「よう、相棒(笑)」イエスタデイ masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
よう、相棒(笑)
ビートルズが存在しないパラレルワールドのようなところに迷い込んだのは、きっとジャックだけじゃないだろう。同じような体験をした誰かが現れて、ジャックの不正を暴くべくドラマを盛り上げるに違いない。結構な前半で確信した予想が、あんな幸せなかたちで裏切られたことに、この映画に関われたことの幸せを感じてやまなかった。
9年ほど前だったか、ある高名な詩人の講演会で起きたちょっとしたハプニングを思い出した。
講演の終盤、それまでの話の流れを全く無視して、その詩人は語った。
「誰かの作品を自分の作品だっていう子は、本当にその作品が自分のものだと思えるの よね。自分が作ったんだと思えるくらい、その作品が自分のものになってるんだから、それは良いことなんじゃないかと思うのよ。」
聴衆の多くはキョトンとしていたが、自分は、その数日前に、ある全国規模のコンクールで最高賞に輝いた隣の市の生徒の作品が盗作で、それを地元の新聞がすっぱ抜いた出来事を指しているのだと気付いた。
そして、この詩人の、寛容を通り越して、創作という行為と創作者に対する限りない敬意と愛情に、感極まってしまった。
ジャックと同じ世界からやってきたあの二人も、創造物に対する溢れんばかりの畏敬の念という点において、自分が体験した詩人の対応と根幹は共通するのだと思った。
他にも、心に温かな何かが残る場面がたくさんある作品だった。
漁師として生きてきたという78歳の「あのお方」との邂逅、分かってるようで分かってない、ポイントは外してないようで肝心のところでは外れてるジャックの両親、私欲を一切感じさせないギャビンのユニークなスタジオ録音、そしてエド・シーランの神をも恐れぬあの拷問のような代案(笑)。
みんな、何かをクリエイトすることへの絶対的な信頼と愛情を揺るがせることがない、愛すべき人物ばかりである。(ロッキーは別の意味で最高だった。あれぞロックンロール!)
そういう、素敵な相棒ばかりの約2時間。あっという間であったなあ。