ジョーカーのレビュー・感想・評価
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『ジョーカー』が描く社会の闇と人間の苦悩
トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』は、単なるコミックヒーロー映画の枠を超えた、社会批評と人間性の探求を提示する作品だ。DCコミックスの悪役として知られるジョーカーの誕生秘話を描きながら、現代社会の闇と個人の苦悩を鮮烈に映し出している。社会への不満、普通ではない自分をどう受け入れるか。
●圧倒的な没入感と演技力
本作の最大の魅力は、主演ホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力にある。彼が演じるアーサー・フレックは、コメディアンを夢見る心優しい男だが、社会から冷遇され、次第に精神を病んでいく。フェニックスは、アーサーの苦悩と変貌を、身振りや表情、そして独特の笑い方を通じて見事に表現している。特に、病的なヒョロヒョロとした体型から、ラストシーンで赤いスーツを纏った時の威圧的な存在感への変化は圧巻だ。
フェニックスの演技は、アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、高い評価を受けた。彼の演技なしには、この作品は成立し得なかったと言っても過言ではない。
●社会批評と問題提起
『ジョーカー』は、単なる娯楽作品ではなく、現代社会の問題を鋭く指摘する問題提起作でもある。貧困、精神疾患、社会の無関心など、様々な社会問題が描かれている。
アーサーの苦悩は、「普通」ではない自分をどう受け入れるかという普遍的なテーマを提示している。同時に、社会の底辺に追いやられた人々の怒りと絶望を象徴している。映画は、理不尽な世の中や、正論だけでは通用しない現実を浮き彫りにし、観客に深い考察を促す。
●真実の多面性
本作は「真実とは何か」という哲学的な問いも投げかける。特に、アーサーが母親を殺害するシーンは、真実の多面性を示唆している。ここで明らかになるのは、個人にとっての真実が、必ずしも客観的な事実と一致しないということだ。人は往々にして、自分が信じたいことを真実として受け入れる傾向がある。
この視点は、現代社会におけるフェイクニュースや情報操作の問題とも通じるものがあり、観客に真実の本質について考えさせる。
●音楽と視覚効果
ヒドゥル・グドナドッティルが手掛けた音楽も、作品の雰囲気を形成する重要な要素だ。セリフのないシーンでも、不気味で印象的な音楽が観客を引き込み、アーサーの内面を表現している。この音楽も、アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、高い評価を得ている。
視覚的にも、1980年代のゴッサムシティの暗く荒廃した街並みが、アーサーの内面世界を反映するかのように描かれている。カメラワークや照明も、主人公の精神状態の変化を巧みに表現している。
●社会階級と正義の相対性
『ジョーカー』は、社会階級による視点の違いも鋭く描いている。富裕層と貧困層の対比を通じて、同じ社会でも階級によって見える景色が全く異なることを示唆している。
特に注目すべきは、「金持ちが人格者とは限らない」というメッセージだ。トーマス・ウェインのような上流階級の人物も、結局は自分の正義を押し付けているに過ぎない。これは、正義の相対性を示すと同時に、社会の分断を浮き彫りにしている。
●暴力の美化
一方で、この視点は暴力の美化という問題にもつながっている。アーサーの暴力行為が、社会に対する正当な反抗として描かれる場面があるからである。特に、地下鉄での殺人事件後、アーサーの行動が一部の市民から支持される展開は、暴力を肯定的に捉えかねない危険性をはらんでいる。
この点は批判的に見る必要がある。暴力を通じて自己実現を果たすというストーリーラインが、現実社会に悪影響を及ぼす可能性を指摘しているのである。映画は確かに、社会の不公平さを鋭く描き出しているが、それに対する解決策として暴力を提示しているようにも見える。
このような暴力の美化は、それを肯定する側と否定する側によって、社会の分断をさらに深める可能性がある。映画は観客に、暴力の是非について深く考えさせる機会を提供しているが、同時に暴力を正当化する危険性も孕んでいるのである。
●狂気と社会の関係性
本作の中心テーマの一つは、個人の狂気と社会の関係性だ。アーサーの精神疾患は個人的な問題のように見えるが、実際には社会の無関心や冷酷さが彼を追い詰めている。彼の変貌は、社会の歪みが生み出した必然的な結果とも解釈できる。
この視点は、現代社会における精神疾患や犯罪の問題に新たな光を当てている。個人の責任を問うだけでなく、社会全体の在り方を問い直す必要性を示唆しているのだ。
●結論:芸術作品としての『ジョーカー』
『ジョーカー』は、エンターテインメントとしての側面を持ちながら、深い社会批評と人間性の探求を行う芸術作品だ。観客を圧倒的な没入感で引き込みつつ、現代社会の問題を鋭く指摘し、人間の本質について考えさせる。
フェニックスの卓越した演技、印象的な音楽、緻密な視覚表現が相まって、観る者の心に深く刻まれる作品となっている。それは単なる娯楽を超え、社会と個人の関係性、正義と狂気の境界、真実の多面性など、普遍的なテーマを探求する哲学的な旅でもある。
『ジョーカー』は、映画という媒体の可能性を最大限に引き出し、観客に深い思索と感動をもたらす。それはまさに、現代社会を映し出す鏡であり、私たちに自己と社会を見つめ直す機会を与えてくれるのだ。
なんか日本にもごろごろといそうな人達の話だった
見た感想を一言で言うと、「本当にこんな作品が大ヒットしたのか?」ってことです。自分にとってジョーカーとは、ジャック・ニコルソンの演じていた紫のスーツがよく似合い貫禄がある悪の帝王のような存在をイメージしてしまうんですが。この映画のジョーカーはそれとは正反対のクソダサい絵にかいたような底辺の精神病のおっさんでした。こんなジョーカーじゃあ悪の組織でも馬鹿にされるだけで使いっぱしりで終わりですわ。ダサい。ダサすぎる。いくらスピンオフ作品とはいえもうちょっと他になかったのか?是非ジャック・ニコルソンのようなジョーカーも作るべきですわ。
うーん…
展開に無理があるような気がする。。。
電車でのシーンは、銃声がすごいし、さすがに人が来るのでは?と思ったし
テレビ番組にあんな形で呼ばれるかな?と思ったり。
けど、それらも全部、ラストの『ジョーク』のくだりで
どこまでがジョーカーの妄想なのかよくわからなくしてるのがずるい。
思えば、『ありえないな』と思った箇所がことごとくジョーカーの妄想だったり
誰かの嘘だったりして、何が現実かよくわからなくしてる。
『不遇の人が世界を恨む』というのは個人的に気持ちはわかるから、変に期待しすぎてしまったのかな。
弱者のアイデンティティ
近年多発している「ジョーカー」と呼ばれる社会的弱者の凶行を生み出した問題作、とされている映画。
人は誰しも、誰かに認められたい、と願っている。家族や恋人、職場関係の人々から認められることによって自己を確立しているといえる。
しかしこの映画の主人公のアーサーのように職を失い、家族や友人関係も上手くいかず、周囲から軽んじられる社会的弱者は、社会との繋がりから自分の価値を見出せず、ついには凶行に走ってしまう。
犯罪行為をして、世間に自分の存在を刻めるならなら、ひとつのアイデンティティを獲得した、といえるからである。
社会的影響を懸念して、この映画は規制されてしまい賛否両論あるようだが、社会的弱者にひとつの解答を示してしまった側面もあるといえる。
作品内でもジョーカーの信者たちが暴徒化していたが、現実世界での模倣犯の誕生によって、真の意味でこの映画は「完成」してしまったのかもしれない。
タイトル以上に深い内容。でも、UnHappyは好きじゃない。
映画・コミックとも、「バットマン」は見たことなし。その前に、アメコミ系は見る気がせず毛嫌いしてる。絵柄・図柄がきらい。
この映画が「バットマン」の悪役誕生物語だ、という予告編やCMは見たけど、この前の京王線での事件が鑑賞動機。さらに。最近の「ノマドランド」やこの「JOKER」のような、世の中の閉そく感を突き詰めていくような映画は好きじゃない。救いのない結末を持て余して、自分まで落ち込んでしまうから・・・。
でも。
監督の表現方法や出演者たちの演技には、本当に映画の中に引きずり込まれていく。主人公の心理にも共感して、何が正しい事なのか、この映画の主人公は正しいのではないか、とさえ感じてしまう。
だからこそ。この現実世界は、天はすべての人に平等に、幸福・不幸を与えているのだと信じたい。そう、強く感じさせる作品でした。
笑いと狂気
ジョーカーと言えば初代ジャックニコルソンのジョーカーは狂人、ダークナイトのヒース・レジャーは人の心の闇に囁きかける悪魔になった、そして本作のホアキン・フェニックス扮するジョーカーはいじめの被害者がブチ切れるという実に人間臭い犯罪者を演じている。
稀代の犯罪者ジョーカーがいかにして生まれたかの興味で製作・脚本・監督のトッド・フィリップスがプロファイリングしたのでしょう。
不幸な出生、幼児虐待、成人してからも不遇の生活、心無い市井の人々の冷淡さ等々ならべて同情的ですが人殺しの理由にはなりえないことは自明でしょう。
車中で女性に絡む若者を撃つあたりまでは分かりますが母親殺しや訪ねてきた友人、唯一の彼の芸の理解者デニーロまで撃つのは説明が付きません。
監督も無理筋と思ったのか精神を病んで治療中の描写を入れてぼかしていましたね。
デニーロさんも「キングオブコメディ」で狂ったコメディアンを演じていたので出演を快諾したのでしょう。笑いと狂気は異質であるが故に合体すると当惑、不安を誘いますね。
個人的にはダークナイトのジョーカーがフェリーの乗客に仕掛けた究極の選択が一番ショッキングでした、そこまで人の弱みに付け込む悪魔のようなジョーカーの生い立ちの秘密に迫るのかと期待しましたが月並みなプロファイリングでは繋がりません。ただ本作の顛末だとバットマンとジョーカーは異母兄弟という奇妙な因縁になりますね、ダニエル・クレイグ007スペクターでも歪んだ兄弟愛でしたし、カインとアベルのような原罪意識が西洋人にはあるのでしょうかね。
京王線で電車テロがあり犯人はジョーカー気取りと報道された、青系の服装から見ると本作は赤系統のスーツなので模したのは初代ジョーカーのようだが仕事や人間関係に失敗しての自暴自棄、世間への逆恨みが動機のようで本作のジョーカーの境遇と被っていたたまれない気持ちにさせられた。
映画が悪いわけではないのだがジェームズ・キャグニーの大昔の映画「汚れた顔の天使」を思い出した、ギャングの大物が電気椅子に括られるとわざと臆病に振舞って泣き叫ぶ、それは少年たちのギャングへの憧れを断ち切ろうとする神父の願いを聞き入れての大芝居だった。
子供たちに人気のコミックであればこそ製作陣の良心もまた問われることは肝に銘じておかずばなりますまい・・。
切なかった
唯々切なくて、体が震えました。。いちーばん最後、エンドロールが流れる前。アーサーと病院の看護師?かな、追いかけられるシーン。右に行ったり左に行ったり、トムとジェリーみたいに追いかけっこ?コメディーチックだった。あれは、すべてをまとめるシーンだったなー。他の人あまりコメントないけど。「THE END」の文字がまたコメディーっぽくて。
アーサー(ジョーカー)の人生はコメディー。
最後に思い付いたコメディー(ジョーク)も、アーサーと同じ人生を、一人残ったブルース(後のバットマン)に味合わせるというハイセンスジョークだったのかなーと思いました。
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今回の作品ではジョーカーの過去が描かれています。
なぜジョーカーはピエロのメイクをし、狂気的に笑うのか。
その過去には「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の教えで、コメディアンや大道芸人として活動していた過去がありました。
普通の心優しい青年だったジョーカーが、なぜ連続殺人犯になり、悪のカリスマ的存在になったのか。
豹変していくジョーカーのストーリーは必見です。
うーん・・・。
社会不適合者が犯罪者になる、ってよくあるパターンを延々と説明されてる感じで、正直困ってしまった。
「キング・オブ・コメディ」にオマージュ、っていうんなら、そっち観ればいいだけの話では?・・・
ダークナイトのジョーカー?
観ていてしんどくなる映画
ヴィラン誕生秘話という点では最近観たクルエラと同じだけど、クルエラのようなエンターテイメント性はなくただただ悲惨なお話。
ノーランのバットマンキッカケで観たけれど、ダークナイトのジョーカーとはイメージが違う気も…
ダークナイトのジョーカーはもっと理解できない狂気な感じだったけど、JOKERのアーサーは理解も同情もしてしまう。
傑作
社会に虐げられ、底辺に生きる男をホアキン・フェニックスが熱演。序盤は米国の社会問題が描かれ、気が重くなる展開が続くが、あることをきっかけに理性が崩壊し、どんどん壊れていく姿に引き込まれていく。スピンオフもので初めて、これは面白いと思えたよ。階段でダンス🕺するシーンが狂気じみていてかなりツボ
誰もがジョーカーなのだ。
バットマンシリーズは見てこなかったため、
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー演じる歴代ジョーカーを観て「予習」した上で鑑賞。
舞台はゴッサムシティで幼少の頃のブルース・ウェインも登場するのだが、
アメコミ要素をあえて削ぎ落とし、「ジョーカー」と化してしまった男の悲哀と狂気を描いたヒューマンドラマであると感じた。
どこからどこまでが主人公の妄想だったのか?
一体正しい時系列はどうだったのか?
こんなのは「ジョーカー」ではない!
・・・などと議論や物議が醸し出される作品ではあるが、私はとくにそこまでの興味はない。
観る人によっては
幼稚だとか
傑作だとか
単純に怖いとか
評価は分かれるのだろうけど、
私はそのどちらでもない。
闇堕ちしていく主人公が自分の起こした行動により世間にある種ムーブメントを起こし、社会が崩壊していくこの作品は
不満を抱え、不遇に喘ぐ者たちほど魅了されるのではないだろうか?
そんなディストピアに病的に心惹かれるのだ。
物語終盤、車窓から暴徒により社会が壊されていく様をワクワクしながら眺めるあの「ジョーカー」のように。
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