「賛否両論あるが結局、新海誠は何を伝えたいか」天気の子 あおさんさんの映画レビュー(感想・評価)
賛否両論あるが結局、新海誠は何を伝えたいか
109シネマの新海誠映画祭にて初めて鑑賞しました。
賛否両論ありますが私独自による総合的に評価します。
まずは美術面
水の表現や都会の表現、そして太陽と空の光や明るさは本当に美しかったです。
音楽では心うつ歌詞と音色であり映画中の音楽を入れるタイミングも良かったと思います。曲については素晴らしいの一言。
次に内容面
おそらくここで賛否が分かれました。評価する人も批判する人の言い分も分かります。
わたしの感想としてはあと本当に少しだったかなって感想です。
多くの人が最後の話の終わり方に納得いかない人でありわたしもそのうちの1人でした。最初は言い訳してるのかなと。主人公たちは変わってしまった世界を生きます。わたしの心の中ではもっとお互いが相殺して、晴れ女がこの世界にいるなら雨男の存在もいてお互いが中和されて、、晴れと雨を繰り返すことができる世界で平和に暮らして欲しい。そんな願望はことごとく打ちのめされました。
結末に関して批判された理由は前半の盛り上がりが強すぎたがあまり後半のインパクトが少し弱かった。前半は物語の結末を予想させるような伏線がとても多く主人公たちはどうなってしまうのか。とてもハラハラし緊張する場面が多々ありました。家出してる身でもありいつ捕まるかも分からない、とてもすごい緊張感でした。しかし結末は2人は3年後に再会することで終わってしまう。そして陽奈さんを取り戻したことで東京は沈没。世界は変わってしまった。
新海誠はこの映画で何を伝えたいのか。
なぜ映画では帆高が家出の理由を明かさないのか。
なぜハッピーエンドではなく狂った世界で生きることで話を終わらせてしまうのか。
私が思った疑問点です。
しかしここにほんの一部ですが答えがあるように思えました。
・現代を生きる若い人たちは大人がいなくても生きていけると思っています。私もそう思っていました。しかし主人公たちは生きていけなかった。家出の理由を明かしていないのは帆高という人間は映画を見ている若い人たちにも当てはまるからではないだろうか。家出の理由はそれぞれ色々ある。帆高というキャラは今を生きる若者と同じかもしれない。
・世界と陽菜の選択で陽菜を選択し狂った世界をいきることになりましたがなぜそれで終わるのか。世界を犠牲にしてなぜ生きるのか。映画の中では須賀さんは世界は元々狂っている、おばあさんは元々は東京のここも海だった。そのように帆高に伝えます。人は多くの選択肢の中から一つの選択を選び時には大勢を巻き込むことがある。そうでなければ人は生きることができない。ある意味自然の形である。帆高は東京という犠牲で1人の人を救うことになった。映画では規模の大きい話ではあるが私たちの生活の中でも誰かを犠牲にして何かをすることもあるはずである。報酬と代償は切っても切り離せない。新海誠はこの部分を伝えたいのかなと感じた。
的ハズレかもしれないけれど、新海誠はもしかしたら私たちには気付けないことを伝えているかもしれない。
あくまでも私の推測ですが多くの考察をする人間がいるということはもっともっと深い映画であると思います。