「この映画で狩られたり傷つけられた動物はいません」ハウス・ジャック・ビルト いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
この映画で狩られたり傷つけられた動物はいません
確かにカンヌでは途中退出者が出てもおかしくないとんでもない評判通りの作品である。いわゆる“シリアルキラー”の殺しの哲学や行動を嫌と言うほどみせつけられるストーリーと、ラスト前はその連続殺人魔が辿る黒寓話という構成になっている。監督がどこまでこの筋書きをリアルに調べているのか、それともあくまでも空想の産物としてのフィクションとして作ったのか、一応wikiでは前者のようだが、多分実際にその類の犯人とは直接には話を訊いていないだろう。というのも余りにもこの主人公の主張する人生観が通常の人間とはかけ離れていて幾らそれを劇中で説明していても頭に入ってこないのである。それは通常の人間の生理として無意識にシャットダウンしていくものなのか分らないが、とにかくその余りにも自分勝手と都合の良い解釈故に、どこにも共感するものがなく、没入感とは真逆の感覚がこれほど心を支配した作品は殆ど無いほどである。今までのシリアルキラーを題材とした作品の中でも群を抜いてその映像の凄惨さ、奴きつい殺人シーンの連続は心を蝕み、抉られ続ける。自身を“ミスターソフィストケーション(洗練)”と名乗る大胆不敵さも相俟って、恐怖や憤怒を超える感情を大いに掻立てられるシーンである。そしてこの主人公の成功体験が決して綿密な計画の元というより、周りの無関心や血を洗い流してくれた豪雨といった悪運が大いに関係しているという皮肉も忘れることが出来ない。“IF”という言葉は陳腐だが、もしそのどれかでも瓦解していればこの残忍極まりない凶行が止まるのにと、主人公自体が感じてしまっているところに底の見えない闇を抱かざるを得ない。フリップ芸のような演出も不謹慎さを醸し出していて薄ら寒さ満点である。強迫観念、サイコパス、潔癖症と、この手のシリアルキラーの精神疾患をベースにはしているが、それだけでは語れない、言葉に出来ない何かを始終根底に流しているようで観続ける辛さもひとしおであり、特に母親と子供の狩りのシークエンスは、自分も途中退館しようかと強く思ったほどである。
夫に先立たれた奥さんの家に入り込む手練手管さや、冷凍庫内で氷付けにしてある子供の死骸を人形のように作り替える所業、そしてあの人間の家・・・なにもかもがクレイジーの言葉以外思い出せない。
この悪魔の所業のラストが、弾丸一発で複数人数の頭を打ち抜く実験をしようと試みる辺りでもう完全に麻痺してしまっていて、抵抗なく受容れている自分もいるのが後ろ暗い。
ラスト前の地獄への旅路はファンタジー色に急にシフトチェンジしてしまったので、幾らハイスピードカメラのスローモーション視覚効果を多用していても、余計な編集というか件なのかもしれない不必要な部分だと思う。ズルをして地上へ行ける階段へのロッククライミングに失敗して地獄に墜ちるのは、なんだか藤子不二雄Aの作品みたいなイメージで、そんな生ぬるさでは贖えない行為なのだから、もっと強烈なしっぺ返しか、又は全くカタルシスを演出しない方法が良かったのではないかと思う程、ダークすぎる悪趣味と露悪さが突き抜けたホラー作品であった。