「次も観たい」ハウス・ジャック・ビルト suiさんの映画レビュー(感想・評価)
次も観たい
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来トリアーのファンになり、鬱三部作もすべて映画館で観てきました。彼の抱えているテーマに強く興味を引かれています。そのテーマとは「女性性、またはそれへの恐怖≒憧れ」です。作品の出来映えや美しさに関わらず、このテーマによって、彼は私にとって常に最も「気になる」映画監督でした。
『アンチ・クライスト』、『メランコリア』、『ニンフォマニアック』の三作は、一般に鬱三部作と呼ばれますが、私の中では女性恐怖症三部作と呼んでいます。「女性性≒移り気・不安定さ、非論理性・情緒性、自己犠牲・献身性、依存性・共感性…etc.」といったものへの畏怖・興味と、自らの鬱症状・不安感が絡まり合ったものがこの三部作だったと思っています。
ただ作品を重ねるにつれ、女性も人間の一種であり、女性も男性も等しいこと、同じように愚かな生き物であることが表現されるようになったと感じたので、鬱三部作は観客の興味を持続させる連作としても、彼自身の治療としても、成功したのではないかと思いました。
そのような経緯を辿っての新作、『ハウス・ジャック・ビルト』。意外にも主人公は男性です。そして語られる芸術論にしても、女性への態度や強迫性障害にしても、ジャックはトリアーの代弁者であるようです。そして、彼の対話の相手であるヴァージは、トリアーの良識の代弁者なのでは、と感じました。
思うに、彼はいつも興味の対象を主人公として、物語を立てているのではないでしょうか。またそれでなくても、この映画は殆どが内省・自問自答の形でできているようです。彼の興味の対象が、自分の抱えている恐怖や、それを投影した外部的なもの(女性性)から、自身の創作態度・理想とする芸術観へと移ったのではないかと感じました。
愛のない芸術など有り得ない、とヴァージは言いますが、ジャックは芸術は計り知れないほど懐深いものだ、と言います。芸術論に関してはジャックの方が雄弁なようです。きっと彼にとって、幼い日の憧れである草刈りの光景も、写真のネガに見た「ダーク・ライト」も、同様に切実な真実であるのでしょう。
本物の建築家になりたくて、「家」が作りたくて、人間の家を作ったジャック。トリアーは本当は何を作りたいのだろうと思いました。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が、私の中では変わらずトリアーの最高傑作です。凄惨な表現はあっても、現しているのは人類愛でした。一人の人間の美しさを讃える作品でした。またそんな作品を観てみたいとも思います。
また驚いたのは、この作品が至極冷静に、明晰に作られていることです。自省とは、自分を客観視する行為です。そして客観視できなければユーモアは生まれません。この映画は全編通してユーモラスで、ダジャレばっかり(ex. robberyの容疑で逮捕しにきたRobを、robeを羽織り騙して殺す)で、ほとんどコメディのようでした。赤いバンの真四角さが、間抜けで滑稽に見えました。彼は観客を笑わせ、楽しませることができるのです。
演出や仕掛けも面白かった。セオリーに沿った丁寧な演出もあり、セオリーをぶち壊すような発想や展開もあり、全く飽きませんでした。地獄に下ってからもやりたい放題で、楽しくて仕方なかった。
音楽やアニメーションの面白さ。挿入されるイメージにコラージュ的な作用があります。ジャックがバンの前でフリップを捲っていくシーンがたまらなく好きでした。
更にマット・ディロンが素晴らしかった。彼以外にジャックを演じてほしくないと思わせるほど。ジャックの魅力の半分を彼が作っていました。
そして痛快なラスト、痛快なエンドテーマ。ジャックを地獄に落とし、ジャックに出ていけと歌う、この締め括りは彼の自嘲のようにも見えました。
こんな面白い映画が観られて良かった、彼がこんな明るく朗らかな(?)作品を撮れて良かった、と心も軽く映画館を出られました。
彼の次回作が観たい。彼にはもっと映画を撮ってほしいです。