劇場公開日 2020年2月28日

  • 予告編を見る

「アメリカの若きマンデラ」黒い司法 0%からの奇跡 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5アメリカの若きマンデラ

2024年1月30日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

劇中何度も繰り返し強調される「アラバマ物語」の地、という喧伝が、差別という問題の視点を問うようで興味深く、苦々しい。
「アラバマ物語」の主人公はアメリカ人が考える理想のヒーローであり、そんなヒーローを生んだこの地に地元の人間は誇りを持っているように描かれている。
そんなヒーローの正体とは、黒人青年の無実の罪を孤立無援で弁護する一般人である。クリプトン星人でも、ウェイン産業の会長でもない。偏見に屈せず司法の正義を全うしようとした、弁護士だ。こんな皮肉って、あるだろうか?
今、ここアラバマで、ろくな裁判も受けられず、乏しい証拠で死刑囚監房に入れられた黒人たちがいるのに?
冒頭から繰り出されるメッセージに、どうしても心を掻き乱される。

モンロー郡の白人たちは、「アラバマ物語」を嬉々として語る。虚構の正義に酔いしれ、自分達は正義の人であると信じて疑わない。
今そこに存在している差別は、とうの昔に消滅したかのように。
しかし死刑囚監房のジョニー.Dは静かに呟く。
「これがアラバマだ」
真実以前に、事実すらも形骸化し、噂が世界を形成し、町の平安と引き換えに正義は息を潜め、脅迫が偽りの罪を構築する。
見たいものしか見えない、残酷な世界。
その絶望が苦しい。その怒りが切ない。その達観が哀しくて、胸に迫る。

あって当然の権利すら届かない人のために、主人公・ブライアンは奔走する。自らも屈辱的な仕打ちにあい、それでも明白な事実から目を背けようとする人たちに、自らの良心を問う。
今なお根深い差別の中で、ヒロイズムではなく公正さのために。

「ただ赦しの気持ちを持って、失敗だけでその人を断じないで欲しい。失敗だけがその人の総てではないのだから」
記憶を頼りに書いたけれど、ブライアンはそう言った。失敗は、もっと言えば「罪」は、誰にでも訪れる可能性がある。その「罪」は確かに存在するが、その「罪」はあくまでもその人の一部であり、その人全体に寄与するものではない。

「貰えて当然の人よりも、貰える資格がないような人にこそ与えるべきなのが慈悲であり、慈悲とは公正さである。」という内容の事をブライアン本人は語ったそうだが、これは今なお黒人に向けて容赦のない差別を行っている人に向けられた、二通りのメッセージであるように思う。

一つは額面通り「偏見に惑わされず、目の前の人物の行動を、それを指し示す事柄を、公正さを持って考えて欲しい」という願い。
そしてもう一つは、「偏見に惑わされ、公正さを失った自らの過ちを認めることは、あなたの総てを否定するものではない。だから勇気を持って過去の過ちに向き合って欲しい」という、差別してきた側への願いだ。

原題「Just mercy」の意味するところは「慈悲」であり、その反対は「邪険・冷酷」である。
相手の意思を汲み取ろうとせず、意地悪い扱いをする事だ。
そういう態度を、どうか改めて欲しい。
そんな願いが込められたタイトルだ。

タイトル通り、ジョニー.Dをはじめとする囚人たちやその家族、コミュニティに生きる黒人たちの思いを汲み取り、闘い続けたブライアンこそ、本当のスーパーヒーローだ。
そしてその闘いは、今も続いている。

コメントする
つとみ