ジョーカーのレビュー・感想・評価
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悲愴感
アーサーの生い立ち、環境から来る悲愴感は凄まじかった。
なるべくしてなった哀しい犯罪者。
昔、心理学者の河合隼雄先生が講演で
西欧人は何となく人と繋がるという事は無いから、
神との繋がりが無くなったら凶悪犯罪者になるしかない、と仰っていましたが、
孤独と希望を失う閉塞感がいかに無関心な周囲に憎悪を生むか体現していた。
日本でも孤独や絶望からくる無差別殺人は起こるけれど、あの人達もそうだったのだろう。
だけど狂気はヒースレジャーの方が凄かった。
ホアキンフェニックスのジョーカーは同情や共感できるので、サイコパス的な底無し狂気は感じなかったなあ。
だけど今のアメリカの突き進む姿に警鐘を打ち鳴らす意味で秀逸でした。
悪のカリスマ誕生
生まれてからずっと辛い目にあってきた中年男性。追い打ちをかけて不運が重なり、ついに悪へと目覚めるというようなストーリー。
まぁ2時間暗いです。
唯一良かったと思われた事も、実は妄想だったとか…
もう救いようがない。
こんな映画は観たくないが、この後どんな展開が待っているのかは気になる。
ってゆーか、今回怪演したホアキン・フェニックスが再びジョーカーを演じるかも気になるな…
もう、やらなそうだけど…
こういうのをピカレスクといいのか?
凄い作品という、一言。久しぶりにパンフレットを購入した。
悪漢映画をピカレスクと言うんだろと思うが、この映画はピカレスク作品だろう。ウェイン一家との関わり合いも出てくるが、私の見ていた昔のバットマン作品の内容とは違うようだ。昔のバットマンとは別の作品と思った方が良い。
物語の彼の絶望に、共感する部分があり、作品後半の暴動を納得してしまう人も多いだろう。
ただ最後のシーンを見ると、ここまで描いていた物語は何だったのか、と思ってしまった。どう捉えれば良いのだろう。
バットマンの宿敵の哀しき誕生譚
試写会のTwitterなどでの事前評価が高かったので、かなりの期待をして、滋賀県草津市のイオンシネマ草津に公開初日に鑑賞に出向きましたが、その予想をも遙かに超えた凄い作品でした。
アメコミヒーロー・バットマンの宿敵として有名なジョーカーの誕生譚として、一体どの様に生まれたのかを、原作コミックにはない独自の視点と解釈で描いた作品ですが、一切のエンタメ的な虚飾を排除した容赦ない描写で綴っていました。
これまでアメコミの悪役(ヴィラン)の誕生秘話を描いた作品も多くありますが、そういった作品とは全く異質な衝撃作と言って良いでしょうし、今年、いや2010年代を代表する映画のひとつと言って過言ではない傑作でした。
バットマンの単なるスピンオフ映画を超えた独立した作品としても、結実していました。
映画は大道芸人のアーサー(ホアキン・フェニックス)の辛い日々を積み重ねていきます。
アーサーは、バットマンの舞台でお馴染みのゴッサム・シティで年老いた母親と暮らす、孤独で心優しい青年でした。彼は「笑顔で他人を和ませなさい」という母の言葉に従って、ピエロとして生計を支え、コメディアンを目指して必死に生きてきた。
しかし、街では少年達にからかわれ暴行を受け、職場では上司にさげすまされ、帰宅すると精神を病んだ母親が待っている。同じアパートの住人の女性とのささやかな交流はあるものの、アーサーの心は社会から孤立し、次第に悪に染まっていくのでした。
時代は1981年に舞台設定されてはいますが、そこで社会問題になっている格差社会による貧富の差は、むしろ現代社会を色濃く反映しているようでもありました。
アーサーは、のちにバットマンとなるブルース・ウェイン少年の父トーマス・ウェインが経営する大企業のエリート証券マン達を思わず射殺してしまうのですが、そんなアーサーを、社会に不満を持つ分子達がピエロ姿の男を勝手にヒーローとして祭り上げるのでした。
反体制・暴力的な作風が、60~70年代のアメリカン・ニューシネマっぽい作品を彷彿させる中、その象徴的な作品のひとつ『タクシードライバー』(1976年)で狂気の主人公トラヴィス役を演じた、ロバート・デ・ニーロも本作品に重要な役どころで出演しており、心の病に罹っているところなど、ところどころにアーサーが『タクシードライバー』の主人公トラヴィスとも重なって映っていました。
次第にどこからがアーサーの妄想なのか分からなくなる脚本も心憎く、映像も、劇伴もクリームやフランク・シナトラの楽曲を使用するなど気の利いた作りとなっていて、とても素晴らしかったです。
しかしながら、この作品の最大の見どころは、ホアキン・フェニックスの怪演の一語に尽きますね。
かなりの減量をしたであろう肉体改造にも驚かされましたが、怒りと悲しみが同居した、泣きながら笑っているような病的な表情、笑い声に心が奪われてしまいました。
アーサーが解き放たれた後の、大階段を下る恍惚のダンスシーンが忘れ難いですね。
『ダークナイト』(2008年)と、故ヒース・レジャーが、史上最高のバットマン映画とジョーカーだという人も多いとは思いますが、私にとっても、故ヒース・レジャーのジョーカーは永遠の存在ですが、本作品のホアキン・フェニックスはその彼とはまた違ったジョーカー像を呈示してくれて、その怪演ぶりは余裕で肩を並べられるほどだと実感しました。
殺人犯アーサーへの同情心や共感をいざない、凶悪なジョーカーになるのも無理は無いと思わせる点で、その悪影響を懸念し危惧する声もあるそうですが、この映画がこの時代に作られたその意味でしょうね。
心優しき道化師を悪の化身にしたものは何なのか?
今のこの世も、誰もがジョーカーになり得るのである。
特に、心の病に罹った事のある私のような者や、格差社会における貧富の差に苦しんでいる者から観れば、かなり本作『ジョーカー』の主人公アーサーに同情的になってしまう部分も大きいとも感じられました。
かといって、主人公アーサーがジョーカーへと変貌を遂げる事を肯定は出来ないですが、否定することも出来ないでしょう。主人公は、自ら悪の道を選んだわけではない。
悪にしか生きる選択肢がなかったのである。生きるために悪に辿り着いただけであり、それ程に、主人公アーサーの受難は、壮絶であって救いがないものであるのでした。
この様なアメコミ映画のリアル路線は、今に始まった訳ではないですが、ここまで社会系の人間ドラマ仕立てのシリアスなドラマになると、エンタメ路線を期待する原作コミックファンの心境はいかほどでしょうね(苦笑)。
実際に、アメコミファンの中には酷評している映画評も一部で散見はしているようですが、概ね、ホアキン・フェニックスのジョーカーの怪演を絶賛する映画評が多く、先頃に開催されたベネチア国際映画祭の最高賞の金獅子賞を受賞したのも頷ける快作。
ホアキン・フェニックスのジョーカーは、来年のアカデミー賞の主演男優賞にも当然ノミネートされ、受賞を本命視されることでしょうね。
『ハングオーバー』3部作シリーズなどのコメディを撮ってきたトッド・フィリップスだけに喜劇のもつもうひとつのシリアスな哀しい顔も熟知しているのでしょうね。
香港当局が香港での市民の暴動を鎮圧させるべく「マスク禁止令」を発令し、その禁止令に反対する反体制派の市民が、この『ジョーカー』を真似てピエロのマスクを被っているらしく、まさしく映画を先取りしているのか、それとも時代を先取りしているのか、実に面白い。
また、ハリウッドでは、『タクシードライバー』などを撮った巨匠のマーティン・スコセッシ監督が「(MCUなどの)アメコミ映画は映画ではない。」と発言し波紋を呼んでいるみたいですが、そんなアメコミが原点の映画でも、こんなにも凄い演技力で魅了する映画があるのかと、私は驚愕した次第です。
私的な評価としましては、
今年、いや2010年代を代表する映画のひとつと言っても過言ではない傑作と思いましたので、五つ星評価的にも、★が足りないくらいに文句なしの★★★★★の満点評価の作品だと思いました。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』と本作品では、方向性は180度違いますが、両作品が今年の双璧をなす作品だと思いました次第です。
この両作品に、更に、『スター・ウォーズ:エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』が面白い出来映えで、食い込んで来てくれたら今年はもう御の字です。
完成度の高い映画だが…
音響、映像、シナリオ、演出、役者…どこをとっても非常に完成度が高い映画であり、公式が言うように「アカデミー賞間違いなし」なメッセージの強い怪作であることには間違いない…
ドルビーシネマズで観たのだが、特に音響の出来があまりにも高く感心した。
しかし一方これがバッドマンシリーズのスーパーヴィランであるジョーカー誕生の物語かと言うと少し疑問がある。たしかに本作はゴッサムシティの社会的弱者にとってのアイコンとしてのジョーカーの誕生の物語であることには間違いないのだが、彼が頭のキレる「カリスマ」としてのあのジョーカーになるとは到底思えないというのが正直な感想。
この物語をジョーカーを素材にしてやる意味があるのか?という思いもある一方、ジョーカーを素材にしなかったらこの物語はこれほどにも世界中に響く映画とはならなかっただろうなとも思い、タイトルにある通り「完成度の高い映画なんだけど…」となんとも言えない気持ちで映画館を後にした。
業の深さ
まずホアキン・フェニックスの人間的な奥行きに驚かされます、演技から垣間見れる業の深さとでもいいましょうか。何故なら、貧困や狂気を実際に生きた経験がないと醸し出せない演技をするからです。
物語はというと、世の下位層の不満を代弁したかのようです。そういうと大袈裟かもしれませんが、少なくとも富裕層は冷や汗を掻くことになるでしょう。まるで恵まれない人間への鎮魂歌の様でもあります。
日本には天は人の上に人を作らずという言葉があります。しかし、それは、まやかしで実際には人の上に人はいます。それどころか弱者であるほど搾取され、あらゆる悪条件を飲まされ選択の余地を奪われてしまいます。
この映画の残酷なところは、何かの歯車一つでジョーカーが幸せに暮らしたり、夢を叶えたりするもう一つの現実が見え隠れするところです。その幸せな世界からは、ことごとく分断され、梯子は外され足枷を外すことができません。それでも人生を喜劇と捉える主人公が痛々しくてなりません。
その様子に私達は、心を締め付けられることになります。
点数を付けるのも野暮ですが、本作に92点を付けたい。ビューティフル・デイは78点くらい。
純心
痩せこけた背中。ホアキンフェニックスの圧倒的な演技がストーリーを引っ張っていく。ひとつひとつ安全装置を解除されていくようなスリルあるシナリオ。剥ぎ取られ、ジョーカーへと変貌する。
しかし、ジョーカーの行動原理を理解するには至らなかったというのが率直な感想。心象に寄り添うような描写であるが、客観的に見てしまう。微細な仕草や発言に傷つくのではなく、明らかに虐げられる。こちらが共感するには、事象が振りきれていたからかもしれない。
描き方として特徴的だったのは、アウトローが現れない点である。社会から虐げられた結果、法外の受け皿としてアウトローに保護と連帯を求めるのが定石かと思う。彼の心から芽生えた悪と、それに惹きつけられる群衆の流れは、ジョーカーの純粋さを引き立てるものであった。他方、踊らされる群衆の姿は、アウトローな連帯すら持ちえない現在社会の断絶を象徴しているように思えた。
至極丁寧なつくりに驚嘆
他の多くの話題作とは異なり、エンタテイメント性や笑える要素はほぼありません。
終始漂う空気は重く、悲しく憤りを覚える瞬間が何度も何度もあり、明らかになる真実が気持ちに更に追い討ちをかけます。
展開は暗い、はずが、物語が進むほどに流れる空気やアーサーの足取りは軽く、、当方もどんよりと重い気分から解放されていることに気付いて絶句。
様々な感情に向き合い考えざるを得ません。
映画として割り切って観ることのできない怖さがあります。
鑑賞中は決して感じさせませんが、非常に細かく丁寧に作り込まれた作品。
最後のシーンの印象深さといったら。傑作だと思います。
カタルシスもない、感動もない、ただ圧倒された
善悪は、主観でしかない。綻びや歪みが生じている社会において、この命題が正義の鎧を覆うと人間は暴走する。
そのことをホアキンの怪演に圧倒されながら思った。
あまりにも重すぎて、しばらくは見る気になれない。
どエグい悲劇を喜劇でお届け
内容最高。それは置いといて。
救いのない悲しい男の悲しい物語を喜劇仕立てに包んで「アッハッハ、どうぞ笑って晴れやかな気持ちで帰ってください」みたいにした始まりと終わり方の狂気。
バットマンと対峙してる頃のジョーカーが嫌味と悪趣味で作ったかのような不気味な演出が最高だった。
ジョーカーが生まれた夜にバットマンも…というサーガ的なつながりはさすがアメコミ映画。期待を上回った部分。
口を裂くのは別の話なんだっけ?
存在感を焼き付ける
なんと言っても、主演のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしく、怒り哀しみ悲劇喜劇を体現するような、異様な存在感を大いに放っています。
その演技、キャラクターを魅せる為、存在感を焼き付ける為の、カットや演出も効果的で良かったと思います。
また、貧困層と富裕層、福祉切り捨て、銃社会など、理不尽な現実を反映したリアルな世界描写も印象的で、暴力描写もリアルでかなり痛々しいです。
理不尽な待遇から犯罪者へと変貌する様は、やるせないとも感じます。
ラストの収容所での面談では、最初の福祉局との面談場面にリンクしているような、この物語自体がそこからの回想?妄想?作り話のジョーク?、とも思わされましたが。
やるせないと共感してたら一杯食わされたかのような、これがジョーカーか…と。
とは言え、暴力は肯定出来ませんが、やはり弱者を無視する理不尽な社会に対する怒りには共感してしまいます。
退屈
もっと迫力ある面白い映画だとよかったんだけど。暗くて退屈。
途中眠くなりましたが勿体ないので我慢したけど!
まず、ピエロで看板奪われるシーンからすでに、どうしてそこまで追いかける~!から始まって、なんで銃を・・とか、説明ないし、次から次へと病んでいくところが共感できないからまったく面白くない!病んでるだけで狂ってない!妄想と現実が分かり難い!どこまで現実なの?彼女のことも、せっかくいいと思ったのに~!最後もあっさりで。バットマンのジョーカーと思えないほど魅力ない。この映画が絶賛されることが私には理解できなくて、予告に惑わされた感ありあり。ジョーカーになることは初めから分かっているのだからもっと最後はインパクトが欲しい。悪くはないけど普通の映画と思う。ブルースと会うシーンと、あともう1シーンだけジョーカーのいい面が見れてよかった。
ジョーカーって残酷
映画評論家の町山さんによれば、主役のフォアキンは、かなりの異端、変人だそうだ。変人も言うより精神的に壊れてる⁈かも。
本当かどうかわからないが、精神的に壊れてるいるひとが、精神疾患のある役。ふーむ、なんだかなぁ。
彼は、部屋にいる時は大抵裸で、奇妙な骨格、左肩甲骨が変で、肋骨が異様に出ている。減量したんだろうが、骨格がホントに奇妙なのが気になった。
主人公が、悪ガキらにいたぶられる場面は容赦なくて、倒れた人間を蹴り尽くすシーンはとても残忍。そういう暴力的で人でなし場面が多いので、いたたまれなくなる。
彼の頭の中出来事なのか?と好意的に見てたが、どうも違うらしい。
悪のカリスマって、こんな風に人をおとしめて行くのか・・・この手の怖さの映画はちょっと苦手なので、私にとってはイマイチ。
もっとドロドロはダメなのかな、、、
うーん、正直期待しすぎて少し肩透かしを食らった感はある。グラディエーターの時からホアキンはイヤらしい演技に定評があったけど、今回はもっとぶっ壊れを演じて欲しかったかな。その点、やっぱヒースのジョーカーはカリスマ性が凄かった。題材と役者はいいけどそれを活かしきれてない気がして残念だった。
もっとヒューマンな作品だと思ったのに期待外れ。
カメレオン俳優ホアキン・フェニックの役作りが凄まじいが… だだそれだけ。
基本「バットマン」なので展開が見えてしまい、映画としてのストーリー展開の面白さがありません。
元がコミックなだけに、リアルにすればするほど矛盾が出て来てしまい、この場合精神障害がある人は、ああなるしかないの?と真のヒューマン作品に置き換えるのにはかなりの無理がある、そんな後味の悪さ。
今やコミック系の作品があたり前になったハリウッド、この手の作品を映画作品としてワンランク上げたい映画会社の思惑に往生際の悪さを感じました。
これなら、ちゃんとバットマンシリーズの「ダーク・ナイト」のヒース・レジャーのジョーカーの方が良かったし、ホアキンもいっちゃってる系の作品なら断然「ザ・マスター」の方が狂気に満ちていて心が震えた。
魅力ないジョーカー
ホアキンフェニックスは流石の存在感
マスターやビューティフルデイ、ゴールデンリバーなど近年の作品でのホアキンは好きだし
この作品のホアキンも好きだ
だけどこのジョーカーに魅力は感じなかった
こういうジョーカーもどう?
と言われてもこれだとジョーカーの犯罪に
肯定感を生んでしまい、
行動に同情をしてしまう余地があり、
ジョーカーが普通の悪党になってしまう
無軌道に見えながら人間の善意悪意を
試すようなジョーカーは
素性がわからない方が魅力がある
ビューティフルデイのホアキンの方が個人的には好きだ
ホアキンを見るならビューティフルデイをオススメします
盗人にも三分の理
家族に高笑いをしたり叫んだりする障害者がいる。
虐待でそうなったわけではないのはこの映画とは違うが。
血を分けた家族といえどもその異常性に嫌悪感を覚えないわけではない。いくら病気のせいだとわかっていても。増してそのような近親者がいない人々に「やさしくして」と言っても期待はできないだろう。
主人公が憤りを膨らませる描写は特筆すべきところである。だが、そこから殺人に罪悪ではなく高揚を感じたというのは短絡的すぎる。やはりアーレントが述べたように「根源的な悪」とは存在しないのだろうか。とくにフィクションでもあるし。好まれない性質を生まれ持った者が笑いとともに押しつぶしている涙がどんなものか、それを知るには家族といるほうがいいようだ。
悪くもないが、オスカー云々と騒ぐほどアカデミックなできとは思えない。
サジー・ビーツが彼を慰めなかったのがよくわからなかったが、恋人になったのは妄想の中だったとパンフレットをみて知った。なるほど、うまくいきすぎだし。そのあとどうしたか、おそらく殺したシーンがあったんだろうけどカットされたか。
最後に閉鎖病棟で面接していたが、結局今までのは全部妄想だったか。まあ、どっちでも構わない内容だけれど。
格差問題だったり、あと、銃規制などの社会問題を盛り込みたかったのか、たまたまなのか。ハリウッドのお説教くさい政治メッセージは遠慮したい。オスカー狙いならなおさら。
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