天気の子のレビュー・感想・評価
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『君の名は。』より、私は好きです
朝ドラ『舞いあがれ』の吉田学生が、“『天気の子』の子だ”と言われているので、みて見ました。
朝ドラでの演技とは違い、こちらは声しかありませんが、違和感ないですね。この作品には、倍賞美津子や小四郎・・・じゃなくて、義時・・・じゃなくて、小栗旬や平泉成とか、名だたる俳優が出ていますが、やっぱり、どこかしら声の演技は不自然。その意味では、神木隆之介は凄いな。それと、違う意味で、本田翼も凄い。映像のある演技だと、棒演技とか言われるけど、アニメの声優だと、悪くはなかったかも。
素晴らしいと言われる新海作品ですが、正直言って、登場人物などの動きのある物体のアニメーションはイマイチだと思います。他方、その動く物体の背景は、“異常なほど”緻密。そんものそのままなので、どこだかわかるんですよね。凄い。
表題の通り、『君の名は。』よりは好きかな。荒唐無稽な内容なだけ、アニメである必然性も感じたしね。
無理がある
人の心を的確にクリティカルヒットしてくるタイプの監督
新海誠監督曰く、「君の名は。」で怒った人をさらに怒らせるための作品らしいですが、全然そんな可愛いレベルじゃなかった。もはや宣戦布告レベル。大丈夫、監督? いつか刺されない?
そして何より、前作の規模だったりやらかし感(褒め言葉)が赤ちゃんレベルに思えるほどの「監督ヤってんなぁ!?」と思わず唸るレベルのぶっとび何でもアリアウトロー感。
天才だよアンタ。人の性癖平気で捻じ曲げやがって許さねえぞ。一生ついてく。ありがとう。
でも「言の葉」の暴力的童貞感はやめて。トラウマになる。
「人をあんなに好きになれるなんて、羨ましいですな」という作中のセリフがありますがまさにそれ。
ひだひなをすこれ!!!(ヲタク特有のクソデカ感情)
うるさ型スポンサーや教育委員会等から文句出そうなところをキッパリと無視した映画作りに爽快感
新海誠監督による2019年製作の日本映画。配給:東宝
「君の名は。」の大成功の後だけに,とても難しかったと思うのだが、映画全体として今まで見たことが無いオリジナル性の高い素晴らしい映画となっていて、大感激。
原作・脚本・監督・絵コンテ・編集の深海誠の才能の大きさに脱帽である。また新海監督の過去作を考えると、エンタテインメント性構築という点で、企画・プロデュースの川村元気とのタッグは得るものが大きいのだろうか。
新海映画の脚本は複数で練り上げた方が良いなんて思っていたが、今回見られた大きな独創性の前にすると、間違っていたとも思った。天気と少年少女の恋愛を基軸に、よくぞここまで壮大な物語に仕上げたものだ。また、ともすれば、家出、中学生の労働、銃の保持・射撃、警察署からの逃走、ラブホテル、ジャンクフード、おっぱい、ヒロインの裸体、子供っぽい高校生視点、自分達さえ良ければという恋愛至上主義、東京海没、農業無視で、うるさ型スポンサーや教育委員会等から文句出そうなところだが、それらをキッパリと無視した映画作りに大感心。
雲の切れ目から差し込む光、水溜りに弾む雨の描写等、映像は相変わらず美しい。今回は特に、空の大きな雲の中に魚群がいて、空に召されたヒロイン陽菜を美しく光る魚達が囲んでいる描写には鮮烈な印象を覚えた。何とも創造的な官能的映像で、ナウシカ・レクイエムへの新海監督による挑戦か。クライマックスでの空からの二人で手を取り合っての落下映像も見事で、大きく心を動かされた。
主役2人森嶋帆高と天野陽菜、更に彼らに絡むお姉さん的存在の須賀夏美のキャラクター設定・デザインも、とても良かった。帆高の行動にはエヴァンゲリオン「破」シンジの影響がある気もしたが、夏美は初期エヴァンゲリオンのミサトの設定か。後ろに帆高乗せてのスピード感溢れるバイク逃走シーンは、ユーモラスな彼女の言葉も含めて素晴らしかった。本田翼の声も意外だが良かった印象。
小道具も生きていた。雨の日に亡くなった母の形見である青い石を付けた陽菜のチョーカーは、晴れ女の能力は母から受け継がれ、青い石の存在が能力発揮に必須であることを示す様に思われた。帆高の行動に突き動かされ晴れ女はやめる気になって彼女が空から戻った時、そのチョーカーは切れていた。更に、ずっと続く雨の中、帆高が高校卒業後に彼女にあった時はチョーカーは無く、青の石の意味が強調されてもいた。小栗旬による須賀圭介が指にはめる2つの指輪も意味深。彼が妻のことを思う時、無意識にこの指輪をさすっており、事故で亡くなったという愛する妻のものと2つの結婚指輪であることが、容易に推察もされた。
廃墟ビル屋上の神社に供えられていた茄子と胡瓜の精霊馬の存在が自分的には大きな謎で、2度映画を見ることとなった。最初の方だけでなく3回も登場するお供えの茄子と胡瓜がとても真新しく、あれを供えたのは誰かという謎が突きつけられた気もした。2回見た限り、あの場所の存在及び意義を知っていた可能性が高そうなのは、須賀圭介だけ。なので、彼がお供えをしていたようにも思えた。そして、彼がお供えをあそこでするということは、彼の妻はあそこで事故にあったということを示している様にも思えたのだが、青い石チョーカーも着けていなかった妻が晴れ女とも思えず、いぜんとして自分には謎のままである。
原作新海誠、脚本新海誠、製作市川南、 川口典孝、企画川村元気、プロデュース川村元気、エグゼクティブプロデューサー古澤佳寛、プロデューサー岡村和佳菜 、伊藤絹恵、アソシエイトプロデューサー角南一城、アシスタントプロデューサー加瀬未来 、堀雄太、共同製作大田圭二 、井上伸一郎、 弓矢政法 、善木準二、 渡辺章仁、キャラクターデザイン田中将賀、絵コンテ新海誠、作画監督田村篤、作画監督補佐大橋実、演出徳野悠我 、居村健治、助監督三木陽子、サカナ設定伊藤秀次、銃設定本間晃、衣装・小物設定松井祐子、李周美、イメージボード新海誠、美術監督滝口比呂志、美術監督補佐渡邉丞、 室岡侑奈、美術設定滝口比呂志 、渡邉丞 、瀧野薫、気象神社絵画・天井画山本二三、色彩設計三木陽子、色指定検査チーフ吉田小百合、特殊効果入佐芽詠美、CGチーフ竹内良貴、撮影監督津田涼介、音楽プロデューサー成川沙世子、音響監督山田陽、整音山田陽、音響効果森川永子、編集新海誠、音楽RADWIMPS、主題歌RADWIMPS 三浦透子、制作プロデューサー伊藤絹恵、気象監修荒木健太郎、制作プロデュースSTORY inc.、制作コミックス・ウェーブ・フィルム。
出演 醍醐虎汰朗(森嶋帆高)、森七菜(天野陽菜)、本田翼(須賀夏美)、吉柳咲良(天野凪)、平泉成(安井刑事)、梶裕貴(高井刑事)、島本須美(間宮夫人)、香月萌衣(須賀萌花)、木村良平(スカウトマン)、花澤香菜(カナ)、佐倉綾音(アヤネ)、市ノ瀬加那(佐々木巡査)、野沢雅子(占いおババ)、柴田秀勝(神主)、神木隆之介(立花瀧)、
上白石萌音(宮水三葉)、成田凌勅使(河原克彦)、悠木碧(名取早耶香)、谷花音(宮水四葉)、倍賞千恵子(冨美)、小栗旬(須賀圭介)、荒木健太郎、與猶茉穂、桑原彰、武田祐介、羽鳥慎一、石橋武宜、岩本計介、川添佳穂、原直子。
アオハルですかね?
小学生の娘が公開中の「すずめの戸締まり」を観に行きたいと言うので、その前に地上波放映された時に録画してそのままになっていた「天気の子」を一緒に鑑賞。
いつものことながら絵の美しさには惚れ惚れしましたし、有名俳優さん達が多数出演されている声優陣もいい感じでした。
が。。。内容的には残念ながら引っ掛からないというか、さらっと流れるというか、これはやはり私がおじさん過ぎるからでしょう。
娘はしっかりのめり込んで涙も流してましたから。
おかげで「すずめの戸締まり」も正直あまり食指が動きませんが、私の故郷も一部ロケ地に選ばれたりしているそうなので観に行ったらまた書き込みます。
ここ数年悪さしようとすると必ず雨が降るので陽菜のような知り合いが欲しいなあ~。
コンセプトが謎
天気の子、という神がかり的な能力
そこに家出少年とのボーイミーツガール、都会でのアドベンチャー
中途からの逃亡劇風味
コンセプト的にとっちらかっているように感じた
どれか一つに焦点を当ててストーリー的にシンプルにしたほうが面白かったのではないかな
演出的に成功していた前作『君の名は』に対して、全体的に盛り上がりがいまいち
白け感すらある。
『君の名は』のMV的演出の挿入は画期的だったのに本作では生かされていない。
"落下する少年少女が空中で手を握る"という
『エウレカセブン』以降割とよく見るシチュエーションを着地点にして映画として体裁を整えたような印象
SFというよりファンタジーなので、もっと突き抜けた展開、演出もできただろうし
"人柱"を中心にしたはなしでもよかった
もっとオカルト、民間信仰の部分で掘り下げたほうが面白かっただろう
テーマ的に"雨宿り"なら、もっと冒頭からそこに焦点を当てるべきだった
主人公二人の境遇の描写、対立する存在、避けられない運命などが演出的に足りていないので
作品として感情移入ができず、盛り上がりに欠ける。
『君の名は』のキャラクターがすこし登場しているが、
ただそれだけ。
個人的に木村良平の小物キャラが大好きなのでここは良かった
うーん・・・そもそもどのへんの視聴者をターゲットにした作品なんだろうか
一般層、ライト、新海誠ファン、オタク
迷走している感が否めない。
映像美だけの、感動ポルノ
映像美は素晴らしいが、脚本、演出が全然 機能していないのが、なんとも言えない。
思春期 真っただ中の、お子様 性欲男子なら、共感できるのだろうけれども、
彼らを痛めつけるべき、冷たく、邪悪な社会構造そのものは、
別になにも 悪くないのですね。
銃を拾った主人公が、その暴力性に狂う展開があるのかと思えば、そうでもなく、
ファンタジー設定にも、なにも共感性もなく、ただただ、設定されたとおりの人物がいるだけで、
そこに、なんのドラマ性も、成長感もないのですね。
描かれている社会は、お子様には厳しいのかもしれませんが、
オトナからしたら、至って普通の社会そのもので、
それを冷たいとか、辛いと感じるには、主人公たちが あまりに幼いからでしかないのですね。
彼らの年齢設定は、そのためだけのものであり、なんら必然性がないのですね。
その幼稚性により、この世界の東京は水没する訳なのですが、
古典由来の下敷きは、わからないではないのですが、
ただただ、主人公たちの成長もなければ
それを「天気の巫女の宿命」と、その犠牲性にだけ 委ねるには、
人物のヒロイン性も弱ければ、そもそも、設定そのものに 無理があるのですね。
水没させられた一般人や、脇役たちには関係なく、そのまま死亡した人々の無念や
災害の残虐性は描かれることがなく、
一部破壊された都市機構としか描写されません。
この作家にとって、災害とは、あくまで、設定でしかないのですね。
実際の災害の悲劇性と、この魅力のないヒロインを天秤に懸けるほどのドラマテックな展開も、まったくありません。
物語の山場に、こういった曲を流しておけば、観客は感動するだろう、というのは、
作家の怠慢であり、傲慢であり、安易な手法でしかない。
物語にテーマ性がなく、ドラマが生まれないのは、そもそもの脚本と演出に素養がなく、
作家性の欠如としか言いようがないと思います。
非常に優れた商業作品なのでしょうね。 私には理解できない。理解できるが、大勢の観客を下に見た
残念な作家性しか見えなかったのです。
ほっておけない がテーマの映画
映画 天気の子の hukuの考察
エンディングで陽菜と帆高が出会うのだけど
親がいない、頼る親戚もいないような、高校生の陽菜が どこに住んでいて
どうやって生活しているか 凪も
ネットでは誰も そのことについて触れておられなくて
(一件だけ見つけたけど。 2019.12.28追加)
現在の日本の社会のシステムでは どのような状況が考えられるか
誰もそれについて書いておられなくて
両親のいない、頼る親戚もいないような高校生と小学生(中学生かな)が
どのようにして生きているのか それについて書いておられないのが寂しくて。
大多数の人にとってはこのようなことは 考えたくないことかも
「他人の人生より 自分の生活が大事だろ、普通」 という人が多い日本で
このような題材の映画を作ることは 興行収入を無視していることで。
客のオーダーを無視した料理を出している料理店のような感じで。
主要登場人物が ほっとけない性格で
普通の人ならばほっておくのに 主要登場人物はほっておかなくて
帆高が捨て猫をほっておけなくて事務所に連れてきて その猫が恩返しとして招き猫になって
事務所に多くの仕事を招いたから 事務所の社長が陽菜と凪の身元保証人になって
面倒を見ることができたってことで。
貫禄ある猫(雨)の姿を見れば 誰もがその設定に納得されるだろうと。
繋がることを選んだ種なので ほっておけないと思うべきだってことで。
主要登場人物がほっておかなかったから 悪い状況でもすべてがうまくいく話で
ほっておけない がメインテーマの映画かと
ほっておけないと思うことは 言葉を変えれば
「皆を 幸せにしたいと思う心を持っている。」 と言えるかと
昔、ある本で この言葉を読んだことがあります
人と人が繋がる最初は 「君の名前は?」 と言う事からで
人と人のつながりを維持し 種を存続させるには ほっておけない と思うことで
流石の映像美
ですが、少し設定が気にはなる(笑)
ラストに関しては、私は相当大人ですが、それもありだと思いました。
大人は大人の都合を子供に押し付けても良くて、子供が子供の都合で動いたら、ダメとすることには疑問しかない。
大人でも子供でも大きな決断をしたら、それに伴う犠牲と責任があるのは当たり前のこと。それを教えれない周りに問題があるように思います。
それでも良いんだよ。は、優しさじゃない。無責任なだけ。まぁ、サポートする気があるなら良いとは思いますが。
この映画は確かに穴だらけです。ただ、私が気になるのは、大人と子供はいつから?どこから?この隔たりができ始めるのか、、、大人になる過程で確かに世の中の見えないルールに押し込められて妥協して諦めて合わせるようになるのは確かです。でも、この子達の心までわからなくなるのはなぜだろう。自分が諦めて合わせて生きてるから、お前たちもそうしろ!と、なぜ言ってしまうのか。ほんとに大人はあの子供に銃を向けるのだろうか?そんなに汚く見えてることに悲しくなりました。
あと、結果的にはあの男の子が天気の子だったのかな。。。あまりに、彼女の主体性が無かったことが、やはり男性目線でしかないのかな、、、と。
理屈っぽい(笑)
「すずめの戸締り」を観に行こうかどうか迷ったので視聴しました。
新海監督の世界観は、民俗学や神話を知らないと、なんだかよくわからないですね、やっぱり。
宮崎駿監督の世界が右脳的だとしたら、新海監督の世界は左脳的。理屈っぽいと感じます。
宮崎監督の世界は、だから前知識がなくても直感に訴えかけてくるのに対して、新海監督の世界は、ある程度知識がないと何が言いたいのかわからない。
天気の巫女などというものが、日本の歴史に存在したかどうかはわかりませんが、「一年神主」と似たようなものでしょうか。
その年の豊作を祈る神主であり、その年の終わりに殺される。それが「一年神主」だと柳田翁は書いています。
自然に抗って天気を操るため、生贄を差し出す。その生贄が天気の巫女だということでしょう。
縄文海進の時代、東京のほとんどが海の底でした。
それは大自然の意志であり、もし縄文時代に「天気の巫女」がいたとして、押し寄せる波を止めることはできなかったでしょう。
縄文人たちは天候に抗い、巫女を生贄として止めようとしたでしょうか。
それともごく楽観的に、陸へ陸へと移動したでしょうか?
発掘調査によれば、後者だ、ってことになると思います。
だから、穂高は陽菜さんのために東京を見捨てたのではなく、「人間が生贄を捧げて自然をゆがめる」ことをやめ、自然のなりゆきに任せたということなのでしょう。
だとしたら、ストーリーに破綻はありませんが……感動しづらい話だなぁ(^^ゞ
「若者が頑張った!!」っていう話に、こんなめんどくさい理屈はいらない……。
うーん…
体調悪いってか病み上がりってか病み途中(?)ですが、(あくまでライトに)酷評しに参りましたw
(先々週?地上波で観てからだいぶ時間が経ってしまった、、その間(かん)、大好きな佐伯ポインティさんのゲーム実況とサブスクのアニメチャンネルばかり観てた…w)
『君の名は』について、職場の大学生の子が「映像はすごい綺麗ですよー、ストーリーはどってことないですけど」と評していたことがあって。
そのあと私自身鑑賞して、まぁほぼおんなじような感想を抱いたのですが、この『天気の子』に関しても同じような印象でしたね…。
なんだろう、タイトル「うーん…」にしたけど、あえて付けるなら「最新の映像美と古典的なキャラクター」、かな。
私はどうもこの監督の性別役割分業観が苦手なのだ…(細田守は全作品は観てないけどここまで酷くはない気がする。ただ、シンプルにつまらなくて中途挫折したりした(何かあの歌姫と野獣のやつ))
宮崎作品もシータがシチュー作りに精を出したりするけど、シータはラストでムスカ相手に啖呵切ったり、耳の真横を拳銃で撃たれてもひるまない強(したた)かさがあるじゃん。それに何よりミヤさんは世代が世代だし、あれ'8~90年代の作品だしな。
あーた若いのにどうしてそう古いの、、。←これが、私が新海作品に感じてしまうことなんよなー。
ま、もっとも、不況ですし。コロナ禍で物価高で"異常気象"ですし。先が見えない時代は保守的なものが好まれますから。こういうものがウケるというのはワタクシも肌で感じますがね。
圭介の声、最初いい声だなー、誰だろなーと思ってたら小栗旬でしたか。あんまり好きではないんですが、この圭介の声に関しては渋くて自然でいいなと思いました。
あとは森七菜ちゃん!こんなに上手い子だったんですね。夏美役の本田翼は…前から演技が大根と聞いてはいたんだけど…よく言えば自然?w ミヤさんとかが起用したがりそうな自然(素人っぽ)さだと思うんだけど。
森七菜ちゃん演じる陽菜が、しょっちゅう"ウフフ"って笑うんだけどその笑い方も気になる。ドラえもんなの?w
全編を通して「今、胸見たでしょ」「どこ見てんのよ」ネタがあるのもキッツい。何、らんま1/2の時代を生きてらっしゃるの??もう令和ですことよ…!!
『天気の子』で検索すると「気持ち悪い」って出てくるので、よかったそう感じるのは私だけじゃなかった…と先刻、ホッと胸を撫で下ろしたところです。
あとねー、先もある程度、読めちゃうんだよねー。序盤で取材した占い師の「(晴れ女は)能力を使いすぎると~…」のくだりで"あぁ、ラスト付近で陽菜が消えちゃって主人公が追っかける感じねOK"って思ってたらその通りになるしww
(※占い師と夏美のやり取りは、スピ好き女への揶揄とも取れるがある程度面白かったです)
まぁ映像は(ぐぅ)綺麗ですし、田端?駅前が聖地巡礼で賑わったのはよかったんでないでしょうか。
須田は結局何なのよ!!!【求】ファンタジー要素の回収
新海監督の画の強さには、幼い子たちが大人になった時“懐かしいあの風景”として思い出すんじゃないかと思える力を感じます。得体の知れない無力感やままならなさを感じる世代に、日常を一変させたいと思わせるポジティブな力が、あの“幻想的な風景画”たちにはあるように思えるのです。
無力な少年が世界を犠牲にしてでも、たった一人の大好きな人を助けることを選択する。その途方もない覚悟を、拳銃の発泡などの法を犯し一線を越えることで表現する、これ以上ない描写も印象的でした。
近年2作より点数を下げてしまったのは、ファンタジー要素の回収不足への物足りなさでした。本作はあくまで現実という世界をリアルに描き、日常の延長線上で“晴れ女”を取り巻く超常現象が起こる物語です。君の名は。では不思議な現象が起こる“理由”の破片が散りばめられており、説明されない余白も楽しみ納得もできましたが、今回は“鳥居を潜ったから”など偶然に寄るところに委ねている。
陽菜が人柱になったのは自然の摂理に反して雨を晴れに変え続け、天気のバランスを崩してしまったからだとして、なぜ晴れを願った陽菜の祈りは受け入れられた?帆高も天に昇れたのはどうして?龍神一瞬…!雨の魚は龍の鱗?須田は結局何なのよ!!…と、ヒントが少なすぎてファンタジーをファンタジーとして楽しみきれない点では勿体無さを感じました。
帆高と陽菜の選択によって東京は半水没状態になるものの、それでも生活は続いていく。そのバックで流れる「大丈夫」という曲自体が物語の一部と化します。RADWIMPS音楽の存在によって引き上げられる作品のスケールには中毒性があります。気づけば新海映画はRADでないと満足できない身体にさせられている…。
この人でなければ、この人だからこそ、そういった要素が詰まった作品を楽しめること自体、とてもしあわせなことですね。
やっぱりダメだった・・・
「君の名は」を観て全くハマらなかったので、
一応、観てみたが・・・やっぱりダメだった!
ストーリーも、完全にご都合主義に進んでいるようにしかみえず、
正直、観ていて予測がついてしまう。
その他大勢のキャラ、チンピラの態度とかギャルの口調とかの
演出も大袈裟気味で、観ていて失笑してしまった。
途中から時間ばかり気になってしまい、
「早く終わらないかなぁ」と、感じてしまった。
要するに物語に全く引き込まれなかった。
何よりキャラクター達に全く魅力を感じず、
キャラデザインもコテコテで、特にリーゼントの刑事って!(苦笑)
主人公も何から東京へ逃げて来たのかもあやふやな感じだし。
女の子の弟が凄いモテキャラなのだが、この設定は全く物語に関係なく、
「このモテ設定いるかぁ~~???」と激しく思った。意味なくない??
弟と主人公も仲良くなっていく描写が全くないのに
仲良くなっているので、違和感しかない。
マスコット的キャラを出す為に、全く物語に絡んでこない猫を
出して来たりする「あざとさ」も鼻に付く。
主人公を「少年」と呼んでいて(この呼び方にも違和感だし、わざとらしい)、
最後は「青年」と呼ぶ演出もあざといと思う。
ラストの展開もファンタジーだとは思っていても
この展開を納得させられる演出力がないので、
「何コレ!?」って感じでついて行けず、
なんか勝手に盛り上がっていて、
観ているこっちは置いてきぼりな感じ。
コレを面白く感じない俺の感性が問題なのか??
周りがどれだけ新海誠監督を褒め称えようが、
俺には新海誠監督の良さは死ぬまで分からないだろうし、
好きになれないだろうなぁ、と思う。
誰かの犠牲が誰かの幸せを作っている。
人間関係だけが人が生きる上で最も大切なことではない。人は15歳を過ぎれば厭なことばかりが自分の身に溢れかえる。だから、家を飛び出す。自分のことを誰も知らない世界で生きていこうとするのだ。
16歳の家出少年は新宿で「天気の子」とめぐ逢ったばかりにとんでもない経験をする。四六時中降り続く雨。この夏ばかりではなく3年間も降り続き、そして今も降り続いている・・・そんな設定の映画。宿命を自覚する少女と光の中で暮らしたいと願った少年。自然の中立さを理解できずに合理性と効率だけでしか物事を判断できない大人たち。壊れ始めた地球に責任を果たすことを忘れた社会。そんなろくでもない社会のために我が身を犠牲にした少女。そんな価値などありはしないのに・・・。
映画はここで終わってしまえばいいと願った。
にもかかわらず映画は続いてしまった。
稚拙な絵と臨場感のない音楽。
余りにも無責任に未来を青少年少女に託してしまおうとする者へ怒りを感じる。
見終わった後すっきりしない
見終わってもすっきりしない。ノベルゲームがトゥルーエンド直前のバッドエンドシナリオで終わってしまったような感覚。素人考えですが、主人公はヒロインを選んだがヒロイン本人のポジティブな意思で犠牲にとか、そもそもヒロイン自体が人間ではなく元から消える運命の存在だったような終わらせ方の方がすっきりできたように思う。後は一番の見せ場のシーンが某有名アニメ映画そのまま過ぎる事も気になった。オマージュなのだろうが流石にそのまますぎるように思えた。俳優女優がメインキャストを担当していたので棒読みを覚悟して視聴したがそこは心配なかった。部分的に棒読みはあっても基本は普通に聞けるレベルの演技だったと思う。オマージュをやるために後からシナリオを考えたのだろうか。あのエンディングのせいで主人公もヒロインもサイコパスのように感じた。
全1963件中、61~80件目を表示