ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ゴッサム・シティのカリスマが、もともと笑ってしまう病気を抱えていた...
ゴッサム・シティのカリスマが、もともと笑ってしまう病気を抱えていたという世界。
他のバットマン作品のジョーカーと同一人物かどうかは気にしなくて良い。嘘つきジョーカーに整合性を求めるなんてナンセンス。
報われない悲しい主人公。他のジョーカーを見てきた中で1番感情移入しやすかった。カリスマになった経緯も理解出来た。
バットマンの親を殺害したのがアーサーじゃないというエピソードが気になる。親を殺した犯人が後にジョーカーになる人なのかもしれない、などとロマンを感じてしまうエピソード。
BGMも構図も芸術的でとても良かった。
カメラの性能が良いだけでなく、監督の腕が抜群に良いのだろう。
僕の人生は喜劇だ
当時、映画館で観ましたが、再上映にも行ってきました。
アーサー(ジョーカー)を演じたホアキン・フェニックスの表情の演技に脱帽です。
笑ってしまう症状を持ち、悲しいのに笑ってしまう難しい役どころをしっかり演じたのは凄すぎます。
体型も痩せぎすになってますし。
母親の衝撃の事実や、拳銃をポケットに忍ばせてるのが職場にバレて徐々に追い詰められていくアーサー。
地下鉄で会社員を銃殺してから、彼は変貌していきます。
他の方も言ってますが、終盤のピエロメイクを彼だけは直接顔に描いてますよね。
ジョーカー信者たちはお面ですが。
マレーを演じたデ・ニーロはあっさり殺されてしまいました。
ホアキンはこの映画でオスカーを受賞しましたね。
続編も製作中らしいので、楽しみです。
感じたこと、考えたこと感想。
アーサーの気持ちがわかるときもあったし、出てくる人たちもっと他人に優しくしてほしいとたくさん思った。
アーサーは酷い目に遭う、でも彼の行動には共感できない。映画の中では影響されてピエロのお面を被ってる人たちがたくさんいる。不満が溜まると起こり得ると思うと怖い。
現実でもあそこまで多くはないけど影響を受けて事件起こした人がいるし。
序盤で何度かボコボコにされる。自分には心無い言葉ばかり、でも殴ってきたやつは咎められないし恵まれてる、社会が許容してるような気持ちになって個人が憎かった筈が世の中が憎いになるのかもしれない。
・いくつか感想を見て
カリスマ悪役を魅力的に感じてた人は不幸なおじさんは魅力的に感じなかったようだ。
私も見る前の期待値が高かった。映像も良さげで。
自分の中でジョーカーといえばダークナイトが最新の記憶で、テレビでも名シーンとかで見るし、カリスマ悪役で人気だからそのイメージが強かった。
ファンではないし思い入れはないけど、知ってる人の感覚で見てた。
この映画を私はもっと感動か怖い系と思ってた。
・アーサーをみて
こういう人はたくさんいると思った。不満を持ってる。うまくいってない。酷い扱いをされる。
どこにでもいる人が誰でもアーサーになるかも知れないという怖さはあるかもと思った。
タイトルを見てキャラものと思っちゃうけど、負の感情が犯罪になるその象徴の名前みたい。
彼の演技はすばらしかった。
人間の本性は悪性
昔から悪は人を魅了すると言いますが、アーサーがジョーカーに覚醒する瞬間は震えた。如何なる状況でも殺人や暴力は容認出来ない。それなのに彼の殺人を見ると心が洗われた気持ちになってしまうのは何でだろうと考えました。監督の言う通り、思いやりが欠如している時代。世間の心無い言葉が誰かを蝕む。虐待・障害・いじめ・失業・貧困と格差・・・国や地域は違えど誰しもが直面する問題であり、アーサーのそんな不条理に翻弄され孤立していく姿に共感してしまう。見終えた観客の大半が笑顔で私も晴れ晴れした気持ちで劇場を後にしたのがその証拠。私なんてジョーカーに共感してクライマックスに泣いてしまいました。そんな人が増えて行く程、今の時代は生きづらいし、誰しもがジョーカーとなり得る可能性を持っている。
この映画の独自解釈である幼少期のブルースとアーサーとの邂逅にぐっと来た!やはりこの2人は永遠に戦い続ける運命なんだとしんみり・・・
ヒース・レジャーと比較する人も多いでしょうが、両者ではジョーカーの在り方や解釈が異なるので語る議論は意味がない。
世の中に起こる事に分かりやすい因果関係はなく、些細なきっかけや思い込みで物事は加速度的に悪化する。
見終えた観客の大半が笑顔で私も晴れ晴れした気持ちで劇場を後にしました。誰しもがジョーカーになる可能性を持ち合わせているんですね。
虐待、障害、差別、介護疲れ、いじめ、失業、貧困と格差、暴力、他者への無関心、不寛容と抑圧、社会からの隔絶……様々な社会問題や政治的メッセージがこれでもかと言わんばかりに詰め込まれていて、またそれはどこの国や地域にも存在し、誰しもが直面しうる問題でもあります。
面白いストーリーなのに退屈な映画。
アメコミもジョーカーにも無知だが、映画「スーサイド・スクワッド」のジョーカーがスタイリッシュで魅力的で演じたジョーカー俳優のファンになったほどなので、俳優は別人だがジョーカー主役の本作観てみた。
ストーリーは凄く良いが映画の出来がイマイチ。耳障りな音楽がちらほらある。ジョーカーに変身するまでが長すぎる。でも変身するまでの物語自体は面白い、というギャップに苦しんだ。長さを感じさせるのは監督の技量不足だ。あと俳優に魅力感じないせいもある。
主演俳優ホアキン・フェニックスが不細工で、私は映画にはそれなりの美男美女を求めるタイプだから観てて辛い。リバー・フェニックスの兄にしてはリバーのような華も魅力も感じない。ただ味わい深さはあるから役によっては演技秀逸さも相まって彼の良さは出るだろう。しかしジョーカー役やるには魅力が全然足りてないこの俳優。過去のジョーカー役ジャック・ニコルソンやジャレッド・レトは華も魅力もあったのに。
それにこの俳優ホアキンは顔が深刻過ぎ。コメディアン目指してる役なのに全然そうは見えない。彼の顔から感じるのは悲劇のみだからダメ。いくら不幸な人物とはいえ多少なりともユーモラスな雰囲気醸すべき。ユーモラスだからこそ悲哀も増すのだ。ホアキンの顔はリアルでシリアス系に傾きすぎてるからジョーカーのようなアンリアルな役は似合わない。単なる底辺おじさんに見えちゃう。狂人っぽさはちゃんと出てたが。しかしホアキンは顔面から現実感出しすぎ。まぁ彼のせいじゃなく彼を選んだ監督のせい。レオナルド・ディカプリオの構想もあったようだがディカプリオならいい。ユーモラスも悲劇もアンリアルも狂人も十分いけそうな顔してる。たがジョーカーのメイクが似合わなそう。
ホアキンはジョーカーに変身してからは良くなった。ジョーカー姿がサマになってる。演技上手いからか階段上で踊る時の体の動きもいい。このあたりはさすがだと思うこの俳優。
この時(階段で踊る時)は音楽も凄い良くて場面に合ってた。だが音楽良かったのはこの時だけで、以降は再び耳障りな音楽に変わってしまう。それが残念。安易に不快な音楽使うべきじゃない。
ジョーカーに変身直後の階段上で踊る場面は、スローモーション、水たまりの水しぶき、煙草の煙、全て映像美を感じられるし良い音楽だしmusic videoとしてここだけ何度も観たい。やみつきになる。衣装のカラーもいい。しかし映像も音楽も、良かったのはここだけなのが残念。
主演のホアキンに不満ありつつも、変身後のジョーカー姿は良いし、司会者殺す直前の演技秀逸なのは満足。まあ変身するまでが、見ててとてつもなく退屈ではあるがこの人なせいで。せっかくジョーカーという魅力的なはずのキャラなのに・・
ジョーカーが、テレビショーに出演。カーテン開けて舞台に出る場面をテレビ画面通した映像にしてるのが不満。登場の瞬間はリアル映像で映したほうが感動すると思うけど。ジョーカーに対する司会者マレーのツッコミがどれも秀逸。ジョーカーの「この社会だってそうだ。善悪を主観で決めてる」という台詞が好き。マレーをいきなり銃で撃ち殺すところ最高で、その直前から不穏な音楽で盛り上げるのも良いし、その時のジョーカー役ホアキンの演技も秀逸で完璧。
信望者が救急車でパトカーに突っ込みジョーカー助けるところ凄く良い。終盤の荒れたゴッサムシティ大好きだ。ジョーカーは市民のカリスマとなるが、ホアキンはカリスマというより熱狂的な信望者を演じるほうが似合う。
主人公のホアキン自体に魅力感じないのが残念だし、それをくつがえすような作品自体の魅力も出来の良さも感じないから更に残念。映像、音楽、雰囲気のどれか1つでも突出したものが欲しかった。変身後に階段で踊るシーンは凄く良かったが、そこだけ良くても意味ない。というかあのシーンは監督凄く力入れたんだろう。ならば他ももっと頑張って欲しかったが。本作はストーリー頼みのよくある単なる普通の映画という感じ。
別監督か別俳優でこの映画を観たい。ストーリーめちゃくちゃ好きだから。
①映画の出来の良さ、②映画の魅力(映像や音楽等)、③主演俳優の魅力、この3つのうちせめてどれか1つで良いからあれば私的に特別な映画になった気がする。それくらい物語も世界観も大好きだ。本当に残念。ぜひ有能監督にリメイクして欲しい。
2023/01 VOD
本当の悪は笑顔の中にある
名前の通りJOKER
全ては彼のジョークであり、監禁を逃れ最初の一歩を踏み出す
はたまたその後を描いたものなのか
妄想と現実がないまぜになる
走り書き
シナリオは大筋、アドリブを交えながらアーサーはジョーカーを演じたと考えると面白い
普通に考えるとどんでん返し?ジョーク落ち?
監禁されているジョーカー
カウンセリング、これは妄想?
監禁について言及しているが殺人が起きた現場に少なくとも居合わせたカウンセラーがいるのは不自然?
母との生活、自分の出自が分かっていく
前から知っていたことを脚色?→その後
妄想で作り出した?→ジョーク
暴動は広まり、アーサーはシンボルになる
その裏でウェインは殺され、息子が立ち尽くす
ジョーカーではなく扇動された暴徒が犯行を行う
これはジョーカーにとって喜劇でありジョークである
順当に考えれば暴動までの想像→脱出
深読みすれば脱出→暴動
そもそもアーサーがウェインの息子である云々も脚色?
見てみろよ、人間なんてこんなもんだぞ
物凄い話題作だったけど…
見終わった感想として、それほど印象的でもなかったかな~。
ジョーカーの大ファンが見るとまた違うのかも。あとスーパーマンのストーリーを知らないといまいち、ジョーカーの悪役としての魅力がわからないというのもあるでしょうね。
閉塞感に包まれた男が、殺人をして、解放されていく話。
最後には、カリスマ性を身に付け、悪の帝王の誕生、みたいな流れでしょうか。
あまり印象に残らないのは、どんでん返しが特にないからですかね(笑)。
あなたはこれを観た後、何に感謝、敬意を持ちますか?
今の医学ではわかっていませんが、全て「孤独」のせいです。無条件で逃げましょう。閉塞感から解放されましょう。戒めはそれから持てばいいのです。寛解がインスタント過ぎて情報にならないんでしょう。
それができりゃとっくにやってる、笑え。
助け合いを諦めた赤ん坊さんへ
とにかく泣いてください、助けを発信し続けるしかありません。思いやりと同情の違いを知ってください。どんなに他人事をぶつけられてもただそうするだけ。恐れはいらなくなります。
音楽を楽しむ映画
ジョーカーの狂った感じが音楽に出てて、すごく良い。ポップさがよりやばさを増長させてる。
悲しいお話。精神病では狂っていく感じはリアルさもあって悲しい。
街ごとジョーカー祭りみたいになるのはよくわからん。
ストーリー 82点
配役 89点
音楽・映像 94点
全体 86点
人への思いやりが大事な理由
犯罪後のアーサーに感化される人々の多さにゴッサムの社会状況が伺える。
格差問題について考えさせられる作品でした。
あと、ホアキンの演技が素晴らしい。。。
リアル
社会的弱者を鮮明に描いた素晴らしい作品。格差や不条理が散りばめられていて、弱者であるハッピーの視点から主観的に見ると誰も助けてくれない不満からJOKERが生まれたように見えるが、そうではない富裕層の立場では、ハッピーがただの”ゴミ”で関わってはいけない異常者にしか見えてない表現がリアルで素晴らしかった。
誰かがこうして社会のリアルな不条理を表現しないと社会的弱者の気持ちが伝わることはないし、このことを伝えて欲しい人もいたと思う。しかし、実際に裕福で幸せに育った、社会の不満を知らない人たちが見るとこの映画は”ゴミ”にしか見えないんだろうなと思った。
ジョーカーへの冒涜
ジョーカー本人ではなく、ジョーカーに憧れた哀れな一人の男の物語であったなら最高の映画だったかな。
実際そう思って見ていれば星5で文句ないくらい映像、演技、脚本全てにおいてよく出来た作品だと思う。
しかし、これはあくまでジョーカーらしい。
そうなると評価は一転、原作レイプも甚だしい。
まあ一般的にアメコミ関連の映画は作品ごとにキャラクターの設定が変わったり、時代に合わせて再解釈されたりするのがもはや文化と言える程よくある事ではあるけれど、この作品でのそれはそんなレベルではない。
何故なら、このキャラクターはもはやジョーカーではない。
ジョーカーといえば歪み切ったユーモアを持つサイコパスであり、邪悪でイカれた異常者ではあるものの、あくまでも"いつだって正気である"という所にそのアイデンティティがあると僕は考えている。
だからこそ信念を持ってバットマンへ立ちはだかるし、絶対的なカリスマなのだと。
それが今作では単なる精神病患者として描かれている。
しかも同情の余地があり、更生の余地もあり、誰もがジョーカーになりうるかの様に描かれている。
なんだそれは!
ジョーカーというキャラクターへの冒涜だ。
化学薬品の溶液に落ちてジョーカーになった、という基本のオリジンにプラスアルファの物語でも充分だったのではないか。
もっと良い描き方があったはす...と思わざるを得ない。
『ジョーカー』が描く社会の闇と人間の苦悩
トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』は、単なるコミックヒーロー映画の枠を超えた、社会批評と人間性の探求を提示する作品だ。DCコミックスの悪役として知られるジョーカーの誕生秘話を描きながら、現代社会の闇と個人の苦悩を鮮烈に映し出している。社会への不満、普通ではない自分をどう受け入れるか。
●圧倒的な没入感と演技力
本作の最大の魅力は、主演ホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力にある。彼が演じるアーサー・フレックは、コメディアンを夢見る心優しい男だが、社会から冷遇され、次第に精神を病んでいく。フェニックスは、アーサーの苦悩と変貌を、身振りや表情、そして独特の笑い方を通じて見事に表現している。特に、病的なヒョロヒョロとした体型から、ラストシーンで赤いスーツを纏った時の威圧的な存在感への変化は圧巻だ。
フェニックスの演技は、アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、高い評価を受けた。彼の演技なしには、この作品は成立し得なかったと言っても過言ではない。
●社会批評と問題提起
『ジョーカー』は、単なる娯楽作品ではなく、現代社会の問題を鋭く指摘する問題提起作でもある。貧困、精神疾患、社会の無関心など、様々な社会問題が描かれている。
アーサーの苦悩は、「普通」ではない自分をどう受け入れるかという普遍的なテーマを提示している。同時に、社会の底辺に追いやられた人々の怒りと絶望を象徴している。映画は、理不尽な世の中や、正論だけでは通用しない現実を浮き彫りにし、観客に深い考察を促す。
●真実の多面性
本作は「真実とは何か」という哲学的な問いも投げかける。特に、アーサーが母親を殺害するシーンは、真実の多面性を示唆している。ここで明らかになるのは、個人にとっての真実が、必ずしも客観的な事実と一致しないということだ。人は往々にして、自分が信じたいことを真実として受け入れる傾向がある。
この視点は、現代社会におけるフェイクニュースや情報操作の問題とも通じるものがあり、観客に真実の本質について考えさせる。
●音楽と視覚効果
ヒドゥル・グドナドッティルが手掛けた音楽も、作品の雰囲気を形成する重要な要素だ。セリフのないシーンでも、不気味で印象的な音楽が観客を引き込み、アーサーの内面を表現している。この音楽も、アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、高い評価を得ている。
視覚的にも、1980年代のゴッサムシティの暗く荒廃した街並みが、アーサーの内面世界を反映するかのように描かれている。カメラワークや照明も、主人公の精神状態の変化を巧みに表現している。
●社会階級と正義の相対性
『ジョーカー』は、社会階級による視点の違いも鋭く描いている。富裕層と貧困層の対比を通じて、同じ社会でも階級によって見える景色が全く異なることを示唆している。
特に注目すべきは、「金持ちが人格者とは限らない」というメッセージだ。トーマス・ウェインのような上流階級の人物も、結局は自分の正義を押し付けているに過ぎない。これは、正義の相対性を示すと同時に、社会の分断を浮き彫りにしている。
●暴力の美化
一方で、この視点は暴力の美化という問題にもつながっている。アーサーの暴力行為が、社会に対する正当な反抗として描かれる場面があるからである。特に、地下鉄での殺人事件後、アーサーの行動が一部の市民から支持される展開は、暴力を肯定的に捉えかねない危険性をはらんでいる。
この点は批判的に見る必要がある。暴力を通じて自己実現を果たすというストーリーラインが、現実社会に悪影響を及ぼす可能性を指摘しているのである。映画は確かに、社会の不公平さを鋭く描き出しているが、それに対する解決策として暴力を提示しているようにも見える。
このような暴力の美化は、それを肯定する側と否定する側によって、社会の分断をさらに深める可能性がある。映画は観客に、暴力の是非について深く考えさせる機会を提供しているが、同時に暴力を正当化する危険性も孕んでいるのである。
●狂気と社会の関係性
本作の中心テーマの一つは、個人の狂気と社会の関係性だ。アーサーの精神疾患は個人的な問題のように見えるが、実際には社会の無関心や冷酷さが彼を追い詰めている。彼の変貌は、社会の歪みが生み出した必然的な結果とも解釈できる。
この視点は、現代社会における精神疾患や犯罪の問題に新たな光を当てている。個人の責任を問うだけでなく、社会全体の在り方を問い直す必要性を示唆しているのだ。
●結論:芸術作品としての『ジョーカー』
『ジョーカー』は、エンターテインメントとしての側面を持ちながら、深い社会批評と人間性の探求を行う芸術作品だ。観客を圧倒的な没入感で引き込みつつ、現代社会の問題を鋭く指摘し、人間の本質について考えさせる。
フェニックスの卓越した演技、印象的な音楽、緻密な視覚表現が相まって、観る者の心に深く刻まれる作品となっている。それは単なる娯楽を超え、社会と個人の関係性、正義と狂気の境界、真実の多面性など、普遍的なテーマを探求する哲学的な旅でもある。
『ジョーカー』は、映画という媒体の可能性を最大限に引き出し、観客に深い思索と感動をもたらす。それはまさに、現代社会を映し出す鏡であり、私たちに自己と社会を見つめ直す機会を与えてくれるのだ。
うーん…
展開に無理があるような気がする。。。
電車でのシーンは、銃声がすごいし、さすがに人が来るのでは?と思ったし
テレビ番組にあんな形で呼ばれるかな?と思ったり。
けど、それらも全部、ラストの『ジョーク』のくだりで
どこまでがジョーカーの妄想なのかよくわからなくしてるのがずるい。
思えば、『ありえないな』と思った箇所がことごとくジョーカーの妄想だったり
誰かの嘘だったりして、何が現実かよくわからなくしてる。
『不遇の人が世界を恨む』というのは個人的に気持ちはわかるから、変に期待しすぎてしまったのかな。
笑いと狂気
ジョーカーと言えば初代ジャックニコルソンのジョーカーは狂人、ダークナイトのヒース・レジャーは人の心の闇に囁きかける悪魔になった、そして本作のホアキン・フェニックス扮するジョーカーはいじめの被害者がブチ切れるという実に人間臭い犯罪者を演じている。
稀代の犯罪者ジョーカーがいかにして生まれたかの興味で製作・脚本・監督のトッド・フィリップスがプロファイリングしたのでしょう。
不幸な出生、幼児虐待、成人してからも不遇の生活、心無い市井の人々の冷淡さ等々ならべて同情的ですが人殺しの理由にはなりえないことは自明でしょう。
車中で女性に絡む若者を撃つあたりまでは分かりますが母親殺しや訪ねてきた友人、唯一の彼の芸の理解者デニーロまで撃つのは説明が付きません。
監督も無理筋と思ったのか精神を病んで治療中の描写を入れてぼかしていましたね。
デニーロさんも「キングオブコメディ」で狂ったコメディアンを演じていたので出演を快諾したのでしょう。笑いと狂気は異質であるが故に合体すると当惑、不安を誘いますね。
個人的にはダークナイトのジョーカーがフェリーの乗客に仕掛けた究極の選択が一番ショッキングでした、そこまで人の弱みに付け込む悪魔のようなジョーカーの生い立ちの秘密に迫るのかと期待しましたが月並みなプロファイリングでは繋がりません。ただ本作の顛末だとバットマンとジョーカーは異母兄弟という奇妙な因縁になりますね、ダニエル・クレイグ007スペクターでも歪んだ兄弟愛でしたし、カインとアベルのような原罪意識が西洋人にはあるのでしょうかね。
京王線で電車テロがあり犯人はジョーカー気取りと報道された、青系の服装から見ると本作は赤系統のスーツなので模したのは初代ジョーカーのようだが仕事や人間関係に失敗しての自暴自棄、世間への逆恨みが動機のようで本作のジョーカーの境遇と被っていたたまれない気持ちにさせられた。
映画が悪いわけではないのだがジェームズ・キャグニーの大昔の映画「汚れた顔の天使」を思い出した、ギャングの大物が電気椅子に括られるとわざと臆病に振舞って泣き叫ぶ、それは少年たちのギャングへの憧れを断ち切ろうとする神父の願いを聞き入れての大芝居だった。
子供たちに人気のコミックであればこそ製作陣の良心もまた問われることは肝に銘じておかずばなりますまい・・。
誰もがジョーカーなのだ。
バットマンシリーズは見てこなかったため、
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー演じる歴代ジョーカーを観て「予習」した上で鑑賞。
舞台はゴッサムシティで幼少の頃のブルース・ウェインも登場するのだが、
アメコミ要素をあえて削ぎ落とし、「ジョーカー」と化してしまった男の悲哀と狂気を描いたヒューマンドラマであると感じた。
どこからどこまでが主人公の妄想だったのか?
一体正しい時系列はどうだったのか?
こんなのは「ジョーカー」ではない!
・・・などと議論や物議が醸し出される作品ではあるが、私はとくにそこまでの興味はない。
観る人によっては
幼稚だとか
傑作だとか
単純に怖いとか
評価は分かれるのだろうけど、
私はそのどちらでもない。
闇堕ちしていく主人公が自分の起こした行動により世間にある種ムーブメントを起こし、社会が崩壊していくこの作品は
不満を抱え、不遇に喘ぐ者たちほど魅了されるのではないだろうか?
そんなディストピアに病的に心惹かれるのだ。
物語終盤、車窓から暴徒により社会が壊されていく様をワクワクしながら眺めるあの「ジョーカー」のように。
無敵の人
この作品内において、序盤はジョーカーは自身も障害を持ちながらも、老いた母親の世話をして、一つを笑顔にさせたいという気持ちでコメディアンを目指す心優しい青年として描かれていた。
しかし、理不尽な理由で仕事先を首になり、父親には見放され、徐々に精神を蝕まれていく。
そして、地下鉄内でのサラリーマン3人を射殺したことで決定的に壊れてしまったのだ。
↑このようなストーリー展開のため、映画の空気は終始重く、救いがない。そのため、気分が落ち込んでしまったり、人によっては不快感を覚える作品であると思う。
しかし、フォアキンフェニックスの狂気の演技はとても見応えがあり、現代の社会にも通じる内容であると思うので、まだ観ていない人には是非視聴してほしい。
疲れてる時や落ち込んでいる時にはオススメしないが(笑)
哀れなアーサー
くっそ重い作品
観てて晴れやかにならないし
虐待ゆえに頭のネジが外れてしまった
哀れな男の人生
ただ、最後まで目が離せない。
馬鹿にされて怒ってるのか
怒ってるフリをしてるのか
たまに見せる目は何を映しているのか
母に裏切られ、母を殺した手は
何を掴むんだろう
ジョーカーに祭り上げられて
彼は満たされたのかな
身体の肉付が序盤と終盤では違ってて
同じ人だと思えなかった。
そこも組み込まれているのなら…
彼は確かに狂人ジョーカーなんだろうな〜
何が真実で何が妄想なのか
病みそうだったけど
ホアキンの演技は抜群
笑い方、歩き方、表情のひとつひとつ
すごく魅力された!
ロバートデニーロは流石の存在感♡
悪役もヒーローも表裏一体
不遇な生い立ちと、幼い頃の虐待ネグレクトによって精神病を患ったアーサー。下層級の不幸で気弱な精神病疾患者が残された救いは“笑い”なんだ。
愛する“道化師”の仕事さえも奪われたら、それこそ死ねというのか!!
これだけ多くのマイナスと不幸が重なり“ジョーカー”が生まれてしまったのだ。
一方でアーサーは年老いた母の面倒を献身的に見る優しいところがあったりもする。
誰だって悪役になりたくてなったわけではない、“ならざるを得なかった”という背景があるんだと本作を通して気付かされる。
生きていると、自分より幸せそうな境遇の人や才能を持つ人に対して嫉妬するし、嫌なこと不幸が続くと投げやりな気持ちになってしまうことが誰にでもあるのではないだろうか。
だから本作は多くの人から共感を得ているのかも。分かるよ、ジョーカーの気持ち。
笑いと怒り、悲しみ
正義と悪
現実と妄想
この世のものは全て表裏一体
ジョーカーだってある人たちにとってはヒーローなんだ!
どこからが現実か、アーサーの妄想なのかという線引きが難しいのが本作の特徴だが、鑑賞者に判断を委ねているのだろう。最後の民衆の逆襲は現実であってほしい。
思ってたんと違う
公開当時から映画予告や観た人の感想を聞いてずっと観たくてうずうずしていたものの、怖くて観れていなかった作品。
期待値が上がりまくっていただけに、少し拍子抜けしました。
心優しい青年が追い詰められて追い詰められて失意に伏すというのを想像していたんだけど、なんというか…んー。悲惨だとは思うけど、卑屈すぎじゃない?って思ってしまった。まあ結局全てが妄想だったという見方もできるし、色々な解釈の仕方ができるストーリー展開が面白い部分だと思うんだけど。可哀想な境遇の俺!狂ってる俺!以上!っていう大発表されて、あ、ハイ…って言うしかないっていう気持ち。
全399件中、21~40件目を表示