アスのレビュー・感想・評価
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ホラー映画をアップデートする秀作
近年の映画で言えばデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の「イット・フォローズ」を鑑賞したときに似た、新時代のホラーに出会っているというワクワク感が持続する、巧みに構成・演出された秀作だ。例えば自分そっくりの他者・ドッペルゲンガーや、つなぎ服を着たヴィランなど、恐怖の諸要素はある意味使い古されたものが多いのだが、入念に作り込んだ設定と、笑いを絶妙に織り込んだバイオレンス描写、変幻自在でありながら不思議と統一感のあるBGMなどによって、ホラーというジャンルをアップデートすることに成功している。
監督デビュー作「ゲット・アウト」で高評価を得たジョーダン・ピール、2作目も期待に応えた。ただ、前作に比べると非現実な設定が恐怖の核心に関連することと、終盤でそうした核心部分の情報が観客への講釈よろしく一気に開陳されるあたりが、ちょっともったいない。ラストは大好き。
結局何がしたいのかわからん
ホラー映画ってことなので、ある程度のリアリティとかはご愛嬌って感じなのはわかる。
けど、ドッペルゲンガーというかクローン的な存在が地下にいるという説明が簡素すぎていまいち謎だった。
しかもそいつらは地上の存在の操り人形ってことだったんだけど、それもなんでやねん。って感じだった。
11章11節がキーワードなんだろうけど日本人にはあまり馴染みがあるわけでもないと思うし、最後まで「え?そうなんの?」って言う印象。
最後の最後のオチも操り人形だったはずなのに、なぜそんなことになるんやっていう感想しか浮かばないかな。
家族のために動く母は強い。っていうメッセージなら素晴らしい映画だと思うけど、全体的にストーリーの裏付けは希薄。
鬼才の放つ、アメリカ社会の現実を描くメッセージ性あるホラー
【イントロダクション】
『ゲット・アウト』(2017)で鮮烈な監督デビューを果たしたジョーダン・ピール監督の第2作。とある家族が自分達と同じ姿をした集団に遭遇。惨劇に巻き込まれていく恐怖を描く。
ジョーダン・ピール監督は脚本も務め、製作にも参加。
【ストーリー】
1986年、夏。家族と共にサンタクルーズにある遊園地を訪れていたアデレード・ウィルソン(マディソン・カリー)は、ビーチにあるミラーハウスに迷い込み、自分そっくりの少女を目撃する。
現在。成長し、結婚したアデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、夫のゲイブ・ウィルソン(ウィンストン・デューク)、娘のゾーラ(シャハディ・ライト・ジョセフ)、息子のジェイソン(エヴァン・アレックス)と共に、再びサンタクルーズの地を訪れていた。かつて住んでいた家は、今は別荘となっており、アデレードは思い出の品と共にトラウマとなっていた古い記憶を呼び覚ましていた。
アデレードは居心地の悪さから早く帰りたいと願うが、ゲイブはボートまで購入しており完全に行楽気分。一家はビーチを訪れ、友人のジョシュ・タイラー(ティム・ハイデッカー)とその一家と落ち合う。ジョシュの妻キティ(エリザベス・モス)は、アデレードとの世間話の中で「最近不穏な気配がする」と溢しており、直後にジェイソンがビーチに居ない事を知ってアデレードはパニックになる。ジェイソンは単にトイレに向かっただけであったが、彼はそこで、腕から血を流して立っている不気味な男を目撃していた。
その日の夜、アデレードはゲイブに幼い頃に起きたトラウマを語る。アデレードはもう1人の自分と出会ったトラウマから、失語症に陥っていたのだ。ゲイブは半信半疑ながらアデレードを宥める。直後、家が停電となり、ジェイソンが家の前に手を繋いで並んでいる怪しい4人組を発見する。アデレードは慌てて警察に連絡し、ゲイブはバットで追い払おうとするが、4人は散り散りとなって家に押し入って来る。リビングで一堂に会すると、そこに居たのは自分達と全く同じ顔をしたもう一つのウィルソン一家だった。
アデレードは彼女達に尋ねる。
「あなた達は何者」
アデレードと同じ顔をしたレッドが答える、
「私達もアメリカ人だ」と。
目的も分からないもう1人の自分達を前に、惨劇の一夜が幕を開けた。
【感想】
ジョーダン・ピール監督作は、2022年の『NOPE/ノープ』を鑑賞済み。新時代のホラーを代表する名手の1人として、また、作品に込められたメッセージ性の強さに、確かな作家性を感じた。
しかし、そんな『NOPE』の前作に当たる本作は、まだまだあらゆる要素が荒削りに感じられた。特に顕著なのは、もう1人の自分達である“テザード”の正体についてだ。
彼らはかつて、クローン技術によってアメリカ政府に生み出され、地上の世界で生きる人々の“影”として、オリジナルと同じ動きをして地下世界で生きてきた。しかし、地上のオリジナル達が裕福な生活の中で満足な食事を摂る一方で、テザード達は繁殖された兎を生で食べて生活していた。彼らは、自分達も「アメリカ人だ」として、地上世界のオリジナルと取って代わる事を望み、レッドの計画の下行動を起こしたのだ。
しかし、この設定があまりにも荒唐無稽で大雑把過ぎるがあまり、私は本作への恐怖は微塵も感じず、ただひたすらに疑問ばかりが浮かんだ。
まず、そもそも何故アメリカ政府は地下世界でクローンを生み出したのか?普通ならば、自分達が豊かな生活をする為の労働力とするだろう。しかし、彼らは何故か、影のように地上世界のオリジナルと連動した動きをする。その特性が役に立たないから、彼らは捨てられたとすれば、それは理解出来る。しかし、ならば何故役に立ちもしない彼らをそのまま放置して活かし続けたのだろう?
また、動きが連動していながらも、レッドの計画によって地上世界への攻撃は可能である事から、全ての行動に対する自由が奪われているわけでもなさそうだ。
また、政府に見捨てられ、食事すら満足な栄養が得られなかったであろうはずの彼らが、地上世界のオリジナル達と全く同じ体格になるというのも疑問である。ジェイソンのクローンであるプルートーが顔に火傷のようなケロイド状の傷を抱えていたように、痩せ細っていたり、身長に差があるといった、彼らなりの独自の成長を遂げていればリアリティがあるのだが(また、それは後述する本作のメッセージ性とも密接に関わらせる事が出来たはずだ)。
このように、フィクションとして成立させるべき、説得力を持たせる為の最低限の“嘘”すら吐かないというのは、少々雑過ぎる印象を受けた。
例えば、漫画『バクマン。』に登場する作中作「ふたつの地球」では、オリジナルの人間達は地球を丸ごと複製する。そして、自分達の生活をより良く繁栄させる為のモデルケースとして利用し、オリジナル側は戦争や飢餓を回避しているという内容だった。本作でも、テザードの誕生にこのような何らかの目的があれば、まだ納得しやすかったはずなのだが。
序盤から作品を漂う不穏な空気感は非常に好ましかったし、夜にレッド達が暗闇に佇んでいる姿、リビングでウィルソン一家と一堂に会した瞬間は異様な不気味さがある。自分達と“同じ”だからこその不気味さ、それはつまり、「同じ人間などいない」という事を我々が無意識に理解しているからこその不気味さなのだろう。そんな不気味さが、画面を支配している。
惨劇を通して、ウィルソン一家、特にアデレードが逞しさを増していくのも好印象。異常な事態に果敢に挑んでいく存在は、物語を停滞させずに前へ前へと向かわせるからだ。
ラストで明かされる衝撃の事実(何故、アデレードが本来はレッドである事をあの瞬間まで忘れていたのかについては、トラウマを理由に持ってきたとしても都合が良過ぎるとは思うが)、あの先にどこまで向かおうとも、最早世界に救いなどないと感じさせられるエンディングは良い。
【もう1人の自分を通して見る、格差社会という現実】
本作を通じて描かれているメッセージとは、「立場が違えば、自分がそちら側(地下世界側)だったかもしれない」という事だ。そして、地上世界と地下世界は、“格差社会”のメタファーだ。
それは、第一次トランプ政権下で所得格差が広がったとされるアメリカ社会を表している。だからこそ、本作が本国で批評家から絶賛され、大ヒットを記録した事も頷ける。
ラスト、アデレードは仕舞い込んでいた古い記憶の真実を呼び覚まし、自分こそが本来のレッドである事を思い出す。彼女の失語症は、単に会話を成立させるだけの語彙が無かったからだ。精神科医はそれをトラウマによるショック状態だと診断し、両親も彼女の身を案じて暖かく接する。しかし、そこに居るのはアデレードでは無かった。本来の彼女がバレエの天才的な才能を持ちながら舞台から降りたのも、単に研鑽した日々は本来のアデレードのものだったからだ。
また、何故レッドだけが言語を話し、あのような嗄れた声をしていたのかも、喉を締められて意識を失った際、声帯に何らかの損傷を負ったからだと推察出来る。だから、まさにアデレードは「本来自分が持つべき、奪われたものを取り戻しに来た」のだ。「世界は誰かの犠牲の上に成り立っている」という事を、彼女は身をもって証明していたのだ。
そして、全てを思い出したアデレードは、助手席に座るジェイソンを一瞥し、微笑みを浮かべて車を運転する。アデレードの姿に何かを察したジェイソンは、お気に入りのマスクを被って、真実から目を逸らす。不都合な真実は受け入れない方が身のためだという事を、幼いジェイソンは知ったのだ。
ところで、テザード達が手を繋ぐ様子は、実際に1986年にアメリカで行われた“ハンズ・アクロス・アメリカ”というチャリティーイベントの再現である。ホームレスや飢餓を無くそうという趣旨の下、全米で経費を除き1500万ドルのチャリティーが集まったそうだ。
しかし、ここ日本でも「24時間テレビ」の存在が、出演者にギャランティーが支払われ、番組製作に莫大な費用が投じられる事から、“偽善イベント”として敬遠されている。そう、このイベントもまた、“持てる者達による傲慢なイベント”なのだ。そもそも、何故手を繋ぐ事がホームレスや飢餓を救う事になるのかは分からない。
「施しは時に、持つ側の傲慢さの表れになる」という事なのだろう。そして、そうした傲慢さは、格差があるからこそ生まれるのだ。ジョーダン・ピール監督は、こうしたイベントをも作品に皮肉として取り込んでみせたのだろう。
【総評】
ある種の“ドッペルゲンガー”を扱い、アメリカ社会の抱える問題を痛烈に描いてみせた意欲作だろう。
しかし、メッセージ性を優先するあまり、肝心の物語としての説得力が疎かになり過ぎており、ともすれば説教臭くすら感じられる作品に陥ってしまっているのは残念だ。
メッセージ性とは、上質な物語を構築した上で、その中にスパイスの如く“ピリッと”効かせるから良いのだ。また、その内容の正しさが、必ずしも作品の“面白さ”を担保するわけでもない。
明日
骨格はいいのだが、、、
なんで自分とそっくりな連中が襲ってくる!?という疑問に回答する設定はあるんだけど、理屈よりも他者あるいは自分自身に対してすらも抱く異物感を作劇に取り入れる巧みさは前作以上に洗練されている感のある一作
ある日自分とそっくりな連中がやってきて、わが家を乗っ取ろうとする…という設定は本作以外にも、SFやホラーの分野でたびたび登場しているため(ジョーダン・ピール監督の前作『ゲット・アウト』[2017]もそんな要素があるし、『ボディ・スナッチャー』[1956]、あるいは『ゼイリブ』[1988]などの今や古典となった感のある名作も)、なんとなくそんな先行作品をなぞった作品なんだろうなー、と思い込んでいました。
そしたら、本作の「敵」は最初っから戦闘態勢。こっそり入れ替わる気などまるでなさそうで、いきなりぐいぐい迫ってきて、あっという間に血なまぐさい脱出劇につながっていきます。
彼らは何者で、どこからやってきたのか。そして目的は何なのか、といった、ことの真相はやがて明らかになっていくのですが、種明かしをしてしまうとあーなるほどねー、と納得しはするものの、ちょっと醒めてしまうあたり、ちょっとM・ナイト・シャマラン監督に通じるところもあるかも。
ただ本作は設定の面白さというよりも、自分の中に他者が入り込んでくるという根源的な恐怖を扱っているため、種明かしの内容自体は本作の価値をそれほど左右しない、と感じました。
ピール監督は上記以外にも、実に様々な先行作品要素を取り入れているので、参考資料としていくつか参照作品を挙げたい!ところなんだけど、そのランナップ自体が内容に触れてしまうため、何も言えないのが辛いところ。さすがに上記で触れた作品程度はいいと思うけど。
ピール監督が一連の作品の主題としているといっても良い、肌の色や出自による社会的偏見とそれに基づいた社会構造の歪さへの批判について、本作は前作『ゲット・アウト』や次作『ノープ』(2022)と比較すると一見してそこまで直接的に言及していないように見えます。が、実際のところ作中のさりげない描写や言動を通じて、それらを巧みにあぶりだしているあたりに、監督の作劇の洗練さを感じました!
シンプルに怖い
❇️『ラストありきの退屈と騙された自分に腹が立つ💢』
アス
❇️『ラストありきの退屈と騙された自分に腹が立つ💢』
★彡ラストありきでもほぼ全編で退屈感ハンパない。
自分には合わなかった⁉️
1986年🇺🇸カリフォルニア州サンタクルーズ
🔵かーるくあらすじ。
幼少期家族で遊園地に来た女の子アデレード(主人公)好奇心で浜辺沿いのミラーハウスで恐怖体験してしまう。
時は現代。家族を持ったアデレードが家族旅行で数年ぶりにサンタクルーズに。
当時の記憶が時間軸を使った恐怖ストーリー
◉18点。
★彡ラストまで気がつけない自分の不甲斐なさと赤い服の家族の身体能力と為の甘い殺意などラストまでほぼ一貫性のない展開に退屈でした。
🟢感想。
1️⃣❌『怖いけど一貫性に欠ける?』
★彡絶妙に強く無い影達や同じ顔を持つ影だが、これといって一貫性が薄いと思う。
2️⃣❌『退屈過ぎる展開』
★彡どんなにラスト凄い展開でも全編ほぼ退屈なので取り返せないと思う。
3️⃣❌『どんなに色んな映画オマージュやメッセージがあろうと…』
★彡ストーリーがつまらないし、くだらないと思った。スリラーとか手を繋ぐイベントとか赤い服の意味とか双子などしらんがな💢
4️⃣❌『施設の出入りや生活環境もやや不明』
★彡なぜ女の子は入れ替わって施設から出れたのか?
5️⃣🔺『父親の行動や言動がオモロい』
※父親の妻に対する慰めやアドバイスが逆に笑えた。家族で逃げるのにもみんなまとまらない感じも良い。褒めてませんけどね。
✋🏿🤜🏿👩🏿🦱🐰🐇🎡🏖️✂️
また期待しちゃいます
家族が自分そっくりの"もう一人の自分"に襲われる恐怖が描かれる衝撃...
凄い面白いわけではないが、つまらなくもない
キューブリック!
序盤の雰囲気は不安感あってイイ。
自分の影になる存在が入れ替わりを目論んでいるとしたら恐ろしいことだ。
という恐怖を描いた作品。
格差社会についても描かれてるらしいけど、よく分かんなかった。
登場人物の”もう一人の自分”が軒並み登場するわけだけど、「政府の実験」「クローン」ととっても物理的。
クローンって遺伝情報が同じなだけなので、一卵性双生児と同じものなんだよね。
それがオリジナルと等しく成長させるなんて恐ろしくコストがかかることなわけで現実的ではないよね。
オリジナルと同じ組み合わせで番わせて同じ子供が生まれるわけないし。
しかもアメリカ全土で同様のことが起こってるって…どんな巨費を投じれば出来るんだろうか…
そんな感じで、なんだか真相の部分が規模の割にペラペラでとっても貧相なのですごく冷める。
まぁ、本作の監督は「ゲット・アウト」と同じ方のようなので、何か納得しちゃう。
正直、「ゲイブ」と「レッド」だけで十分だったのでは?
他のクローンは物語上そんなに役割が無いって感じたので…
痒いところ
タイトルなし
オープニングの娘ほったらかしでモグラ叩きに夢中の父親にイライラ、そんな父親に娘を任せてトイレに行ってしまう母親にイライラ、そして勝手にフラフラ歩き出して遠くまで行ってしまう娘にもイライラ。こんな感じのイライラが最後まで繰り返される作品。
ホラーではあるが怖さ控えめでコメディ色が強いのかなと思ったが自分にはストレスでしかなかった。
主人公家族には全く魅力が無く辛気臭いばかり。ずっと足を引きずるだけの親父を始め誰も好きになれない。登場シーンは少ないが全滅してしまった友達家族の方が興味をひくレベル。
入れ替わりのパターンは絶対にやってくると思っていたが最後の最後にオチとして使われた程度。また入れ替え前の彼女を知る両親が話に絡んでこないと効果の薄い設定なんじゃないかと思った。
"わたしたち"の謎
予告やタイトルからも、ドッペルゲンガーである"わたしたち"が登場するのはすでに分かっており、その正体ばかりが気になってしまう映画なんですが、その謎を暴こうと冒頭から最後までずっと、ヒントを探し続ながら鑑賞しました。すべてのシーンが何か意図があるように思えてしょうがないのです。
一家と自分のトッペルゲンガーとの闘いが非常に面白く描かれてます。少し笑えるシーンもありますが、そこはホラー、きっちりグロめシーンもありで見どころ十分でした。しかし自分の姿の人間を自ら殺すって、どんな気持ちになるんでしょうかね?
知りたくて知りたくてうずうずしていた、謎が後半で一気にネタバレになります。が、これはすぐに理解するのは難しかったです。結構理由が、こじつけ感が否めない気がしており、その点は少し残念に思いましたが…。
そして、ラストのラストで持ってきました衝撃の一撃!いや~驚きました!う~~と唸りを上げたくなりました。と、同時に一気に色々つながっていった気がします。。。
かなり不気味
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