのだ。慰安婦問題なんてダシにつかうだけだったのだ。
私は左翼のこういう点をものすごく差別的な特性として認識する。
いわば、差別的な連中しか登場しない、救いようのない映画だった。
ディベートでもなければ、ドキュメントとも言い難い
普段はrom専のユーザーです。あまりにもあまりなので初めてレビューをしました。
極めて古風なプロパガンダ方法でありながら、リベラルのみなさんはだいたいその手法にひっかかって「右翼はろくでなし!こんなやつら、だれも応援しない!」と躍起になっているようですね。
こんなにもわかりやすい差別方法はなかなか見られないですよ?人権うんぬんを重んじる人たちとはとても思えないです。
リベラルの皆さんには、差別を差別と見抜く目は存在しないようですね・・・いや、もしくは、敵にならばそういう差別的な行為をしてもよいと強く信じているのでしょう。
いつもの自分たちだけは棚上げです。ほんとうに、いつもこうですね。差別に鈍感もしくは差別に積極的なひとたちこそ、この映画を手放しに褒め讃えているように思います。
ディベートはたしかに行われたのでしょう。しかし、テザキ監督の編集を受けて完成したこの映画は、ディベートの流れと結末を大きく改変したものとなりました。
攻守の順が固定されていませんでしたか?
右翼側に対して、「ともかく、こいつらはこういう連中なのだ」「ほらみろ!すぐおこるだろ?」とレッテル貼ってませんでしたか?
リベラル側は、慰安婦の女性の証言のような信憑性のかけらもないものではなく、その当時の一級資料による反証をおこないましたか?
右翼側は、なぜあんな悪態をついたのか、思考停止せずに、少しでも自分の頭で考えましたか?「証拠不十分であり、論じるに値しない空想論」「不勉強で初歩的な主張」に対して呆れている、とは一瞬たりとも考えつきませんでしたか?
見る人が見れば、この映画は一発でプロパガンダだと見抜かれますよ。
あげくにあの結末。途中から帰りたくなったのはこの映画が初めてでした。あまりにもあまりなのでレビューを投稿させていただいた次第です。
救いようのないyoutuber
20万人、強制連行、性奴隷
慰安婦がいたかいないかと言えばいたし、軍であろうが業者であろうが意にそぐわず連れていかれた女性もいたろうし、収入があろうが連日兵隊を相手にしたのは間違いはない。ただ、その数字、表現によって、与える印象が違ってくる。
はじめ、むしろこの映画で言う「歴史修正主義者」の言い分のほうが勝っている。「おや?前評判と違うぞ?」と観ていると、だんだん彼らの言葉尻をとらえ、最後は妄言癖の愚か者のように映し出す。ああ、こういうキリトリの手法を使うのか、と感じた。
結局、右も左も、初めから自分の立っている立ち位置から1ミリたりとも譲歩するつもりはないのだ。証拠がないからと言ってなかったことにはならないし、証言が二転三転するからと言って嘘と断言はできない。しかし、過度の間違いは正してもらいたいと切に願う。20万もの数字に疑問符はぬぐえないし、あたかも日本軍だけの蛮行のような報道は受け入れがたい。各種ハラスメントを唱える昨今の理性の尺度でWWⅡの言動をはかられれても困る。この映画から感じるのは、両陣営の言い分をお互いとも、真摯に真実を見つめ直そうとする姿勢がないことだ。片方は極論を振りかざし、片方は感情をむき出しにする。だから結論は「永久に分かり合えない」ことが明らかになっただけじゃないのか。
この中で、資料館の事務局長の言葉が一番まともに聞こえた。
僕はどちら側か?
その前に僕は、本当の現場を知りたい。意見はそれからだ。ただ、もうそれは籔の中であろう。
me too...
生まれた土地が割と部落問題などが根強く残っているところなので、人権問題には昔から強く興味がありました。
大昔の価値観を否定するのは間違いですが、未だにその古い価値観でもって「女性はこうあるべき!」みたいに主張する輩は、非難して沈静化させるべきだと思います。
この映画を観ていて感じたことは、「ネトウヨはこんなにひどいやつ!」という恐怖ではありませんでした。
そう「思わせよう」としてる、テザキ氏率いる慰安婦実在組?の展開する劇場型のディベートへの嫌悪感と、これを映画化するまでにリベラル派の人たちが誰も止めようとしなかったことへの恐怖でした。
上手く言い表せませんが、ネトウヨ派の参加者たちに「そこに住んでるなら、お前はどうせ部落だろ!ホント部落はこういうやつらばかりだ!」と間違ったレッテルを貼って言われもない差別を与えているような感情に囚われました。
これは本当に女性の人権を訴える人たちによる映画なのでしょうか。とても差別的な意志が見え隠れしています。
日本の中枢は左がとっても右がとっても差別はなくならないのかもしれないなぁと思い知らされました。
とりあえずテザキ氏はひどい差別者という認識は深まりました。あのひと好きにはなれそうにないや。
喚けば喚くほど・・・
韓国人差別の意志はないけれど、彼らは静かにしているべきだったと考えている。
彼らは、日本軍の蛮行として、やれ食人やら虐殺やら性奴隷やら強制連行やらをされたんだぁ!と声高に叫ぶが、証拠を探すとロクに見つからない。それどころか、「ベトナム戦争時に韓国軍が」それをやった記録が次々と見つかる。
今回の性奴隷疑惑だが、韓国が慰安婦を声高に叫ばなければ、ライダイハン像など建立されて言い出しっぺが真犯人みたいな大恥をかかなくてすんだだろうに・・・と再認識できた。
こうやって叫べば叫んだだけ、のちのち不利を被るのは、被害者意識だけでモノをきめつける連中だということを知るいい機会になると思う。
日米の離反を促す様は丸山議員と大して変わらん
わざわざインタビューした素材をこんな風につかう学生が居るのか。ドン引きする。
新聞の文字を切り抜いて脅迫文作る小学生と何も変わらない。圧倒的な悪意を感じる出来であった。
こんな程度の悪い切り抜きなら、わざわざ大学でなくても作れただろうに。
認めると誉められ、否定すると非難される
そういうものは疑って見ることだ。
怪しいと思って見たら、これは韓国がよくたとえ話にひっぱりだしてくる「ナチスドイツ、ヒトラー総統」の演説方法に近いものがある。
批判するべき相手(右派=ユダヤ人)を国の弱体化の原因のように扱い、民の認める力(左派=アーリア人)をほめちぎり、その優位性の科学的根拠の検証はできないだろうという前提でつくられている。
右派をガス室送りにして、また一つ優れた国家にレベルアップできた!と喜んでいるのだ。
これは愚民宛てに練られたものだ。
東洋のアーリア人こと左派にしか効かない論理なのだ。
ただただ情けない。
言論の自由とは、こんな差別的な手合いすら放置するしかないのだ。
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