天気の子のレビュー・感想・評価
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鑑賞記録
8月9日鑑賞。
◯テンポのいい話運び。2時間越えの作品とは思えないほど、体感時間としてはあっという間でした。思春期少年の大好きなほんのりエッチな描写も前作より増し増しで良かったです←
◯まさか三十路になってここまでどストレートの「セカイ系」にお目にかかるとは!『最終兵器彼女』とか好きだったなぁ。多分あの時代に本作を観てたら刺さり具合も違ったんだろうな。
ラスト、帆高くんが下す決断とその結果としての世界の描写は「おお…ここまでやってくれたか」と思わず感心。世界の秩序よりも、目の前のキミ。何億人の他者よりも、たった1人しかいない君。平成の世に芽吹いたセカイ系は令和でも無事に咲き続けております^_^
◯主人公たち「子ども」を取り巻く過酷な環境も、現実性の有無はさておき、今の世の中らしさを感じさせるものでした(日本における子どもの貧困の割合は先進国の中でも高い部類)。だからこそ、帆高と陽菜、凪たちが築く家族関係が尊く、「これ以上足したり引いたりしないでほしい」という気持ちにもさせられるんですよね。応援したくなる主人公たちでした。
国家レベルの公人が個人主義を堂々と口にし、行動に移すということで加速度的に狂っている世界情勢。帆高くんの決断に「なんて迷惑な…」と感じてしまったりもしたのですが、同時に、理不尽さに対して「僕は嫌だ!」と叫べることを羨ましくも思ったりもしました。そんな若さやアオさを失うことが大人になることなのかなとも思いました。
綺麗な物語にはない歪で純粋な美しさ
ふとレビューを見ると大人になった方々の低評価が目につき、子供の私も感じたことを書こうと思う。
帆高は殴られたら発砲するくらい向こう見ずな少年である。そんな穂高の物語なので天界の秘密や家出の理由なんてさして重要ではないのだ。(陽菜の首飾りや帆高や須賀の指輪など物語を理解するのヒントとなる描写はある程度あるが)説明されていない点は物語にスキを生み出し、そこに違和感を覚える人が多いようだと低評価レビューを見て感じた。
二回目の発砲は社会との後戻りのできない対決を表す決定的なポイントだったと感じた。対決とはいっても正義は社会(警察)にあるわけだが。
穂高の行動は陽菜を救うために様々な無茶をする。当然、穂高の行動は常識的な目線から見ると犯罪行為が多く、陽菜を救う以外の理由で彼の犯罪行為が正当化されなかったのは非常に良かった。帆高はあくまでも間違った行いをしている。
世の物語は大概、正しい行いは正しい結末に終わる。しかし世の中はそんなに甘くはなくどれだけ努力をしても報われないなんてことはざらにある。どちらかを選びどちらかを捨てなければならない時、世界を敵に回してでも守りたいものがあるのはシンプルながらも心揺さぶられるものがある。
そもそも世界はそれほど大切なものなのか。最後の須賀の発言にあるように、社会に起こる不合理はしょうがないで片づけられてしまう。無意識のうちに我々は誰かの悲劇をしょうがなかったこととしてスルーしてはいないだろうか。世のために犠牲になることは今の日本では当たり前の風潮であって現代の息苦しさに繋がってはいないか。
東京は物やサービスに溢れる現代の豊かさの象徴である。しかし帆高も陽菜も貧困を極め豊かさを甘受しているとは言えない。今の日本は努力をしても報われない社会に徐々になりつつあるが、それは帆高や陽菜のような若い世代のせいではない。それでも社会のために若者に犠牲を強いるのは当たり前で正しいことなのか。帆高の行動を理解できなかった人たちに問いたい。
最後に流れる「大丈夫」は間違った選択の先にある不安と、間違った選択をしてでも好きな女性を救った自信が共に存在するあのラストの場面に非常にマッチしていたし、不穏で不安定な未来を感ぜられて最高のラストだったと思う。
君の名はよりは良かったかな
新海誠監督の映画はなんだかんだ全部見てきましたが、
私とはどうしてもストーリーの価値観?が合わないみたいです。
なら見なければいいのにと思うんだけど、映像と音楽はいつも素晴らしいと思います。
今回も、ぶっちゃけ色々勿体ない作品だと思う。
設定が雑だし、君の名はを狙ってるのか名前を何度も言いながら走るシーンや、RADの音楽を流しながらセリフをなくして日常の早送り映像。
あれは監督の好みのやり方なのか、なんかあれをやられると内容が薄っぺらく思えてしまう。
そして、君の名はが売れたからなのか前作の瀧くん光葉ちゃん達を出していかにもまた君の名を見てもう一回劇場に来てね的な感じ。
ファンの人は嬉しいかもしれないけど、そんなにストーリーに関係ないなら出さなくていいと思った。
そしてなによりも気にいらないのが、ジブリ要素をパクって作品を作ってしまうところ。
過去の「星追う子ども」の時も思ったけど、ジブリネタをとにかく詰め込んでしまったような作品。
今回も、崖の上のポニョともののけ姫の呪われた腕とデイダラボッチのシーンとラピュタを混ぜたような話。
なんか本当に新海誠の考えは映画に含まれてるのかな?
絵と演出の才能はあるけどストーリーはもう少し考えながら頑張ってほしい。
何様だこの人は笑
と思った方すみません。
あまり得意な監督作品ではないけれども
これからも作品は見ていきます!
新海誠らしい作品
主人公は田舎から家出してきた少年。
そして出会う2つ年上の少女。
家出少年は慣れぬ東京で出会いを重ねながら、大人になっていきます。
そして、彼女が100%の晴れ女である、必ず晴れに出来る少女であることを知る所から、話は変わって行くのですが。
本作品で印象に残ったのは、雨の描写。
新海さんの以前の作品でもそうでしたが、雨の書き方が綺麗です。
天災が二人の仲に深く関わってくる点は、前作同様。ただ、前作と違い災害を避けるためではなく、皆のため災害を避けるのか、多くを犠牲にしても、彼女一人を選ぶかを選択することになります。
結局二人の選択の結果、東京は大変な事になるのですが。
ベストキャラはヒロイン「ひな」
主人公の上司「けいすけ」
ヒロインの弟「ナギ」
こんなとこでしょうか。
しかし、前作の登場キャラ多かったですね。
さり気なく前作ヒロインの妹の四つ葉も出ていたそうな。知らんかったです。
まあまあ良かった
新海監督であり、やっぱり映像がとても綺麗。
晴れの時の空の青さや太陽の熱、そして大雨の時の道路や傘に当たる大量の水、重く煙る街など、「天気」をとても感じられる。
帆高が東京で居場所もなく彷徨っていたことや、陽奈が学校に行かず18歳と偽ってバイトをしていたこと、警察や児童相談所の職員から逃げる3人、などの描写から「君の名は。」とはまた異なった、大人や学校などの庇護下から外された10代が社会のしがらみで生きることの難しさを感じた。
陽菜が次々と雨を晴れに変え、それでみんなが笑顔になっていくシーンがとても良かった。
こんなことを思うのはおかしいと自分でも思うが、正直、陽菜が依頼者のために次々と雨を晴れにしていくシーンが一番好きだ。
私も もちろん、朝起きて雨が降っているとちょっぴり憂鬱になる。毎朝必ずスマホで天気を確認してから着る服を決める。そんな、日常と決して切り離せない天気というものを、美しい映像によって実感させられた。
この世界よりも陽菜が大切だ、ということをはっきりと言うシーンでは、帆高のシンプルで強い意志を感じた。陽菜は帆高にそう言ってもらえて、とても嬉しかったと思う。
陽菜は望んで天気の巫女になったわけではない。そのため、この選択は責められるべきものではないだろう。ただ、この水没により死者が出ているとすれば、2人はそれを背負ってしまうのか、「元の世界に戻っただけ、思い上がるな」などの励ましを受けて、背負わずに生きて行けるのか、それは分からないが、この重みのあるラストは良いと思った。
ただ、私個人としては帆高と陽奈にイマイチ感情移入ができなかった。
2人の過去や背景については敢えて深く描いていないのだと思う。それは分かるが、私はそのせいで2人の人物像を薄く感じた。感動のシーンも客観的に観てしまい 感動できなかった。新海監督のオリジナリティはもちろんしっかりあるのだが、なんとなくどこかで見たようなシーンやヒロインの言動のせいもあるかもしれない。かなり細かいことだが、いきなり拳銃をぶっ放した相手には、まず「この人怖い、犯罪、なんで拳銃を持っているの?」などの思いが浮かぶが、「最低!気持ち悪い!」という言葉がまず最初に出てくることに少し違和感。主人公に最低!などの言葉を放つヒロインは非常に多く魅力的であるため、この言葉を使ったようにも思える。そして次の瞬間には「痛かった?」と優しくなったりと、何を考えているのか分からずどんどん感情移入ができなくなる。セリフと行動が全体的に薄い。陽菜のノースリーブパーカーはとても可愛いし見た目は好き。ストーリーは重いようで、全体的に若者に向けのライトな感じだった。
言の葉の庭では雪野先生にめっちゃ感情移入して泣いたので私が自分と重ねられなかっただけかも。
私と同い年で同じ女性の友達は号泣していたので年代や性別よりも感性の問題だと感じた。
期待しすぎてたかもしれないが、やはり映画を観て、新海監督は才能があると思った。
でも私にはあまり合わなかった。今後もこういう方向なのかな…
夏を感じる作品でした
映像、音響とても素晴らしかったです。
何度も何度も鳥肌がたちました。
自分にも風が吹き抜けるように雨に打たれるように夏の暑さを感じるような描写が本当に素敵だと思いました。
諦める大人と対象的な諦めたくない子供。
十代とは自分が思ってるよりも非現実的で行動派なんですよね……。陽菜の高校生と偽って稼ぐ姿とか穂高の島から東京に家出する姿とか。
それは自分の人生を自分で守ろうと足掻いているのかなと思います。
結局子供の力は大人の力には抗えないのかもしれないけど、ひとつの手段として抵抗しているようにもみえました。
大切なものを守るために、それだけのために考えてもがいて走る。
それって大人になると自然とできなくなるんですよね。何かと天秤にかけて理由付けして勝手に納得して諦める。それってすごく切ないですよね。
陽菜の為に走ってもがく姿はとても美しいと思いました。誰かの為に、自分が正しいと思うものを救う為にひたむきに走る少年はとても美しかった。
誰になんと言われようと関係ない。自分が正しいと思うものは全力で守る姿に心うたれました。
綺麗事なのかもしれませんけど、批判の声などもあるかもしれませんが、自分の理想を信じて作品を発信することはとても尊いものだと思います。
気になる作品派片っ端から見てるただのオタクですが、ほんと見てよかったと思います。
素敵な作品をありがとうございました。
『君の名は。』とは違う『裏・君の名は。』 「それでも世界は美しい。」「この世界で生きていく。」
万人に伝わる内容でない点は興行映画として残念ですが,酷評する人達は物事の表面しか見てないと思います。数々の社会問題の中それでも生きて行けと,未来を生きる若者達への応援歌。比喩や象徴にも気づけなければ,奥深さを理解できない映画です。子供向アニメとは言えません。
登場人物への感情移入を容易に許さず,社会の不条理や人間の愚かさも達観し世界を俯瞰で見る描き方は『もののけ姫』に似ていると感じます。俯瞰的他人目線,かつて帆高同様無茶だった年齢を超え大人になった須賀や監督の目線とも言えそうです。同時に『ほしのこえ』『雲のむこう』のように思春期の君と僕だけの小さな世界が全てで感情の揺れが世界破滅にもなりうる「セカイ系」でもあります。全く正反対の2つの目線を併せ持つ稀有な作品と感じました。
★監督のジブリへのリスペクト
見て感動した!と爽快に叫べず「自然と人間共存できず矛盾を抱え生きていく…ジコ坊の最後の言葉の意味…」もやもや感がもののけ姫に似ています。スタッフも,神社の美術担当に山本二三氏,声優に島本須美氏,倍賞美津子氏を配し,あえてジブリを連想させる狙いを込めたと思います。『星を追う子ども』的に。後半,空から落ちる2人の場面がラピュタ・千尋に似ているのも,自己犠牲が多いジブリへのアンチテーゼとしてあえて対比してるのでしょう。最後「それでも生きてく」はナウシカ・もののけと同じテーマです。
ジブリといえば,作品同士の繋がりに気付き対比させると,より感動深まります。例『火垂るの墓』『トトロ』は同時公開ポスターで同じ場面を描き,対比すると戦争と平和の落差がより深く刻まれます。高畑監督が「もし俺がトトロを作ったらこうなる」と作った『ぽんぽこ』はシニカル目線で,悲痛な場面でも容易に感情移入させず観客を泣かせてくれません。自然破壊する人間が悪役,狸は悲劇の主役と単純明快に線引せず,仲間が死んでも命の重みをすぐ忘れてお祭り騒ぎする馬鹿な姿に,人間の愚かさも投影します。命懸けの狸,人間は愚鈍に酒呑み談笑。皮肉や批判と絶望を込め(けれどコミカルファンタジックに)人間社会に警鐘を鳴らします。最後は微かな希望を信じるけれどバッドエンド。いずれ滅びる未来でもどうにか生きていく。(天気と物語が似てない?)そして『ぽんぽこ』の続き『耳をすませば』は同じ場所,「俺達の故郷を返せ!」と叫び死んだ動物達の屍を踏む多摩ニュータウンに雫達は生活し「コンクリートロード♪山を削り谷を埋め」と自分達人間の生活を皮肉りながらも「カントリーロード♪」この町が私の故郷,友達や好きな人と笑って悩んで生きていく,と夢や希望を歌います。
気づかぬ人もいるけれど,光と闇の表裏一体を描くジブリの姿勢に,新海監督は共感や敬意を表明したのでしょう。同様に『天気の子』も『君の名は。』と対比して見えるものがあります。
★『君の名は』対比
『天気の子』は『裏・君の名は。』であり表裏一体の作品と解釈します。『君名』はハッピーエンド・エンタメだが今作は新海監督の初期の持味に戻っています。前作で「綺麗すぎて東京に見えない」と酷評され,今作はあえて「東京の汚い面」を前面に見せつけ「じゃ,あなたの見たかったのはこういうのでしょ?」と監督の反骨精神と茶目っ気を感じます。しかしそれだけでなく監督は,汚れた世界の風景にもひとすじの光と美しさを見いだせる目を持つ人です。薄汚れた路地のゴミにも風俗店のやくざうろつく街角にも,お金のため身売ろうとする少女の瞳にも,隠された物語を見出す人です。これもまた現実であり,そんな場所に生きる子供や仔猫の命もあるのだと。
共通点は後半,帆高(三葉)が夏美(てっし)バイクに助けられ「私達お尋ね者だね(これで2人仲良く犯罪者)」そして走り続ける(東京と田舎,男子と女子,の立場は逆転)。同じネタの使い回しと酷評されるが,いや絶対に監督は意図的にあえて『君』を思い出させ対比させています。同じシチュエーションを描くことでテーマの違いが際立ちます。『君』では好きな人を救うことが村を救うことになるので正しい行動と信じて迷いなく動け,みな納得できるハッピーエンドに。でも今作は好きな人一人を救うことが世界を沈め,希望や笑顔を失わせてしまう。選択を迫ります。「世界を沈めても自分達は幸せなバカップル」と酷評されるが,人命を選ぶ事は悪いの?自分の大切な人の命を代償に世界は元に戻ると言われたら,本当に自己犠牲を即決するの?物語としては賛否両論でも,人命だってかけがえないって監督は訴えてるのでは?
誰かに必要とされたのは初めてだった孤独な家出少年と,親もなく世間から捨てられた身の上で,命を削り巫女となることでのみ世界から必要とされる少女。偶然出会った二人は心を通わせ,かけがえない存在となる。「たとえ世界中を敵にまわしても僕だけは君の味方だ」そう言ってくれる人が,親でも友でも誰でもいいから世界に一人いれば命を失わずにすむ。「君にしか無い特別な能力とか個性とか,そんなの失くしてもかまわない。ただ君という存在が生きていてくれればいい。」
これは『君名』には無かった点です。就職やいじめや家庭内暴力や…色々な悩みで苦しむ全ての人へ,監督が届けたいメッセージだと思います。ずっと島で孤独を感じていた帆高が誰かに言ってもらいたくて誰も言ってくれなかった言葉。それを帆高自身が陽菜に言うことで帆高自身も救われたのだと思います。雨が降り続けいずれ沈みゆく国。ファンタジーだけどこのどしゃぶり閉塞感は今生きる私達みな現実に感じているのと同じです。(年金破綻,生活不安,環境問題,様々な問題を押し付けられる子供世代。高齢の政治家達みな「自分さえよければ」)。不安の中,ソフィー婆さん「天気なんて昔から…」の台詞は「あなたのせいじゃないよ,自分を責めなくていい,どうか頑張って生き抜いて」慰めと励ましです。個人的にはソフィー婆さんよりナウシカ婆さんに言ってほしかったけれど,ナウシカは自己犠牲ヒロインの象徴なので本作と正反対の位置づけ。世界は救わず矛盾を抱え笑顔で生きてくソフィーがより本作の主題に近いからでしょう。『ハウル』も世間で「最近の宮﨑は…社会問題を取り入れてるのはわかるが,伝えたいことがわからない,内容薄い」と酷評されましたしね。
★「気持ち悪い」酷評多数?
しかしそれは全て社会の現実です。ラブホは行き場の無い子供の最後の砦。陽菜のバスローブチョーカー姿を性的と酷評されるが,母親形見のブレスレットを肌身離さず,まして自分の死を予感している時だからこそ御守として身に着けるのは自然な行動。風呂上り(巫女としての禊)に身に着けるからこそ観客が違和感に気づき,その後に空から落ち神社に倒れチョーカーが切れたのが際立つ。ただのアクセでないと観客が気づきやすいよう誘導してくれる演出。コンビニ食に喜ぶ貧困家庭(経済だけでなく親の愛情に欠ける)でもたくましく生きようとする子供達。是枝裕和『誰も知らない』のように,社会や大人の不条理に翻弄されても生き抜こうとする子ども達の姿を描いています。
「気持ち悪い」という言葉は,陽菜が出会ったばかりの帆高の銃所持を知り,言い放った非難と拒絶の言葉。「あなたを理解できない,理解したくもない」という感情。この映画を理解できない,つまらないという人が言い放つ言葉と全く同じなのは印象的です。あの場面の台詞として他の語彙もありそうですが,あえて「気持ち悪い」を選んだのは,監督が観客の感想も全て予想してのことでは?特にセカイ系登場人物となる思春期世代にとって傷つける破壊力絶大な語です。エヴァTV最終話ラストシーン,世界に2人きりの時にアスカの一言「気持ち悪い」シンジ絶叫。他人を拒絶する最大の言葉として,監督は自作もセカイ系要素を含むことを念頭に,絶妙な言葉を選んだと思います。
★「登場人物に感情移入できない」酷評多数?
帆高の家出の理由は語られません。確かに知りたいけど,自分なら帆高に問い詰めようとは思いません。島で自転車で走る帆高,頬に殴られた痕。『ライ麦』片手に「どうしても家に帰りたくない」と呟く。それだけで余程ストレスや悩み抱えて辛かったとわかります。いじめか家庭内暴力か…理由は不明でも。よく逃げてきたね,自傷や自殺を選ぶくらいなら,家出したのは偉い!と褒めたい気分。理由を聞かない須賀と夏美,答えない帆高に「そっか」と微笑む陽菜。他人を信じ受け入れる究極の優しさです。現実社会では実に得難いふれあい。3人に出会えたことでどれほど帆高は救われたことでしょう。だからかけがえのない存在となったのです。
帆高の持っていた本『ライ麦畑でつかまえて』は大人社会への反抗,汚い悪口がこれでもかと続き,しかし汚れた世界の中で全てに嫌気がさした少年が,たった一つだけ信じられる美しい光(純粋な子どもである妹の存在)を守りたいと希う物語です。99%が反抗期の世間への悪口,ほんの数行だけ純粋な願いが光る小説です。帆高はひとすじの光を追いかけて東京に来て,汚れた世界だけど守りたいものを見つけられたのです。
映画では時間制限あるし,個々の詳細な理由は省略した方が,万人が自分を投影しやすくなります。「人それぞれみな何かを抱えている」事のみを伝え,説明無い描き方。説明されない心情や背景について考えようともせず「感情移入できない」と突き放す観客は,あの高井刑事と同じ側だと感じます。見事に悪役ですが,新海監督がそんな単純な登場人物を描くはずありません。あれは一人のキャラではなく,現実社会にいる「何もわかってくれない,わかろうともしてくれない大人達」の象徴・比喩でしょう。彼は一切人の心情を考えず理由も聞かず犯罪と決めつけ,権力と暴力で迫ります。帆高が真実を話しても聞かず「鑑定が必要か…どうせ精神疾患」と決めつけるだけ。銃,『ライ麦』,鑑定,から思わず連想させられる悲痛な事件…昔『イマジン』で世界平和を歌うジョン・レノンを銃殺した精神疾患の青年は犯行時ポケットに『ライ麦』所持し,事件をきっかけに小説は有名になったとか。帆高だって追い詰められ,間違えて殺人してしまうかもしれなかった。現実に,周囲の大人に子どもが追い詰められ「あの時一言理由を聞いていれば防げたはずなのに…」という事件は少なくありません。
陽菜の母親の死因も語られません。「死の扱いが軽い」との酷評に対し,私は「人一人の命は地球よりも重い」という言葉を思い出しました(ラスト地球の映像も印象的)。母の死際も父は不在。離婚家庭は多いが葬式にも来ず,母亡き後は子どもだけで暮らす完全なる捨て子状態。現実社会は孤独死も多く,貧しい民の命なんて政治家の保身や経済よりも軽んじられる。そして陽菜が巫女だともし知ったら,多くの人が自己犠牲を迫るでしょう。数多の映画では自己犠牲のヒーローが世界を救う(例:ナウシカ,でも生き返る)でも人命を選んだら罪なの?命が軽んじられる社会をあえて描くことで「本当に一人の命は地球よりも重いと思っている?」と監督はみなに問うているのだと思います。
万人向けでなく,理解できないと言う人も多く,監督も発表前から賛否両論あると言いましたが,ネットで多くの酷評を見て,はっとしました。かつて岩井俊二『リリィ・シュシュのすべて』は,読者がネット書込で物語に参加し,炎上をも巻込みながら物語が進む斬新な形の作品でした。本作も観客の賛否両論全てを取り込み「その声全てが街の人々の声だ。色々な人がいる。街で帆高達とすれ違い,出会ってふれあう人,困っているのに気づかず通り過ぎる人,大丈夫?と心配する人,非行少年と怪しむ人,バカップルと嘲笑う人,傍観者,楽しそうねと微笑む人,無邪気に感激し晴天を頼む人…,見た人それぞれがみな物語の登場人物だ。」という構造を狙ったのではないかと思います。観客もみな物語の登場人物として巻込まれうるからラストは大きく地球を描いたのでしょう。『君』大ヒットで様々な難題の中あえて勇気ある闘いを選び,素晴らしい作品を作り上げた新海監督に拍手です!
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人柱という日本社会の悪習
本作では「君の名は。」から物語の構造はそっくり継承しています。理不尽な運命に翻弄されるヒロインを、主人公が救済するという。この物語の構造を器に例えるなら、盛られた料理は「君の名は。」とは全く別物です。
キーワードは「人柱」です。「君の名は。」の主人公とヒロインは、高級レストランでバイトし、洒落たカフェで、豪華にデコレートされたパンケーキに舌鼓を撃ってました。本作では主人公もヒロインもバイトは怪しげな編集プロダクションの雑用にマ〇ドナルド。挙句、ヒロインは売春をさせられそうになります。食べるものはポテチやインスタントラーメンのようなジャンクフード。現実世界では、彼らのような人々は貧困層として希望を失い、ただ生きるために公の福祉制度に繋がる他はない。ネットで「ナマポ」などと蔑まれる対象、即ち「人柱」となるのです。
しかし作品世界では、主人公は勤勉でモラリストです。ビジネスセンスがあり、モバイル端末でホームページを開設するスキルや粗削りながらライターとしての才能もあります。何よりヒロインが美しい!ありあわせの材料で、ハレの料理をテキパキと作って主人公をもてなし、ラブホで風呂上りの色っぽいバスローブ姿を披露するなど、思春期の男子の妄想を具現化しています。女性は「美しい」のでなく「美しくなる」のです。丸山眞男ではないが、「である」のでなく「する」のです。こんなことは希望を失った現実世界の貧困層ではありえない。
しかし作品世界においても、有能な主人公と美しいヒロインといえど、「人柱」の運命は避けられない。主人公は「反社会」の立ち位置に追いやられ、ヒロインは異常気象を鎮める文字通り「人柱」となったのです。その意味では、就活で「御社が第一志望」を連呼させ続けられる夏美も「人柱」の変種です。貧困層と夏美のような若者が総「人柱」化することで日本の社会が成り立っている、この悪習にいつまで縛り続けられなきゃいけないのか、これに対する主人公とヒロインがラスト近くで採った決断の結果、東京は一応大変なことになるのですが、登場人物は誰も特に困窮することになったわけでなく「日常」が続いたのです。かつて三島由紀夫は昭和20年8月15日以降も「日常」が続いたことを嘆いたが、主人公とヒロインが決断した結果として、それに対する「開き直り」も有り、というのが本作の主題です。
最後に、協賛企業の「押し」が作中キツ過ぎで辟易、との評がネット上で散見されますが、これも新海監督の「戦術」のような気がします。貧困層や若者を「人柱」にするのはもうやめろ、という本作の主題に同意するね、と協賛企業に踏み絵を踏ませているのではないでしょうか?私は本作の主題に激しく同意しました。
映像はトップレベル
流石、力を入れているだけあります!
水・光・影の表現や花火、現実にありそうで生きているような怖いダイナミックで細かい雲。
これには声が漏れました。
ですが、
肝心のストーリーが心に刺さらなかった。
ラストも前作と同じ再会で終わらすのは流石に引き出しが無さすぎる。
そして、とどめの「大丈夫」…
前作はdvdで泣けて「映画館でみたかったー!」と後悔しましたが、今作は「レンタルでみればよかったー!」と後悔しました。
決してクソではないけど決して名作ではないといったところ。
映像は日本のアニメーション技術がどれだけ素晴らしいか伝わりました。
心配してたがよかった
ところどころ気になる部分もありましたが
不満点を吹き飛ばすくらいにはよく出来ていたと思います。
映像・音楽は文句なしで最高峰。
世界の秘密を知る帆高くん視点で観ていることが重要だなぁと思いました。
そうでないと周りから見ればただの迷惑なクソガキでしかないですしね。
賛否が分かれるのも理解できる創りですが、私個人としてはとても楽しめました。
次回作も楽しみにしています。
なんだろう、
「やっぱ画が綺麗だね〜」以外に、感想が浮かばない…。何を感じてほしかったんだろう、「愛を取るか世界を取るか」みたいなこと?純粋に楽しめなくて残念。。君の名はの面々がカメオ出演してるのはジブリみたいで面白かったけど。本田翼の声好きになれなくて不機嫌。
それでこそだ
世界か、彼女か。そして彼は、彼女を選んだ。
その選択は、まさに王道です。様々なアニメ、漫画、映画、小説……色々な娯楽の媒体の中で、幾度となく選ばれてきました。
だからこそ、良いのです。
ただ一人のためだけに、世界を敵に回す選択をする主人公。なるほど、いいじゃないですか。
僕はそんな物語を、綺麗な世界と共に見れて、本当に楽しかったです。
あとは、須賀さんがいいキャラでした。
自分と重ねていたけど、自分とは異なる選択をする主人公に対して、その価値を認め、『お前ら如きが』と吠え、背中を押してくれた。かっこよかったです。
いい作品でした。個人的には、君の名はよりも好みです。
主人公とは… & 思春期とは
今回も開幕ポエムでボーイミーツガールでSF(すこしふしぎ)でしたね。「君の名は。」はその辺のポエム的な独白や台詞回しがぞわぞわして苦手だったので、今回もそうなんだろうなと思いながら見たのですが、やっぱり台詞回しは苦手でした。「決定的に、変えてしまったんだ…!」とか、ヒロインの名前連呼したりとか、そういう厨二的なものを大真面目に主軸にしている辺りが自分とはどうも合わないんだろうなと思います。この点については某建設会社のCMも同様なので、映画に限らず新海作品は全部そうみたいです。
逆に、レビューでよく聞かれる「スポンサーネタ多すぎ問題」は自分は平気でした。元々日常に溶け込んでるのと、その日常の再現性が高い美麗グラフィックだからでしょうか。
語られない部分が多すぎてモヤモヤした謎が残る件は、これも他の方からもたくさん声が上がっていますが、映画だとやはりそれ一本である程度しっかり納得して見終わりたいので、ストーリーのでっかいところに関わるような謎は残してほしくないと感じました。今回の場合、主人公が東京に家出してこなきゃ話が始まらないわけで、そこの理由付けは何でも良いんだけどちゃんと描いて欲しかったと思います。じゃないと作品が始まる理由付けがないからです。それなしに「犠牲」だの「知らないふり」だの「世界<君」だの言われても、それを訴えてる主人公の方がどんな人なのか(真面目で真っ直ぐという性格は分かったのですが)どんな価値観、不安、背景を持っているのかさっぱりなので、主人公というよりも「設定がそこそこあって目立ってるモブ」が中心になって動いているような感じがしました。
親と口論するとか、島で居心地悪そうにするとか、進路希望調査握り締めるとか、参考書投げ捨てるとか、大学案内の封切らずに机に放置してるとか、そういうちょっとした描写で良かろうに、何で無いんでしょうね。新海上級者にしか分からない何かがあったのでしょうか。「君の名は」でも実は最初から紐つけてるみたいなのがあるので、あったのだとしても「もっとアピって…」と思ってしまいます。
一回で分からないようにしてあるのは良し悪しですね。何度も通うくらい好きな人は良いでしょうが、「一回で全部分かってすっきりしたい勢」はあんまり居ないんでしょうか。
あと一つ気になったのですが、雲龍図のお寺はモデルがあるんでしょうか。専門家じゃないので滅多なことは言えませんが、800年前の禅寺か黄檗の雲龍図なら相当な文化財なのでは。
やはり今回も手放しで「好き!」とはならない作品でしたが、微エロお姉さんと平泉成さんとにゃんこで、とりあえず納得して帰ってきました。今回の微エロお姉さんは前のより好きだなァ僕ァ。
…翌日…
見に行ったのでレビュー解禁ということで、色々な方々のレビューを読んでおったのですが、やっぱりお若い方の方が高評価っぽいですね。お若い方々は自分が引っかかった「帆高さんは何が気に入らんで家出するとこまで行ったの?」というところをあまり気にしてなかったので、「今まさに同世代の人なら、もしかして言わずとも分かるのか?」と思い、その辺をちょっと考えてみました。
思春期の少年少女は何がそんなに不満なのか? 自分が子供だった時のことを思い出してどうだったかというと、「具体的に細々したむかつくことが積み重なって、その集合として気持ち悪さ、居心地の悪さ、不満、不安がある」という気持ちだったような気がします。細々した不満というのは「親の期待が重い」とか「自分の容姿が気にくわない」とか「敵わない存在がいる」とか「世界の在り様が自分の価値観と不一致で許せない」とか色々でしたが、仮にそれの一つが綺麗さっぱり解決されたところで、他にも気に入らないことはたくさんありました。これらの不満の「どれ一つ見逃すことができない」、更には「それを他人と共有するにふさわしい言葉で言い表すことができない」というのが、思春期の憂鬱だったのだろうかと、大人になって理屈を味方につけ、ちょっとだけ日本語ができるようになった自分は思います。帆高さんは「逃げ出したかった」とだけしか言いませんが、多分思春期の皆さんは、その一言で十分共感できるのでしょう。
しかし大人の皆さん、大人になっちまったら「理屈(言葉による説明)なしに不満を持つ」のは好まれる行為ではありませんね。「気に入らない」ことがあるのは全然結構。自分の価値観に照らし合わせて許容しがたいことがある、それは各々の価値観が違っているわけですから当然のことであり、それを「理性的に」表現することはむしろ、社会の中で必要な能力とすら言えます。所謂「生理的に無理」も、理論でもって考えれば「集合恐怖症」のような感性や心理の次元で考えることができます。そして理論同士の戦いに敗れた時、一部の人はやり場のない心情を漏らす手段として「芸術」を持ち出すこともあるのでしょう。大人になっちまった人々が穂高さんに感じていた「ちゃんと作中で説明せーや…」はこういうとこなんだろうなと思った次第です。
あともう一つ言いたいなと思ったのが、帆高さんの「世界<君」の決断についてです。これの対極にあるものを須賀のおじさんが言ってましたね。「一人の犠牲で世界が救われるならそれもまたあり」と。「世界>君」ですね。これを割り切った大人の残酷な考え方だと憤慨しているお若いのを見ましたが、「世界<君」だって同等に残酷ですよ。
世界という大多数の「誰か」の大事なものをたった一人のために(主人公らしからぬ主人公が)ぶっ壊したわけですからね。数の上で言うならそっちの方が愚かで残酷ですよ。「3年間降り続いた…」じゃねーよって話ですよ。何なら陽菜さんはその前にトラック爆破してますしね。水没に連鎖して死んだ人も一人どころじゃないかもしれないわけでね。描いてないけども。でも、その愚かさを取るほど、帆高さんは彼女が大事だったんでしょうね。こういう結末の作品も自分としては全然ありですし、その感動のための映画でしょうから、この辺のことを言うのは、分かって言ってますが無粋です。
それが世界というものなので、「セカイ系」を描くときにはこれは避けては通れない命題ですね。前作の主人公がカメオ出演するのが新海作品では定番になってきてるようですが、次は「世界のその他」側から、あの二人によって奪われたものの話を描いてみて欲しい気もします。(途中で失敗した気もしますけど)ガンダムSEEDみたいな感じで。
行動に理由はない
何度か「これは意味があるんだろうか」と考えられるシーンがあるが、特に意味は無い。
帆高の家出は特別な理由がある訳でもない単なる家出。
拾って一緒に暮らし始める猫は本当にただの猫。
天気を操るチカラは特に理由があって陽菜に宿った力ではなく、たまたま陽菜だっただけ。しかも「晴れて欲しい」と願いながら鳥居をくぐるだけという。
天気を操ったりとファンタジー強めかと思いきや、泊まれるホテルがないからとラブホに泊まったりと変に現実的なところがある。かと思えば、オチは海に沈むという、またちょっと現実味がない(天候の悪化でそうなる可能性は無くもないが、少なくとも数十年は先の話だと思う)
どこかで見た話をよりあわせたような、真新しさを感じるところがない話だった。
君の名は。は何度か見たが、これは見るとしても1回でいい。見返したいと思うシーンがない。
あと、最後の廃ビル?のシーン。
なんであそこに凪と小栗旬がいるのか不明。
前作もだったけど、妙におっぱいを主張したがるのはなんなんだろう…
今回は陽菜が自ら水商売しようとしてたし、これじゃ子供と一緒に見れないじゃん。
あと主人公らに魅力を感じない。帆高、かっこよくないもん。
最後の再会のシーンも、君の名は。と違って、全然感動的でもなんでもない。
最後に一言。映像はどこまでも美しかった。
感動
池袋HUMAXで、みました。満席で。
なんといっても映画の場面に出ちゃうんです。
池袋とか都電とか目白の線路脇の道とか地元が、
めっちゃ出て。
野田洋次郎の曲もピッタリ素敵過ぎて
2年前くらいに鬼子母神前の都電の踏み切りで、すれ違ったのを思い出しました。天気の子の事で来てたんですね。
豊島区でるでる。田端も。柳家喬太郎さんもネタでやってる池袋界隈路地でるでる!
エヴァへの挑戦状
「こんなモノ知るか…!」と『責任』も『運命』もぶん投げた「セカイ系」のカタチの提示。少なくとも私にとっては新鮮で爽快で気持ち良い作品だったけれど、一方でブチギレる人が多数居てもおかしくない、本当の意味で「賛否両論の」映画ではないだろうか。
正直、ほだかの選択は全く共感ができない。私は(例のすがに関する考察の通りなら)、すが側の人間で、この世に生きる殆どの人間もこっちのタイプだ。「仕方がないことは潔く諦める」「自分(たち)が犠牲になることで他人が救われるのならそれでいい」。私はこの指標に従って、多かれ少なかれ苦しみながら生きてきたし、これからもきっとその姿勢が変わることはないだろう。
一方、ほだかたちは、その常識に風穴を開け、私が取りたくても取れなかった選択肢をいとも簡単にとってしまった。おそらくその点に賛否の境目がある。私は、そこが爽快で仕方がなかった。理想が見れたことが嬉しかった。一方、現実で耐えて苦しんできた人間であればあるほど、このほだかたちの選択は自分勝手で許せない。
今まで多くのクリエイターたちが「セカイ系」と言われる分野の中で、「自分の理想を押し殺して人(の理想)のために生きていくこと」と「そこに至るまでの葛藤・苦しみ」を描いてきた。それこそが作品の「面白さ」であり、同時になんとも言えない「閉塞感」の原因だった。
しかし、『天気の子』はその道から外れ、新しい道を示した。つまり『天気の子』は「今までセカイ系作品」に対するアンチテーゼ、もしくは挑戦状と言えるのではないか。(要は「逃げちゃダメだ」の状況の中で「逃げた」のが『天気の子』なのだ。)
新海監督は『天気の子』で、今まで名だたる監督たちが長い時間と労力をかけて描き続けてきたものに対し、堂々喧嘩をふっかけたように見える。この点が本当に面白い。
私は今まで、新海監督は彼らの後継になろうとするものだとばかり思っていた。しかしまさか真っ正面から対抗するような作品を作ってくるとは…(!)。新海監督は、現代の東京を美しく描ける唯一無二の監督だという話を聞くが、まさにそういうところなのではないだろうか。
関連して、物語「後半」が「本編」なら「前半」は一体何の意味を持っていたのだろうか?ただの長い導入なのか、それともやはりなんらかの大きな意味を持つものだったのか。
少なくとも前半部分は単純に見ていて楽しかった。これだけの「盛り上がり」を複数ポイント、決して長くはない尺の中で作れるのは本当に凄い。映画の前半と後半で「楽しい/面白い(興味深い)」の棲み分けがなされていた気がする。だからこそ、この映画の「より前半が好き」な人と「より後半が好き」な人がいるのだと思う。
色々伏線らしいモノがあった。気になる描写もあった。小説読んでインタビュー読んで考察読んで満を持してもう一回(もう二回?)観よう。あと、今まで何となく避けてきた「本格派セカイ系」作品をじっくり見て比較してみたい、と思った。
以上。異論は滅茶苦茶認める。
気軽にコメントしてください。
普段あまりレビューを書き込むことはないけれど、『天気の子』については人の意見を色々聞きたい、と思える程度の非常に面白い映画だった。ぜひ、多くの人に観て欲しい。
久しぶりの映画
晴れ女、雨女という言葉は時々耳にする。
もし本当に天気を変えることが出来たとしたら。
ヒナとホダカを中心に描くヒューマンヒストリー。
青春のような甘い香りと、大人が見る現実の世界。
その狭間にたくさんのドラマがある。そこに行くことで何が起こるかは分からないけれど、その場所に向かうことでしか得られないものもある。
変えるものが出来ないものを嘆くより、今出来ることやあるものを大切にしたいと思った。
面白かった
ラストの展開は賛否が分かれるところだと思うけど個人的はすごく好き。
ただバスローブ姿でホテルからお空に連れてかれたヒナさんがなぜいつもの服を着ていたのかがなんか気になった。流石に神様もスクリーンで真っ裸にするのは躊躇ったのかな?
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