「世界か彼女かの選択って・・・」天気の子 ぷれいぼーいにーいちななさんの映画レビュー(感想・評価)
世界か彼女かの選択って・・・
この映画の結末についてですけど、「世界か彼女かの選択で彼女を選んだんだよ!」って言ってる人が多いのですけど…この話って「選んではいない」よね?
ラストのすったもんだは結局、主人公が自分で家出して銃を発砲した件でしょぴかれるかどうかの問答でそこから逃げて彼女を奪還することが争点になっているので、なんなら彼女を取り戻したら東京が水没するなんて多分誰も知らなかったはずですよね。
つまりコレって「自分がやった一般的にはよくない行いを周囲が無条件に赦してあげる話」じゃないですか?
新海監督は「主人公が社会と対立する話を描きたかった」と説明しているみたいです。
「だとしたら天気ネタとか巫女の設定とかあんま関係なくね?」って気もするんですが…。
何より気になるのが、この話に感動している人や作者が、青春のヒリヒリとか思春期の葛藤とかそういう部分を「社会と対立」とかいうような言ってみれば幼稚な思想をノスタルジーとごちゃごちゃにして論じられている点です。
社会と対立すること=魅力的で青春的なんですかね?
社会悪に立ち向かうことは確かにかっこいいかもしれませんけど、守るべきルールを守ることに反することってカッコよくないしなんならダサいと思いますよ。
少なくとも映画としてその辺を魅力的に見せたいなら、組み伏せられる社会が多少なりとも悪く見せないと。
この主人公が如何に叫んでも大声出して喚き散らしても「まあ家出した挙句、街中で銃ぶっ放したらそうなるよね」としかならない。
「対立した社会」に対して主人公が一方的に赦される話って理想的な他者が出て来ないと成り立たないし、そういった深夜アニメの延長青春映画って多い気がします。この映画も含めてなんか評価が高いものもチラホラあるし…。
おそらく、この映画にイラっとしてる部分って(自分も含めてですが)、最後に警察に追われるところで銃を使う、という部分において、「誰かを救うためなら仕方がない」となんとなく不問にしてることのような気がします。
「誰かのためにやったんだから良いじゃないか」っていうのも、この場合、少なくとも「家出をした」っていう件は、穂高くん本人の落ち度ですよね?警察に追われてる中身は「彼女のために選んだ、もしくは否応なしにそうせざるを得なかった」ことではないのです。
原因と結果を省みないで「ノスタルジーとか若者が走ってるんだから尊いって一方的な決めつけ&暴力的な映像美=感動」って姿勢に心底げんなりするんです。
一個人の我が儘で警察に追われて銃を向け、その場に人がいたら?とかそういう視点を排除することで成立する感動って倫理的にもどうなんでしょうか。「賛否が別れる」「私は楽しめたんだからいいじゃないか」で済まされるのかな。
自分はこの姿勢にかなりの不快感を覚えました。
哲学がない。これにつきます。
アメリカ映画はお金がかかってるから素晴らしいんじゃないんですよ。こういう倫理的な問題とかに関しては独善的な着地をまずしない。
全てとは言いません。面白いモノも多くありますが、主に大資本の日本映画はこういった姿勢を学ぶべきじゃないのかな?
こんにちは。面白い視点なので、興味深く見させて頂きました。
ちなみに私はこの映画に5点付けてます。
社会と個人の対立についても私なりに考察しているので良ければ、見てください。