「この時代に製作したことに拍手」新聞記者 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
この時代に製作したことに拍手
松坂桃李が出演する映画は去年は3本観た。今年は本作品で2本めだ。俳優として驚くような演技や所謂怪演と呼ばれるような演技をするタイプではないが、役をよく消化したリアルな演技をする。線の細さというか存在の薄さがこの人の持ち味である。本作品のエリート官僚の役はまさにこの人にぴったりであった。
参院選の前にこの映画がよく公開できたと思う。誰が観ても安倍政権の不祥事を取り上げていることは明らかで、内閣情報調査室を主体とする内閣府が暗躍して政府の悪事を隠しているという内容だからである。サイドシーンとも言うべきインターネットの対談で、前文科省事務次官の前川喜平さんが現政権の内実を赤裸々に語り、東京新聞記者の望月衣塑子さんがマスコミとジャーナリストの役割について述べている。ふたりとも安倍政権とは対立的な立場にある。
物語は主人公である女性新聞記者の行動と見方を中心に、カウンターパートとしての内調官僚の松坂桃李が先輩の死を受けてどのように行動するのかを描く。シム・ウンギョンの演じた吉岡エリカは追いかけている内閣官房の関わった不正事件の記事を書こうとするが、国家権力の圧力は勤務先の東都新聞にも襲いかかってくる。松坂桃李が演じた杉原の、官僚としての本来の役割と現実とのギャップに悩み、家族と生活を守ることと不正に手を染めることの軋轢に悩む役は、仕事と割り切って唯々諾々と作業に勤しむ官僚たちの中で浮いている。どうやら日本では人間らしさと官僚らしさは両立しないらしい。
主人公も杉原も、どちらの立場も問われるのは勇気である。
世の中に自分の考えを主張するには何らかの代償が生じる可能性を常に覚悟しなければならない。社内の不正を告発すれば馘になるかもしれないし、いじめを明らかにすれば次は自分がいじめられるかもしれない。だから多くの人は口を噤む。そしてストレスを溜め込む。中には弱い人、或いは弱い立場の人を相手に毒づく人間もいる。そして誰がいつそんな人間に成り下がらないとも限らない。もちろん自分も例外ではない。
しかし新聞記者は主張することが仕事である。客観的な事実だけを書いているように見える記事でも、見方によって事実は異なるから、行間には記者の主張が現れる。「客観的な事実」などというものは実は幻想に過ぎないのだ。新聞記者はそれを肝に銘じて文章を書く。文章には書いた人の世界観や人間性が反映されるから、記事は一定の主張を持ち、そして一定の社会的影響力を持つ。マスコミが第4の権力と言われる所以である。
反体制的な記者が記事を書けば、どうしても反体制的な文章になり現政権を批判する内容になる。民主的な政権は多様性に対して寛容だから批判も受け入れるが、独裁的な政権は反体制的な人々を排除しようとする。そのやり方は巧妙で狡猾だ。情報をどのように操作すれば世論がどっちに動くかを分かっている。新聞記者の社会的な信用を失墜させることなど朝飯前だ。新聞記者はそんな権力に対して、ペン1本で対抗しなければならない。言葉が封じられない限りはどこまでも伝えていく。殺されてもいいという覚悟は既にできている。
しかし日本のジャーナリストは本当にその覚悟が出来ているのだろうか。国境なき記者団によるWorld Press Freedom Index(世界報道自由度ランキング)によれば日本の報道の自由度は世界で67位である。特定秘密保護法をはじめとする政権によるマスコミの抑圧や情報規制は徐々に顕著になってきており、ランキングはもっと下がっていくだろう。それでもいまはまだ言いたいことが言える世の中である。にもかかわらず新聞社やジャーナリストが自主規制を始めたら、そのときは言論の自由はおしまいである。そして日本の言論の自由はおしまいになりつつあると思う。
内閣情報調査室長を演じた田中哲司の演技にはリアリティがあった。この人は同じ藤井道人監督の「デイアンドナイト」では大企業側の悪役を演じていて、巨大な力の窓口としての人間がどのような精神状態であるのかをうまく表現していたが、本作では権力の走狗としての歪んだ人間性を好演。こういった役が似合うのだろう。
主人公の日韓ハーフの帰国子女を演じたシム・ウンギョンはそれなりに頑張っていたが、やや表情に乏しい。本田翼の演技力は松坂桃李の妻役がせいぜいだが、日本には黒木華や安藤サクラ、貫地谷しほり、池脇千鶴など、演技力に長けた女優がたくさんいる。新聞記者としての情熱と覚悟に加えて女性ならではの優しさを表現できる女優が主人公を演じたら、もうワンランク上の作品になった気がする。
とはいえこの時期にこの作品を製作したことにはあらためて拍手を送りたい。いまや言論の自由を守るのはジャーナリストではなく映画人なのかもしれない。藤井道人監督は前作「デイアンドナイト」に引き続いてスケールの大きな作品を作り得たと思う。見事である。