ジョーカーのレビュー・感想・評価
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かなりブラックなエンターテイメント作品
アーサーの境遇や環境を想えば少なからずの同情は否めないが・・
ジョーカーの行いには共感は絶対!出来ない!
・・夢や希望、未来ある子供達には目隠しすべき・・R15は正しき選択でしょう・・
ホアキンさん、既に
体型が安定されていて安心しました🍀
怪物・バケモノであるジョーカーを観たかった。
鑑賞後、一番に感じたものは違和感。
俗っぽく言えば『コレじゃない感』
いちばん観たくて期待したのは、常人であるにもかかわらず怪物・怪人・バケモノとして恐怖されるジョーカーの話だった。
しかし映画としては大変に見応えがあり面白い。
気弱で社会的弱者の男(アーサー)が、妄想と自己愛で吹っ切れてしまうまでを描いた映画。
しかしそれだけでなく、アーサーという人物を”わかりやすい不遇の男として描いていない”ところも魅力だった。
アーサーは突然笑ってしまうという病気のため、人々に誤解されないよう『僕は病気のため突然笑ってしまう。許して。』というカードを持ち歩いている。
しかしそんな事情を知らない人々は突然笑いだす彼を奇異な目で見るのだが、このカードを見せられることで自分自身を後悔することになる。
しかし、アーサーは本当に発作的に笑っているのだろうか?
劇中でアーサーの仕事仲間が、彼の同僚を笑いものにするシーンがある。アーサーもいつもの発作のような笑い方で一緒に笑うのだが、その場を離れるとピタッと笑いを止めてしまう。
アーサーの近くで酔っ払いが女性に絡み、彼等が無視されると同時に笑いだしたりもする。
ショーパブでコメディアンのショーを観ながら、観客が笑った後でタイミングをズラして笑ったりもする。
このようにアーサーはまるで意図的に笑い、周囲の人間たちを馬鹿にしているような描写もされている。
クリストファー・ノーランのダークナイトでも描かれているように、ジョーカーは『人間の心の奥底は醜い』ということを証明したがっている。
アーサーの笑いも、実はここに起因しているのではないか。そういろいろとアーサーという人間について考えを巡らせてしまう。
そういった、どこまでも掴みどころのないジョーカーというキャラクターを描いた良作である。2回3回と観るたびに感じ方が変わるかもしれない。
ラスト、病院のシーンも、まるで私たち観客がジョーカーのジョークに付き合わされ、掌の上で転がされているような演出も面白かった。
良くできた大作サイコホラー
キャラクターの予備知識なく、なんかアメコミのヴィランの人でしょ?位の軽いノリで見に行ったら、思いの外しんどめのヤツだった…。
バットマン知らん勢から見ても、充分良くできたサイコホラー作品として楽しめた。というか全然楽しくはなかったが。
雨、高層ビル、貧困街。暗さと汚さと虚飾の入り交じる世界観も見事に表現され、光と影に彩られる映像、アングルも一つ一つ哀しく美しい。
何処までが現実、何処までが妄想なのか。進むにつれて曖昧に、朦朧と脳内に閉じ込められていくような感覚もいい。
私は本当に役者を判別せず、観賞後にサイトを見て漸く、「え、アーサー役ホアキン・フェニックスか!?てかあれロバート・デ・ニーロだったんか…」てな体たらくで大層申し訳ないが、ホアキンの鬼気迫る演技は、ネームバリュー関係なく文句なしで素晴らしかった。
嘲笑、悪意の蔓延る現実、格差社会、政治やマスコミの嘘など、現代にも重なる閉塞感と鬱屈が、妙にリアルに神経を逆撫でしてくるのが怖い。
ラスト、司会者との問答は、そのまま犯罪者側の主張と社会的な倫理との対峙として描かれていると思うが、ジョーカーの台詞通り、「善悪なんて自分で決めればいい」と、彼は社会や他人に沿おうとする事を止め、自分の決めた善悪のみで生きる道に踏み出す。
それは狂気というよりは、ただの価値観の転換に過ぎないようにも思えて、薄ら寒くなる。
他者に受け入れられず、排他される立場で望んだのは、【フツウと違う自分でも愛し、受け入れてくれる世界】だったろうに。結局、許容できないものを悪意と暴力で取り除く、彼が憎んだ人達と何ら変わらない価値観に堕ちちゃったね。
視点をほぼアーサーに絞って、真実と虚構を曖昧にするのも、共感し易い背景状況や心情の描写も、徹底的に追い詰めた先の爆発も、観客を引き込む為の仕掛けのひとつ。製作側の描きたいのは、政治批判でも、思いやりの大切さでも、暴力の肯定でもないという印象を受けた。
だからだろうか。余り重いメッセージ性は感じていない。とても良くできたホラー大作だなぁというのが、私の感想。
OPタイトルやエンドロールが、古きよきコメディ映画を彷彿とさせるスタイルなのも、盛大に皮肉が効いている。
ほうら、俺の人生、最高の喜劇だろう?と、ジョーカーの笑う声がする。ちっとも笑えない、と、八の字眉毛とヘの字口でスクリーンを睨む私がいる。
アーサーを応援してる人はどうかしてる。
全体的にタクシードライバーのオマージュ&パロディが散りばめられている。
タクシードライバーの主人公のトラヴィスのカッコいいシーンをアーサーが演じることで滑稽に表現。
ゴッサムシティが荒れているのはわかるが
アーサーは病気。
自分がうまくいかないのを
病気と社会のせいにして、勝手に暴走してるだけ。
不器用なピエロ。
アーサーを応援してる人がいるが本当に映画を観たのか?
ラストもある意味ハッピーエンド。
映画館を出るとき落ち込むことはない。
アーサーは希望に満ちている。
とてもイイ映画。
40年前に同じ映画が上映されてても
高く評価されていただろう。
自分の中にもあるかもしれない狂気
ジョーカーが如何にしてできたか。という観点よりも時代背景は違いますが現代社会の抱える負の部分、人間の持つ闇の部分等々、非常に考えさせられる映画でした。許されることではないはずなのに、何故か彼に共感してしまっている自分自身に恐ろしさを感じます。多くの人が同じような感想を抱いているのではないでしょうか。アメリカではこの映画が社会に与える影響を強く懸念して色々な報道がされていると聞きます。観方は人それぞれでしょうが確かにこの映画を観た多くの人々の胸に残る(刺さる?)ナイフのような、鈍器のような印象は最近の映画では感じなかったものではないかと。DCファンの期待するジョーカーではないのかもしれませんが誰もが持っている(かもしれない)漆黒の感情を見事に表現した作品だと思います。それにしてもホアキン・フェニックスの大笑いしながらも哀しみに満ち満ちた表情、役作りとはいえげっそりとした体型、どれをとっても秀逸でした。後味はよくありませんが色々な年代、立場の方々に観てここにレビューしてほしい映画です。
※誰かも書かれていましたがこのジョーカーがバットマンと相対するには年齢的にギャップがありすぎかも?ジョーカー続編で本当のジョーカーにどのようにして引き継がれるかがあるかもしれないと感じてしまいました。
悲しみと怒りが
人を狂気に誘うまでを描いた作品。jokerがダークナイトの冷酷で頭脳明晰な悪役という感じがなく、ただ生い立ちや生活環境のせいでダークサイドに陥ってしまった可哀想な人ように描かれていたのが少し期待外れだったかな。
発火点
ジャック・ニコルソンやヒース・レジャーなどのジョーカーが既にあるので、"ジョーカー"としては物足りなさもあるかな。別物として観れば、充分おもしろい。劇中やエンディングにくる音楽も含め、好き。マーティン・スコセッシには、そうとう影響受けてるんでしょうね。
シームレスに繋がる妄想と現実
例えばアーサーと自分、人の感情はシームレスに現実と妄想の間で共振しており、アーサーに憐憫の情を抱きながら、どこかでゴッサムシティと現実のシティに違いなどあるのかと思えてくる。アーサーに抱いたその情とは自己憐憫と言えるものかもしれない。ジョーカーの狂気(狂喜)のダンス、切なく、儚く、そして美しい。
ダークナイトと比べると
見劣りする感じがありました。ホアキンさんの演技については最高だと思いますが、ジョーカーとしての映画としてはちょっとと。カリスマ性があまり感じられないジョーカーでした。バードマンのリメイク版みたいな印象をうけました。
ウェインのオヤジが彼の狂気に火をつけた
ONE OF JOKER STORIES
本作は、「ダークナイト」のヒースが演じたジョーカーとは別物だと私も感じた。トーマス・ウェインの性格等も異なるように。両者の間には観客が自己投影できる/ できない の深い溝があるかもしれない。
しかしなぜ敢えて今トッドとホアキンがバットマンの悪役ジョーカーの誕生秘話をやりたかったのか?
ホアキンは、自分に絡んできたり騙したり落とし入れた人間を容赦なく殺す男を悲壮感をもって演じた。そして映画のラストでは、英雄として祭り上げられる。しかしピエロのメイクは人相を特定できず、あくまで大衆の代表として。
ゴミは回収され、適切に処理しなければ街は病原菌やネズミやゴキブリでいっぱいになってしまう。定期的にカウンセリングを受けなくてはならない精神病患者を野放しにすればいつか重大犯罪を起こすかもしれない。犯罪者たちも適切に隔離するか処罰しなければ社会の公正さは失われる。誰かがやらなければならない仕事はたくさんある。
実の母親と思って暮らしていた人は実の母でなく、誰が父かもわからない。貧乏ゆえに痩せていて、なにかあるとつい奇声を上げて笑ってしまうという病気がある。子供は好きだが、自分の子供はなく他人のこどもをあやすことはできない。そのくせ、他者への興味はまだ十分にある。悲しすぎるアーサー。
母親が入院してからの見舞いのシーンなど、「ダークナイト」のジョーカーが病院を襲うシーンの伏線になっているのかもしれないと思う。
ヒースが演じたジョーカーは、とんでもなく狂っている男だった。いや、火薬と爆薬とガソリン及びタイマーやリモートの発火装置を巧みに扱う彼は、知的かつ冷静でなおかつ銃と人間の扱いにも長けた冷酷な殺人鬼だ。化物か悪魔のように人の心さえ自分の思うままに操る。
ダークナイトシリーズを経てからの観客には、まだ本気で狂っていない本作のJOKERは受け入れ難い気もするのもわかるし、私の違和感もそこにある。あらためてヒース・レジャーのジョーカーが、見た目、喋り方、撃ち方など狂気のピエロの悪役っぷりが、段違いにすごすぎる。本作のホアキン・ジョーカーでは、白昼の銀行強盗は成功せず、ゴッサムのギャングどもとも互角に渡り合えないのでは?
でもブルースもまだ少年だから、時間はまだある。バットマンはいない。テレビでこのホアキン・ジョーカーを見た少年がジョーカー二代目になればいいのだ。
ところで、「ダークナイト」での正体不明の殺人鬼という設定だが、十数年前に逮捕された警察の記録があってもゴッサムシティにおける自分の犯罪記録を抹消するくらい警察内部に精通しているヒース・ジョーカーには、真の正体を隠すことなどなんてことないのだ。
骨ばった背中とダンス 加筆
やっと2回目鑑賞(11/29)。チェロ演奏と全体の構成の素晴らしさに気づくことができた。どれがアーサーの妄想でどれが現実か、遅ればせながら分かった。でも分からないのもある(観客に任せられている?)。または全部が妄想?
ホアキンのかっこよさ、アーサーの孤独、両方にやられた。
…………………
ガリガリの背中と、なめらかなのか、ぎこちないのかわからないダンスと、走る姿と古き良き時代の音楽が頭から離れない。階段、鏡、化粧しながらの涙、倒れて左胸の薔薇から吹き出た水も強烈で忘れられない。
豊かと貧困、拍手と怒号、「普通」と「普通」でない、嘘と本当、虐めと優しさ、笑いと怖い、話してるのに聞いてくれない、全部が隣り合わせのこの町は虚を超えた現実の私達の町。余韻が大きすぎて頭がまだ混乱状態。この映画がきっかけで暴動が起きるのではとアメリカで懸念されてる。そういう世界にした言い出しっぺは誰?
頭、混乱してるけどこの映画好きだ。
何かを語りたくなる
バットマンのスピンオフだと思わないほうが良いと思います。普通のアメコミ映画とは、まるっきりの別物です。
映画館で見終わったあと、近くの席の人が、
「内容が薄い。何も無かった。アメリカの狂人が犯罪者になっただけ」
と怒った調子で言っていました。たぶん、彼はバットマン映画のファンだったのでしょう。アメコミの映画という評価基準なら、本作は駄作です。他のDC映画やマーベル映画を大好きな人は、まったく違うもののつもりで見てください。そうでないと楽しめません。
で、アメコミ要素もそれ以外も、ひっくるめて評価して☆4.5です。
見終わって、いろんなことを語りたくなって、酒を飲みながらSNSで夜更かししました。上にも書いたこととか、フェニックス(ジョーカー役)の演技とか、笑顔が悲しいとか、笑顔が怖いとか、笑わないデ・ニーロとか、社会の歪みがどうこうとか、リアルすぎてせつないとか、悪役への感情移入とか、子供ブルースかわいいとか、ゴッサムシティは修羅の国とか、いろいろ。
あまりに多すぎるので、ここで繰り返すことはしません。この映画をご覧になれば、似たような気分を共有していただけると思います。
今年NO.1映画
なんとなくまたジョーカーの映画やるんだ。
ダークナイトあるからもういいよと思わずに観に行って欲しいです。ホアキン・フェニックス才能の塊です。えぐられます。過去10年で一番衝撃を受けた作品の一つ。間違いなく映画史に名作として名を刻むだろうね。
彼はずっと泣いていた。
笑ってる?
いや、あれはずっと泣いている。
悶え苦しむ気持ちが、笑い声から伝わってきた。
主人公は、人を笑顔にしたい、と楽しく生きようと努力するが、彼の身の回りに起こる出来事は反対のことばかり。よかれと思ってやったことが、裏目に出る。周りの人から気味悪がられ、嫌がらせされたり、暴力を振るわれる。
いつか誰かが、自分の声を聞いてくれる。
いつか誰か、自分のことに気づいてくれる。
いつか、いつか、変わるんだ!
そう信じて、何度も、我慢して我慢して我慢して我慢して我慢するのだけど、みんな、裏切る。
みんな、自分のことしか考えていない。
カウンセラーにも、友だちにも、仲間にも、好きな人にも、自分のことを理解されることはなく、愛してくれていると信じていた母親にも裏切られ、ボロボロにされる。
ああ、自分には味方なんていない。
私は誰からも、嫌われる。
もう抗うのは、疲れた。
これが私の人生なのか、と気づいた時
ジョーカーは、生まれる。
はじめからモンスターだったわけじゃない。
人間の醜さが、彼を生んだのだと思った。
「Why so Serious?」
ダークナイトでの、ジョーカーの言葉。
あの不気味な笑いの裏に隠れていた、真実をこの映画を観て知ることが出来たように思った。
「世間のモラルなんて人間の戯言だ。
足元が脅かされるとすぐにポイ。
たちまちエゴをむき出しにする。」
ダークナイトでも殺人の全てを、ジョーカーが手を下していたわけじゃなく、人が人を裏切り、殺しは広がっていった。人など信用できない。人はすぐ裏切る。
この映画のジョーカーとダークナイトのジョーカーとは一見少し違う気もするけど、双方はちゃんと繋がっていると思うし、ジョーカーほどのモンスターが誕生した、その背景が描かれていて、私は納得した。
主人公の、役者さん。
リヴァーフェニックスの弟さん。
はじめのカウセリングのシーン。
はじめから狂気の目。
これはヤバい人とすぐわかる。
電車で3人殺してトイレで踊るシーン。
サナギから蝶になるような、
人が生まれ変わっているように見えた。
さいご、街の暴動を車から見る表情は、
美しい景色を見るような微笑みで
やっと他人から注目を浴び共感を得られ、喜びを知る。
演技が、素晴らしい。
うん、知ってた
これが、ビギニングみたいに誰の映画かわからないで見たら楽しかったのかもしれないけれども、
公式にジョーカーのお話だよと前置きある状態で見たら『うん、知ってた』ってなる
ややヤバめの人が、なんやかんやあって
結局キレちゃったお話
これを2時間強、結末わかってるのに淡々と続けるにはちょっと無理があるかも知らん
2時間かけて、ただただバットエンドに起伏もなくゆるゆると連れてかれる話
後、怪演と言われるが
ヒースの演技とう言う見本があるからそれも薄れるんだよなぁ
逆に、ヒースが居なかったら凄い評価されたんでは??
ジョーカーには程遠い
楽しみにしていたので初日に観ました。
感想からするとバットマンダークナイトで強烈なイメージのカリスマの悪役誕生秘話を期待していただけに物足りない感じがしました。途中眠たくなったし。それくらいの映画でした。
凄みがある
ダークナイトのジョーカーは純粋な悪で、人とも悪魔ともつかない存在だった。この映画では、ジョーカーがなぜ生まれたのかを描いているが、見る前は、ジョーカーのルーツを語ることで存在が矮小化してしまわないか心配だった。
結果、バットマンビギンズに繋がるところもそうでないところもあり、バットマンという作品群の中で描かれてきたジョーカーの一つの物語という感じ。
腐敗した政治と社会が生んだ浄化作用としてのバットマンとジョーカーの根っこは同じところにあり、社会に対する怒りの表と裏のように思えるが、ジョーカーのそれの方がより暗鬱としていて庶民の苦しさに寄っている。それだけに恐ろしい。
ホアキンフェニックスの演技に凄みがある。
テレビショーの司会役でデニーロが出てきて立ちあがりそうになった!パプキンじゃないか!あれは夢じゃなかったんだね。。。
狂気的だがどこか惹かれる
始まりから度肝を抜かれる作品でした。
DCを知らない人でも違和感なく楽しめ、ゴッサムの何かに惹かれ映画「バッドマン」やドラマ「ゴッサム」を見たいと思う方もいるかもしれません。
もともとDCが好きだった私は、いつもとは違う視点で「ジョーカー」という悪役ではなく「アーサー」という人間性に着目して描かれた作品だなと感じました。
観ている私達も、第三者ではなく「アーサー」の様にどれが現実でどれがフェイクか混乱し、同じくなにが正しくてなにが間違っているのか。
正義とは何か。悪とは何か。
そんなことを根本から考えさせられる作品でした。
なぜか胸が苦しくなって虚しくなり寂しさを感じる作品でもありました。
観る人によって思うことや感じることが全く違ってくると思いました。
友達と見に行ってもそのあとの感想を言い合ったりしてみたらまた違った視線で観れて面白いかもしれません。
結びつかないジョーカー像
字幕版を鑑賞。バットマンの敵役のジョーカーがどうして出来上がったのかという話らしい。ジョーカーを主人公にした映画で忘れ難いのは、何と言ってもヒース・レジャーがジョーカーを演じた 2008 年公開の「ダークナイト」であった。撮影直後に主演俳優が急死するというハプニングがあったため、伝説化されているが、本来のジョーカーの設定は、歪んだユーモアを持つサイコパスというもので、必ずしも残虐なキャラではなかったものを、「ダークナイト」で路線が暗い方に変更されたもので、本作もその路線上にある。「ダークナイト」のジョーカーが非常に頭の切れる天才肌のキャラだったのに比べると、本作の設定はただのサイコパスに過ぎず、かなり物足りない思いをさせられ、ヒース・レジャーの作り出したジョーカーには繋がっていないように感じられた。
呪わしい悪人はどうして生まれたのか、を考えるには、神々しい救世主がどうして生まれたのかをひっくり返せば良いと、この映画は言っているような気がした。ハムラビ法典以来、刑罰の基本は同害報復であり、「目には目を」というフレーズは、決して復讐を勧めているのではなく、目を潰されたら相手の目を潰す以上の報復を望んではならないという意味である。その考えで行けば、人を1人殺したら殺した者を死刑にして良いのだが、誤って真犯人でない者を処刑してしまうと、それで同害報復は済んだことになってしまい、真犯人は処刑されなくなるというのが古代法の考え方であった。
このため、罪がないのに刑死してしまったイエスによって、罪深い人間が救われるという理屈がキリスト教の根本を成している。救われる方の人数が1対1でなく、無制限なのは、イエスがただの人間でなく神の子だったからであり、従って、それを信じなければ救済されないというルールになっている訳である。
これの逆を考えてみると、例えば自分を殺した相手を呪い殺すことができた場合でも、殺して良いのは加害者1人だけであるはずなのだが、「リング」の貞子のような存在は、果てしなく人間を呪い殺し続けている訳であるから、人間ではないということになり、一般的には「悪魔」という名称で呼ばれるものとなる。本作のジョーカーもこれと同様な存在であり、まさに人としての所業を超えた残虐な振舞いは、人間としての同情なととは無縁のものである。
脚本では、次々とジョーカーの不幸な生い立ちが明かされ、これでもかという不幸の連打を見せられるのだが、如何に自分の出生や生立ちに呪わしい過去があったとしても、そのせいで他人を殺して良いなどということには絶対にならない。しかも、この映画の中でジョーカーが手を下しているのは、過去は別にしても、いずれも彼に対して憐みや救済を申し出ている者たちばかりである。自分の不遇を外部のせいにして暴力的な手段を厭わずに実行してしまうのは、銃乱射事件などで目にする犯人どもの思い上がりであり、アメリカ的価値観の典型である。ビン・ラディンが行った 9.11 のテロも、発想は似たようなところから出て来ているのに他ならない。率直に言って、この主人公に同情できる人は、これくらい不幸な人間は他人を殺しても仕方がないと考えるのであろうか?私は全く同感できない。最初の看板の事件はダミーを使っていれば防げた話だし、銃はすぐに返しておけば何も起きなかった。全ては本人の杜撰さから起こっているのであって、他人のせいにするのは大間違いである。
主演のホアキン・フェニックスは素晴らしい役作りをしており、若い頃のロバート・デ・ニーロを思わせるほどの怪演であったと思う。奇しくもデ・ニーロ本人との共演となった本作は、彼の代表作となるには違いない。音楽の素晴らしさは特筆もので、緊張感を激増させていたと思う。演出は、R15+(15 歳未満は親同伴でも鑑賞不可)の容赦ない流血表現がリアリティを感じさせていて好ましかったが、母親との関係はイエスとマリアの関係を逆にしたものより更におぞましく、復活を思わせるかのような描写も不愉快で、聖書をひっくり返すのが邪悪の根本だと言いたげな手法には、やや物足りないものを感じた。
(映像5+脚本1+役者5+音楽4+演出3)×4= 72 点。
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