「理屈っぽい(笑)」天気の子 さくやさんの映画レビュー(感想・評価)
理屈っぽい(笑)
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「すずめの戸締り」を観に行こうかどうか迷ったので視聴しました。
新海監督の世界観は、民俗学や神話を知らないと、なんだかよくわからないですね、やっぱり。
宮崎駿監督の世界が右脳的だとしたら、新海監督の世界は左脳的。理屈っぽいと感じます。
宮崎監督の世界は、だから前知識がなくても直感に訴えかけてくるのに対して、新海監督の世界は、ある程度知識がないと何が言いたいのかわからない。
天気の巫女などというものが、日本の歴史に存在したかどうかはわかりませんが、「一年神主」と似たようなものでしょうか。
その年の豊作を祈る神主であり、その年の終わりに殺される。それが「一年神主」だと柳田翁は書いています。
自然に抗って天気を操るため、生贄を差し出す。その生贄が天気の巫女だということでしょう。
縄文海進の時代、東京のほとんどが海の底でした。
それは大自然の意志であり、もし縄文時代に「天気の巫女」がいたとして、押し寄せる波を止めることはできなかったでしょう。
縄文人たちは天候に抗い、巫女を生贄として止めようとしたでしょうか。
それともごく楽観的に、陸へ陸へと移動したでしょうか?
発掘調査によれば、後者だ、ってことになると思います。
だから、穂高は陽菜さんのために東京を見捨てたのではなく、「人間が生贄を捧げて自然をゆがめる」ことをやめ、自然のなりゆきに任せたということなのでしょう。
だとしたら、ストーリーに破綻はありませんが……感動しづらい話だなぁ(^^ゞ
「若者が頑張った!!」っていう話に、こんなめんどくさい理屈はいらない……。
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