ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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こんなけ" ーむにまし" になっちゃってと" うするの
ドラクエはダイの大冒険シリーズから入って、受験期間中に発売された作品以外はだいたいプレイしました。もちろん、ドラクエ5についてもクリア済みです。
ただ、やりこみガチ勢の人には「お前はドラクエファンじゃない!」と怒られそうですが、どのシリーズも一度クリアしたらそれっきり、強くてニューゲームなどの複数回遊んだりはしないタイプのライトプレイヤーでした。
今作はドラクエ5のオマージュと聞いて、楽しみに見に行きましたが、確かにラストシーンは裏切られました。
真っ先に思い浮かんだのが稀代の迷作「たけしの挑戦状」の名言「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」。30年前のゲームと全く同じお説教を、映画の中でボスがしてみせたのです。
たけしの挑戦状と違うのはここから。
ある程度視聴者を絶望させた後、ボスに太刀打ちできる唯一の剣が姿を現し、不要な説教をするボスに一太刀浴びせて、物語は続きます。
ユア・ストーリーという副題はこのためのものだったのか!と思い至り、かつての思い出と共に、ゲームキャラクターに感情移入しまくっていた私たちをひとまず冷静にさせ、しかしそれでいてゲームの世界を引き続き生きていてもよいのだと許容してくれる。この作品はその点はとても大らかだと思います。
映画を見終えて、なんだか毎日ゲームに没頭していた頃が懐かしくなってしまいました。
私としては非常に珍しく、再プレイしてみたくなり、ゲームを買い戻しました。今は届くのが楽しみです。
レビューに噛みつかないで
ドラクエはシリーズ通して昔から楽しませてもらっています。
なにせ昔から国民的に人気のあるゲームですので、見に来る人全員が「ドラクエ=ゲーム」だと理解しているという大前提に立てば、ゲーム世界を再現したあのラストシーンのメッセージは面白いものだと思います。
皆さん作品への思い入れが強すぎて許容力が低下して偏狭になっていますよ。ご自身が許せないものを他人が許しているので、彼らに噛み付くといったような行為が散見されていて、コメント可能なレビューサイトの闇を垣間見た気がします。
ものすごく差別的な表現で映画制作に関わる人を十把一絡げに罵倒したり、高評価の皆さんを全員アルバイトライターまたは同一アカウントみたいに決めつけたり、なぜかネトウヨ認定したり。
一部の投稿者にいたっては、皆さんの怒りにあてられて集団ヒステリーの状態に陥っているように思います。
節度ある投稿をしましょう。多数が怒っているからといって、少数でも楽しんできた人間に対してイヤな気分になるような攻撃をしないでください。
ダンガンロンパV3をパクりたかったんですぅぅぅ!
そもそも映画とかゲームってフィクションの世界を楽しむものでしょ。それなのに大人になれよだのなんだの、、、無粋にも程があるわ。
わざわざドラクエの名前借りてまでして何がしたかったんだよ。こんな作品作っちゃう俺かっけーとか思ってそう。
賛否分かれるって言葉にも違和感感じる。明らかに否が多いのに分かれるもクソもねえわ。
賛として讃えてる馬鹿もちらほら見かけるけど、そいつらって「このオチにはやられた!山崎監督凄い!」とか言ってんのね。なんもやられてねえよ。こんなオチ前々から採用されてきた駄作特有のオチだから。まともな人間なら採用しないオチなんだよ。
ドラクエ最高!!
たしかにこれはない
ドラクエのゲームに対する思い入れはあまりない。結構フラットな状態で鑑賞。
始まりはドット絵のドラクエ。そこから3Dアニメに移行していく。気になるのはゲームっぽい動きとセリフ回し。なんで普通のアニメっぽい映像にしなかったんだろうと思ってた。
あれもそれもあんな展開にするためだったのか!
ゲームをそのまま映画の脚本にしても面白くないと思ったのかもしれない。だから追加要素を入れたのかも。そんな同情をしつつ、これはないよなーと感じた。
エンドロールが終わって明るくなったときの館内のザワザワした感じ(悪い意味で)は初めての体験かも。
皆に問題の本質を理解してほしい
原作との差異は個人の嗜好で些細な問題だ。
映像脚本音楽等も自由に評価すればよい。
メタ展開の是非は大きな争点だが肯定派の多くは「これはこれで」の域を脱せず、王道ドラクエを求めた人はもちろん映画作品視点でも雑さが目立つ。
それでもこれだけなら面白いのかという評価軸の話だけですんだ。
そこじゃない。本作最大の問題点はメタ展開の中で
なぜあんな表現をし、あんな言葉を使ったのか。
脚本上の表現には全て意図がある。無数の選択肢からこの表現を選んだ事に悪質な表現の暴力が潜んでいるのが問題なのだ。メタ展開で作品が台無しになった事以上に、メタ展開内で投げつけられたメッセージに多くの人が憤っているのだ。
説明の為、一連の演出を列挙する
主人公以外の時が止まる
ウイルスが現れ、虚構だと暴く演出
「私を作った人間はこのくだらないバーチャル世界の住人達が嫌いで嫌いで仕方ないようです」
「天才プログラマーのただの暇つぶしです」
「彼からの伝言です。大人になれ」
このシーンの胸糞悪さは未視聴者には到底伝えきれない最高のクオリティ。
ダイレクトアタックで死亡者続出。
さてこのウイルスは何か?ゲームに無理解な昔の大人のメタファーとする意見が多いが、人格やセリフにそういったニュアンスが感じ取れず、個人的嗜好による攻撃的ニュアンスが支配的だ。全てセリフで説明する癖を持つ優秀な脚本家のセンスが光る。
ラストバトルに没入していた観客はカタルシスを得る間もなくメタを展開され、ウイルスが世界を虚構とする演出によって血の気が引くように映画館にいる現実へ引き戻される。ウイルスが言う。「私を作った人間は」と。現実世界において感情移入できない目の前のスクリーンから発せられる「私を作った人間」というセリフ。それは目の前の作品を作った人間と咀嚼されるのも無理ない話だろう。しかもどのセリフも狙っているかのように腑に落ちる。
かくしてダイレクトアタック死亡者、ドラクエ愛の有無問わず没入していた人、素直な子供等多くの観客にこの傲慢なメッセージが放たれた。質の悪いことに、メタ展開のカタルシスを大きくするために事前の公開情報はミスリードを誘っている上、原作改変に憤らず真摯に制作側の努力を認め多くの矛盾を許容した心優しき大人なファンであるほど、各所の伏線が矛盾の許容に紛れて伝わらず裏切られる最悪の構造になっている。
これ以降の脚本上のセリフが伝わるかは作品への没入度合いで決まる。
本作に没入し先ほどの経緯で醒めさせられた人達にとってはウイルス撃破も全て虚構、堀井さんが拘った最後のセリフも空しく響く。耳に届かなかった人も多そうだ。
俯瞰で作品を観ていた人、作品から距離を保てた人はウイルス撃破の少なすぎるカタルシスと説得力に欠けるゲーマー賛歌を受け取る。その中でもドラクエ愛やゲーム愛をもって本作に臨み、青年の回想に自分の回想を重ねられた幸運な人達が重みある賛歌を受け取れたのだろう。刺さる人がいるのはおかしくないしそれが脚本の狙いなのだろう。作品愛の多寡で肯定否定が一律に分けられないのはこれらが原因だ。
肝心の肯定方法はというと殴った本人が慰めるDVのような手法。知りもしない相手に上から目線で一方的に罵倒され「はいこれ君の大事な思い出。これで俺殴るとスッキリするんじゃない笑」とお為ごかしに解決させられた挙句そのウイルスを作った人間はのうのうと生きている。まさに現実に。
皆が喜べるやり方を含めた無数の選択肢からこの表現を選んだ脚本の意図を作品肯定者にも意識して欲しい。本気でゲーマー賛歌として作ったなら脚本の稚拙さと言葉選びの無神経さ、ファン心理への無理解さに呆れる。もし全て意図通りなら偉大な作品を餌に客を集め一方的に罵倒する筆舌尽くし難い悪辣さ。
そういう事は自分の作品で堂々とやるべき。
没入できる事は能力であって大人であることと両立可能。元より多くの人は俯瞰と使い分けている。信頼して没入できるはずの作品に他人が罠を張ったから悲劇になったのだ。制作者に誠意があるならもっと導入を丁寧にすべきだった。被害者はゆっくり傷を癒してほしい。
何より、子供も触れる可能性が高いコンテンツにこんな表現があって誰も指摘しなかったのか?業界の未来に不安を覚えさせる作品なので警鐘を込めて評価させてもらった。
堀井さんはじめ制作上層部にこの危機感が届いて欲しい。誠意を持って制作に取り組んだ開発現場や演者の方々に罪はない。作品としては良いところもそれなりにあった。
反響で原作アプリ版が売れているようだ。訴訟を踏まえて名作と名高い小説の新装版や電子版配信はどうだろう?良い作品を広め、ファンが支払った重い対価をスクエニは大切に扱ってほしい。間違っても炎上商法などと奢らぬよう。
監督はブレない方なので言う事なし。ルパンファンの健闘を祈る。
敢えて言おう
監督と脚本家は腹を切れ!
あ、その前に金返せや~~!!
これこそが「原作レイプ」!何のために映画化したのかさっぱり分からん。
ミルドラースがウィルスだと!?発想が10年遅れてる!!
途中のバトルは結構良かったけど…終わり悪けりゃ全てダメ!
ついでに言うと、パパスの死ぬシーンとかさ、感情移入する前に死んじゃうから、
「あ、そ、で?」ってなるんですけど?
製作側はもう一度「ドラクエⅤ」をプレイしてみなよ。
それでも「この映画の結末に自信がある」って言えるんかな?
様々な意見の中で思うこと
皆さんの言ってることは非常によく分かるし、
たしかに最後の展開は冷める部分ありました。
ただ、昔、初めてドラクエをプレーした時の高揚感、
そして、自分の好きな名前を主人公につけ、
進めていける、自分が勇者になった感覚、
それを表現したかった映画なのかなぁと…
単にドラクエ5を映画化しただけではなく、
むしろオリジナルストーリーとして見た方が
気楽に見れたのかなぁと思います。
いっそのこと、最後はミルドラースと決戦して
勝利し、ゲーム終了の流れからのデータでしたー
の方が収まりがいいんではないかと…
まぁ、無難な映画にはなりますけど。
ネット上のウイルスと闘うっていうのは
ちょっとなー…とは思います。
あと、スラリンがいい声で喋り始めた時は
少しがっかりしました。
あそこの場面は喋らずに、
ドラクエ特有のドットの吹き出しで表現して欲しかったと個人的に思いました。
映画を見終わって思ったことは…
とにかくドラクエしてぇええええ!って感じ(笑)
エグい
ドラクエの中で5が大好きだ。
ゲームで泣いたのは初めてだった。
映画になると聞いて、絶対見に行くと決めてたし
実際に観て、音楽もストーリーもゲームに忠実で
再現度が高く、CGも素晴らしかった!
世界観に引き込まれて、とても楽しく観れた。
ラストまでは。
ラスボスの言葉。
「大人になれよ。」
シーーン。
という音が聞こえ、背筋が凍る。
ドラクエの世界から一気に現実に引き戻され、
言葉が胸に刺さる。
大人になっても
昔を懐かしんで、映画を観に来ている
自分のことを言われているような、
そんな気にもなった。
結果、そのラスボスを倒し
ハッピーエンドのような流れになるけど
私のしらけた気持ちはそのままだった。
帰り道もずっと、なんだか落ち込んだ気持ちだった。
映像はとても綺麗だし
懐かしく、楽しく、観れてたのに、、、
とても良かったのに、、、、
ストーリーは否定しない。
ユアストーリーという意味も分かる。
主人公の気持ちが勝つのも観た。
でも。あの言葉はキツイ。
あの映画を観て、何週間か経ち、
街中でポスターを見ることがあるけど、
やっぱり嫌な気持ちになってしまう。
こんな気持ちになるのなら
私はあの映画を観たくなかった。
こんなはずでは無かった
映画観に入る時の感情と出る時の感情がここまで違う映画は初めてだった。
期待が失望に、楽しみが怒りに。
ドラゴンクエスト5の物語を観に行ったはずなのだが、物語の内容は捻じ曲げられ、ドラクエ5の物語を期待して観に行った者にとっては、全くの別物であると言える。
あれをドラクエ5の映画として宣伝するなど、ドラクエ5を愚弄している。
ドラクエ5の人気にあやかって興行成績をあげるつもりだったのだろうか?ファンをも愚弄している。
今は、観に行った事を後悔している。
作品を作った関係者には申し訳ないが、駄作であると言わざるをえない。
あのようなオリジナルのシナリオを作るのであれば、同人で作ってくれ。ドラクエ5を知らない人に、あの映画の内容がドラクエ5のシナリオなのだと思ってほしくはない。もっと、壮大で家族愛に溢れて、慈愛に満ちた作品なんだと、大声で叫びたい。
「はいはい、ドラクエ映画作ればいいんでしょ?」って監督の顔が目に浮かぶ
「君の好きなドラクエが映画になるらしいよ!」
「しかもなんと内容はⅤらしいよ!」
と夫から聞いて心から楽しみに楽しみに公開を待っていました。
そこに聞こえてきた不穏な噂。
レビューには
「ドラクエ好きなら見に行かないほうがいい」
という重苦しいコメントの数々。
・・・これは見に行くのをやめようと思い
「あーあ、どうせ見に行かないのならば、ネタバレを読んでもいいか」
とネタバレレビューを見るうちに、評価が低い方々も映像と音楽については、
結構良かったと書いていらっしゃる。
なるほど、残念なのはストーリーだけなのね。
CGで生き生きと動くモンスター達、劇場を震わせるであろう壮大な交響曲、
「うわーやっぱり見たいね、見たいよ!」
で、心変わりして9日のレイトショーで見てきました。
場内はガラガラでした。
ストーリーについては皆様が書いておられる通りです。
ラインハットへ出向くまでの主人公の子供時代は
ファミコン(スーファミ)画面を紙芝居的に見せられながら駆け足で説明して終わり。
ビアンカも、その後のストーリーのキーとなるレヌール城で手に入れるオーブも一瞬そのなかに出てくるだけです。
非力なちびっこ2人がなんとか力を合わせてレヌール城に巣食うモンスターを退治し、ビアンカとの生涯の絆を作ることになるはずの冒険をはしょってしまい
「金持ちで美人で性格もいいフローラを振ってビアンカを嫁に選ぶ気持ちになるの?」とか、色々疑問に思いながらも駆け足で進むストーリーを追うのに必死でした。
ゲームの効果音がやたらと使われるのに「いちいちうるさいな」と閉口気味でしたが
あれは「これ実はゲーム中、ほら、ゲーム中という伏線なんですよ」いう意味だったんですね。そう考えるとますますイラッときますね。
あの最後のオチにかける時間を使えば、もっと重要なエピソードを色々と盛り込むことができたのに・・・
しかし息子が天空の剣を鞘から引き抜く場面では、
美しい映像と音楽とがあいまってウルッときましたし、ここはとてもよかった!
個人的にはここがこの映画の最大のクライマックスでした。
使用される魔法に工夫がないとか細かいところには目をつぶり、
その後、ゲマとの戦いが佳境へ入り、
ついに監督様から観客への例の無粋なメッセージの投入。
もしも全く予期せずにただ没頭して見ていたとしたら・・・お察しします。
私の場合は、あそこであれが出て来ると分かって見ていたので
「来るぞ、来るぞ、そろそろ来るぞ!」と覚悟し、
心頭滅却して構えていたため
そこまでダメージを受けずに済みました。
でも、昔からドラクエをプレイしている大人はともかく、
小学生以下のチビッコ達に見せても良いんですかね?夢壊さないの?
子供さんへ対しても「大人になれ」と意味不明のメッセージを突然投げつけることになりますがそこのところ、製作陣は本当に全く考えなかったんでしょうか。
夏休み中の上映なのに、首をひねります。
私自身は大人というか、さらに歳を重ねた中高年にあたりますが、
ゲームはもう数十年してませんけれど、
過去の自分がゲームをしていた時間が無駄だと考えたこともありません。
現実世界ではないかもしれないけど、他の世界を疑似体験するところは
お伽話の本を読みながらワクワクするのと何らかわりはない。
情景を想像で埋めて楽しんでいた懐かしいドラクエワールドを、時代を経て技術の進歩により可能になったCGで生き生きと動くモンスター達と壮大な音楽で楽しみたいという気持ちで映画館に足を運んだわけなので、大人になれ、ユアストーリーですよと言われましても「はい、大人ですが私のストーリーではないですね。」という感じ。
思いつきの無粋な改変に懐かしい旧友(ドラクエ)を蹂躙された気分です。
ウィルスとVRのオチを受け入れるとしても、どうしても2点よく分からなかったんですが、1点は、ウィルスのミルドラースは出てきたけど、元々ゲームのストーリーのなかにプログラムされていたはずの本来のラスボス、ドラクエのミルドラースはどこに行っちゃったの??ウィルス版ミルドラースを倒してプログラムが元に戻っても、出て来ず平和な世界になってたけど。
もう1点、スラリンにウィルスワクチンが仕込まれていたのは分かったけど、あれ、なんでワクチンが剣の形をしていたんですかね。ウィルスワクチンって映像が出るようにはプログラムされてない気がして。わざわざ毎回VR体験者に剣の形にした映像を見せてウィルスに突き刺してもらう駆除システムなのか?・・・ずっと考えてるんですが謎です。
それにしても、この作品に期待していたであろう映画館各所も残念でしたね。
上映開始10日も経たないうちに館内ガラガラとは。
納得いかないストーリー展開に我慢して押し黙って最後まで見続けることがストレスとなるため、いっそ応援上映にしておなじみのキャラクターが出てきたとこで
「スラリーーーーン!!」
「ゲレゲレー」「違うぞプックルだー!」「いや、チロルだー!!」
「いよっビアンカ、待ってましたー!!」
とか叫んでよい。
また、ウィルスミルドラースが出てきたら
「ひっこめアホー!!!!」とか叫びながら
ポップコーンや節分の豆などをスクリーンに投げつけて
仕事のストレスや1年の邪気を追い払うという大人向けの上映会にしたらどうですかね。
最後に、
「ドラゴンクエスト」なのに、その肝心のドラゴンのCGや登場場面がショボいのは、監督さんにはドラクエ愛がないことがよく伝わってきました。(ブオーンと比べるとモブ扱い)
長年依頼を固辞してたけど、ずっと頼まれ続けるうち、おもろいオチを思いついちゃったから作ることにしたという監督さんのインヴュー記事を拝見しましたが、才能ある監督さんに無理矢理押し付けちゃったから、彼が「ピーン!」と思いついちゃったオチを、制作途中で「いや、それはやっぱり違うよ」と周りの誰も止めることができなかったのだな、と拝察します。どんなに才能があっても「愛」がなければ良いものは作れません。関係者は反省して欲しいです。
脚本も堀井氏が監修してる事を理解しよう
私はリアルタイム世代で、Ⅴはスーファミ、プレステ、DSと殆どの機種でプレイした。
最初は鑑賞スルーの予定だったが、異常なレビュー数と低すぎる平均点数に、失礼ながら「寄生獣」で平凡な監督と理解していた山崎氏が、ドラクエでそんなに観客の神経を逆撫でする映画を作ったのかと、楽しみに観に行った。
予想は何となく当たった。
そして観て良かった。
ファンタジー映画ではなく現代の映画だった。
パンフレットを購入したが、まず、この映画の企画は山崎氏ら3人の監督ではなく東宝であり、東宝から依頼されていることは理解しておくべき。
しかし彼等はプロとしてきちんとした仕事をしている。
キャラクターは活き活きと表情良く喋る。
モンスターが上手く立体化され、小気味よいスピードで飛び跳ねる。
何より、長大なドラクエⅤのシナリオを良く2時間に収めたものだ。
当然ながら変更点、省略は様々あるが、まずはこれだけでも褒めるべきだ。
音楽は都響オーケストラが今回のために録り直していなかったのは残念だが、やはり戦闘シーンの音楽を映画館で聞けるのは嬉しい。
声優陣ではビアンカ、ゲマが特に良かった。
そして脚本だが、堀井雄二氏からのドラクエVファンに向けた「みんな元気か? 現実は辛いけど、頑張ろう」という」メッセージと受け取った。
原作者の思いを描くが・・・一瞬で駄作に。表現が下手。ひどい。ダメ監督やな。
最後の付けたしをなくして、ストーリーに忠実に作ったほうが良かった。ドラクエは初めてだけど、RPGというかゲームすべてを裏切ってる気がした。
評価を高くつけてる人がいますが、それでも最後はダメだとコメントしてて、確かに中盤まではよかったのかもしれません。
FFのように、現実とつなげたかったんだと思うけど、だったら、脚本を最初からそう言う書き方にすればこんな低評価にはならなかったんだと思う。
最後に「実はこうでした」としたら、そりゃ「ポカーン」となるだろ。
他サイト読んだら時間かけて、話し合いをしたとか。その挙句この出来とは…原作者の思い通りにはしてるよ。。。でも、オチでそんなことするなって話な。
グラフィックやストーリーはすごいので中盤までは★4以上はあげたいです。が、オチですべてが無駄になった。
頭かたいおっさんには過去やった経験から、高評価。
初見の方や世界観を楽しみたい方は低評価でしょう。
なんといっても夏休み中なのに子供に世界のつまらなさを表現しているような映画に感じ、人間としてダメダメ監督と思いました。
グラフィック担当やほかのスタッフの意見はどうだったのでしょうか。あまりにもひどい。
RPGはすきだけど、これは納得いかない。★4以上はいくら懐かしくてもおかしいよ。
全てのドラクエファンにケンカを売るスタイル
声優と呼ぶのも憚れる素人ゆっくりボイスもまだ許せる。
エグゼクティブサマリーばりにサマライズされた子供時代もいい。
途中までは、まぁこんなものかで許されるポップコーンムービー。
けど、ラストのアレは一番やってはいけないでしょ。虚構を観るために来てるのに虚構を否定しては。こんなことやられたら途中までの内容も監督、脚本家の承認欲求に見えてしまう。どうだ、こんな面白いどんでん返し考えたぞ!そら驚け!と。
どんな世界にも言えることだが、視聴者を無視して自慰行為に浸っては受けないし、ただただ気持ちが悪い。
監督、脚本家、プロデューサーは二度とドラクエ、いや、創作活動には関わらないでいただきたい。そんな気持ちになってしまう素人制作のCGドラマ。
みんな勇者だったと言うのであれば
ドラゴンクエストユアストーリー鑑賞してまいりました。この映画ラスト以外は非常にうまく作られていて凄く感動しました。
ラストは本当に乱暴な感じがしました。
いったい何が起こったんだって感じでしたが最後まで観たら、なるほどってなりました。
ドラクエを通してあなたの人生で勇者になりなさいと私は受けとりました。
ドラゴンクエストで勇者や主人公は理不尽な困難を受け大切な人を失ってもくじけず困難に立ち向かう存在でした。
ではこの映画でみなさんは勇者です。と言われてもただゲームをプレーしたから勇者です。この映画を観たから勇者です。って言われても何か弱い。
だから最後のラストかなと個人的には感じました。今まで生きてきたかのように表現されていた仲間はバーチャルだったと死んだように扱われ、ウイルスには大人になれよと罵られ、オチは夢オチのようなひどい扱い。
でもその理不尽を受け入れて勇者になれと言われてるのであればこのオチはありなのかなと感じました。
詳細なネタバレあり 2回観賞して高評価 オチはダメ
映画を2回見てきました。
2度は見たくなる面白さがあったからです。
そして最後のオチをもう1度確認したかったからですね。
オチの10分間くらいは周囲の空気に耐えれずに気絶していたかったくらいです。
その後からエンディングまでも心苦しくてたまりませんでしたね。
2回目でも慣れません。
結婚に関するストーリーは個人的にはOKでした。
他にも詳細はブログに書いてますのでどうぞ♪
ohimaneta.comです。
勇者と同じ攻撃を食らったら、観客は死にます
皆さんのレビューしている通り、良作のクライマックスで夢オチ的に氷水をぶっかけられたような映画でした。
この展開、脚本家の想定では
ラスボス:嘘の世界でいい気分になってんじゃねーよ(笑)
主人公:違う!この体験は本物だ!
観客:そうだ!!
というモノだったのでしょう。
実際は
ラスボス:嘘の世界で(略)
観客:それはそうなんだけど…
とドン引きでしたが。
主人公と観客の気持ちをシンクロさせるという意図は理解しますが、同じ精神状態に追い込まれて勇者ならぬ一般人観客の心はボッキリです。
そもそも、「ゲームでも、体験は本物」という結論を導く材料が事前にほとんど無く、唐突な回想と原作プレイ時の思い出だけで気持ちを乗せるのは無理があります。
コンピュータウィルスたるラスボスへの「実はあるキャラが監視役兼ワクチン」という解決作も監視役はともかく、ワクチンの方は伏線ゼロ。
せめて、ゲームのキャラクター達との絆が想定を越えた力を発揮した、とかなら多少は溜飲も下がったのですが。
※追記
口直しにスマホ版DQ5を買ってしまいました。そういう意味での宣伝効果は一定量ありそうですね。
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