ジョーカーのレビュー・感想・評価
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狂気 ✕ 妄想 + 幻想 = 現実 ?
実はず〜っと昔にBDを購入していたのに、観たつもりでいて、全く観ていなかったと云う大チョンボ(古いねw)に気付き、「ダークナイトシリーズ」を観終わった記念で、気合いを入れて鑑賞。
これから書く感想は、極めて主観的なモノなので「そんな映画じゃないよ」と思う方には、先にお詫びしておく。
さて、何らかの精神障害を抱えている人は、程度の差こそあれ、何がしかの「この感覚は、普通の人とは違うんじゃないか?」と云う、全く確証の無い《不安感》みたいなものを必ず持っている。
周り中の人が笑っていても、自分には全然笑えなく感じる事や、世間が「変わった(人の)言動」と認識している事象も、自分には《そんなに可笑しな゙事では無いよ》と思える“様な時”が、しばしば想起されるからだ。
そうすると「自分は社会一般から“逸脱して”生きているのではないか?」と云う〈不安〉に直結してしまい、周囲の誰から「そんな事ないよ、別に普通だよ」と言われても、疑心暗鬼に陥ってしまう時が少なからず有る。
この作品は、そうした精神障害の極め付けみたいな主人公が、貧富の差や治安の悪い都市とタイミング悪く絡みついてしまうと、《こんなに恐ろしい怪物が、世の中に生まれるかもしれない》と云う、想像可能な作品に成っている。
又この作品には、単なる狂気だけではなく『強い妄想』も多く含まれている。例えば同じ階の若いシングルマザーとの《淡いロマンス》や、ピエロ仲間が押し付けた拳銃の《銃弾の残弾数》、突如爆笑すると云う気味の悪い発作の《出現するタイミング》等々、物語と合致しない点(≠現実)が散見される。
そして、制作陣が語っていた本作品の舞台背景にした、1981年頃の最悪の治安状況だった頃のニューヨークは、時にリアル、時に幻想的且つ殺伐とした雰囲気を良く作り出し、それら全てを上手に絡めたことによって、この物語を『何処から何処までがリアルで、何処から何処までがウソなのか分からない』、得体の知れない『異様な現実感』を強く放つ物語として創出した。
貧困により薬を止められる恐怖、その発作が故に起こしてしまった悲しい事件、元々の精神疾患を端に発した最悪の人生を歩んだ母親、その母にネグレクトされた記憶すらも思い出せない気の毒な主人公、それら全てを覆う社会不安…、これらはいつ何処の国でも「今後、未来に出現する可能性が無いとは言えない恐怖感」に、観終わった際、自分は打ちのめされるほど圧倒されてしまった。
『悲劇は喜劇にも成り、喜劇は悲劇とも成り得る』の格言通り、悲しさや恐ろしさと気の毒なタイミングでつい笑ってしまう可笑しさが綯い交ぜに成った、宣伝文句にある通りの《狂気の傑作》が、正に本作だと思う。
コレをワーナーやDCが、良く何の注文も付けずに作らせてくれたなと、アメリカ映画界の懐の深さ(?)につくづく感心したし、「ダークナイトシリーズ」ファンもよくぞ許したなと笑ってしまったw。
そして世界中の精神疾患を抱える人達が、この作品をスルー出来たことにも驚嘆の思いがした。
個人的には「内角高めのビーンボール」みたいに感じたが、皆さん強いんだねぇw。
鬱屈と傍観と爆発を巧みに表現した傑作
「あんのこと」が過る
主人公がどうなるのかは明白なため過程を堪能する作品と思うも、コスプレで起きた事件も過るためなかなかアメコミ原作のエンタメとしては処理しづらかった。
アメリカの格差、分断がシンプルに表現されているが、原作に忠実なだけかは知らない。ただ来るべき断絶と格差の時代を先読みし、人格ではなくそのアイコン、象徴として主人公を描きたかったのでは、と見る。
そんな主人公の不幸具合が波状攻撃過ぎてやはり漫画だな、とある意味ほっとするも
直接対決することになるロバートデニーロの緊張感が帳消しに。
あの一連のやり取りは良かった。
また現実と妄想の入り乱れ感が不意打ちで、まんまとハマる。
ありがちなはずも、脚本のうまさに唸らされた。
途中からどうしても「あんのこと」が浮かんで止まず。
本作が落ちるに任せるなら、あんは落ちるに逆らい続けた真逆のスジ立てで、
双方主人公はどこが違ったのだろう、と考える。
そして「あんのこと」が頭にある以上、本作の主人公には同情できなかった。
いや、ヴィラン誕生前提の物語なので、共感するもしないもないのだが。
(全編ユメ落ちではない視点で)
喜劇いや悲劇
四方八方に虐げられ生きてたアーサーはこの世に対する屈辱感と裏腹に笑いにしていた。銃を手に入れたら不快感とトラウマが引き金で人を殺すが、これは人の負の心の鏡となり多くの人はピエロの変装をして殺人を起こすことなどたくさんした。同時に彼の悲観的な芸風がブームになり初めて売れ人として認められた気になる(アパートの女性との妄想もそう)。ただ彼は自分の起こした事件が引き金で多くの人の負の心や政治運動に繋がったことも長らく実感してなかったが、負の心の象徴になったことへ怒りの感情を抱いたのだと思う。こうして人々の象徴になり、ピエロになった。大衆がしてほしいことが変わっただけで、彼が恨んだ上流社会階級や政治家、母の元カレを初めとしたお笑い芸人と裏腹に低社会階級の人々は反政府と人を取り合えず殺すことを求めていて、それが嫌だったんだと思う
余談だが作中に出てくる女性は母親以外基本肌が黒い人だが、黒人の女性なら言うことを聞いてくれると思い込んでいるのだろうか。このことも彼自身が低流階級をコンプレックスに思ってることの象徴ではないだろうか?要するに低階層の自分自身にもスティグマを内包しているから無意識的なレイシズムも持つことで、安心しているんだと思われるし、彼の人生は悲劇ばかりの喜劇だった
悪の始まりって…
選挙の後に見ると
新作を見る前に、前作を見てなかったので、映画館でやっているのを見つけて見てきました。
本人が特に何をした訳でもなく、悲惨な状況の一員となっていて、ちょっとしたミスなのに、そればかりが目立って、更に状況は悪くなっていき、それに耐えきれなくなって爆発してしまう主人公。そして、彼が起こしたことをキッカケに、耐え切れなくなっている他の人達も爆発していくという流れ。下記の通り、40年ぐらい前の設定だと思いますが、アメリカだとその頃からグローバル化が進み、主に製造業が影響を受け、ラストベルトと言われる地域が顕著になってきていた時期ですね。被害に遭った3人組は、大企業の証券マンという設定も、当時から現在に至るまでの貧富の格差を象徴している感じ。
10/27の衆議院選挙の後に、その結果を踏まえて見ると、いろいろ思うことがありますね。収入が上がらないのに、天引きされる分ばかりが増えて、手取りが減っていることを不満に思っている中、そういうことを決めている人達の中に、よく分からないお金を使えている人がいるというのが、今回の選挙で話題になっていました。この映画で起こる暴動までのことはは起きないものの、選挙という手段を使って反発した人が多いのかなと。
見たスクリーンでは、その後に新作が上映されるスケジュールでしたけど、続けて見るまでの気力は残っていませんでしたね。
私がジョーカーというキャラを最初に見たのは、今から50年以上前のテレビシリーズ。作品の時代設定は、その時々で変わるんでしょうね。アーサーの家には、ピアノの鍵盤みたいな操作ボタンのビデオデッキがありましたね。フロントローディングじゃなく、カセットはデッキの上からガチャンと入れる、40年以上前の初期型の家庭用ビデオで、30万円ぐらいはしたでしょう。生活苦の家なので、中古で買ったとしても、40年近く前の設定でしょうか。その頃にブルース・ウェインが小学校高学年ぐらいということは、、、、なんてことを考えてしまいました。私が子供の時に見たテレビシリーズでは、もうバットマンはかなりの大人でしたし、執事のアルフレッドは、おじいさんでしたけどね。子供のブルースが、庭の遊具の棒を伝って、昔の消防士のように下に降りるシーンは、バットマンの秘密基地を連想しました。
やはり傑作
2を鑑賞した上で再度鑑賞。
やはり傑作ですね。
悪のカリスマ…いや、弱者のカリスマ誕生譚としてはこれ以上のものは無いのではないでしょうか。
皆少なからず持っている鬱憤の結晶を具現化したような偶像なのでファンが付いてしまう理由もよくわかります。
右手はアーサー、左手はジョーカーというのを最近見ましたが本当にそうなっていて驚きました。
こんな仕掛けまであったんですね。
いやー、おもしろかった。
理不尽な世の中だからこそ、手を取り助け会おう!
重苦しい
ホアキン・フェニックスの背中
カラフルな喜劇?
ジョーカーを観た事がないままフォリアドゥを観て
個人的にはかなり刺さる作品だったため、
帰宅後配信にてこちらも鑑賞。
家庭内でも社会でも居場所を見出せなかったアーサーが
衝動的な出来事をきっかけに「ジョーカー」として崇められていく。
終盤、自らの血でピエロの口を描くシーンは鳥肌が立った。
ジョーカーの標的となっていった人間達は、
当然の報いと感じてしまったのは、
私の中にも狂気があるのだろうか。
決して犯罪を許す訳ではないが、
人間の奥底に誰しもあるドロドロの部分を
ジョーカーが体現してくれたことが、
日々の生活や社会の闇の部分とも重なり評価を得たと感じた。
音楽も素晴らしく、カラフルな色彩に惹き込まれる映画だった。
2を観てから観返してみて(考察入り)
映画館で観たんですが、2の違和感というかモヤモヤを晴らしたいと思い、アマプラで観返しました。
やはりこちらはシナリオ、演技、アドリブ、映像表現どれも素晴らしいです。内容は初っ端からすごく不条理でやるせないのに、観終わった後の不快感や嫌な感じはありません。たぶん、最後までアーサーが生き生きしてるからだと思います。
そして2への伏線というか、細かく引き継がれた設定もたくさんあることに気づきました。
2を観た後だと、このジョーカーがバットマンと戦えるのか?ゴッサムシティを混乱させて地獄とするのか?そこまでの力や知能や統率力ある?別人なのでは?って思いました。
この映画で、ブルース・ウェインの両親をクラウンの仮面をかぶった暴動参加者が射殺するのですが、その時の仮面野郎のセリフが、2でアーサーを刺したサイコパスのセリフと同じような気がするんですよね。同一人物なのでは?バットマンの真の敵はこいつでは?と思ってます。
虐げられた人がキレると恐い
お見事
今年10月にジョーカー フォリ・ア・ドゥが上映するにあたり再度鑑賞。
ストーリーは省きます。
ジョーカー事アーサー・フレックが見事に悪役ジョーカーに至るまでのストーリーが見事に描かれている。
ゴッサムシティと腐った世界で、病を抱えた母を支えアーサーも身体に障害を抱え急に笑う精神的な障害を持ちながらもコメディアンを目指している。
序盤は決してアーサーは社会からはみ出さず、普通に生きようと真っ当な人間に映る。
しかしながら世間は冷たくアーサーを見事にピエロから悪魔に変化して行く様子はホアキン・フェニクスが演じる事で引き込まれる。
アーサーはもうすでに壊れている存在。日記の内容やネタも自分の自虐ネタばかり考えている。
人生に疲れた笑い・諦めの笑い・狂気の笑いと私達が想像している笑いとは全く違う世界観で生きている。そうアーサーは常に笑われて生きてきている。
トーマス・ウェインも実の父親だと思っていたが母親の妄想で実は違うと。
もうアーサーの一つの希望が消え、唯一の味方であった母の存在も消えてもうアーサーには何も無くなってしまい無敵の人間になる。
終盤に唯一の味方に映る小人症の男性を助けます。決してジョーカーは無差別ではなく自分を見下した人間を殺しているダークヒーローの存在である様になってしまった。
TVショーの場面での会話では、決して彼は民衆を煽っているのではなく勝手に暴動が起きている。政治なんかには一切興味がないと。社会に対して不満に感じていた民衆が勝手にジョーカーをヒーローにし暴れているだけ。
そうジョーカーは民衆が勝手に作り上げた存在だと。
階段のシーンでのジョーカーは最高にカッコ良く完全に生まれ変わった。
見事にダークヒーローとなるジョーカーが描かれ、決して共感してはダメな作品を素晴らしいと感じさせられる作品になった。
私にはデニーロの最高の幕引き映画
右はアーサー、左はジョーカー
凄絶!悪を誘う究極のカリスマ・・・降臨!
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」を見に行くにあたってのおさらいです。
当時は、アカデミー賞を取るんじゃないかって噂になるほどのスゴい作品でした。
とにかく、見ていて圧倒されるって言うんでしょうか、見終わったあとは、ドッと疲れるようなエネルギッシュな作品です。
ホンっと面白い。特に最後が凄まじい。トリハダたっちゃいます。
昔、テレビでバットマンをみた覚えはありますが、ジョーカーは全く記憶にありません。
ジャック・ニコルソンのジョーカーが初認識です。でも、あの作品自体にあまり思い入れがないので、単なる敵役の一人でした。
衝撃だったのは、やっぱりヒース・レジャーですね。後にも先にも最高の敵役だったんじゃないでしょうか。
「スーサイド・スクワッド」のジョーカーも悪くないですが、全くの別物です。
そして、本作品のジョーカーが、さらにスゴい。上手く言い表せませんが、自分の中ではこのジョーカーが将来、ヒース・レジャーに繋がっていく線がはっきり見えた気がします。 まさにダークサイドに堕ちていく凄まじい人間ドラマでした。
DCも、この作品から、新たな展開を迎えた気がします。
マーベルみたいな連携した作品でなく、一本の単体のドラマ。それも、ヴィランが主役の重厚な人間ドラマ。いや〜、ホンっと見応え十分です。
今回もそうでしたが、何回見ても、圧倒されちゃう一本です。面白い。
ただ、ジョーカーを知らない初見の人は、どんな風に見るんだろう? 普通の人がダークサイドに堕ちていくさまだけで楽しめるんだろうか?少なくとも面白さは半減じゃないかな。
⭐︎4.5 / 5.0
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