天気の子のレビュー・感想・評価
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君の名は。の世界観に惹かれて…
先月の地上波で放送された君の名は。を初めて視聴し、その世界観に惹かれ、
その時に天気の子の予告編も一緒に見ていたので、
折角の機会だと思い、映画館へ足を運びました。
予告編の内容をあまり頭に入っていないままでしたが、
だからこそ色々な展開を予想をしないで鑑賞出来たのが良かったと思いました。
ただ、女の子が天気を変えられる能力を持っているという事は見る前から物語の軸として捉えていました。(タイトル的な意味でも 笑)
全体を通しての感想は、分かりたかった部分が分からないもどかしさがある、でした。
主人公の森嶋帆高くんの心情がいまいち分からず、何故家出をしてまで東京に来たかったのかを回想でも良いので表現して欲しかったと思いました。
最初は帆高くんに感情移入して鑑賞出来たのですが(東京という町へ1人で乗り込むという不安や好奇心)
物語が進むにつれて、彼にしか分からない気持ちが突っ走る描写ばかりで、このままでは最後まで彼の事が分からないだろうな…と思っていたら、本当によく分からないまま物語が終わってしまいました。
ヒロインの天野陽菜ちゃんが帆高くんを「家出少年と見ただけで分かった」等の描写があるのなら、主人公の家出についての表現は少しでもあると良かったな~と思ってしまいました。
主人公については少し思うところもありましたが、世界観に引き込まれるのは君の名は。と変わらずでした。
陽菜ちゃんの能力についてですが、「今から晴れるよ」という言葉が出た時、自分の能力について自信に満ち溢れている姿を想像してドキドキしたのですが、
物語が進むにつれて彼女が身を挺してまで誰かのため、天候のため、そして最終的には帆高のために力を振るう姿には感動しました。
夏美が人柱について陽菜ちゃんに教える以前にも、自分の身に何かが起こっていたのにも関わらず、
帆高に打ち明けるまで誰にも言わなかったのだと思うととても強い子だなあと思いました。
陽菜ちゃんは主人公を最後まで支えてくれている存在であり、
年齢を偽っていたことを最終的に知りましたが、主人公より年上のお姉さんのイメージで鑑賞していたので疑う余地もありませんでした(笑)
拙いレビューを書いていますが、
やはり自分が求めてしまうものとは別にこの映画の良さを見出せることが大事かなとも思いました。
わたし自身、理解できるほどの頭が足りない(笑)こともあると思いました。
レビューの冒頭で帆高の家出シーンについて言及してしまいましたが、
その部分が気になるまま映画を観続けていたので、少し後味が悪くなる鑑賞方法をしてしまいました。
監督が伝えたい部分はそこでは無かったと受け入れて、機会があればもう一度鑑賞してみたいと思いました。
予告編が出来すぎていたか
『天気の子』の上映が決定した2018年、いざ予告編を期待に胸を膨らませ見てみると、まあ素晴らしい。『君の名は。』を超える大都会東京の情報量の多さをそのままに描く繊細な美術のクオリティに引き込まれる。予告の時点で魅力的でたまらない、期待を裏切らないきっと素晴らしい作品なんだろうと人々に思わせる。
がしかし、今回の作品は控えめに言って本当に新海誠が作ったのか疑ってしまうレベルだ。以下、ネタバレを含み、個人的な見解から真摯に批評する。それを理解した上でご覧下さい。
あくまで個人的に"合わなかった"と感じ、"面白くなかった"とは微々異なるため星2.5評価に。正直、星2と迷ったが彼の画力に圧巻したのは事実であるので僅かながら0.5加算。
私が今作のなかで1番違和感を感じた点は"現実世界との乖離"にある。『言の葉の庭』、『君の名は。』もそうだったが、『天気の子』は"現実世界の東京"を舞台にしている。景色に映る様々なお店やその外観、配置は私達が生きている現実世界そのものだ。「あ!ここ学校への近道だ!」となるほど私達が慣れ親しんでいる景色そのものである。しかし、それに対しての登場人物の設定はあまりにも現実離れしていなかっただろうか。
私は彼らを同じ世界の住人として共感しながら捉えていいのか、それともあくまで東京に酷似したファンタジー世界の住人だと捉えるべきなのか、最後まで分からなかった。(所詮フィクションアニメに現実性を求めるのも、映画をエンターテインメントとして受け入れる軟らかい頭が欠けているが。)
この作品の舞台が東京ではなく異世界であれば、支離滅裂なストーリーもさておき、登場人物達の破天荒さにも目を瞑れた気がする。
以下、疑問に思った点を纏める。そもそも、主人公はもちろんキャラクター全ての設定が薄い。田舎島育ちの高校生が親の援助なしに東京で過ごそうと考えるのは後先考えなさすぎではないだろうか。(帆高君は使ったお金を細かくメモするような真面目少年なので、余計に違和感がある)
拳銃の一連の流れは必須だったか?少なくとも銃社会から隔離された日本人には彼の行動は理解し難いだろう。
未成年姉弟が身寄りもいないなかで約1年アパートで生活する(しかも立地もいい、田端駅から徒歩数分)のは難しいのでは?加えて、全体的に彼らのとる行動が自己中心的すぎる。「誰にも迷惑をかけてません!」と言っているが実際はかけているだろう。(落雷や、水害)たった一人の女の子のために東京を水没させる選択は果たして正しいのか?罪の意識もゼロ?フィクションならなんでもOK?小学生含む16歳以下3人の宿泊先がぼったくりラブホテルである必要性が感じられない。結局最後まで彼らの本質が全くわからない、破天荒な少年少女による日本壊滅映画に感じた。
etc...
あとは新海誠の性癖が所々で滲み出ていて、個人的には受け入れられずに終わった。私はフェミニストではないが気持ち悪いと思ってしまった。『君の名は。』から薄々出てきてましたが今作はひどい。やたらとおっぱいの描写があるし、好きな子にラブホのバスローブを着せる?なんというか、中学生男児が考えそうな妄想を可視化したような。瀧くんは可愛らしい童貞臭さでしたが、帆高くんはちょっと狙いすぎて寒かったかな…。一体どの層へ向けての作品なの?何を見せつけているの?青人向けアニメかとわ
長々と文句を書き連ねてしまったが、これは新海誠に期待していたからこそ。彼の厚みのある美術は本当に素晴らしかった。特に花火のシーンは「こんな綺麗に花火を描ける人がいたのか。」とまで思った、ずっと見ていたくなる絵だった。絵に関しては、今までのどの作品よりも素晴らしかった。人目で新海誠だとわかる色使い、筆の細さ、光の描写。新海誠の画力と合わさってこそのRADWIMPSの音楽も然り。だからこそ、もったいないと感じた。
個人的に『天気の子』は残念であったが新海誠に失望した訳では無い。むしろ、新海誠の可能性を感じた。『君の名は。』とは全く違ったテイストの作品を創りあげる才能の持ち主であるから、次回作は良い意味でも悪い意味でももっと私達を驚かせてくれるかもしれない。
猫のアメが超絶可愛かった。(笑)
よく作りこまれている映画だった
新海誠監督らしい作りこまれた映画だったと思います。 「君の名は。」の登場人物も出てきて、旧作を観てきた人へのファンサービスもバッチリなセカイ系映画です。 特に、ストーリー上で展開される登場人物の心情描写は素晴らしいものであると思います。
映画では、分からない部分や小説を読んでその仕草の意味(晴らした後の太陽に手を透かすのはまぶしいや気持ちいいからではない)まで分かるようになっているので合わせて読むと納得できると思います。 『一人のために世界を犠牲にするか、世界のために一人を犠牲(人柱)にするか』という永遠のテーマと、「誰かのために盲目的に一途になる」ということが登場人物の対比が見どころでしょう。
主人公帆高は、陽菜を救うために、非行を結果として繰り返してしまう。それに対して、須賀は「人柱1人で天気が戻るなら歓迎だ」とか「いい加減大人になれよ」と社会的なしがらみ(親権の問題など)や常識的、模範的な考え方、受け答えをする大人の代弁者(見ている自分たちも含めて)の象徴そして帆高とのやりとりによる変化。
映画の冒頭で拳銃摘発のニュース(メタファー)から、拳銃をひょんなことから手に入れて、拳銃を撃つシーンの対比も面白いと思いました。チンピラに馬乗りにされた時の成り行きでぶっ放しているのと最後には強い覚悟を決めて引き金を引く主人公の心情変化が見どころだと思います。
ラストの終わり方や主人公の行動には、賛否があると思います。しかし、大人となった自分の生活を振り返ったとき、どこかで諦めている自分がいて、折り合いをつけて生活している。それを否定するかのように我武者羅に大切な人のために行動する、何かに打ち込むということを思い出させるような映画であったと思います。
※物事の選択には、責任がありその代償もまた背負わなければならないので、主人公のような非違行為を全面的に支持はしておりません。
正直、スッキリはしないが…
「君の名は。」と全く違うテイストだと
思っておくだけでも観る感じが全然違う。
個人的に最後までスッキリはしなかったが
描かれるもの(社会の在り方など)には
考えされられるものもあったし、単に観る
だけではなくあれこれ考察することが面白いと思う。
風景などの絵は素晴らしいがなんとなく
私は「崖の上のポニョ」を思い出した。
この感覚が伝わる人もいるかと思う。
あと、三葉や滝くんが出ていたということは同じ
世界という設定であるだろうからこの世界に
いる人たちは彗星が降ってきたり、異常気象に
巻き込まれて水没したりと大変であるだろう。
新海誠の新たなる挑戦
今回は、親に無断で島を出てきた16歳の金も才能もないのに東京に憧れる家出少年が主人公だ。家出してどこに住むかとか何をするかほぼ決めていない。今現在もマクドナルドで過ごす少年たちは実際いるのかわからないが、そういう少年少女たちとその親たちへ向けて新海誠と川村元気たちが頑張って作った映画のような気がする。勝手な憶測だが。
好きな人を愛する純粋さということでは、新海作品のこれまでの主人公たちと同等だろう。世界のルールをいろいろ無視しても大好きな子をこの世に取り戻してくる元気は素晴らしいというか、あれくらいの強い気持ちはなかなか持てない。
ただ、前作君の名は。よりは物語自体ののパワーは落ちているし、もうふたひねりくらい欲しい感じもある。
「言の葉の庭」にでてくる主人公よりは、すこしバカになり、捨て身になりかつ、エネルギッシュにはなった。ただ、知恵はまるでない。Yahoo!知恵袋の時代の子供たち。このことは何を意味するのだろう。偶然にも拳銃まで手に入れた。あと少しでひとを殺していたかもしれない。
好きな誰かを守るために、世界を破壊しようとするのでは、どうしようもないバカである。新海作品のテーマがもろに出てきている。
この愚鈍な世界を守るために、誰かひとりが犠牲になるということの愚かしさを描いているのだとしたら、名作だとおもう。こんな愚かしい世の中のために誰も命を犠牲にする必要なんてない。その手法は古い。もっと色々なことを暴かなければならない。正さなければならない。
その一方で、公共の福祉という大義は存在する。
製作予算獲得のために間口を広げすぎたきらいはある。そんなに商業主義に走らなくてもと思うが、次回作くらいは新海作品を追いかけていきたい気持ちもある。
映像美と、音楽
普段大失敗をしないよう、ルールを守り生きている自分から、すると、
ひなさんを求め、警察を振り切り、すすむ主人公を始め、自身の保身を省みず、主人公に協力するスガさん、なつみさんの行動に胸打たれるものがありました。
世界と、身の回りの大事な人を天秤にかけた時、大事な人を選ぶ決断に、複雑な想いもありつつ、単純に感銘を受けた。
久しぶりの映画だったが、非日常感を感じられ、自分はとても楽しめた。
映像美と音楽は、やはり前作同様良かった。
思春期に見てたら、堪らないだろうなと思いつつ、30を、越えた今でも青春感を思い出す映画でした。
穂高は、何故あんなにも、地元に帰りたくなかったんだろう。
感性が大人な人はオススメしない映画
映画中、ずっと鳥肌が立ってました。
新海監督の映画のよさは美しい背景とリアルな描写だと思うのです。
が、リアルな描写の中のファンタジーさが違和感ありまくりでした。
最初からポエム満載だし。
刑事さんの「(精神)鑑定しますか」にすごく同意したし、線路走ってる時の通行人の「あーいうバカいるよな」にもめちゃくちゃ共感した。
あと夏美さん何社も集団面接受けてるって事は大企業またはそれなりの中小企業の求人に応募してるんだよね。
それなのに、警察とカーチェイスって…。
ネットで晒されて就職できないよ。
あと主人公の少年もなんで離島から家出したのか全然共感出来なかった。
同じような離島出身だけど。あと2、3年くらい辛抱して待てねーのかよッ!って。
中途半端なリアルの描写が鳥肌立つ。
以上ボロクソに書いてしまったんですが、同じように映画を見ていた高校生〜大学生くらいの子たちは絶賛してたので、感性の違いだと思いました。
「決断の行方」
キャラクターの造形、背景のあざやかさは、前作と変わらず高いクオリティで安定。
私が特に印象に残ったキャラは、夏美と凪でした。
どちらもキャラが立っており、そういった見方では、主人公である帆高と陽菜よりも魅力を感じました。
また、前作のキャラたちがさりげなく登場する場面は、とても微笑ましい演出でありました。
何故、まだ少年である帆高が、単身東京まで家出する事になったのか・・・この辺りをもう少し描いていたら、もっと帆高に感情移入できたかもしれません。
物語を締め括る帆高の決断は、またスケールと世界が異なりますが、私は原作漫画「風の谷のナウシカ」ラスト間際におけるナウシカの決断を思い出しました。
陽菜は救えましたが、その代償はあまりにも大きく・・・まさに晴れのち雨、結末は曇り。
ただ、この先もしかしたら続編があり、雨に沈んだ東京を復活させる作品が・・・これはあくまで、私の観測的天気の子予想ですが。
映像は綺麗
やはりこの監督の作る作品は映像美が素晴らしい。それだけでも見る価値はあると感じる人はいるかもしれない。
しかし、ストーリーは見るに堪えない。誰かの子供が喘息だとかなんだとか、銃のくだりだとか、回収される気が全くない伏線が時間の無駄になっている。一方で感情移入する上で必要であると思われる主人公一行に対する掘り下げがなさすぎる。
その上、映像が現実にかなり近い分、ご都合主義で自分勝手な展開が目に余る。ファンタジーと言えばそれまでだが、現実離れがストーリーの面白さにつながってなければファンタジーとは言えないだろう。ただただストーリーとしての詰め込みが甘いとしか言えない。
まとめると、新海誠監督夏休みスペシャルとでも題することのできる映画。
オチを含めて、この映画を楽しめる人はよく言えば純粋無垢、悪くいえば自分勝手(自分さえよければそれでいい)で周りへの思慮が足りない人だろう。自分は腐っても楽しめる人にはなれそうもないが、彼女にするならこの映画を楽しめる人がいいかもしれない。
子供への暴力シーンが……
個人的には「君の名は。」の方が好きです。というのも、今作は少年への暴力的なシーンがあって、ちょっと引いてしまう部分がありました。ヒロインが水商売の勧誘受けるシーンなども、アニメで観るとちょっと気持ち悪かったです。こういうシーンがあるなら実写でも良かったかなー、と思うところがありました。楽しいシーンより先に暴力的なシーンがあるので、楽しさ半減というか、綱渡りしているかのような不安があって心から楽しめなかったような感じです。映像や楽曲はとても素晴らしい。監督が賛否あるかもとしていたラストも、私的には全然アリでした。色々書きましたが、総じて面白かったです。
小説を読むのと読まないのとで大違い
まず、称賛だけのレビューではないのでお気をつけください。
二回鑑賞済みです。
一度目は特に前情報なしに、二度目は小説を読んだ後に行きました。
まず一度目に感じたのは憤りです。
映像自体は新海監督の作品らしく他の追随を許さないほど綺麗です。神宮外苑花火大会で晴れを呼ぶシーンなんかは神々しささえ感じられるほど。でも話の内容には相当な不満を抱きました。なんなんだこのストーリーはと、むかむかともやもやを抱えて帰路につき、しばらく収まりませんでした。もやもやの対象は主に主人公の帆高くんです。作中では帆高くんがどうして家出してきたのかは明確に語られていません。息苦しいとか、光の中に行きたかったとか、狭い田舎の世界が嫌で家族とも折り合いが悪いんだろうなあと想像させる程度の描写で済まされています。これで帆高くんに「世界の形を変えてしまう」ことに繋がるほどの理由があれば、こんなにもやもやしなかったのかもしれません。周囲に不満を抱えていてもそれを我慢して折り合いをつけて大人になっていく人が大多数だとは思うんですが、帆高くんは違う。いくら好きな子の命のためとはいえ、世界を犠牲にする(青空を奪う)というそんな展開はなんとも救いがない……。そんな話に感動的な音楽をつけても感動できるか!とクライマックスものめり込めない。あと個人的に雨が好きで、雨が救いになっていた『言の葉の庭』と違ってこの映画の雨は疎まれている存在なので、やっぱり雨の描写は言の葉の庭が最高……と考え始める始末。そんなものだから、これは二回目はないなあと思いました。でも、ずっとこんな風にむかむかもやもやしているままでは気持ち悪いので、帆高くんの背景が書かれていることを期待して書店で本を買って読みはじめました。普段、映画のノベライズは読まないのでわたしにとっては珍しいことです。
それで二度目を観に行ったら、結果もうぼろぼろ泣きました。小説の段階ですでに泣いてたんですが、改めて映像がつくとやっぱり泣く。曲も、一度目はいまいち噛み合ってないななんて思っていたのに本当にぴったりで、今はもう曲を聴くだけで泣きそうになるくらいです。
前回あんなに帆高くんにもやもやしていたのは、結末に比べて彼の存在や動機が作中で語られている分では弱かったというより、根本的にわたしがこの映画の主旨を履き違えていたせいなのかなと思いました。この映画の結末のように少数(一人)のために多数を犠牲にするのは適当に折り合いをつけてやってきた人には受け入れがたい選択なんじゃないかと思います。まさに大人になれよと言いたくなる。でも物語としてそれでも一人を選ぶというのならそれなりの理由がほしいのに、帆高くんにはどうもそれが足りない。だから納得がいかなくてもやもやする。でも本当は、その一人を選ぶ理由なんていうのはどんな些細なものでもいいのではないのかと、読後、映画のあらすじに書いてある『自らの生き方を「選択」する物語』という文章を見てそう感じました。
帆高くんは東京でのバイト先も陽菜ちゃんへの差し入れや誕生日プレゼントもとりあえずネット(知恵袋)で聞くという他人の選択に頼るような子だったのに、そんな子が「世界の形を変えてしまう」ほどの選択を自分の意思でするなんて、改めて考えたら凄まじいことだなと思いました。それと対照的なのは線路を走る帆高くんにスマホを向ける人たちなどの、現代の一般大衆ですね。この作品は大衆向けの「恋愛」をメインにしていた『君の名は。』とは違って社会性の強いメッセージが多く、前作の後でこれは勇気ある選択だと思うのでこれからも監督には挑戦していってくれたら嬉しいなと思います。
話は戻りますが、小説のあとがきでは新海監督が小説と映画の違いについて、クライマックス近くで夏美さんが帆高に向かって「帆高っ、走れーっ!」と言うシーンを例にあげて説明してくれています。映画ではそのひと言に関わる、役者の声とか音楽とか、諸々の要素があってぐっとくるようなシーンになっている(といい)けれど、小説では、そのひと言だけで同じ効果を持たせるのは難しいので、比喩を用いたり、物語の前半から夏美の人生をある程度描いていく必要があると仰っていました。
その言葉通り、小説では夏美さんはもちろん、須賀さん視点の所もあり、映画ではそこまで焦点の当たっていなかった二人の過去や考えもより見えてくるので、二人の行動にも納得がいきました。
この二人の行動や考え、帆高くんや陽菜ちゃんの心情がよりはっきりしてくると、この映画はただの青春映画というわけでも、子どもがいいとか大人がいいとかでもなく、自分で選ぶことが大事なのだと思わせてくれます。帆高くんもクライマックスで「僕が選んだんだ」とはっきり言っていて、この一言にこの物語の全部が詰まっているんじゃないかなと思いました。
小説を読んで印象が変わったり、はっきりしたことは一部ですが以下のようなものがあります(括弧はページ数)。
★帆高くんが家出をした理由についてはっきり書かれている。
・あの日、父親から殴られた痛みを打ち消すように、自転車のペダルをめちゃくちゃに漕いでいた。(P206)
・つい先月まで、誰かに命令されることや押さえつけられることをあれほど憎んでいたのに。(P58)
元々親とは折り合いが悪く、殴られたことが決定打になったようですね。小説では島に戻った後での親や周囲のことも映画より詳しく語られています。
★帆高くんは須賀さんや夏美さんを「好き」だと思っていたし、二人がいるあの場所を大切に思っていた。
・僕の今までの身の上話も強引にさせられて、それはくすぐったくはない場所をずっとくすぐり続けられているような――たとえば頭の後ろを誰かの優しい手で掻き続けられているような、不思議な感覚を僕に残した。……(中略)……ずっと未来、自分が老いて孫を持つような歳になった時にも、僕はこの雨の夜のことを不意に思い出すのではないか。(P52,53)
・二人ともなんかかっこいいな、と僕は思う。……(中略)……須賀さんも夏美さんも、…(中略)…当たり前の従業員として、当たり前に頼ってくれるのだ。僕を叱りながら、お前はもうちょっとマシになれる、彼らはそう言ってくれているのだ。(P63)
・どうして僕は、好きだった人に銃を向けているのか。(P253)
劇中だと帆高くんと須賀さん夏美さんとの関わりはどうしても陽菜ちゃんと比べるとあっさりしていたので、二人のこともこれほど大切に思っていたんだなあと思うと、須賀さんに「もう大人になれよ、少年」とお金を握らされ突き放されたらどうしようもなくなりますよね。
★陽菜ちゃんについて。
帆高くんに抱く感情についての独白があった。
・もし君に会えていなかったとしたら、私は今ほど、私自身も世界も愛せていなかった。(P207)
・――いやだ、と、満ちてくる多幸感と同時に私は思う。まだいやだ。私はまだ、君になにも伝えていないのに。ありがとうも、好きも、言えていないのに。(P208)
★夏美さんについて。
夏休みまで就活すらしていなかったらしく、その理由が語られている。夏美さんの父親、つまり須賀さんの兄が財務官僚ということも判明。父親とは相性が悪く、須賀さんの所でアルバイトをしていたらしい。
・……なにかに抗議するような心持ちで毎日を意識的にだらだらと過ごしていた。そのなにかとは言葉にするならばたぶん「親」とか「社会」とか「空気」とか「義務」とかで、それが幼い反抗心だとはわかっていても……(中略)……私はまだ、なににも屈服なんてしたくない。
――要するに私は大人になりたくなくて拗ねているのだ。(P54,55)
家族というコミュニティに息苦しさや不満を感じていた点は帆高くんと一緒だっただろう夏美さんは、帆高たちとの一連の出来事を通して、自分でそうなりたいと願って大人になることを選ぶ所まで書かれていました。
・――私はここまでだよ、少年。
私の少女時代は、私のアドレセンスは、私のモラトリアムはここまでだ。
少年、私はいっちょ先に大人になっておくからね。君や陽菜ちゃんがどうしようもなく憧れてしまうような大人に。早くああなりたいって思えるような大人に。(P242)
★須賀さんについて。
須賀家は代々地方で議員をやっているような名家だったことが夏美さんの口から語られている。
須賀さんが涙を流したシーンで須賀さんの心情も書かれていました。
・……そこまでして会いたい人。帆高にはいるのか。俺にはどうか。全部を放り投げてまで会いたい人。世の中全部からお前は間違えていると嗤われたとしても、会いたい誰か。……(中略)……俺にも、かつてはいたのだ。明日花。もしも、もう一度君に会えるのだとしたら、俺はどうする? 俺もきっと――。(P238)
そしてその後帆高くんを諭そうとしますが、「俺はただもう一度あの人に会いたいんだ」という叫びを聞いて、ああなるわけですね。
その後、帆高くんと陽菜ちゃんが戻ってきて再び雨が降ってきたときの須賀さんの独白が印象的でした。
・その時――誰もがおそらくは、その雨が普通ではないと感じていた。……(中略)……俺たちは別になにもしていない。なにも決めていない。なにも選んでいない。それでも、このまま逃げ切れるわけはない。世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと、知らないふりをしていたのだ。(P269)
他にも「なるほどそういうことだったのか」と思えるようなことが沢山書いてあって、これは小説を読まなければわたしのようにこの映画の良さがわからない人が沢山出てしまうのでは……?と思いました。監督ご本人は映画は描ききれなかったわけではなく、小説にあって映画にないというのは、映像と小説というメディアの違いに起因するとのことです。うーん、難しいところですね。
一度観てこの映画の良さがわかった方はすごいなあと思います。わたしはここまではっきり言葉にされないと意図を汲み取れないので……。それすらも合っているのか分かりませんが。
そして二度目の鑑賞を終えて、改めてこれは確かに賛否割れる映画かなあと感じました。子供時代にどこか息苦しさを感じていた人、流されるままここまでやってきてしまったとどこかで後悔している人。過去やこれからする「選択」に対して思うところがある人には訴えるものがある映画なんじゃないかと思います。
内容としては★5なんですが、小説を読まないとこれほど感情移入出来る作品にはならなかったのでアニメ映画としては★4.5で。
嫌い・無理という方は別ですが、わたしのように一度観て何だか納得いかない・もやもやしたという方は小説を読めば見方が変わるかもしれません。
映画的記憶をもっと共有出来れば・・
「君の名は」に比べ賛否両論あるようだが、前作に比べて、新海監督の天才ぶりが更にハッキリとした作品に仕上がっていると感じた。それにしても、海外の親切な映画を見馴れてしまうと、本作の深淵を覗き見ることに、些かの苦労が伴う。そして、そうした観客に向き合うことを義務付けられた監督を始めとした制作陣の苦労が偲ばれる。
何故、帆高の年齢が最後に、陽菜の年齢より高いことが分かる設定になっているのか。
何故、富美のバイクは水の中で止まる設定になっているのか。
何故、線路の上を、帆高は走り続けているのか。
何故、帆高は銃を撃ってしまったのか。
何故、漫画喫茶やラブホテルが登場しなければならなかったのか。
須加が最後の最後に帆高に見せた家族の写真には、どんなメッセージがあったのか。
かつて、蓮實重彦氏が言っていたように、あらゆる映画的な記憶と、様々な純文学の記憶とを総動員することで、この映画の深淵は、もう少し分かってくるように思う。
マイナス0.5点は最後に、2人を再会させてしまったこと。
映画的記憶に忠実であるならば、違った展開を当然期待していたが、これは新海監督から我々観客に対する真夏の夜のサービスであると捉えた。
このような贅沢な映画を、ラノベの衣装を纏わせながら、少年少女を始めとしたあらゆる世代に送り届けてくれた、新海監督に乾杯!
大丈夫オチ
散りばめられた小ネタ(企業タイアップや君の名はの人物など)を探すのは楽しいし、風景も身近なもので親近感は湧く。
が、、、肝心の主ストーリー設定が浅く、リアルに描かれてる風景とのギャップが大きくてイマイチ入り込めなかった。
・花火のシーンが綺麗
・雨〜晴のシーンが綺麗
この二点が描きたかっただけなのでは?
さて本題だが、設定に無理がありすぎるんじゃないか。
拳銃は不要だったね。犯罪者にしたいわけじゃないでしょう?
年齢も16歳の主人公が中3に愛だの言われても全くもって冷める。ラブホいく必要ある? ロリコンかよ。
そして、なぜ主人公が東京でてきた?
その辺の既基本設定が良くない。
まぁ、君の名はのヒットで配給会社や代理店やらの雑音が多かったんですかね。雑音多すぎるし、本題に力入れたほうがいいのでは?
あと、ラストのセリフが「大丈夫」ってなんだよそれ。
RADWINPSもびっくりしただろうなぁ
映像と音響が素晴らしい、新海監督ファンがより楽しめる作品。
新海誠監督のファンがより楽しめる映画という印象。
私は監督のことをあまり知らず観に行ったのですが、チープな言葉を使えばポエミーで、相当少年少女がお好きなんだな、思いました。
観た人が考えるというより、監督の考えや好きなものを詰め込んだ講談会に来ているようでした。
他の人も書かれていましたが、作品としてはファンタジーと現実のどちらの視点で観ていいかわからず、入り込みたい時に現実的なツッコミを入れたくなる所が多く感じ、私にはうまく入り込むことができませんでした。なので、細かな設定が気になる性格の人には向かないと思います。
あれだけ綺麗な映像と音響なのにもかかわらず、心に残ったシーンが少なく。
その他大勢より自分の意見を大切にして生きることを伝えたかったのだとしたら、私にとっては「何を当たり前のことを」という感じで自分の意見と照らし合わせて楽しむ、という事が出来ず少し薄味で味気なく感じました。
それでも少年少女の世界を美しく描き、社会よりも自分たちを選んだというラストは明確で観やすい作品であると思います。
思春期に求められる処方箋の一つ
間違いなく傑作と呼べる映画の一つ。
この作品の問いかけは単純に見えて奥深い。
つまりヒロインの天野陽菜をとるか、東京(セカイ)をとるかというという選択なのだが、この作品には但し書きとして『救済はありません』と書かれているのが特徴だ。
多くの映画、多くの作品、多くのセカイ系が、ヒロインを選んだ場合に第三の道、つまり救済ルートが用意しているのに対し、新海作品では容赦なく東京が沈んでしまう。
果たして東京を沈めてまでヒロインを救うのは正しいのか?
それを正しいとする理屈はなんだ?
主人公の帆高を取り囲む状況や大人、そして社会は、生贄を肯定し、その正しさを理屈として説得してくる。だが帆高は衝動のみで一切を駆けて行こうとする。
説得に応じず、反社会行為を繰り返す主人公はある種異常に見える。
だが普通に考えてみれば、16の少年が大人と議論として論破できる筈も無い。少年の武器は只の向こう見ずな衝動だけである。
それこそが、大人である我々が不快に思い、脅威に感じる唯一であるから、この映画は衝動だけを武器に立ち回る。この映画が賛否分かれてしまう理由は此処だろう。
止めてくれ新海!!子供たちの抱えるその衝動を肯定しないでくれ!!と叫びたくなるような内容であったが、同時に思春期の衝動を抱える若者にとってどれだけ救いになるのだろうと、考える自分もいた。
象徴的なのは帆高が線路を駆けていくシーンだろう。
整備員は注意し、高架下から帆高を指差し笑う通行人は、正しく我々大人の象徴だ。
それでも帆高は脇目も振らず、耳も貸さず駆けていく。
この作品の稀有にして素晴らしい点は、衝動のみに突き動かされた若者の末路をちゃんと描いているところである。
主人公は保護観察処分になり、あれだけ嫌がった親元に戻されている。
ヒロインもやはりあえなく保護されてしまっている。
二人は別々に別たれ、天野陽菜は経済的事情からだろう、スマホも持っていないと作中で明言され、連絡もとれない二人は、ニュースから流れる東京沈没の報を見る度に、果たして自分は正しかったのかと一人自問を繰り返したのだろう。
本来慰めあう関係にある二人は、互いに頼れず、自分で答えを探すしかない。
三年も経てば衝動は静まり、後悔も募るだろう。
だが沈没した東京をバックに再会した二人は、同じ答えを出し抱擁を交わす。
『間違っていない』
この結論を臆面もなく描ききったからこそ、この作品は新しく、素晴らしいのだ。
絵は綺麗
娘と見に行った。
ペット2はリラックスして見ていた娘が、天気の子では席で前のめり食い入るように見ていた。
賛否両論の結末との事で、「東京首都圏が3年も雨が止まらずに水没」って、どうなのよ!?というのは確かにあるね。
「誰かが人柱となって元に戻してくれるのなら、戻してくれよ」というのが本音 というのは、正直なところだよね。
でも、その人柱が自分大切な人なら、どうする?という時に、「世界や世間はどうなっても構わない 」というのも、また本音だよね。
誰かの犠牲で維持される社会 と、誰も犠牲にならないけれど皆が不便と被害を甘受する社会 という選択。
これまでは、社会のために誰か個人が犠牲となり人柱となる規範があったのが、
個人が大事にされる現代の世相を反映した結末だなぁ と。
大切な人が犠牲にならなかったのはハッピーだけど、ややモヤモヤするラストではありました。
犠牲により捻じ曲げた現代社会へ
現代社会からは多くの不便が消え去った。表だけみれば実に快適である。
しかしその快適さはを生み出したのは技術的進歩ではない。弱者の犠牲によるものである。
そして我々は犠牲に目を向けようとすらせず、或いは都合のよい解釈により美談に仕立てるのである。
『天気の子』の舞台は東京、そこは連日の雨。
そう、雨なのである。今の社会の本来の姿は豊かでも何でもない、晴れでもなく曇りですらない。
その東京の空を晴らすのがヒロイン陽菜。学生という点は前作の三葉と変わらないが、その立ち位置は全く異なる。親を失い、弟のため年齢を偽り職を探す弱者である。
ただそこに居ることすら許容されない世界で、彼女は「晴れ女」という自身の価値を実感できるものに徹する。その代償を知りながら。
セリフ上は、陽菜がその代償を知ったのは夏美に教えられてとされている。ただ実際のところ、明確にではないにせよ最初からわかっていたのではないか。幾度か見られた太陽に手を翳すシーンがそれを物語る。私はあと何度、晴れを贈れるのだろうか、と。
そして最後、自身と引き換えに東京全域に晴れをもたらした彼女には、ひとことの礼すら向けられない(厳密には萌花のような例外もいたが)。
本来なら雨のところ、どうして晴れたのだろうか。誰のお陰だろうか。そこには一切目を向けようとせず、ただ与えられたものを貪るだけの存在に世界は埋め尽くされている。前作のアナウンサーのセリフ(大変な幸運と言うべきでしょう)と同様、彼らは決して知ろうとしない。
帆高の憤りは至極尤もなものであり、その憤りを理解できない人々も実社会のままである。
弱者の善意を踏み台にして、無理矢理捻じ曲げ築き上げた今の豊かで快適な世界。
これまではそちらを選ぶよう強いられてきたのに対し、本作では世界でなく陽菜が選ばれた。
陽菜(愛)を選んだともいえる一方で、世界に対し「無神経でただ貪るだけのお前たちなど救うに値しない」と突き放したとも云える。
相手が目の前にいないと「ありがとう」のひとことすら言えない社会に、誰かが犠牲になってまで支える価値など無いだろう。
老婦人と須賀、ふたりの大人からの言葉にしても、単に「良い気遣い」とは受け取れない。
現実であのセリフを口にできる大人は皆無なのである。つまりは観客の度量が試されているのである。
若者(穂高)が陽菜を選び、大人(須賀)がその選択を受け止め認める。たとえ本来の雨模様に戻ろうと、犠牲により捻じ曲げた晴れの時代が終わることを切に願う。
青春、純文学、そしてファンタジー。
いつの間にか、16歳の頃なんて覚えてなかった。
そんな事を考えた作品だった。
主人公は16歳の高校生。
行く宛もないまま東京へやってきた少年。
東京へ来たはいいが、雨。
また翌日も雨…
16歳の家出少年にとって、東京は雨のように冷たい。
居場所も仕事もお金もない。
少年の心を打ち砕くようなその雨は降り止む兆しもなく…
そんな時、とある少女に出会う。
とある少女の差し出したハンバーガー、彼女の何気ない優しさが少年の雨模様に一縷の光を浴びせる。
雨が降り止み、太陽が顔を覗かせたような…
後日、少年はある事件に巻き込まれる。
そして、ある事実を目の当たりにする。
起こっている事を理解する間もないまま、物語の風呂敷が広がっていく…
少年はこの雨が止まない街で光を掴かみかける…
都会に夢馳せたあの頃、何かに、分からない何かにズルッと引き込まれた10代、大事な何かを、脆い事も忘れ、力一杯抱き寄せようとしたあの青春…
少年が東京で出会った須賀という男。須賀の従姉妹は仕切りに須賀と少年が似ている。と呟く。
須賀はきっと、少年と似ているのだろう。
大人である須賀の視点と16歳の家出少年、この対比によって何かを忘れた大人達もこの物語の中へ引き寄せられるのだろう。
純文学のようでファンタジーなこの作品は、16歳の頃を忘れた大人の僕達へ分かり易いのだろう。
ただただ、真っすぐで、不器用で、無鉄砲。
脆くて、弱い。
今にも壊れて無くなりそうな脆さ。
その中にある無垢で弱々しい純な輝き。
少年とあの頃の自分を無理やり重ねてしまう。
多分そこには、もう戻れないあの頃への憧れと呼び覚まされる、引き寄せられる何かがあったんだろう。
そんな少年に、ガンバレ!と祈る自分がそこにいた。
面白かった! 賛否両論って言ってるけど私はこれは良きだと思う きっ...
面白かった!
賛否両論って言ってるけど私はこれは良きだと思う
きっと否定的な意見として「帆高が自分勝手な行動のせいで、天候が狂ったまま」となるのだが、別にそれがどうしたと言えるし…
なんだかんだで別の方法考えて、生きて行くのよ、人間ってモノは。
逆によくある「あの子もいっしょで、世界を救う」的なのがどうもきれいごとみたいで嫌だなあ
陽奈と大勢の人の幸せ、それをきちんと選択できたのだから…
ただ、悩んでる描写はもうちょっとあっても良かったよねえ
愚直なやつ
映像と楽曲の合わせ方が相変わらずやばい。
グランドエスケープのシーンで思わず震えてしまった。
本田翼の声に関しては特に違和感なし。
下手くそ記事あったけど、あれはなんだったんだ…
最初の30分は雨のシーンが多いのもあって陰鬱な感じ。
だが、それを経ての晴れは爽快で、希望マシマシな気分にさせてくれる。
警察から逃亡、銃撃つ、線路走る等いろいろ主人公はやらかすのだが、ヒロインに会いたい一心での強い行動力、後先考えない愚直さに少し心打たれてしまう。そこまではいらんけど、何かにつっぱしれるその行動力がほしいぃっ。
ただ、舞台が現実にある東京であることと描写が現実寄りのため、主人公のやらかしに現実を重ねてしまいドン引きして映画を楽しめない方も多いと思います。あくまでフィクションであることを忘れずにいれば楽しめるかも?
最大のやらかしは東京水没の選択だが晴れにする能力はあれどもその義務はない。晴れ能力がそもそも無いのならどっちみち水没するんだから「自惚れんなバーカ」は順当。因果関係も証明できんし、パトの中での「精神鑑定いる?」のセリフがすべて。
ひっかかるところはあるけど、映像と楽曲のコラボをメインに話も楽しめたので見てよかったです。
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