「自分勝手で美しい」天気の子 葵さんの映画レビュー(感想・評価)
自分勝手で美しい
私にとってすごく大切な作品になりました。
昨年夏に映画館で1日に2回観て、今回VODで2回観ました。
この作品のマイナスな評価で散見されるのが「主人公が自分勝手すぎる」という意見。
「君の名は。」と比較して、どうして「天気の子」は賛否両論だったのか。
(もちろん大ヒットしましたが)
どうして「自分勝手すぎる」と言われてしまうのか。
それは、「君の名は。」が“君のついでに世界を救う物語”だったのに対し、
「天気の子」は“世界ではなく、たった1人の君を選ぶ物語”だったからであると思います。
「青空よりも、俺は陽菜がいい!」
このセリフがこの映画のすべてだと私は思います。
青空は、みんなが望むもの、世界が望むもの。公共の利益っていういい方は変かな。
とにかくそういうもの。多数決を取ったら、もしかしたらこっちが勝ってしまうかもしれない。
例え、1人の命が犠牲になるとしても。
実際、途中で須賀さんは、帆高を追い出したことを非難する夏美さんに向かってこう言いました。
「人柱1人で天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。俺だけじゃない、本当はお前だってそうだろ?ていうか皆そうなんだよ。誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。」
これは“世界”の側の意見です。
でも人間誰だって、「自分が1番大事」ではないですか?
須賀さんも、自分が娘と会いたいから、帆高を追い出しました。
人間はみんな行動の選択の根本は「自分のため」です。
これを知り合いに話したら以前、
「でも私は妻や子どものためなら命だって差し出せます」
と言われました。
でも結局それだって「自分が妻や子どもに生きてほしいから」という気持ちに基づいていますよね?
自分のために行動することは、人間として当たり前のことです。
その気持ちを押し通したり振りかざしたりしたら自分勝手ということになるのかもしれません。
でも「自分勝手だ」「悪だ」「正義だ」と評価するのはいつも世界のほうです。
世界と言っても、ただの多数派です。世界の利益の裏にはいつも犠牲があります。
帆高は間違いなく自分を優先しました。
「青空よりも、俺は陽菜がいい!」
この判断を知ったら世界は非難するかもしれません。
「自分勝手だ!」と。
私は「お互い様だよ」と言い返したいです。
いつのまにか“天気の子大好きな”私たちは、
映画を見ながら世界側ではなく帆高側についています。
陽菜ちゃんに生きていてほしいと気づかぬうちに願っています。
「自分勝手だ」というマイナス評価、それはたぶん世界の、
多数派の視点に立ってこの作品を観ているからです。
新海誠監督もこの2つの視点を持つ人がいて、
酷評される可能性も十分に理解していたと思います。
「君の名は。」はまさに“君のついでに世界も救った物語”でした。
それに対し、「天気の子」は“世界ではなく君を選ぶ物語”と言えます。
でもどちらも、主人公の目的は「君を救うこと」ただそれだけです。
世界なんて、君に比べればどうでもいい。
ついでに救われた世界が称賛し、君の代わりに犠牲になった世界が批判する。
主人公たちにはどうでもいいことです。
君さえいればそれでいいんです。
この気持ちが、すごく美しいと私は思います。
「君が世界を敵に回しても僕は」なんていうベタなセリフも、
「そっち側」に立ててしまう私たちには大好物です。
世界を敵に回すことなんて、きっと私たちには一生ありません。
だから天気の子はどこまでいっても他人事で、ただひたすらに美しくしいのだと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。