天気の子のレビュー・感想・評価
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私は気に入りました🎵
忘れていた「青い春」にキュンとし涙腺が緩んだ自分に驚いた・・
「感性の老化」はまだまだ大丈夫かなぁ
なんて思ってしまいましたわ(笑)
観て良かった!
本当の愛なら、言葉はそんなにいらない
内容は大人向けだけど、子供にも分かりやすいようにという親切心からか、登場人物の気持ちや行動を補足するような説明的セリフ(例えば「僕は彼女に会いたいんだぁ~❗」とか)が多すぎます。
そのせいで彼ら彼女らの言動に深みがなく、何だか軽い感じになってしまい残念でした。
また、東京の環境を激変させるほど「世界を変えてしまった」自覚がありながら、そんな世界ででも「僕たちは大丈夫」と、抱き合って再会を喜んでいるのには、「お前ら周りが見えないバカップルか❗」とツッコミたくもなります。
ただ「時に若さ故に、盲目的に突っ走ってしまう男女の愛」というのを隠れたテーマとしているとすれば、さすがは新海監督だぜ……と恐れ入るところなのですが😥
あとついでに、警察の無能さを、徹頭徹尾・遠慮なしに描いてフォローもしない、という反権力的姿勢は、わりと格好いいと思いました
君の名は。と比べられない
期待していたような映画ではありませんでした。君の名はの監督と同じということで見に行きましたが、君の名はよりもストーリーより作画重視な感じがしました。
絵は本当に綺麗でしたが、あっという展開がなく、先が見えているようなあらすじでした。
大人になっちゃったけど、この映画が好き
中学生の頃というのは、この作品の言葉を借りると人柱というものに弱いと思う。
弱いというかある種のかっこよさを感じてしまうというか。
世界が誰かの犠牲のうえに、成り立つということへの妙な憧れである。
家出をした少年が猥雑な東京の街で出会ったのは、祈ると天気を晴れにできる不思議な力を持った少女だった。
しかし、当然のことながら天気はタダでは晴れにならず、彼女は力を使い果たしてこの世界からは消えてしまう。
彼女が消えるぐらいなら、天気なんてずっと雨でいいと強く願った少年は、少女を世界果てから引きずり戻すのだった。
たったこれだけの内容。
でもたったこれだけが、ストレートに伝わってくる。
そして、中学生の頃にこんな映画があればよかったのにって思っていた、まさにそのもの。わくわくする気持ちがよみがえってくるような。
怪しげな仕事をしている地下のスナックを事務所がわりにしているおじさん。そこで働くちょっとセクシーで破天荒な姉さん。
歌舞伎町の夜、新宿の目ネオン、廃墟の非常用階段。
そして、世界と関わる重大なちからを持った少女。
キャラクターの行動の根拠がない、いつ好きになったのかわからない 、発砲はいかがなものか、などツッコミたくなる気持ちも分かる。
けれど、たまたま出会った二人が、
世界をちょっと狂わせてしまったことぐらい大丈夫なのだろう。
世界はもとから狂っているのだから。
そう思わせてくれる良いファンタジー作品だった。
私は好きです。
余談ですが、ラスト近くでアントロポセンについて調べていたようなので、彼なら真剣にあの世界の気象の謎に挑んでくれるのかも。てるてるぼうずを作っていた彼が、彼女を救って物理で雨を解決する未来も悪くない。
リアリティーが邪魔
この作品は「君の名は」を見ている見ていないで評価に差が出ると思います。このレビューは見た側の一個人の意見です。
展開や手法が前作とかなり似ていると感じました。同じ監督なので当たり前ですが、それにしても似過ぎていると感じました。
期待せずに見ましたが、期待せずに見て丁度良いかなと思います。「君の名は」を見ていない人からすれば、映像も綺麗だし音楽も良いので楽しめると思いますが。
恋愛描写が前作より色濃かったかなと思います。
少しそこがクドく感じましたし、その描写が雑だったかなと思います。
勢いのあるどうしようもない「感情」を「物理的」に表現するためだったのかな?と思いますが、それでも拳銃を軽く使っていたと思います。「重そうで軽い」ではなく「軽そうで重い」様に描いて欲しかった。難しいんですかね。
あとこれは前作を見た時は良い感じましたが、あまりにも実在の物を使い過ぎかなと思います。
リアリティーを出すのは良いと思いますが、それで作品に入り込めなかったです。
個人的にですが、思いっきりスポンサーなのかなと変に勘ぐってしまうほどだったので嫌なところでした。
結構悪い点を書きましたが、前作同様料理の作画やBGMを含めた音楽はとても良かったです。
それだけにもったいない作品だったと思います。
ストレートな力作
雨に濡れる東京の街並み、雲の間から射す日光など、とにかく画面の美しさ、細密さに目を見張る。
近年の異常気象、ゲリラ豪雨の頻発をモチーフに、東京に家出してきた少年の心情と行動を描く。震災を背景の一部とし、時間や空間のズレといったSF的ギミックに溢れていた前作と比較すると、本作はシンプルかつストレートな作品となっている。
社会現象となった前作から、相当のプレッシャーがあった中で、これだけのレベルの作品を完成させたことに素直に感心する。主人公二人の声、特に醍醐虎汰朗がピュアで自然で素晴らしい。
前作では、映像と音楽の力で一気に観せつつ、辻褄の合わない点も結構あったが、本作では、クライマックスで代々木の廃ビルで圭介が待ち受けていたところ(圭介はあの場所をどうして知ったのか?)ぐらいか。
ただし、前作もそうだが、ラストの主人公二人の再会シーンは、ピタッと決まった感じがしない。前作よりシリアスな本作では、観客を突き放すぐらいの終わり方でも良かったのではと思った。
ちょうど、夏休み恒例のジブリ作品連続放映とも重なったこともあり、宮崎駿に対するオマージュも強く感じた。
楽しい青春ファンタジー!
君の名は。の意味も楽しさもぜんぜん分からなくて、でも君の名は。めちゃめちゃ流行ってて、どうして?なんでと思っていたので、今回見に行くかどうかめっちゃ迷いました。
どうせまたつまんないよ、でも話題作だしな、面白いかもしれないしと迷いに迷って観に行ったけど、結果観に行ってよかったです。
つまらなかったり嫌な気持ちになったらどうしようと序盤ビクビクしてましたが、普通に面白かったです。
特に物語の意味とかみんなが言ってる須賀さんの奥さんの話もなんも考えずに観たけど、楽しい青春ファンタジー!
鑑賞後色んな人の考察を読んで深い…。
最後主人公はいい選択、いい最後だなと思いました。
自然に順応して生きていくのが本来の姿だしね。
ただ、主人公が劇中結構心情を説明してたのがちょっと。
俳優さん達だと表情や仕草で伝えてくれるのに…!
ティーンにはイケル感!
ちょっと気になるのは事件性の所。長く生きてると、あれは無いってところ出て❗逃走シーンは良かった。ティーンくらいの感覚だったら と? 思いはせ、何かイマイチのれなかった。もちろん、画面は隅々に精巧の出来には、感心!
キャラクターが大きな声で叫んだり、涙をだらだらと流したり、ドラマテ...
キャラクターが大きな声で叫んだり、涙をだらだらと流したり、ドラマティックな音楽がタイミングよく流れるから、見ている人が感動するのではない。それらはただの「演出」であって、しっかりとした世界観に裏打ちされた脚本があってこそ、効果を発揮するものだと思います。
前作の「君の名は」に比べると、脚本の出来が著しく劣化、他の方も書いているように、「なんでこーなるの?」ってのがきちんと説明されていないため、騒ぎ続けるキャラたちの誰にも感情移入できないまま、どんどん描写だけが進んでいきます。
「なんで女性主人公は晴れ女になったの?」「晴れ女になったときに病床にいた人はそのあとどうなったの?」「なんで男性主人公は島から出たの?」「なんでゴミ箱の中にピストルがあったの?」「なんで東京には雨が降り続けているの?」「なんで女性主人公は人柱であることがわかったの?」「なんで人柱になると消えるの?」、などなど解決されない疑問が山積みです。
芸術作品だったらこれでOKでしょうけど、娯楽作品としてはどうでしょう? 正直、途中で寝ちゃいました。
これが本当に、あの精緻な「君の名は」を作った新海監督の作品なのでしょうか? なんかのパロディじゃないでしょうか?
肝心の描写も大したことありません。
たとえば空を舞う主人公たちにまったく「浮遊感」がないのです。宮崎駿があれだけこだわってきた空中シーンをあえて導入するわけですから、宮崎にはなしえなかった新しい浮遊感を提示すべきでしたが、残念ながらそれはなし。スタジオジブリもほっとしているでしょう。
マクドナルドをはじめとしたあちこちに出てくる企業タイアップのカットも興ざめです。
企業に媚び、大衆に媚び、自分の前作に媚びた…そんな悲惨な作品。残念です。
男の子視点の新海節、女性視点では…
新海節とも言える男の子の視点、心の描き方は流石という仕上がりです。
地方の島出身の家出少年が新宿・歌舞伎町で100%晴れ女とボーイミーツガールという作品。
作中にはそろそろ毎回お馴染みになってきたスターシステムで「君の名は」の登場人物たちがちらほら出てきましたので、前作も観ている方はそんな所も楽しめるかと。
映像の美しさに関しては元々定評がありましたが、ジブリ解散の時期と前作の製作時期が重なったことから元ジブリスタッフをかなり抱えての今作への着手は作中の至る所に伺えます。
背景の描写やヒロインの弟とかはもろジブリ少年だし、警察官とか中年の描き方も素晴らしい。
ポスト宮崎駿ではなく、ここからは新海誠としての作品に期待したいですね。
最大の懸念というか疑問はヒロインはいつ主人公のこと好きになったのかという点。
最近の新海作品はそこがいつもご都合主義というか、主人公好き→ヒロインも好き→何かトラブルが起きて、解決して両想いでめでたしめでたし、このパターン。
女性キャラの視点が欠けている気がする。「秒速五センチメートル」の時はヒロイン視点で語られているのだが…。
女性はその辺りどう思っているのかなー。
私はこの作品をビル4階分の巨大スクリーンが名物のグランドシネマサンシャイン(池袋)で観ましたが、大正解でした。
4Kで高精細なだけでなく、巨大スクリーンで登場人物の景色を見上げるシーンでは自分もまるで景色を見上げているような錯覚を覚えました。音響設備もさることながらこの没入感は通常のスクリーンでは想像さえできないでしょう。
これからは作品に合わせて劇場選びも作品を楽しむ上で重要なポイントになるでしょうね。
「平成のレクイエム、令和の黙示録」
「平成のレクイエム、令和の黙示録」
これは「敗北の平成」へのレクイエムである。そして「昭和」へのノスタルジー、始まってしまった「令和」という時代の黙示録だ。つまり2019年の日本の気分がきわめて精緻に映し出されている作品である。
課題先進国の今を切り取った作品として、どの程度の普遍性が世界に認められるのか。アカデミー賞の評価を待ちたい。
「天気の子」は「景気の子」
全編にわたって東京に降り続く雨は「敗北の平成」失われた30年の日本の停滞そのものだ。「景気の気は気分の気」というが、好景気を「晴れ」、不景気を「雨」と置き換えればわかりやすい。
冷戦終結後のグローバル化に翻弄される日本。音を立てて変化する世界を前にすでに大人たちは当事者能力を失ってしまった。昭和の残照から平成に生きた人々は現実を直視せず現状維持で逃げ切りを図っている。彼らが使う「終活」という妙な言葉はこれまでのニッポンの店じまいを意味するのかもしれない。
「夢よもう一度」トーキョー2020は「陽菜」。
みんなに100%の晴れが続いた時代。東京タワー、新幹線、万博、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、マイカー、エアコン、電子レンジ、ビデオデッキ。記憶の中ではバブルまで甘い。
なかでも国民の集合的記憶として無条件のポジティブイメージが与えられているのが1964東京オリンピックだ。だからこの物語の舞台は代々木になる。陽菜がひとときの晴れ間をもたらすチカラを得るのもこの場所である。代々木は再びハレの舞台としての神通力を求められているのだ。
奇跡的に再開発を逃れて老朽化した姿を残すビル。存在そのものが昭和へのオマージュだ。時空を超えて今にもショーケンや水谷豊が飛び出してきそうに思える。帆高が陽菜を追いかけて階段を駆け上る。その姿はかつての日本の青春時代そのもののようでまぶしい。「君の名は」といい新海誠は記憶のダブルミーニングに長けている。
「夢よもう一度」2020東京オリンピックにはわかっていながら、期待をしてしまう自分がそこにいるだろう。
分厚い雨雲のすきまに一瞬の晴れ間がさす。トーキョー2020は「陽菜」である。「陽菜」は光であり、成長であり、再びの「太陽の塔」なのだ。
「帆高」は戦後日本人の集合意識である。
神津島から東京へ出てきた中学生「森嶋帆高」は、高度成長期以来、日本中から都会を目指した若者である。帆高が島で全力でつかもうとした「光」。フルスピードで追いかけるものの「光」は島から海の向こうへと逃げていく。帆高が追いかけた「光」は日本が、日本人が、戦後(もしかすると明治以来)追い求めてきた「経済的成長」そして、その果実としての「物質的豊かさ」なのだ。2019年の日本で「光」を求めるピュアさにリアリティを与えるには「島」から来るぐらいの設定が必要だったのだろう。
「須賀」という世代
フェリーで出会い、東京で帆高の面倒を見ることになる須賀という男。晴れを知りながら、自らは果実を手にすることができなかった間に合わなかった世代である。だからイマドキ自分と同じように「光」を追いかけ大都会に迷い込んだ少年をほっておくことができない。現実に「成長」はもはや幻とわかっていながらも、少年の姿にかつての自分を投影してしまう。フェリーではたかっておきながら二度見でもするように連絡先を教える。さらに天野陽菜の登場で、もう一度「自分」も「晴れ」を追い求めてみようかと思ってみたりする。だから、少年に対してとる態度は決して一貫していない。わずわらしい警察沙汰から免れようとドライに利己的に接する一方、発砲した少年を逃がす手助けまで行ってしまう。土砂降りの現実の中で、もがき葛藤する令和の大人の姿を垣間見ることができる。
戦後日本 アメリカはどこにある。
陽菜と帆高の出会う場所が「マクドナルド」である。アメリカは戦後日本の新たなアマテラスであり、ガーディアンであった。だから、陽菜はマクドナルドとともにあり、帆高にとってはセーフティーネットとなっていた。ビッグマックはそのシンボルなのだ!しかし、帆高も陽菜もマクドナルドから放り出されてしまう。
マクドナルドの外はむきだしの性や暴力が支配する弱肉強食の世界だ。少年はひょんなことから手にする暴力装置を陽菜を守るために使ってしまう。グローバル資本主義の下でわれわれはどのような選択をするのだろうか。何をどのように守るべきなのだろう。銃を手にした少年はさながら核を手にした日本に見える。
成長をみんなで追い求め続けた結果の荒野 2019年の日本
作品に登場する人物の背景は戦後日本のアンチテーゼの様だ。シングルファーザー、ネットカフェ難民、児相、風俗、ブラック就活。「標準世帯」や「終身雇用」などどこにもない。
1973年の「日本沈没」で小松左京は近未来の日本を描いた上で沈没させた。しかし「天気の子」では具体的な未来が描かれることはない。今あるものが沈んでいく。それでも東京タワーは残り、スカイツリーは沈む。すでにオリンピックよりも先にリメイクを終えたスカイツリーの存在はフェイクということだろうか。平成のチープさが浮かび上がるノアの洪水とバベルの塔を足して2で割ったような絵面である。田端は代々木の逆サイドにあるもう一つの聖地として「アララト山」になるのだろう。
「天気の子」は令和の黙示録である。
2020東京オリンピックや2025大阪万博は日本に一時的な活況をもたらすだろう。しかし、誰もが気づいている。ろうそくの火が消える寸前の炎ということに。老若男女が「晴れ女」にすがったように、一瞬痛みを忘れる延命治療のようなものだ。100%の晴れが続くことなどこれから先は無いし、これまでだって本当は強烈な光にはその分影があることに気が付かないふりをしていただけなのだ。
帆高は最後に代々木会館の階段を駆け上り、鳥居からダイブして陽菜を追う。
「もう二度と晴れなくたっていい! 俺は陽菜がいい!」2人は翼が溶けたイカロスのように2019年の東京にゆっくりと落ちていく。われわれはもう飛ぶことはできないのだろうか。
「愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい」
「愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ」
☆世界経済に占めるGDPの割合
平成元年 米国 28% 日本15%
平成31年 米国 25% 日本 6%
☆世界の時価総額上位50社
平成元年 日本企業32社
平成31年 1社 トヨタ 人口減少 増えているのは国債のみ
この先は個人的な幸福の追求しかないのだろうか。
かつての夢の焼き直しではない、新しい天と新しい地。まるっきり新しいシンニホンをわれわれは創ることができるのだろうか。「天気の子」は令和の黙示録である。
何かを変えたいと思った帆高と陽菜の物語
天気の子2回目観ました。1回目は公開初日に足を運び感動したのを覚えています。2回目は登場人物の心情や細かい描写を観察しながら鑑賞しました。
まず、「この映画は天気を通して何を伝えたいのか?」というテーマで考えてみました。天気というのは、雨が降ったり止んだり、晴れたり雪が降ったりと本来人間がコントロールできないものです。
今回の作品では東京が異常気象に見舞われ大雨の日々が続きます。これは、帆高と陽菜の心情を表していると私は想像します。島から離れ、なんの当てもなく東京に来た帆高。母親を失くし、中学生でありながら(帆高には18歳と嘘をついていた)弟と二人で生活をするためにアルバイトをする陽菜。2人とも何か希望を持てない日々を送っていた。そんな心情が異常気象に映し出されたのかと思います。
そんな中、陽菜は特殊な能力を持っていました。「どんな大雨でも晴れにする」能力です。その能力で帆高と陽菜は、「雨で困っている人たちのところで晴れにする」サービスを提供します。困っている多くの人たちを助けて、感謝されます。帆高と陽菜は人助けをして、初めて自分の生きがいを見つけることができたのだと思います。
この作中で、帆高が「僕たちは世界の形を変えたんだ」というセリフがありますが、天気を変えることで多くの人を助けたことから生まれたセリフだと思います。本来、天気は人間がコントロールできないもの。それを変えて、多くの人を助ける。言い換えれば、「人生や運命も自分の手で変えることができるんだ」というメッセージが込められているのだと思います。
2016年に公開され新海誠が監督をつとめた「君の名は」と今作「天気の子」を比較するレビューがネット上に多く見られます。僕の感想としては、構成はほぼ同じという印象を受けます。人生にとって大事な人と出会う→その大事な人と会えなくなる→再び会いたいと願い行動を起こす。二作ともこの流れで展開されます。異なる点といえば、東京に対する印象が違うという点です。「君の名は」では東京は憧れの都市という視点で描かれていますが、「天気の子」では「東京って怖い。」という視点で描かれています。この設定が作品のコンテンツを大きく象徴しています。「君の名は」まっすぐ明るい未来に向かうイメージ。「天気の子」は暗闇から抜け出すイメージ。その点が大きく違う点でしょう。
超絶スマッシュつまらない
この映画を悪くいうと、反論が100倍来そうだから本当に迷った。
しかし、私と同じように「あれ?これつまらないの自分だけ?」と思って低評価を探しまくっているレビュー難民がいるはずだ。そんな人の為に書こうと思う。
最近はちょっとした小遣い稼ぎに、観てもいないのに「最高!最高!」とひたすら褒めちぎる偽物レビューも多いので、決してサクラに惑わされてはならない。
自分の感じたことこそ真実で、それが全てだ。
まず圧倒的に中弛みする。本当にダルダル。
賛否両論だとかそんなレベルじゃない、結末どうのじゃなくて、最後まで観るか悩むほどにダレている。時間の無駄感がすごい。
前半80点中盤評価に値しない後半30点映画。
前半は、日本人のミュージカル好きの心を捉えて、音と映像の融合が素晴らしかったと思う。
雲間から光が差し込んで、東京の街並みや、あらゆる人々の生活を次々と照らしていく様は多少力技と言わざるを得ないが、生理的感動を引き起こすには十分な演出だった。
このシーンは泣いてしまった。
ただ、穂高くんが家出をする意味がわからない。顔に傷があったことから、何か訳あり感をもたせるものの、特にそれについて語られる事もなく…家出をするほどの強い動機は感じられなかった。東京に行き場がなくて、街を彷徨う様も「東京ってこえー」という、一度は口に出したい田舎者の憧れの言葉を繰り返してるだけで、東京の冷たさを表現するのには無理があるか。東京の怖さはその無関心さにあり、チンピラに絡まれる事ではない。
船を上から大写しにする場面は、「血と骨」の朝鮮から出稼ぎにくるシーンが頭に浮かんだけど、まぁ関係ないですね。
後はですね、ここが真の賛否両論なのかもしれませんが、知ってる風景と広告が出過ぎ。本当に出過ぎ。気が散って散って、物語に入り込めない。
映画としてのエンタメ性がないんですよね、つまらない高校生の日記をダラダラと見せられているような。もう少しファンタジーあってもいいじゃん、っていう。
「トランスフォーマー」でも唐突に中国産の牛乳を飲むシーンは、やはり興醒めでしたからね。
これがもしかしたら今時の若者には「あ!ここ知ってる!」って現実とのリンクや身近な感じが刺さるのかもしれません。
西野◯奈の歌詞のように、読書感想文を読んでるようなあの感じが良いのかも。
表現って何なんでしょうね。
個人的にショックだったのは、サリンジャーのライ麦畑でつかまえて、が出てしまったことです。あれを見たら凄く期待しちゃいますよ…
サリンジャーを汚された感さえしました。
中盤に入ると、弛みはじめます。
アパートに遊びに行くシーンで、狭くてもボロくても出来る限り可愛くしている、ささやかな乙女心を表したつもりなんだろうけど、
なぜか下手くそと感じました。同じような描写ですと「ジョゼと虎と魚たち」のようなトキメキといじらしさには敵わなかったな、って感じでした。
弟くんはせっかく良いキャラなのに、途中から「先輩」と呼びはじめて、キャラの押し付けにウンザリしました。
不要な設定が多すぎましたね、「レオン」で殺し屋がミルクが大好きで泣き虫って設定が滑っていたのと同じものを感じます。
後は、私自身が性描写が少し苦手な事もあり、一回だけならまだしも繰り返し繰り返し出現する性描写には、ゲップが出そうになります。
さて、いよいよクライマックスです。
最初に登場したときは「若い子なんだな」ぐらいに感じたヒョロい穂高くんの作画が、更に崩壊していきます。線路を走るところではペラッペラの紙人形のようになった穂高くんがペチペチ走ります。
新海監督の作品は人間に体重が感じられないとは前から気になっていましたが、今回はその極値をいってました。
「トレインスポッティング」や「ミッションインポッシブル」のような強い疾走感が大好きなので、あの吹けば飛ぶよなペチペチ感は見ていて辛かった。実写とはもちろん違いますが、そういうと「トトロ」で、メイがトウモロコシ持って走るシーンはしっかりと体重を感じられましたからね。
あとこれは有名な映画評論家の方も書いていましたが、銃というメタファーって必要だったのか?ってことです。
天候を変えまくったせいで、国家の弾圧で追われる、とかならワクワクもしますが、
銃?銃なの?そこが問題の頂点にあるの?
急に極大から極小の世界に戻されます。
これじゃ焦点が散らばると思われても仕方ない。テーマが置き去り感が凄いです。
ヒロインに会いたいあまりに暴れる穂高くんは、思春期の熱意というより、狂人に見えます。いや、それは狙ったのかもしれません。恋とは狂気なのだと。
でもね、正直引きました。うわぁ…って感じ。
しかし二人が絡まりながら抱き合いながら落ちていくところは素晴らしかったです。
セリフなくてもいいぐらいよかった。
最後、ラストシーンですが「それから3年雨が降り続けた」のとこは、なぜか吹き出してしまいました。しかし、これエヴァを彷彿とさせるな。セカンドインパクト以降、年がら年中夏になってしまった世界、失われた東京。
それでも普通にお花見を楽しもうとしたりする人間の強さ。
ディストピアって、何故か憧れますよね。
この新しい世界のシーンはとても良かったです!
というわけで、散々なこと言ってますが
実は2回目観たら面白いんじゃないかな?と思いました。やはり知ってる街やいつもの広告をダラダラ見せられるのは、気が散ります。
2回目なら慣れて、そこを気にせずストーリーに没頭できるのかもしれません。
ありがとうございました!!
「天気の子」とは「天の巫女」
須賀の奥さんが「天気の子」だとする考察が賑わせているが、それは違うだろうなと思う。そう思わせる含みを持たせて物語が作られているのは制作サイドの意思であり、うまく仕掛けられたと思う。
1度目の鑑賞は期待しすぎて、そこまで面白さを感じられなかったのと、鑑賞後に上記設定の考察に疑問を持ったので2度目を観た。やっとスッキリした。
須賀の一連の態度や行動から、やはり、彼の奥さんが天気の子であることはないでしょう。事故で亡くなったという夏美のくだりは言葉通り受け取るに値する。もちろん観た人が決めればいいし、解釈は人それぞれ。それが映画であり、またいい映画とはそういうものだと思う。
この作品も帆高と陽菜のその後は描かない。再開して終わる。2人の未来は観た人が考え、また次の作品への期待にすればいいでしょう。
もし、この物語に天気の子が他にいたとしたら、それはかつての陽菜の母親ではないだろうか。天野家は天の巫女の家系であり、鳥居をくぐった時に能力が伝承された。母の勾玉(ブレスレット)は陽菜(ネックレス)に受け継がれた、ということだろう。
この作品は1度目より2度目のが感動できる、それだけで素晴らしい作品だと思う。
全1951件中、481~500件目を表示