これまで機会を逸していたが、ようやくこの作品を観ることができた。
4年をかけて100人近くにインタビューして330分の全章バージョンを制作し、さらに劇場用に170分に短くしたという。
ひたすら14人の方のインタビューを聞くのであるが、長いとは全く感じさせない驚異的なドキュメンタリーだった。
観ている自分の中で、何か熱く苦しいものが生まれて、スクリーンに食い入ってしまうのである。
もし、この映画を“文字”に起こして読んだとしても、上手く伝わらないのではないだろうか?
“証言映像のパワー”というものを、思い知らされた。
それはとりもなおさず、監督が意図した、証言者の「心の奥底に沈殿させているその“深い思い”」を引き出すことに成功したということだろう。
テーマで8章に分けており、第1章「避難」(3)、第2章「仮設住宅」(1)、第3章「悲憤」(2)、第4章「農業」(3)、第5章「学校」(1)、第6章「抵抗」(2)、第7章「喪失」(1)、最終章「故郷」(1 + 1)という構成である。
(カッコ内はインタビューの人数。)
“放射能”のことで差別・中傷されたり、先が見えずに困窮と“うつ”で苦しむ人が多いことは、もちろん知っていた。
科学的根拠のない買い手の“不安”によって、福島産品が売れないことも周知の通りである。
しかし、知らなかったことや、よく認識していなかったことも多かった。
支援金を受給していることで、嫌みを言われる人がいるとは・・・。
3.11の“追悼行事”からは、逃げ出したい人もいること。
「避難」にもいろいろあり、「自主避難」者は“勝手に逃げた”言われ、2017年には住宅支援が打ち切られたこと。「避難指示区域」の住民も、避難指示が解除されれば、「自主避難」の問題と同一化すること。
それでも、汚染されてもなお美しい福島、あるいは、汚染されたからこそ心の中でますます美しい福島について語る人がいる。
勝てないと分かっていながら、理不尽な国家意志に抗う人もいる。
「復興五輪」などと称して、オリンピック開催で、あたかも問題が終わったかのように片付けようとする政府。
それに対する憤りが、監督をして、本作品のオリンピック開催“前”の上映に向かわせたという。
「伝わるだろうかという不安に震える思いで」この作品を世に問うたと言うが、僭越ながら、自分には伝わったと信じたい。