窮鼠はチーズの夢を見るのレビュー・感想・評価
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最後がとくによかったです
過去に原作を読んでとても面白かったと感じた記憶があります。
映画も面白かったですが、メインキャストさんが逆のパターンで見たいなと思いました。
二人が惹かれ合いつつも、なかなかくっつかないところや、最愛の人と出会うとその人だけ枠外になってしまうといった台詞がとても好きです。
今ヶ瀬の“愛“に翻弄されて、
2019年。行定勲監督作品。原作は水城せとなの同名コミック。
刺激的な映画でした。良かったです。
主役の2人
大倉忠義と成田凌が入魂の体当たり演技。
2人が、そして2人の愛が男と男とかでなく、美しくて切なくて、
胸に迫りました。
愛を知らなかった恭一(大倉忠義)が、一途な今ケ瀬(成田凌)の愛を
受け止めて、受け入れて、覚悟を決める・・・
それまで流されるまま誘われる女の子を受け入れていた恭一。
何かが変化する。今ケ瀬と触れて大きく変わる。
2人の再会は、事件でした。
大学の後輩・今ケ瀬は、恭一の浮気調査の資料を持って現れた。
彼は興信所の探偵でした。
妻帯者の恭一は会社関係の女性と不倫していた。
その事実を突きつけられて動揺する恭一に、今ケ瀬は、
揉み消す条件に、「一晩付き合ってくれたら・・・」と言う。
大学の時から「ずっと好きだった!!」
そう、今ケ瀬はゲイなのです。
男性同士のラブシーンがけっこう過激です。
大倉さんと成田凌の裸の絡みシーン、凄く多いです。
女の子が見る映画ですよ。
(男から見たらキモいかも!今時の女子はこう言う映画、好きです)
(なんでだろう?男と男が愛しあう・・・とても新鮮!)
(それもトビキリの美形の男子たちが・・)
(密やかな楽しみ・・・嗜好品ですね、世の中が豊かになった証拠かも?)
大倉さんって関ジャニ∞だとは知ってますが、ドラマも映画も全く観てなくて・・・。
新鮮でした。上品で美しいですね。この映画にぴったりです。
(冷酷になれない優柔不断の優しさが・・・とても似合う)
成田凌は兎も角、拗ねる!嫉妬する!策略する!画策する!
そして脅す!!そう、脅すんですよ!
でも捨て猫(ネズミか?)みたいにいじらしい。
一途だもの、恭一だけを見ているもの。よそ見しないもの。
(可愛い男は、成田凌の独壇場かも)
振り向かそうとすると、するりと逃げて・・・
つかもうとすると、振り払われて・・・
恭一にとって、今ケ瀬は「愛の終着駅」なのでしょうか?
余韻の残るラストでした。
許せねぇ
主人公〜!正直何度主人公である大伴をぶん殴りたくなったか分からない。色んな人たちを巻き込んでおいて結局また「待つ」のかお前は…!な〜に灰皿キレイキレイして綺麗なお部屋で満足気にしてるんだよ!!!さっさと今ヶ瀬迎えに行けよ!!!泣いてんだろ!!!
濡れ場は凄い
お二方とも恐らくノーマルな方だと思いますが、濡れ場のシーンはとてもリアルで度肝を抜かれました。
ただ肝心のストーリーはというと、観る側に委ねられる部分が大半で最終的に何を伝えたい映画なのかよく分からず
その上シーンの切り替えも早いので、これはどういう事なんだろうと考えてるうちにストーリーはどんどん先に進んでしまう
少年漫画のように心の声まで何でもかんでも描写しろとは思いますが、あまりにも細かい描写が無くただのAVと揶揄されても仕方ないのかなと
まぁ色んな捉え方ができるのを楽しめる人には良い映画なのかもしれないですが、出てる役者さんの人気で映画の内容以上に評価が上ブレしてる感じは否めません
『窮鼠はチーズの夢を見る』から見る性の描き方
男同士の触れ合いが多いが、この映画は同性愛映画の色彩が濃くないとされてきた。そして観客層も女性が圧倒的に多い。本レポートでは映画にある性に関する諸表象を分析し、この映画はボーイズラブ映画ではなく、純愛映画として製作されたことを論じたい。
本作の主人公、大伴恭一は今ヶ瀬に出会うまでは異性愛者で、表情があまりなく、恋愛では流されやすい、女性を断らない。彼は浮気がばれても言い訳をするし、そのうえ世間の目を気にする人である。今ヶ瀬渉は男性が恋愛対象であって、彼には恋愛依存症の部分があり、スマホを見るなどの行為から恭一に対して異常なほどの執着心が垣間見える(注2)。
一つ懸念されるのは、男と女、この映画では果たして対等に描かれたのかということ。ここで、映画で現れる四人の女性像を挙げておく。大伴恭一の元妻、知佳子は、裏切られる立場でありながら恭一を裏切る立場でもある。映画の中での二人の関係は穏やかだった。瑠璃子は大伴の不倫相手で、傷つくと知りながらも大伴に好意を寄せ続けていた。夏生は大伴の元恋人で、映画では唯一強気で恋敵に立ち向かう人である。そしてたまき、健気で女性らしく、大伴のことがとてつもなく好きで尽くせるタイプである。恋人がいる知佳子を除いて、ほかの三人はみな大伴のことを非常に好きである。大伴の女遊びができる土台が彼女たちによって作られている。言い換えれば、大伴の「流され侍」という性質は女性たちの「好き」に甘えられて育った性質である。この作品では、女性像がステレオタイプにはまっており、男主人公たちの恋の犠牲になっている。
映画では、「流され侍」と呼ばれるだけあって、恭一は女性に流されつつあった。映画のはじめでは不倫相手に好意を寄せられただけで相手の家に行って関係を持ってしまう。その不倫が今ヶ瀬にばれたとたん、今ヶ瀬にゆすられて、流されてホテルにも行ってしまう。恭一の「流され侍」という性質がこの映画を読み解くキーワードである。恭一がただそれぞれの相手にリアクションをしていれば、自然に流れができるのであった(注3)。
映画のはじめでは大伴が異性愛者で、妻だけでなく、不倫相手も女性である。だが、今ヶ瀬に出会って、迫られて、「この人を受け入れるかどうか」を考え始め、性的指向が変わり始めるととらえられる。何気なく二人がソファでテレビを見ながらポテトチップスを食べるシーン、耳かきのシーンも、あまりに日常的なためか、男女の恋愛映画では見ることが少ないが男同士だと恋愛の始まりだと解釈できる。
さらに露骨にリアリティを感じられるシーンとして挙げられるのは、タイ料理屋で三人が対峙し、恭一が今ヶ瀬を振ってから、夏生とホテルでの場面である。恭一が夏生に今ヶ瀬への思いを吐露したが、夏生が「まさか立たないことの言い訳じゃないよね」と呆れるように言うセリフが強烈である。女性に興奮しない、あるいは今ヶ瀬を思っているからこそ性的指向が男性に変わったとも言えるのではないか。
今ヶ瀬と別れてからゲイ・バーに行くシーンも象徴的である。性的指向が男性になったとすれば、女性には恋愛感情、あるいは情欲を向けにくくなると考えられる。そこで思いつくこととして、自分と同じ性的指向である人たちを探す、あるいは、今ヶ瀬の世界を体験しに行く。だが、そこでは相変わらず男性同士のキスを見て、違和感を覚える。このシーンから見れば、恭一が今ヶ瀬のことで性的指向がわからなくなった。あるいは、恭一は男が好きという指向に変わったのではない、彼は男の中で今ヶ瀬だけが好きである。ここも純愛映画らしく思える。
3.2男の同性愛者の特徴
映画では特に「ゲイ」という言葉は出て来なかった。冒頭の今ヶ瀬の恋人が後ろから抱き着く動作をはじめ、
今ヶ瀬の萌え袖やほほに手を当てる仕草などは役者がどうやってゲイを捉えるのかを伺える。中に特に大事にされていたのは目である。目には湿度がある、うるうるとした目が度々役者のインタビューや対談で語られた(注4)。
3.3性描写について
原作以上に、映画ではたくさんのラブシーンがある。映像では音も加えられて視聴者に訴える。映画の中では恭一と不倫相手のシーンにとどまらず、男同士の触れ合いが丁寧に映されていた。特に、潤滑剤を垂らすシーンは、邦画ではおそらく初めて描かれたのではないか。原作マンガでは廉価版オリーブオイルを使ったが、映画ではおしゃれな瓶を使った。原作者曰く、マンガよりは「+アルファ」である。ここで、ラブシーンが増加される意味について考えたい。一つ考えられるのは、二人の肉体関係についてのリアリティを観客に感じさせたいのだろう。なぜなら、この映画では、肉体関係を持つことは恭一が今ヶ瀬を受け入れてくれたことを意味しているから。
4.二人の恋を見る「世間の目」
このような場面が映画の中にいくつかある。一つ目は今ヶ瀬が初めて大伴に「俺と付き合いますか」と問う場面、これに対して大伴は「なんで俺が男と付き合わなければならないんだよ」と答える。大伴の中にも、自分が普通で、普通の男は男とは付き合わないという異性愛規範が刷り込まれている。二つ目は二人がマンションの屋上でじゃれ合っている時に、洗濯物を干しているおばさんが二人を怪しげな目で見ている場面である。この以外も、夏生がタイ料理屋で二人を笑うシーンなど、映画ではたくさん表現されていた。このような「世間の目」の描き方は世間のマイノリティに対する差別を提示している。「世間の目」も、二人の恋愛を阻む大きな阻害として描かれる。
5.まとめ
行定勲監督はインタビューでは「BL、LGBTQ的な映画と思ってほしくない」と言い、監督自らもこの映画をLGBTQのカテゴリーから外した。理由として述べられたのは、この映画で描かれた恋愛を他人事のように感じてほしくないからである。画期的なのは、男同士のラブシーンが主流映画館で上映されたことと、映画の中で性的マイノリティ群体??やマイノリティとしての難しさがストーリーに組み込まれることであるように思う。だが、位置づけが結局純愛映画である。だが、このことは決して悪い結果をもたらしたのではない。二人の主人公は矛盾に向き合い、愛の為に努力を惜しまない。二人の恋愛により感情移入できる描き方を丁寧にされたように思う。この映画も、世論の性的マイノリティ群体??への理解を助ければと願う。
注
1公式サイトから引用 映画『窮鼠はチーズの夢を見る』公式サイト|2020年9月11日(金)公開 (phantom-film.com) 2020年8月8日アクセス
2公式パンフレット 「原作者・水城せとなインタビュー」
3『窮鼠はチーズの夢を見る』夏休みイベント、主演大倉忠義の言葉。夏休みイベントは動画や活字で残っていますか?それとも、参加して現場で聞いた言葉ですか?また、イベントの日時や会場を記してください。
4(同上)、今ヶ瀬を演じる成田凌の言葉。
何回セックスシーンを挟むのだろう
見ているとだんだんエロとかを超えてペチャペチャパンパンうるせえなという気持ちになってきました
人間関係において勝手に不安になって相手にあたり、ハッテン場でも新恋人?の前でも号泣する男、いやだなあ…
大倉の方も大学時代の元彼女も後輩ちゃんもこの男のどこがそんなに良かったのでしょう
普段はマメで顔がいいから?あと顔が良くて顔がいいから?最低でもいい!そばにいて!と思うほどの魅力がわかりません
成田の「コトコト煮込むのが似合う女がおすすめ」という人物評もまったくピンときませんでした
キツく手綱握って絶対離さないタイプの人間の方が合ってるよ、他人に迷惑かけるプレイをやめろ
振り返れば前妻のなんか言わなくっちゃって空気が気持ち悪いという捨て台詞が一番スカッとしたような気がします
あの綺麗な海に二人で沈んでくれればまた一つ日本は平和になったと思うんですがあんまり成長もなく二人とも元気で残念です
せめて迎えに行け
恋愛は人生。最高。
海辺のシーン。
今ヶ瀬が「ああ〜!!」って言った後、なんて言うのかなと思ってた。
クソー!とか、
なんでだよー!とか、
ふざけんなー!とかかな〜と予想してた。
「...本当に!!好きだったなあ〜!!」
あああああああ。辛い。。苦しい。。切ねえ。。。でも死ぬほど青春。。美しい。。マジ辛いけど最高の思い出。。。こんな刺激的な恋しちゃったら、そりゃもう普通のありきたりな恋愛はしばらくはできねーよな。。
8年感片想いしてた人とキスしたりエッチする感覚ってどんなもんなんやろ。どんだけ気持ちいいんやろ。
それはそうと、恭一、テメェは駄目だ。テメェの八方美人にはウンザリだ。お前は一生幸せになんかなれねーぞ。
映像美を堪能
原作は未読。Amazon Primeで鑑賞。
正直、この作品はゲイの方が作ったものではないなというのが最初に思ったところ。
最初は恭一が今ヶ瀬の脅しで体を預け、それが徐々に愛に変わっていくというのも、正直共感できない。単純に成田凌の魔性な雰囲気と気持ちに飲み込まれているけど、半ば襲われているのと変わらないでしょうと思ってしまう。そして今ヶ瀬、お前がタチなのかーい、そして恭一はスムーズに受け入れられるのかーい、とツッコミどころだらけ。こんなダメダメ優柔不断な恭一に群がる女性たちも、なぜにこの男がよいのか、いまいち理解できず。母性本能をくすぐる系でもないと思うんだよな。
とにかくおしゃれなインテリアで生活感のない部屋や、いきなり海にいっちゃったり、旬なアイドルや俳優が(男女問わず)惜しみなく脱いでくれたりと、映像美を堪能する作品なんだと思いました。成田凌の存在感を楽しむ話。
ただの同性愛の話ではない
大倉くんと成田凌目当てでみたらなかなか単純な話ではなく、あのシーンの意味は?あのセリフの意味は?って見終わった後に考察が止まらないし、心が震えて余韻が収まらない。久しぶりにこんな映画見れた。
8年間大学の先輩の恭一に片想いを続けてきた渉。今まで本気の恋愛をしてこなかったのに渉に対しては特別な愛情を感じる恭一。すごくすごく深かった。
お互い今まで本気の恋愛をしてこなかったゆえの不器用さと相手の事を好きになりすぎたゆえの屈折した愛し方。
同性愛だからこその難しさはあれどこれは同性、異性関係なく響くと思う。
主演の2人が良すぎて女性たちがチープに見えてしまう。いや、女性たちがいてこそ2人の愛が際立つのだけども。
岡村珠希はなんとも男性の好きそうな女の子ど真ん中の女優さんのキャスティング。
彼女が部屋に来る前に掃除機をかけてたとか、一緒に選んだカーテンが1週間前に届いても彼女に報告しないとか、早く帰らそうとするとか、気持ちが入ってない付箋が巧み。あと恭一がだんだん渉に気持ちが入っていくのが言葉ではなくてちょっとした仕草ででてるのがいい演出だった。一緒にテレビ見てる時に渉の髪の毛をつまむとか。顔を触るとか。男性が相手の髪の毛と顔を触るのってけっこうな愛情表現だと思う。
いわゆる濡れ場のシーンはこの映画の見どころのひとつだと思うけど主演の2人のルックスがあってこそこのきれいな濡れ場シーンが撮れたってのは大前提。
成田凌のねちっこくて嫉妬心の強い演技が絶妙。
・ハンバーグなのにねぎ買ってるの?
・傷つける事なく事なかれ主義でやってきた恭一が渉の事は唯一傷つけたって深い意味あるよね。
・送っていくよ。食器はそのままでいいから。←早く帰したいんじゃん。
・ハイチェアに座って孤独を表現するのが絶妙。
・「やらせてくれるんですか?」「いいから入れよ」→ドアのシーンが続いて中での会話とか様子を想像させる演出すご。
ラストの妄想ですが
導入、この映画の予告を観ていた頃の印象とは違ってとても良いなと思いました。正直、ボーイズラブネタに乗っかりやがって、という気持ちがあったので。
ただ、主人公がほんとに見ててイライラするんですよ。好感を持てるポイントが顔しかなくて、途中から完全に集中力を欠いていました。
それだというのに、ラストでグッと胸ぐらを掴まれた気がします。バッドエンド好きな私としては、解釈違いかもしれないけど、あのまま二人はもう二度と会うことがないんだろうなと思いました。泣いている今ヶ瀬と、本当の愛を見つけたと思ってるのか穏やかな表情の恭一。
この先、恭一が結婚して普通の幸せを手に入れたんだと思ったまま失恋を引きずって生きていく今ヶ瀬と、いつかまた今ヶ瀬と再会できると信じて疑わない恭一の姿が目に浮かびました。
完全に私の妄想です。この映画の主人公が同性同士の恋愛をすることの意味はとてもあると思いました。だからこそ、こんなに切なくて悲しいんだと。
ラブシーンの多さ
この作品を見て思ったことは
成田凌さんがとんでもなく一途。
大倉さんがとんでもなくクズ。
結局何一つ手に入れなれない。
人を大切に出来ない人からは
本当に大切な人は離れてしまう。
あんなにクズなのになぜあそこまで
成田凌さんは好きだったのか。
ラブシーンの多さに結構びっくりします。
後入れのアフレコもあったそうで
お恥ずかしいと話してましたが
成田凌さんの演技力がすごいなと思います。
スマホを落としただけなのにを見た時から
成田凌さんの演技力に度肝抜かれていたのですが
今回の作品も、本当に演技が上手いなと。
ものすごいラブシーンが多いけど
人が人を好きにな気持ちとか
色々みていて、考えた映画でした。
自分の好きな相手や、旦那さんが
隠れて浮気している時点で
衝撃なのに、その対象が女性だけにとどまっていない
男性と体の関係をもっているって
なかなかの想像超えた世界だけど
本当にある世界だと思うし
最低な人と出会いたくないなと思いました。
何度も言いますがラブシーンが多いですが
内容として、話としては、見てよかったです。
愛しい人よ
恋愛映画の名手、行定勲。
水城せとなの同名漫画を基に、同性愛作品に初挑戦。
この人らしい、繊細で、美しく、切ない、恋愛映画に仕上がっている。
序盤、これほど気まずい再会はない。
一流広告代理店に務める恭一は、大学時代の後輩・今ヶ瀬と7年ぶりに再会。今ヶ瀬は探偵になっており、恭一の不倫を調査していた。しかも、依頼したのは恭一の妻…。
報告しない代わりに今ヶ瀬は「昔からずっと好きでした」と告白し、「あなたの体が欲しい」と関係を要求して来る…。
最初の内は今ヶ瀬は、金こそは取らないが脅迫も同然。甘い顔して鬱陶しい。
恭一の気持ちも分からんでもない。
しかし、徐々に気持ちに変化が表れていく。
不倫をしていたのは恭一だけではなく、妻もだった。ちなみに妻は、今ヶ瀬が報告しなかった為、自己嫌悪に陥り、自ら離婚を切り出す。
独り身となってしまった恭一は、今ヶ瀬と暮らし始める。
最初こそは戸惑い、翻弄される。
が、次第に心地よさを感じ始めていく。
添い寝、耳掻き。
キス、SEX…。
大倉忠義は受け身側。
成田凌は翻弄する側。
激しい濡れ場も勿論だが、難しい心情も含め本当によく演じたと思う。
同性愛映画と言うと抵抗感じる人多いようだが、そうならなかったのは、監督の演出と二人の演技の賜物。
見てると分かるが、優柔不断な性格の恭一。特に人間関係が。ちょっとイライラもする。
今ヶ瀬は劇中でも比喩されていたが、粘着質な性格で、言わばストーカー気味。
関係がずっといつまでも良好でいる訳がない。
ちょっとした事で険悪ムードになる。
恭一の周りには、結構女性が群がる。
妻、不倫相手、大学時代の元カノ、会社の部下…。
それぞれ異なる性格の女性たち。付き合ったら付き合ったで、悪くはないだろう。
なのに、女性か、今ヶ瀬か、ズルズルと。
自分も相手も傷付け合う。
本当に見てて痛々しい。哀しい。
だからこそ、今ヶ瀬の誕生日に、恭一がサプライズとして渡したプレゼント。その時今ヶ瀬が嬉しさのあまり浮かべた涙にジ~ンとした。きっと同性愛者と偏見され、ああいう風に祝われた事無かったんだろうなぁ、と。
このシーンがとても好きだ。
やはり恭一は、今ヶ瀬を最も愛したのだろう。
それは些細なものからでも見て取れる。
注文した同じシャンパン。
コトコト煮込んだ料理。
大切に保管しているライター。(今ヶ瀬のある長い想いあり)
恭一は女性たちと居て心からの笑みを見せた事無いが、今ヶ瀬との日々ではある。
昔から愛してくれていた人。
愛していたのは、自分の方かもしれない。
再会と別れを繰り返し…
今度こそ帰って来ないかもしれない。
でも、帰って来ると信じて。
愛しい人よ。
もやもや
決め台詞のようなセリフとシーンの挿入の意図がところどころ分かりませんでした
「心底惚れればその人が例外になる」や「お前はもういらない」
ゲイバーや岡村父の告白や葬式、海辺のシーンは2人が別れようと言った後に行ったのでしょうか?
純愛の同性愛が救われてそれでどうなるのでしょう
登場人物の発言にはステレオタイプな考え方をしているものもありました
だからゲイを尊重すべき!守るべき
で、いいのでしょうか?
大伴は最後まで決して恋人が男である、今ケ瀬とは交際関係にあると公言していない
あくまで愛されているから愛し返す義務があるというような綺麗事に流されているきがしました
それじゃあ本編の重要な“大伴の変化”は描けていない
見終わったあとももやもやします
初めの方の成田凌の着メロがキュウソネコカミさんのファントムバイブレーションで、キュウソネコカミ好きとしてはおっ、てなりました
せつない恋の物語
成田凌がすごい!恋する女の子の瞳。あんなんに叶う本物の女はいない。
それくらい「恋する女」になってた。
それに対峙する大倉くんもほんっと流され系ダメ男が似合ってた。
お互いに別の道を歩き出したところで終わってしまったけど、
できればハッピーエンドで終わってほしかった。。
胸糞悪い、しかし煙草の使い方が素敵
表題にした理由は、まるで自分を見ているようだったから。今ヶ瀬が恭一を想って寂しさを紛らすように煙草を吸っているのを観るたびに心が痛んだ。恭一が真の優しさ、つまり相手との関係を明確に示せず、反対に相手を傷つけてしまうのを観るたびに呆れた。
今ヶ瀬の「先輩は誰かに愛されることはあるけど、その愛を受け取れない。どこまでも嗅ぎ取ってしまう」の通りだ。恭一は誰かから恋愛的な好意を向けられるように仕向けることは得意だが、深く繋がれない。広く浅くといったところ。自分が他人にしていることが、表面上の優しさであることに気付いていない。別れ際に知佳子に言われた「私の言葉を待っているその瞳が気持ち悪い」が言い得て妙であろう。また、今ヶ瀬に最後「もういらない」と言った後も関係を続ける辺りは残念。本当に誰かを好きになって、学んでほしい。そう感じた。よって最後の間延びのような展開が何とも微妙。
そして今ヶ瀬。恭一の嫌いなところは山ほど思いつくけれど、自らが感じたひとつの好きという感情が大きい。恭一に生まれ年のワインをもらったこと、恭一に「苦しかっただろう」と言われたこと、そして恭一との行為。恭一と行為をする際の今ヶ瀬の表情は、他の相手(今ヶ瀬の恋人的存在)としているときのそれよりも幸せそうで、辛そうだった。差が激しいからこそ燃え上がる。嫌いや寂しいといった感情さえも、たった一瞬の好きという感情が消し去ってくれる。そしてまたやってくる負の感情。その繰り返しのように思えた。また、恭一を見つめる視線がとても熱いことが伝わってきた。名演技。
今作品を通して重要な役割だったのは何と言っても煙草。冒頭にも述べたように、今ヶ瀬の喫煙の場面は頻繁に登場した。煙草等何かを口に咥えるといった行為は、心理学用語でいう「口唇期障害」を満たす術のひとつだ。実際今ヶ瀬は、寂しさや嫉妬など恭一に対し負の感情を抱いている時には必ず煙草を吸う。恭一との行為中も恭一の唇や性器を貪る場面が見受けられる。恭一との関係を終わらせた際も、見せつけのように恭一の家に煙草を置いて出ていった。あの煙草が今ヶ瀬の寂しさの象徴という演出。『劇場』や『ナラタージュ』でも酔いしれた行定監督の素敵演出であるように感じられた。
二人はもちろん、恭一の周辺の女性陣も皆強か。たまきも恭一の暗い部分に染められそうになったが、恭一と離れることで免れたように思える。彼女の言った「好きすぎると自分を見失う」といった言葉は、彼女としては恭一の前の恋人を差しているのかもしれないが、恭一にとってそれは今ヶ瀬であると同時に恭一自身で、たまき本人気付いてはいないが、たまき自身であるようにも感じた。
全体的に後ろ向きで暗い。だからこそ他人を求める。一人になれない大人たちの行く末を見せつけられたように感じた。自分はこうならないようにしたい、そう思えてしまった。
好きで、好きで、苦しくて、幸せ
綺麗な恋愛映画を観た。
もっとはやく別れてあげればよかった
くるしそうだったからね。
この言葉が恭一の
今ヶ瀬を想う気持ちをあらわした
そして
ほんとうに人を愛したら
そうするしかない
方法なんだと思った。
好きな人が
自分のせいで
辛そうにしている姿を
見たくない。
少なくとも別れたら
直視しなくてすむ。
今ヶ瀬だって
なんとなく気持ちをごまかしながら
笑って
生きられるのかもしれない。
笑えるかな。
ほんとうに、笑えるかな。
映画のラストで
今ヶ瀬が消える。
泣きながら
消える。
消えたのかな。
想いを募らせ待つ人同士は
惹き合うから。
恋愛で
超え難い障壁は
誰しもあり得る。
ただ
ふたりでいられたら楽しい。
ふたりでいられるから幸せ。
単純に思えたらいい。
日付が変わった瞬間に
誕生日を祝うワインを貰い
飲むと減っちゃう
と
幸せがもったいなくて
いつまでもとっておきたくて。
ふたりで
ポテチを食べながら
テレビを観て
髪をさわり
すこし照れてるシーンに
泣いてしまった。
しあわせが続きますように
しあわせが続きますように
と祈りながら観た。
大伴、何なんだ。
さっきAmazonプライムで見終わったばかりです。
直後なので感想がとっ散らかってます。
原作はかなり前に途中まで読みました。(たまきちゃんと仲良くなり出す辺り)
映画化してずっと気になっていて、やっと見ました。
ラスト納得いかない。
大伴が最後、今ケ瀬の灰皿を洗って机に置き、今ケ瀬がよく座っていた椅子に座って窓からの柔らかな光を浴びていたけど、あの男、あんな清々しい顔して座ってる場合なのか??
せめて今ケ瀬を迎えに行くとか。
この期に及んで、のうのうと受け身で部屋で寛ぐな、と思ってしまう。
周りの人はあれ程巻き込まれたのに…。
自分は原作の記憶が細かい所とか曖昧になっていて、しかも途中までしか読んでないのですが、他の方のレビューだと、もっと登場人物の心情が理解できる様です。
映画の尺の中で作るに当たって、急ぎ足になったり省略も致し方なしな側面はあろうけど………えぇ〜〜大伴ぉ!!!!何なんだよー!
役者は全員いい芝居してます。
主演の2人は勿論、脇を固める俳優達もかなりいい。
成田凌の縋る子犬のような目の芝居も良い。
メンズノンノモデル出身の俳優の中で、一番芝居好きです。
独特の雰囲気もあるし、役ごとに違った表情を見せてくれるのもいい。
大倉さんの芝居は「ヤスコとケンジ」位しか見た事が無かったのですが、想像以上にいいお芝居されて驚きました。
画の撮り方、構図、風景もとても綺麗です。
でも大伴ぉ〜〜〜お前なんなんだよー。のらりくらりし過ぎ!たまきちゃんも可哀想。
受け身で優柔不断で、人を真剣に愛した事のなかった大伴が、初めて本気で人を愛した、という過程をもっと丹念に描写する必要があったと思う。
この映画に限らず、同性愛の描き方、儚く、美しく、困難でありながら、しかし煌めく、繊細なガラス細工の様な…。そういうの多すぎませんか?
特に見る人が増える映像化の際。
それを美しいと思う感覚は私もありますが、それって同性の恋愛を特別視して、人として描いているのだろうか??という気もします。
この映画の感想として「美しい」というのが上位に上がってくると思いますが、これが異性の恋愛作品だったら美しいと感じただろうか。
何だこいつ!という気持ちが先に来て、美しいと思わなかったんじゃないだろうか……。
原作漫画は、もう少し人間らしい生々しいさがあったと思います。
辛口になってますが、いいと思う部分もありました。
繰り返しますが、俳優陣の芝居はとてもよかったと思います。
映像も美しい。
でも勿体無い。
良かった
成田凌さん、大倉忠義さん、これは2人の代表作になるんじゃないでしょうか。
途中、ちょっと長いかなと時間が気になりましたが、恭一の流されやすい所、今ヶ瀬のいじらしい演技、嫉妬したり、先輩と対決したり、誕生日にワインを貰った時は本当に嬉しそうで、こちらまで泣きそうになりました。
恋愛って、なかなかスンナリいかないよね。それは男と女でも、LGBTでも同じ。
今ヶ瀬が居なくなって探しに行くシーン、これも切ないし、最後好きでもない男に抱かれて泣き出す今ヶ瀬も、切なくて。
でも、希望を持たせる終わり方で良かったです。濡れ場が多いのに、純愛だなぁと感じさせてくれる作品です。
全72件中、1~20件目を表示