「もう一度見たくなる作品」天気の子 といぼ:レビューが長い人さんの映画レビュー(感想・評価)
もう一度見たくなる作品
1回目7月29日、2回目11月19日に映画館で鑑賞しました。
他のレビュアーの方々もおっしゃっていますが、とにかく映像の美しさと音楽の素晴らしさが本当に魅力的な作品です。低評価を付けているレビュアーさんでも映像と音楽に関しては褒めている方も多いというところからも、レベルの高さが伺えます。ストーリーも(賛否両論ありますが)とても良かったと私は思います。
ストーリーに関する考察や評価は私以上に素晴らしいレビューを書かれている方が多くいらっしゃいますので割愛し、私は低評価のレビューをされている方の意見を見て、「私はこう思ったよ」という反論というか弁明を書いてみたいと思います。
①主人公穂高の家出の理由が不明な点
本編で穂高が何故離島から東京まで家出してきたのか、詳細は語られません。これに関して否定的な意見をしている方が多く見受けられました。しかしながら、私は穂高の家出の理由は「特に語る必要性は無い」と思います。若さゆえの家族との対立、ここではないどこかへ行きたいという思春期の少年の願望。ネットカフェのシーンでよく出てくる「ライ麦畑でつかまえて」からも大人への反発がなんとなく感じられます。具体的な家出理由が語られずとも、「思春期特有のやつだな」みたいなニュアンスで感じられれば十分のように私は感じました。
②スポンサーの商品やロゴが頻繁に出てくる点
ローソンのからあげくん、ソフトバンク、マクドナルド、Yahoo!知恵袋など、映画本編には多くの実在する企業の商品が実名で登場します。これに対して「スポンサーに媚びている」とか「せっかく映画を見てるので興ざめした」という意見をよく見かけました。
しかし私個人的にはこれら実在企業の登場は「リアリティのある東京描写」を演出するために上手く活用されていたように感じ、むしろ好感が持てました。「スポンサーに媚びてる」という意見もありましたが、糞みたいな回答しか返ってこない知恵袋とかどこにいるかも分からないソフトバンクのお父さん(犬)とか、媚びてるようにはまったく思えませんでした。
③穂高と陽菜の関係性が深く描かれておらず、穂高が「東京を犠牲にしてでも陽菜を選ぶ」というのが納得いかない
新海監督が「賛否両論ある」とおっしゃっていたのはここでしょう。前作「君の名は。」が最終的に三葉も助かり村の住民も助かり瀧と再会するという誰目線で見てもハッピーエンドなのに対し、今回は東京という街を犠牲にして得た結末なワケです。そのため「この子のためなら他を犠牲にしてもいい」と穂高が陽菜に対して思えるような描写が無ければ視聴者は絶対に納得できません。
しかし私は「他を犠牲にしてもいい」と穂高が思えるような描写がしっかり盛り込まれていたように感じました。それは「穂高と陽菜が出会うマクドナルド」のシーンです。
映画冒頭で、「お金」「他人への無関心」が多く描写されていました。具体的に言えば須賀が穂高に食べ物を奢らせるシーンやネットカフェの店員とのシーンです。須賀もネカフェ店員も、サービスの対価としてお金を請求しますし、穂高に対しては無関心です。ネカフェ店員はびしょ濡れの穂高に対して心配の一つもしてくれません。そして穂高は「東京って怖ぇ」と言うわけです。東京の「お金」「無関心」にすっかり参ってしまった穂高は、お金も尽きかけチンピラにも絡まれマクドナルドで安いスープを夕食に、机に突っ伏します。そこに手を差し伸べてくれたのが陽菜なのです。陽菜は東京の人間で初めて、穂高に対して「無償で」「心配を」してくれました。今まで穂高が東京で出会った人たちとは真逆です。この体験は穂高にとってあまりに衝撃的で、そして感動的であったことは想像に難くないですし、私はこの体験だけで「他を犠牲にしても陽菜を選ぶ」のに十分な描写だと考えました。
もちろん、これは私個人の考えですし、「ビックマック奢ってもらったくらいで東京犠牲にするな」という意見も至極当然ですので、一つの意見として述べさせていただきました。
長々と書き連ねましたが、ご覧いただきありがとうございました。