劇場公開日 2019年6月14日

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「何を撮っても問題作となるラース・フォン・トリアー監督」ハウス・ジャック・ビルト kossyさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0何を撮っても問題作となるラース・フォン・トリアー監督

2020年6月20日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 暗闇の中でのジャックとヴァージ(ブルーノ・ガンツ)との対話と有名ピアニストの演奏シーン、デビッド・ボウイの「Fame」が5章立ての犯罪歴を包む。

 第1章での山の中で出会ったユマ・サーマンとの事件。これが衝動的な初めての殺人なのだろうけど、車がエンコしたのを助けようとしたジャックに対してあまりにもぶしつけで横柄な罵倒には腹が立つほどでした。俺だったらその場で降ろしちゃいます・・・

 それ以降は完全に快楽殺人。被害者への接触の仕方とか警官に対する言い訳だとか、頭の悪そうな無計画さをも浮き彫りにするエピソード。それが運よく天候によって証拠が消えてしまったものだから、シリアルキラーとして確立してしまった。ヴァージが彼に対して否定もせず、セラピストのように聞くだけで、潜んでいる強迫性障害や少年時代からの残虐性を見つけてしまう。

 殺人の芸術性まで論ずるようになり、自分が支配者であるかのように振る舞うジャック。ヒトラーやスターリンなどの大量虐殺をも肯定する彼は芸術や医学的価値も見出し、フルメタルジャケット弾で一度に何人殺せるかを試したくなる。そしてヴァージは一体何者なんだという展開で進む、おぞましいストーリー。

 エピローグでの地獄のシーンはジャックも探求したい最終目的だったのだろう。悪事を誰もが止められなかった者の末路。冷凍室に〇〇で作り上げた“家”と同様、狂気と堕落のカタバシスなのです。このエピローグが無ければ、単なるシリアル・キラーの恐怖を描いたものになっただろうけど、こうした悪人が世の中にいるんだと思い知らされることになる。不快感いっぱいではあるけど、芸術と“反芸術”を見事に描き切った作品だと思います。

kossy