「作品の没入感を損なう展開がなければ…。」天気の子 hjkさんの映画レビュー(感想・評価)
作品の没入感を損なう展開がなければ…。
最初に観た時「これで終わり?あっけないな」。
そう感じた。消化不良とも言える。
ただ同時に「もう一度観たい」とも思った。
恐らくこの作品が何を伝えたいのかを掴みきれていないと直感的に感じたんだと思う。
「天気の子」のテーマは2つ、「天気」と「少年少女のハードモードな現実」。
1つ目はいちいち説明するまでもなく、現代に生きる人ならすべからく直面している問題。
エンディングの描き方から察するに、恐らく新海監督は「気候変動には対処しなきゃいけないけど、抗ったとしても否応なく訪れる変化」だと感じているんだと思う。
最後に須賀が言った「世界なんてどうせ元々狂ってる」というセリフも、変化すらも世界のありようの1つであるという風に聞こえる。
だから、陽菜を生贄に天気を正常に戻すなんてことを是とせず、変化を受け入れその中で強く生きていく人々の姿が最後では描かれている。
2つ目はフィクションなのでかなり誇張されていると思うが、これは誰しもが経験していること。
思春期・青春時代は、大なり小なり悩みを抱えてるし、誰にも理解してもらえないという孤独や、それを他人に話したくないし、弱みを見せたくないという気持ちもある。
自分じゃどうしようもない不都合な現実に押しつぶされそうになることも、そこから逃げ出してしまいたくなる時もある。
穂高の過去が描かれないのは、観客一人ひとりが自己投影出来るようにするためじゃないだろうか。
「帰りたくない」「ただもう一度あの人に会いたい」
特に高校生は初めて自分の人生について真剣に悩むタイミングだし、異性との関係性についてもそう。
親との摩擦もあるし、自分の望む未来に手が届くかどうか不安でたまらない。
そんな不安と葛藤の中で、まずは今したいこと、今好きな人を大事にする。
大人からすれば非合理的な選択でも、青春なんてそんなものじゃないだろうか。
そう肯定してくれている気がする。
須賀や夏美は何も事情を聞かずにただ受け入れてくれる、そんな救いの存在として描かれている。
そして、現代の東京を舞台として描く上であまりにも非現実的な銃の存在は、そういった「負の感情」の発露として描かれているんだと思う。
終盤ビルで穂高が大人たちに銃を向けるのはそういうことなのかな、と。
2つのテーマは普遍的だし描き方も不親切なわけじゃないのに、なぜ「面白い」と感じなかったのか。
それは終盤がツッコミどころ満載だったからだと思う。
陽菜が消えるまでの中盤は面白いと感じていたのに、終盤に差し掛かると茶番にも思える演出が多発する。
警察署からいとも簡単に逃げおおせてしまう、線路を走る穂高、それをただ見てるだけの作業員たち、なぜかあのビルにいる須賀、その後の全員揃っての一悶着。
穂高が逃げ出さないと話が始まらないし、最後の一悶着は青春群像劇の演出として、こっ恥ずかしくはあるけど、まあ許容範囲内だと思う。
でも、他三つはクライマックスに向かって「穂高と陽菜はどうなるんだろう」という期待感や不安感が煽られたというより、「ここ走るの?」「なんで見てるだけで止めないの?」「須賀さんなんでここが分かったの?」というように「え?なんで?」が連発して、作品への没入感が大きく損なわれてしまった。
そして、置いてけぼりのままクライマックスが終わってしまう。
「陽菜と世界、どちらを取るか」という繊細な問いかけがなされているのにそれに集中出来ない。
また、この天上での問いかけは物語の核心に触れる部分なのに描かれる時間が短かったように感じる。
これが「天気の子」が面白くなかった・面白みに欠けたと思われてしまう理由ではないだろうか。
クライマックスでは既に穂高の心は決まっていて、陽菜を連れ出して自分の結論を伝えるだけ。
穂高はそれでよくても、観客は「一人のために世界を、世界のために一人を、犠牲にしていいのか」と悩みたいのだ。
葛藤した上で出した未来が見たいのだ。
現にこの結末は賛否両論、議論を生んでいる。
もう少し物語を味わう時間を与えてくれてもよかったのかなと思う。
とは言いつつ、新海監督が言うように「前を向いたまま止まらずに転がり続ける少年少女の話」という話としてみれば、細部に少しチープな箇所はあるが悪くないように思う。
「世界を犠牲にしてでも一緒にいたい人がいる。
そんな人となら様変わりした世界でもきっと大丈夫。」
躊躇なく世界を代償に出来てしまうのも若さならではという感じがする。
穂高が陽菜に「もう晴れ女なんかじゃない」「青空よりも陽菜がいい」と言い切るシーンも男らしくてかっこいい。
前述した個人の悩みを断ち切り、穂高にとって須賀と夏美が救いだったように穂高が陽菜に救いを与えている。
「自分のために祈って」というのも「世界のために犠牲にならなくちゃいけない」という現実に対しての救いであり、「そんな不都合な現実はクソくらえだ」という反抗を肯定している。
というかやっぱりここだけ観ると良いな…って思っちゃうだけに、直前が不親切なのが非常に惜しい。
*須賀があのビルにいたことについて、非常に興味深い考察をなさっている方がいらっしゃいました。
URLが貼れなかったので、タイトルだけ記載します。
何か問題があればご一報下さい。削除します。
『「この設定に気がついたか気がつかないかで作品の見え方が違う」天気の子』