ある船頭の話のレビュー・感想・評価
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【老船頭、多くの人の命を時に諦観しながら、時に煩悶しながら彼岸に運ぶ。時代が変化する様を美しい山河の風景を背景に乗せて描きだす】
時代は明治だろうか?
老船頭、トイチ(柄本明)は多くの人を渡し船に乗せ、日々河を行き来する。
客は、トイチの船場からほど近い所にレンガ橋を建設している傲岸不遜な男達や、山の漁師たち、町医者など様々である。
そんな彼がある日、河を流れてきた娘(川島鈴遥)を助けた所から徐々に穏やかだったトイチの生活が、時代の流れに合わせるかのようにさざ波が立ち始める。
それでも、彼は夜、小さな像を彫っている。幾つかの場面を経て、徐々にその像の姿が見えてくる(想像できる)。凄惨な出来事の後、血に塗れた像は何を言わんとしているのか。赦しだろうか。
美しい山奥の河のシーンを基盤として、幾つかの幻想的なシーンを名匠クリストファー・ドイルが撮影監督した作品。
オダギリジョーの人柄だろうか、彼の初監督作品を祝うかのように、日本の数々の名優たちが続々と趣向を変えて河を渡るシーンが楽しい。
<時代は移ろっても、変えてはいけない事があるのでは・・、等々、様々な事を考えさせられる作品。>
ある一つの善
美しい映像と音楽、そして何より主演と助演、二人の心の純粋さに胸が高鳴る癒しに満ちた作品。
自然の四季の移ろいの中で、日々営まれる人間の業。命あるものを戴いて繰り広げられる人の生と死が、悠然とした自然を背景に切り取られていく。とにかく自然の造形が美しい。
中でも水。川にとうとうと流れるその水は、液体、個体、気体と形を変え、この世界を流転する特別な物質。
雨粒が球体であることを思い出させられる美しいハイスピード映像。
そして、音楽。ピアノと歌声と口笛のシンプルなアンサンブルが、映像に更なる色を加える。
色といえば、青と赤を基調としたワダエミの衣装も印象深い。
そして、肝心の演技であるが、内なる善と悪の揺らぎを、微かな眼の演技で表現する柄本明は流石の一言だ。
更に、訳あって船頭の世話を受ける娘役の、静寂を突き破る爆発的な演技には衝撃を受けた。
ある船頭の話とは、様々な渡世人を日々運び続ける中で、船頭自身の内に醸成されていく思索の結果の哲学だ。
米や魚を食し、夜に寝て昼は働く。その原始から続く生活の中で醸し出される哲学。
渡しの傍らでは、材木とレンガで橋梁が造られつつある。二重橋や眼鏡橋様の橋から時代は文明開化期か。日本的な衣装と共に詳しい時代は語られず、却って普遍的なテーマが浮かび上がる。
人間の悪とは?善とは?
自身の内に狡猾な悪を認めつつも、ひと欠片の善を訴求する主人公は、もう船に乗ることのないかつての渡客から譲り受けた絵を本に木を彫り続ける。
それは、聖母とも女神とも見える美しい女性の像だった。その辺りも普遍的なテーマを浮き彫りにする演出。
そんな船頭のところに、人間の業の深い闇から生還したひとりの少女が流れ着く。
船頭とその知人の手当てにより娘は少しずつ回復し、心を開き、生活を共にするが、更なる人間の善行、悪行に行き当たり、純粋な二人の心は遂に奈落の底に突き落とされるのであった・・・
オダギリジョーは、長編初監督とは思えないほどに、演者、スタッフと多くの才能を擁し、豊かな演出を駆使して見事に作品をまとめ上げている。
主人公が最後に見せる、内なる一つの善を行使しての喜悦の表情。
そして、この作品自体が、多くの人に愛されるであろう、ある一つの善であると感じるのであった。
奥の深い、考えさせられる物語なのかもと感じました。
予告で観た風景が綺麗だったのに惹かれて鑑賞しました。
見応えありました。
とにかく幽玄な世界。
明治なのか、それとも昭和初期なのか。
文明と伝承の狭間のような、終始幻想的な映像でした。
渡し船で川を渡るシーン。
背景には山、そしてまた山。
ゆったりとした流れを滑るように進む小さな舟。
請われるまま、岸から岸へと舟を漕ぐ船頭。
遠くに架けられつつある橋。
船頭を嘲る言葉を吐きながら舟に乗る工事の男たち。
何を言われても黙々と、ただ舟を操る船頭。
このような場面が繰り返すのですが、見ていて飽きませんでした。
この世界を語る重要なキーワードと思えたのが、「流れ」。
時間
時代
風
そして川
橋が完成し、役目を終えた船頭。
最後の場面
流れに抗うのを止め、舟ごと流されて行くしか無かったということなのでしょうか。
そんな哲学的な作品だったのかなと、感じています。
そして柄本明。
この人以外にこの船頭役はできないと思えたくらい
素晴らしい演技でした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
恐ろしく絵がいいと思ってみていたらクリストファー・ドイルがキャメラ...
恐ろしく絵がいいと思ってみていたらクリストファー・ドイルがキャメラマンだった。劇場で見るべき。こういう映画を見るたびに北野武の「その男凶暴につき」や「ソナチネ」を思い出す。大抵の映画は話しすぎると良くないのだと思う。
題名どおりの映画
榎本明さんはとても味ある いい役者になった。
村上さんの役は”設定のブレ”も彼の”役者として生かせていない演出”もダメ
衣装はアイヌ衣装のようだし。。。
川島さんの衣装も大陸人のようで、キャラクターを表現できていない。
和田恵美さんの衣装は映画事態の混乱を招くだけで、まるでダメだった。
凍ろ穏やかな主人公の揺れ動く心情がうまく表現できていないばかりか、作品の方向性を見失っている。
ゆっくりとした”時”を表現したい為だろう、フェイドイン・アウトでの繋ぎが多すぎるし
ゆっくりとした時間の中での”時代の変化(橋の建設)”に対する変化を脚本の中でメリハリをつけて表現する冪だった。
著名とされるクリストファー・ドイルさんの撮影も目立った点はなく、水の撮影のみ良かった。 おそらく「自分は何ができる!」というアイデアを他スタッフと共有できなかったのだろう。
映画とは
映画館で、もう一度じっくり見たいと感じる映画でした。
最近の映画は、後からDVDやテレビで見れば満足するものがほとんど
ですが、この映画は、皆無です。見るたびに感じ方が変わり、心に余韻が残ります。
私は、映画館に2度足を運びました。
もうすぐ、上映期間が終了するのが残念でレビューする事にしました
私自身もそうですが、現代社会は答えのあるものが求められ、映画も結末がはっきりしたものが好まれます。
ある船頭の話は、そこから全くかけはなれた物語です。
壮大な大自然の中で、川の流れる音、雨が地面に落ちた時にできる模様、そこに生きる物の気配、映像から自然界の匂いや風の音も感じとれるように、物語は静かに進んで行きます。
沢山の豪華俳優陣の方が大自然の中に溶け込んでいる姿も魅力です。
便利なものはいいけれど、風化させてはいけない物の偉大さを感じました。
オダギリジョー監督が、この映画に真摯に取り組まれた思いが詰まっていると思います。
人により、受け止め方、感じ方も様々ですが、時代が変わっても色褪せない作品だと思います。この映画を見る事が出来て本当に良かったです。
良かったジョー
オヤジギャグかましました。申し訳ない。
でね、「取り替わられるものの喪失感」だけで話が終わらなくて良かったと。何故か途中で感じる宮沢賢治感。風とトイチのトラウマは横溝正史で、最後は罪人二人の逃避行。日本の原風景という程、大袈裟では無いけれど、水木しげる的な印影の画も雰囲気があって良かった。
蛍と橋ならホタル。うっわ、そっち系ですか?この設定で、そのオチは芸が無さ過ぎと不安になり。細野晴臣の森林葬で宮沢賢治ワールドが決着してくれて残るは風とトイチの過去。そっからの描写がダルいってのと、天狗だか何だかの亡霊って要るの?
風は近親からの性暴力からのパニックで一家を惨殺した。トイチも殺人を犯した末に、この地に逃れて来た、多分。文盲で無学を装い船頭として河川敷に長年暮らしている。トイチをずっと見て来たと言う亡霊の登場に恐怖する。個人的には、こっち側に重点を置いて欲しかった様な。
画とピアノの美しさだけでも個人的には満足なんですが、正直なところ、クリストファー・ドイルをよく知らないw ヒューマン・フローの撮影の方なんですね。景色の中の人物の配置の仕方が結構好き。と言うか、人中心にする気が無い感じが良い。
良かった。かなり好き。ポール・ダノのワイルド・ライフと同じくらい。
美しく哀しい
全編通して静かな美しさ
でも、全てが哀しみの上に成り立っているというか
救われたい人間たちの色々な想いが、苦しくなる
役者がさすがですね
黙っていても重く伝わってくる
人間、、そんなに立派なもんでもないから
橋爪功の、適当?ちゃらんぽらん?なんて言ったっけ、
人間適当がいいんだ、って言ってた言葉が残ります
美しい。
きっかけは、柄本明さんが主演だから。
単純な理由で足を運んでみた。
オダギリジョーさんが脚本・監督という事で
あまり期待せず前知識も全く入れず真っ新の状態で見に行ったけれど、
(観る前はもっとこう、エキセントリックな作品になっちゃってるのかなと思っていた)
あまりの映画自体の美しさ、内容の良さ、役者さんたちの素晴らしさに驚いた。
映画はかなりの本数を見ているけれど、
今年見た中ではダントツかも知れない。
柄本明さんはやっぱり凄い。
衣装も素晴らしかった。
映像の美しさも映画の要素としてとても大事だと私は思っていて、
この作品は映画館で見るためのものだなって思った。
初監督作はこんなものと云うべきか、言いたいことはわかるが映画として昇華させるには力不足と云うべきか、どちらにせよ期待していただけに残念でした…
映像は美しい(それだけが取り柄と言っていいくらい)。しかし人物たちもキレイ過ぎてリアリティがない。セリフも全て標準語にしたのも違和感を増すだけで首を傾げざるを得ない。監督の人脈かそうそうたる顔ぶれが登場するが殆どゲスト出演の域を出ない。セリフも説明的。父親を山に葬るエピソードを永瀬正敏のナレーションで説明するのではなく映像で語って欲しかった。川の精のエピソードも結局中途半端。必要なかったのでは。言いたかったことはわかるのでもっと映像で語る努力をして欲しかったな。
ビッグデータから導かれたAI作品みたい。
オダギリジョー監督『ある船頭の話』古き佳き日本映画への賛美がクリストファー・ドイル撮影で実現出来た作品。新潟阿賀町の自然の情景が息を呑む素晴らしさで描かれてるのだけど、その絵作りや展開が、ビッグデータから抽出されたAIの賜物…みたい。脚本や台詞回しも直截的で含みがない。それでいて編集がやたらと駆使されたシーンがあったりして、借り物感否めず。小栗康平監督の揺るぎない世界観に比すると、器用さだけで仕立てた印象。それでもドイルの手腕あってこそ。現代ではこの作品が精一杯か。そんな諦観も感じた。
#photobybozzo
中途半端、あるいは分裂気味
オダギリジョーと柄本明の組み合わせということで見ましたが、うーん。テーマもありきたりな感じで、ラストの先をどーしていく!ということが問題のこの時代に、そこ止まりなのかぁ、なんだかなあ。そんな感じばかりが残りました。
「誰かのために俺も生きたい」こんなセリフが出て来ますけれど、えー?そーなの?オダギリジョーってこうなの???びっくり。
○○のために生きるって、その○○の中身が何かによって白くも黒くもなるってのに、誰かのために生きたーい、ってことなの?って、ここで、ドン引き。もう私の中ではテンションが完全に切れました。
映像美、あります。そして撮影は大変だったと思いますが、特筆すべきものとは思えない。
ラストシーンを見て、これはひょっとして、タルコフスキーのサクリファイスへのオマージュなのか?と思いました。
幻想風の味付けで、テーマそのものはセリフで表現される。けれど、いろんなことが語られたり、映されたりして、それも日本的というか叙情的だから水っぽくなって、それがために絶望度の抉られ方が練られている気がしません。理屈っぽいけど、中途半端。
近代化される過程で古いものが失われていくという、おんなじようなテーマのキルギス映画「馬を放つ」を見ました。これから近代化されるっていう国ならともかく、もうとっくに近代化で山河をボロボロにした挙句の果ての、その先頭で原発が爆発して、さらに修復不能な事態になりながら、まだ原発で儲けたい奴らがのうのうと生きているこの国で、今この映画か、という点で足がすくみます。批判なのかどうかもはっきりしない感じの詠嘆的批判(そんなのあるのか)。映画に限らず、これが今の日本の姿なのかなと思います。
主人公は字が読めない風なんだけれども、なぜか「ふう」が、「風(かぜ)」でもあることを知っているってところも、あーあ、なのでした。
映画って難しいですね。
音楽と映像が素晴らしい
が故に余計に眠い。
観る前から予想はついていたけど、終盤まではとにかく淡々と進む。美しい川のせせらぎとピアノの音、山の緑の風景がヒーリング効果ありすぎて、どのシーンだったかは忘れましたがセリフをリフレインで聞かせるところはもう催眠術かと思うレベルで瞼が閉じるのとの必死の戦いでした。
オダジョーのお仲間大集結という感じで、次から次へと豪華な面々が渡し舟に乗ってきます。
変わりゆく世間から取り残された船頭と、流れ着いた謎の少女。監督の言いたかったであろう部分は伝わるし、つまらなかったとは言わないけど、3時間弱は長かったなあ。
映画館で見ないと、あとで必ず後悔する名作!
子供の頃、学校の先生がチャップリン作品を全作貸してくれた事がキッカケで、古い映画を特に好んで見る映画ファンになりました。
日本映画では、黒澤明監督や溝口健二監督や寺山修司監督など、ありとあらゆるジャンルの新旧映画に今まで出会い、多くの刺激をいただいてきました。
そして久しぶりに、私が望む全てが詰まった映画にようやく出会うことが出来ました!
ある船頭の話 すばらしいです。
映像美、音楽の優美さ、絶妙なキャスティング、衣装の芸術性、古い日本映画のようなカッコよさ、そして純文学のような美しい脚本に魂が震えるほど感動し、嫌なモヤモヤが全く無く、私はあまりの素晴らしさに驚きました。
映画を見る前は「10年前にすでに脚本が練られていたのなら…もっと早く世に出してほしかったな」とも思ってしまいましたが、鑑賞中「こんなに凄まじい映画…きっと今のオダギリ監督のキャリアでないと成し遂げることが出来ない程の…奇跡のスタッフが集結している…」とすぐに納得しました。
オダギリ監督の脚本に、クリス撮影監督、ワダエミさんの衣装、ティグランハマシアンの繊細な音楽、こんな贅沢な映画にはもう出会えないかもしれないとさえ思いました。
イタリアの映画作家の方達が、今作をヴェネチア国際映画祭で選ばれたのも当然です。
ただ一つ、
この作品は人によって全く違う感想をお持ちになる 相当二極化する作品だと感じました。
でも誰もが感動して涙する作品だったとしたら、こんなにも素晴らしさに震える気持ちには私は絶対になれなかったと強く思います。
とにかく映画館で多くの映画ファンに体感していただきたい!
そして映画ファンの皆さんが各々どう感じられるか劇場で感じてほしいです。
日本で見れるうちに見ておかないと本当に勿体ないです。
DVD化を待つ作品では絶対ないです。
ネタバレには繋がらないシーンで、私がかなり好きなカットを一つだけ言わせてください。
乗船されている時の草笛光子さんの着物の裾のあのカット。グッときました。
映像美 研ぎ澄まされた音響
風景
ライティング
とにかく映しだす映像全てが美しい
演者の声
舟を漕ぐ音
雨音
川の流れ
蝉の声
一つひとつの音にもこだわりを感じる
柄本さんはほんとうに素晴らしい演者さんであることをこの映画で改めて思い知らされ、また、若い川島さんの表情の変化もみどころである。
正直、予想をこえたクオリティでした。
オダギリ監督の次回作が待ち遠しい
本日みなとみらいのキノシネマで拝見しました。登壇ではオダギリさんも...
本日みなとみらいのキノシネマで拝見しました。登壇ではオダギリさんもレビューをみているということでしたので書いています。
前にBSフジの旅する音楽という番組でオダギリさんが、ある国のある民族に会って、そこの村で一泊されたときに太陽の明るさで目が覚めて自然に逆らわずに共生して生きている村の人たちに感動し涙をされているのを見て、こちらもとても胸を動かされました。その時の感覚に近いものをこの映画からも感じ取ることができました。
この映画には日本の美しさはもちろん、それだけでなく世界共通の自然の美しさとの共生が必要で、だけれど人間のエゴも入り交じっていく中で、個々一人ひとりがどういう風に日々生きていくかを考えさせられるものでした。映画の中に出てくる人々がいろいろな視点で語りかけてくる感覚を覚え、すーと涙したり感情がゆれました。息子を預けても見に行って本当に良かったです。ありがとうオダギリ監督!
現実と幻想の狭間の物語
山、海、人の手の及び切れない領域は、かつて異界であった。川もまた、異界であり境界である。
多くのものが、こちらからあちらへ、あちらからこちらへ、通り過ぎるが、留まる事はない。様々な人の人生が、一時小舟に乗り合わせ、ただ通過していく。
川のほとりで、船頭は一人、通り過ぎる人を待ち、運び続ける。少女は川からやってきて、船頭の元に留まった。
この作品は時折、現とも幻ともつかない映像を挟む。水中を舞うように泳ぐ少女は、果たしてこの世のものだろうか。亡霊は存在するのか。殺人の幻想は誰のものか。どれが夢でどれが現実か。
近代以前、人は異界の存在を受け入れ、科学とは別の理で説明付けていた。川から来た少女がどこか人間離れしているのも、マタギが死して山に還るのも、その魂魄のように蛍が舞うのも。現代の目には奇異に映るが、異界の理を通せば、むしろ当然のように納得がいく気もするのだ。現実と幻想が、一つ景色の中で、レイヤーを重ねるように被さっていく。
映像は殆ど川の渡しに限られ、仔細がはっきり明かされる事もない。僅かに示される情報の端々から、観客は物語を組み立てていく。少女に何が起こったのか。船頭は何を思ったのか。
哀れな人間のリアルととるか、霊やもののけの現れる幻想譚ととるか。物語は観客によって自在に形を変える。
船頭は客の言葉に相槌を打ち、耳を傾けるが、自らについては殆ど語らない。
少女が現れ、問われた時、初めて船頭自身の過去や思いが語られる。
風を受けて形を変える水面。
橋ができ、人は異界を忘れ、時を失い、傲慢になった。
現実に居場所をなくし、川に漕ぎ出す二人は、此岸の岸を離れ、とうとう本当の異界のものになるのかも知れない。
船頭の朴訥で哀しい眼差し、少女の暴くような鮮烈な目、血の赤、重なる波紋、朝霧、蝉の音、鳥の声、せせらぎ。
現実と幻想の両岸を交互に眺め、つらつらと万華鏡のように思考を遊ばせながらたゆたうような。贅沢で心地よい時間を与えてくれた作品であった。
風景は綺麗だか…
う〜む、人生、深く考えさせられる映画かと、宣伝チラシに誘われて観たが、評価できるのは阿賀野川の美しい景色ぐらいでした。
ストーリーは何を言いたいのか、私には全く伝わって来ないし、下品な暴行殺戮シーンに呆れました。
オダギリの、名だけで客呼ぶ映画です。残念でした。
便利のために失ったものを見つめる
俳優陣といい「自然」の映像美といい、実に贅沢な作品である。その中で訴えかけてくる、便利さと引き換えに失われていく心の豊かさと自然の大切さ。まだまだ、立ち止まって考えていいテーマをオダギリジョーらしく提示した作品である。
全50件中、21~40件目を表示