「『窮鼠はチーズの夢を見る』から見る性の描き方」窮鼠はチーズの夢を見る yukiさんの映画レビュー(感想・評価)
『窮鼠はチーズの夢を見る』から見る性の描き方
男同士の触れ合いが多いが、この映画は同性愛映画の色彩が濃くないとされてきた。そして観客層も女性が圧倒的に多い。本レポートでは映画にある性に関する諸表象を分析し、この映画はボーイズラブ映画ではなく、純愛映画として製作されたことを論じたい。
本作の主人公、大伴恭一は今ヶ瀬に出会うまでは異性愛者で、表情があまりなく、恋愛では流されやすい、女性を断らない。彼は浮気がばれても言い訳をするし、そのうえ世間の目を気にする人である。今ヶ瀬渉は男性が恋愛対象であって、彼には恋愛依存症の部分があり、スマホを見るなどの行為から恭一に対して異常なほどの執着心が垣間見える(注2)。
一つ懸念されるのは、男と女、この映画では果たして対等に描かれたのかということ。ここで、映画で現れる四人の女性像を挙げておく。大伴恭一の元妻、知佳子は、裏切られる立場でありながら恭一を裏切る立場でもある。映画の中での二人の関係は穏やかだった。瑠璃子は大伴の不倫相手で、傷つくと知りながらも大伴に好意を寄せ続けていた。夏生は大伴の元恋人で、映画では唯一強気で恋敵に立ち向かう人である。そしてたまき、健気で女性らしく、大伴のことがとてつもなく好きで尽くせるタイプである。恋人がいる知佳子を除いて、ほかの三人はみな大伴のことを非常に好きである。大伴の女遊びができる土台が彼女たちによって作られている。言い換えれば、大伴の「流され侍」という性質は女性たちの「好き」に甘えられて育った性質である。この作品では、女性像がステレオタイプにはまっており、男主人公たちの恋の犠牲になっている。
映画では、「流され侍」と呼ばれるだけあって、恭一は女性に流されつつあった。映画のはじめでは不倫相手に好意を寄せられただけで相手の家に行って関係を持ってしまう。その不倫が今ヶ瀬にばれたとたん、今ヶ瀬にゆすられて、流されてホテルにも行ってしまう。恭一の「流され侍」という性質がこの映画を読み解くキーワードである。恭一がただそれぞれの相手にリアクションをしていれば、自然に流れができるのであった(注3)。
映画のはじめでは大伴が異性愛者で、妻だけでなく、不倫相手も女性である。だが、今ヶ瀬に出会って、迫られて、「この人を受け入れるかどうか」を考え始め、性的指向が変わり始めるととらえられる。何気なく二人がソファでテレビを見ながらポテトチップスを食べるシーン、耳かきのシーンも、あまりに日常的なためか、男女の恋愛映画では見ることが少ないが男同士だと恋愛の始まりだと解釈できる。
さらに露骨にリアリティを感じられるシーンとして挙げられるのは、タイ料理屋で三人が対峙し、恭一が今ヶ瀬を振ってから、夏生とホテルでの場面である。恭一が夏生に今ヶ瀬への思いを吐露したが、夏生が「まさか立たないことの言い訳じゃないよね」と呆れるように言うセリフが強烈である。女性に興奮しない、あるいは今ヶ瀬を思っているからこそ性的指向が男性に変わったとも言えるのではないか。
今ヶ瀬と別れてからゲイ・バーに行くシーンも象徴的である。性的指向が男性になったとすれば、女性には恋愛感情、あるいは情欲を向けにくくなると考えられる。そこで思いつくこととして、自分と同じ性的指向である人たちを探す、あるいは、今ヶ瀬の世界を体験しに行く。だが、そこでは相変わらず男性同士のキスを見て、違和感を覚える。このシーンから見れば、恭一が今ヶ瀬のことで性的指向がわからなくなった。あるいは、恭一は男が好きという指向に変わったのではない、彼は男の中で今ヶ瀬だけが好きである。ここも純愛映画らしく思える。
3.2男の同性愛者の特徴
映画では特に「ゲイ」という言葉は出て来なかった。冒頭の今ヶ瀬の恋人が後ろから抱き着く動作をはじめ、
今ヶ瀬の萌え袖やほほに手を当てる仕草などは役者がどうやってゲイを捉えるのかを伺える。中に特に大事にされていたのは目である。目には湿度がある、うるうるとした目が度々役者のインタビューや対談で語られた(注4)。
3.3性描写について
原作以上に、映画ではたくさんのラブシーンがある。映像では音も加えられて視聴者に訴える。映画の中では恭一と不倫相手のシーンにとどまらず、男同士の触れ合いが丁寧に映されていた。特に、潤滑剤を垂らすシーンは、邦画ではおそらく初めて描かれたのではないか。原作マンガでは廉価版オリーブオイルを使ったが、映画ではおしゃれな瓶を使った。原作者曰く、マンガよりは「+アルファ」である。ここで、ラブシーンが増加される意味について考えたい。一つ考えられるのは、二人の肉体関係についてのリアリティを観客に感じさせたいのだろう。なぜなら、この映画では、肉体関係を持つことは恭一が今ヶ瀬を受け入れてくれたことを意味しているから。
4.二人の恋を見る「世間の目」
このような場面が映画の中にいくつかある。一つ目は今ヶ瀬が初めて大伴に「俺と付き合いますか」と問う場面、これに対して大伴は「なんで俺が男と付き合わなければならないんだよ」と答える。大伴の中にも、自分が普通で、普通の男は男とは付き合わないという異性愛規範が刷り込まれている。二つ目は二人がマンションの屋上でじゃれ合っている時に、洗濯物を干しているおばさんが二人を怪しげな目で見ている場面である。この以外も、夏生がタイ料理屋で二人を笑うシーンなど、映画ではたくさん表現されていた。このような「世間の目」の描き方は世間のマイノリティに対する差別を提示している。「世間の目」も、二人の恋愛を阻む大きな阻害として描かれる。
5.まとめ
行定勲監督はインタビューでは「BL、LGBTQ的な映画と思ってほしくない」と言い、監督自らもこの映画をLGBTQのカテゴリーから外した。理由として述べられたのは、この映画で描かれた恋愛を他人事のように感じてほしくないからである。画期的なのは、男同士のラブシーンが主流映画館で上映されたことと、映画の中で性的マイノリティ群体??やマイノリティとしての難しさがストーリーに組み込まれることであるように思う。だが、位置づけが結局純愛映画である。だが、このことは決して悪い結果をもたらしたのではない。二人の主人公は矛盾に向き合い、愛の為に努力を惜しまない。二人の恋愛により感情移入できる描き方を丁寧にされたように思う。この映画も、世論の性的マイノリティ群体??への理解を助ければと願う。
注
1公式サイトから引用 映画『窮鼠はチーズの夢を見る』公式サイト|2020年9月11日(金)公開 (phantom-film.com) 2020年8月8日アクセス
2公式パンフレット 「原作者・水城せとなインタビュー」
3『窮鼠はチーズの夢を見る』夏休みイベント、主演大倉忠義の言葉。夏休みイベントは動画や活字で残っていますか?それとも、参加して現場で聞いた言葉ですか?また、イベントの日時や会場を記してください。
4(同上)、今ヶ瀬を演じる成田凌の言葉。