「話の通じない人の怖さ」ハウス・ジャック・ビルト @花さんの映画レビュー(感想・評価)
話の通じない人の怖さ
この人は何を言ってるんだ?と不安になる異常者の心理が描かれている。
「人を殺してはいけない」
何故?
何故?!
本能的に同族殺しはご法度だと知っている。
ところが、今作では「死」こそ人間の枠を超えた永遠であり、肉体は「死」を味わうことで完成する。
完璧な永遠を享受する儀式のように、繰り返される殺人。
12年もの間、取りつかれたように「死」から逃れるように永遠を切り取り続けるジャック。
次第に自分の芸術性を理路整然と語り出す。
それが何とも気持ち悪い。
だって、理解しようがない。
人を殺したことがないので。
他人の死を通して、自分の生を意識できるなんて。
でも、考えてみれば映画のジャンルにホラーやスプラッターやサスペンスがあって、その中では他人の死が描かれる。
当たり前のように死を目の当たりにしている。
ただ、それらの作品を観たからと言って、死ぬのは当たり前。
誰かに殺されるのは当たり前だと自覚することはない。
今作の恐ろしいところは、当たり前に起きることを当たり前に描くところだ。
殺人と言う自分にも起こりうる恐ろしいことが他人の故意で身近に迫る恐怖。
しかも、嬉々としてやってくるのだからたまったもんじゃない。
当たり前に人は死ぬ。
誰かの、何かの要因で。
「死」に意味をもたせることも普通にしていることだ。
「死」を乗り越える、「死」を受け入れるために意味を持たせて納得する。
死ぬことは仕方のないことだと。
当たり前の観点がぐるっと歪んで解釈されるから、一見ジャックの芸術論とやらに感銘を受けそうにならないけど、物事を見る角度を歪めてしまえば価値観や倫理観は千差万別。
おかしい、気持ち悪い、怖いを共有できるけらルールが作れるのであって。
共有できるものがまるでない人間とはルール以前に仲良くできない。
観る人を選ぶ映画です。
感化されやすい人、スプラッターや残酷描写が苦手な方は感情を避けた方が良いです。