「ラストの「あの家」の形には残念ながら納得…。。。」ハウス・ジャック・ビルト maruさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストの「あの家」の形には残念ながら納得…。。。
ただただ「人間」という生き物誰しもが持ちうる残虐性を描いていた。…わけではなかった。
人を殺すことでしか生きられないシリアルキラー「ミスター洗練」ことジャック。
人を殺すのは自分のせいではなく、「芸術性」や「「ドイツ軍で処刑用弾丸不足のアイデアに敬意を表して…」と、“自分ではない別の理由”があるから人を殺す、ということにする。「自分はマトモ」いうことにして、喜怒哀楽の感情を鏡の前で練習したり、社会との接点を常に持とうとする。
男性より女性を殺すのは女性の方が「協力的だから」というが、単に抵抗にあいづらいというだけで、力が弱い女性をターゲットにしてるだけ。ジャックの幼少のシーンでは、ひよこの足を躊躇なく切る様子からも、ただの弱いものいじめに過ぎない。
「こうしたい」と思ったらその欲求を抑えられない。人によってはそれが飲酒だったりタバコだったりする中で、ジャックは「人殺し」を止められない。幾多の感情で構成される人間の心の中で「残虐性」が極端に育ってしまった「人間」という生き物、名前は、ジャック。
生まれながらかトラウマがきっかけか詳細は描かれないが、ジャックがなぜそうなっているかは「理由」はない。人間がそうなってしまうのに「理由がないこともある」とでも言いたいかのように。
ところどころ十字架が写ったりするのは、キリスト教に疑問を投げかけているのか、最後のシーンでも赤=キリストの色に包まれたジャックが地獄に落ちていくのは、皮肉っぽくも感じた。
劇中の「家」は、「人間性」を表しているのかもしれない。
最後まで家が完成しなかったのは、人間としてどう生きるかという完成形が見えてこなかったから最後まで完成しなかった。人間性を建築(構築)することができなかった。
終盤、冷凍室にある死体で家を造ったのは、『今あるジャックの材料(心、感情)で、人間性(家)を構築』した。建築家への憧れは、「つくる」ことへの構築への憧れ。「壊すこと」でしか自分を律せないジャックは、人間を壊し続けることに『自分』を見出す。
壊すことで自分を構築する矛盾から生まれた「建築家」という概念は、物語に深みを出している。ただ、最悪で胸糞悪い殺人鬼の話と描写なので、視ていて気持ちのいいものでは決してない。
ジャックのもう一つの人格「ヴァ―ジ」は、自分(ジャック自身)を客観視する役割。心にブレーキをかける存在でもない、ただ客観視するだけの存在。その風体は、疲れ切った老人のよう。これまでジャックの行為にブレーキを踏んできたがそれでも言う事を聞かず、果てには見ることしかできなくなったような、疲れ切った老人に見えた。
もしくは、シンプルに地獄への案内人。
家族を持とうとしてうまくいかず母子ともども撃ち殺したり、恋をしようとしてうまくいかず恋人を殺したり、親友だといっておきながら結局うまくいかず殺したり、関係性を建築(構築)しようとしても、家を壊すシーンのように、関係性が出来上がる前に壊す=「殺す」してしまう。
建築家になれなかった、家を建てられなかった、社会一般の人間になれなかった、人間性を構築できなかった。
ラスト、スタッフロールの音楽を明るくしたのも気味が悪い。その残虐性も徹底している。