「何かを変えたいと思った帆高と陽菜の物語」天気の子 靖樹さんの映画レビュー(感想・評価)
何かを変えたいと思った帆高と陽菜の物語
天気の子2回目観ました。1回目は公開初日に足を運び感動したのを覚えています。2回目は登場人物の心情や細かい描写を観察しながら鑑賞しました。
まず、「この映画は天気を通して何を伝えたいのか?」というテーマで考えてみました。天気というのは、雨が降ったり止んだり、晴れたり雪が降ったりと本来人間がコントロールできないものです。
今回の作品では東京が異常気象に見舞われ大雨の日々が続きます。これは、帆高と陽菜の心情を表していると私は想像します。島から離れ、なんの当てもなく東京に来た帆高。母親を失くし、中学生でありながら(帆高には18歳と嘘をついていた)弟と二人で生活をするためにアルバイトをする陽菜。2人とも何か希望を持てない日々を送っていた。そんな心情が異常気象に映し出されたのかと思います。
そんな中、陽菜は特殊な能力を持っていました。「どんな大雨でも晴れにする」能力です。その能力で帆高と陽菜は、「雨で困っている人たちのところで晴れにする」サービスを提供します。困っている多くの人たちを助けて、感謝されます。帆高と陽菜は人助けをして、初めて自分の生きがいを見つけることができたのだと思います。
この作中で、帆高が「僕たちは世界の形を変えたんだ」というセリフがありますが、天気を変えることで多くの人を助けたことから生まれたセリフだと思います。本来、天気は人間がコントロールできないもの。それを変えて、多くの人を助ける。言い換えれば、「人生や運命も自分の手で変えることができるんだ」というメッセージが込められているのだと思います。
2016年に公開され新海誠が監督をつとめた「君の名は」と今作「天気の子」を比較するレビューがネット上に多く見られます。僕の感想としては、構成はほぼ同じという印象を受けます。人生にとって大事な人と出会う→その大事な人と会えなくなる→再び会いたいと願い行動を起こす。二作ともこの流れで展開されます。異なる点といえば、東京に対する印象が違うという点です。「君の名は」では東京は憧れの都市という視点で描かれていますが、「天気の子」では「東京って怖い。」という視点で描かれています。この設定が作品のコンテンツを大きく象徴しています。「君の名は」まっすぐ明るい未来に向かうイメージ。「天気の子」は暗闇から抜け出すイメージ。その点が大きく違う点でしょう。