影裏のレビュー・感想・評価
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これはいい「映画」だったね
文芸作品みたいな映画で面白いなと思っていたら原作は芥川龍之介賞受賞作だった。
原作は読んでいないので正しく判断出来ないが、大衆娯楽よりも芸術に振っている芥川賞の感じは存分に出せていたんじゃないか。
そのせいで芸術を解さない輩には不評みたいで嘆かわしいが。
綾野剛演じる今野はその性的嗜好からか前に進めずにいた。
よくある劇的なストーリーテリングとしては悪い方悪い方へ落ちていくものだけど、今野は落ちているわけではなくて立ち止まってるだけってところがいい。
昔の同僚、昔の恋人、彼らが進んでいく中で進めずに停滞し続けることへのかすかな焦り。
全く無気力なわけではなくどうすればいいのか分からない感じが面白い。ただ時間を浪費するだけの無意味とも思える毎日。
そんな中、松田龍平演じる日浅と出会う。
彼は奔放で馴れ馴れしくミステリアス。駄目な男だとしても腕を掴んでぐいぐい引っ張っていくような厚かましさは停滞している今野にとっては眩しすぎたことだろう。
観る前からやんわりと、どちらかが同性愛者であることを知っていた。てっきり日浅の方だと思っていたけど、冒頭の目覚める今野のシーンでこっちかと気付いた。だってあんなの女の子みたいだもんね。
全く予備知識のなかった妻は開始10分くらいで、これってBL?と聞いてきた。ちゃんと観れていれば知らなくても気付ける。
そして、気付いてしまえば、今野が日浅への想いを募らせていく変化が面白くてたまらない。
そこまで好きでもなかった釣りにハマっていくところがいい。服装、道具、それらが本格的になっていく、もちろん釣りの腕も上達していく。それは日浅に向ける想いの大きさを暗喩する。
そして、今野の想いが最高潮に達するキスしてしまう瞬間の緊張感は素晴らしかった。
ゆるーく変わっていく様を演じた綾野剛は見事としか言いようがない。
物語後半で明らかになる会社の女性の話の中で一番ショッキングだったのは「恋人よ」と言ってしまったというところだろう。
思わず出たでまかせなどではなく本当に恋人だった。いや、彼女は恋人だと思っていた。ある意味で今野と同じ境遇なのだ。
自分は恋焦がれていても日浅にとっては特別でもなんでもないただの日常。突然消えてしまってもフラリと現れ厚かましくするのも、どこででも誰にでもすることなのだ。
今野にとって、同性愛者ではない日浅はノーチャンスといえるわけだが、日浅にとって自分が特別ではないという現実に打ちのめされたことだろう。しかし打ちのめされたことで今野の前に進む原動力が生まれる。
日浅を捜す中で彼の過去も知り、ずる賢く自由に人生を渡っていける存在だと分かった。
残されたのは文字だけ。それを見て涙しやっと気付く。目の前に日浅がいないということは彼の生死にかかわらず失ったのだということを。
そして、失ってはじめて今野の停滞がとける。
震災からの復興に物語がかかっているので、失ったからというのは適切ではないだろうが、失っても失ったから前進することができる。
ラストシーンの今野は今までで一番幸せそうに見えた。
山萌え風薫る岩手産クラフト映画。 映画観る時は影の一番濃いとこ観んだよ。
盛岡に転勤してきた会社員・今野とその同僚・日浅、影裏を隠し持った2人の交流と心情の機微を描き出したヒューマンドラマ。
監督は『るろうに剣心』シリーズや『ミュージアム』の大友啓史。
主人公である今野秋一を演じるのは『ヘルタースケルター』『怒り』の綾野剛。
今野の元恋人、副島和哉を演じるのは『ピースオブケイク』『狐狼の血』の中村倫也。
日浅の父、日浅征吾を演じるのは『風立ちぬ』『シン・ゴジラ』の國村隼。
日浅の兄、日浅馨を演じるのは『猫の恩返し』『ビリギャル』の安田顕。
謎に包まれた今野の同僚、日浅典博を演じるのは『探偵はBARにいる』シリーズや『舟を編む』の松田龍平。
テレビ岩手開局50周年企画。原作は芥川賞を受賞した純文学らしいのだが、こちらは未読。
大友啓史監督曰く、本作はクラフトビールならぬクラフト映画。
岩手県出身の大友監督が岩手県在住の原作者の書いた岩手県を舞台にした岩手県の物語を岩手県で撮る、という地元に密着したまさに”地映画”と呼べる一作。
美しい渓流や緑の山々、盛岡名物さんさ踊りなど、岩手の豊かな自然やお祭りなどが前面に押し出された、観光促進PRのような映画である。
映像の美しさは誰もが認めるところだろうし、綾野剛と松田龍平の組み合わせにはケミストリーを感じることが出来た。
身近にいた人間が忽然と姿を消す、というのは純文学では割とありがちな展開だが、本作はそれと3.11とを組み合わせることで物語に必然性が生まれていたように思うし、日浅の裏の顔がだんだんと明らかになるという後半の展開には求心力があり、役者陣の演技の上手さも相まって目が惹きつけられた。
結局日浅の正体は藪の中、彼の人間性の判断は観客に委ねる、というソリッドな読後感も悪くない。
ただ。ただねぇ…。
「人見る時は影の一番濃いとこ見んだよ」という日浅の言葉もあることだし、この映画の悪いところにも目をやってみたいと思う。
歯に衣着せたところでしょうがないのでスパッというが、この映画クッッッッッソつまんねぇ🫵!!!!!
開始1分で「あっ、これは修行映画だな…」と覚悟を決めたのだが、その予想を裏切らないつまらなさだった。
・登場人物がみんな鬱病かというくらい暗い
・ボソボソ喋りすぎて何言ってんだかよくわからん
・辛気臭くて鈍重な物語運び
・胃もたれしそうな主人公の泣き顔アップ
という、邦画のクソ要素が全て詰まった邦画満貫全席。全然物語が前に進まないにも拘らず134分という長尺。勘弁してください…。
クライマックス、綾野剛がなんか契約書みたいなもん見て泣くんだけど、その意味が全然わからな過ぎて「😵💫?」ってなっちゃった。もう一度見返せば意味がわかるのかも知れないけど、つまらなすぎるのでそんな気はさらさら起きない。
超退屈しながらも頑張って最後まで観たのにっ💦もっとサービスしてくれよ!!
岩手県の観光PR映像と前述したが、はっきり言ってこの映画を観て岩手県に行きたいとは思えない。だって辛気臭すぎるもん。
松田龍平がだんだんと盛岡人として染まっていく姿には恐怖すら覚えたので、これは見様によっては『八つ墓村』的な田舎ホラーと捉えることが出来るかも知れない。
少なくともこの映画を観て「盛岡に移住したい!!」と思う人は一人もいないだろう。テレビ岩手の企画なのにそれで良いのかねぇ。
前半のクッソ長い綾野松田のBL展開をもう少し削って、日浅の謎に迫る後半のサスペンス部分をもっと膨らまして描いていれば面白くなったかも。
純文学=退屈みたいなイメージが定着してるし、大友監督もそう捉えているのかも知れないが、文学部卒の自分から言わせて貰えば、優れた純文学って面白いのだっ!!
漱石だって太宰だって春樹だって谷崎だって乱歩だって、ちゃんとエンタメ的な面白さが作品に込められているからこそ未だに読み継がれている。
多分、この物語も原作は面白いのだろう(読んでないからわかんないけど)。文学を映画にするのは歓迎だが、それをするならもう少し純文学のエンタメ的面白さの部分にも目をやってほしい。
人を見るときはの裏っかわ。影の1番濃いとこ見んだよ
映画「影裏」(大友啓史監督)から。
タイトルが示すのは、普通の人だと思っていた友人が
実は「影の顔・裏の顔」があった・・ということなのだろうが、
現代では、相手がゲイだったからと言って隠すことでもないし、
嘘をついたり、善人ぶることも、裏の顔とは言えないほど、
いろいろなことが告白され、驚くには値しない。
それがいいことかどうかは別として、監督は、この作品を通じて、
私たちに何を伝えたかったのか、わからなかった。
メモした中から引っかかったのは、
「知った気になんなよ。お前が見てんのはほんの一瞬。
光が当たったところだけだってこと。
人を見るときはの裏っかわ。影の1番濃いとこ見んだよ」
人には、いろいろな部分があるし、嘘だってつく。
だから「影の1番濃いとこ」って表現がわかりにくかった。
ただ、出演者の横顔のどアップシーンが多かったから、
きっと、このフレームワークの多用で何かを伝えたかったのかも。
沼田真佑さんの小説「影裏(えいり)」を読んでみようかな。
難解‥
と思ってレビューを見たら、なるほど、本でこそ作品の良さが感じられるんですね!映像では過去のシーンに切り替わってすぐ朝ベッドで寝てる姿から、ゲイなのかなってなんとなく感じた。いまいち作品のいわんとしてることが‥うーん。終始湿ってる感じの映画だった。
芥川賞作品の映画化という不幸
文学でも映画でも、作品は作品そのもので味わうのが筋で、知ったかぶりした解説などすることは無粋なのでしょうが、この作品、いかにも分かりにくい。
だから、私なりの仮説を書きます。
『存在の不確かさ』これがテーマ。3.11を身をもって体験した東北の人たちにとっては、このテーマはリアリティーがあるはずです。
今野は日浅との関係を深めていき、心をゆるしていく。しかし、日浅の突然の失踪をきっかけに、日浅のことを分かっていなかった事に気付く。岩手で一番の販売成績だ、と見せた賞状も、偽物だったのでしょう、きっと。「お前は、光が当たっている部分しか見ていない。人を見る時、最も大切なのは、影の一番濃い部分を見ることだ」というような言葉を、日浅は今野に語ります。自分は分かっていると思っていた身近な他者の、存在の不確かさが露呈します。
そして、日浅は震災で命を落とす。(生きていたのか死んだのか、契約改定の書類からは伝わりにくい表現で、不親切ですよね)人をだましてまで生きてきた、そして、どんな事があってもしぶとく生きていきそうな日浅が突然、命を落とす。今野と同じアパートに住んでいたおばあさんも、あんなに押しが強い人なのに、突然いなくなる。あるいは、自分の明日も、実は、確かなものとは言えないかもしれない。「おれたちは、屍のうえに立っているんだ」と、日浅はつぶやきます。命など、はかなく、不確かな存在にすぎない。
今野と日浅の会話は、曖昧で、分かりにくい。微妙な表情の裏にある気持ちが見えにくい。それは、観る者を敢えて分かりにくさの中に追いやり、その不安に陥れる演出なのでしょうか。
と、いうのがこの作品の、私の解釈。いま一つ、確信をもてない仮説です。
よい映画というのは、微妙ですよね。伝わらなければ自己満足にすぎないし、でも、みなまで言えばよい訳ではない。芥川賞作品の映画化というのは、特に厄介なのかもしれません。
ただ、ちょっと違うのではないか、と思ったところは、今野が日浅に突然のキス。ゲイが、あの場面であんな行動をとる事、不自然ではないのかな?少数派の弱者として、社会から抹殺されないようにするため、慎重に、臆病に、人との距離を測るのが彼らの常じゃないのだろうか。無理やり押し倒すのがゲイ、という誤解を助長する事につながりはしないか、と気になった。どうでしょう。
好きな俳優
松田龍平、綾野剛、好きな俳優の出ている作品でタイトルも素敵でワクワクしながら見始めましたが…
まさかのBL! 思わず、はぁ〜そこ!?っと声が出てしまいました。
綾野剛が冒頭から下着や全裸になるので、ストーリーに何の関係があるのか不思議に思っていたら、そういう方向に持って行くためだったんだなと…
中村倫也の女装は、コントの様に見えてしまいました。そのまま男性の姿でも良かったんじゃ…
震災や孤独死など盛り込まれて話しの焦点が散漫な気がしました。
ストーリーを楽しむというより、監督が表現する芸術作品を閲覧するという感覚。
原作を読んでから見たら感じる幅も広がるかもしれない。
人の影と裏
友情物語から殺人事件的な内容になる映画だと思って
見ましたが、まさかの恋愛映画でした。
綾野剛さんの下着シーンがやたら多く、なんだろう
なんだかゲイっぽさを感じるなぁと思いながら見ていました。
言葉にはしないのに、演出の仕方で
その人に雰囲気を気づかせるのが上手いなぁと思いました。
綾野剛さんは男性が好きなんじゃないかな?って
言葉なくても見ていて勘付ける雰囲気です。
案の定そうでした。
自分が1番心を許せると思っていた人が
突然自分の前から消えて
行方を探すうちに自分の知らなかった相手の裏の顔が見える話です。
自分が見てる相手はどこまで本当で
影と裏、人の奥底の部分を見ることって
難しいですね。
結果、仕事のために自分に近寄って
営業の契約されて、勝手にプランアップ?されて
お金が高くなってましたね。
要は騙されていたのか。
騙すために釣りをしたり家でお酒を飲み交わしたり
あの関係もうそだったんですかね。
愛した人が突然いなくなる映画でした。
人って、わからないなって感じの映画でした。
面白い!!!!ってなる作品ではありませんでしたが、
人だなぁの考えるような映画でした。
人は裏の顔、影の部分を見ないと判らない!
転勤で岩手に来た今野は仲良くなった日浅と交流を深める。淡々と話が進んで特に面白くもない。途中で同性愛者とわかるけど、それが重要でもなく、結局日浅は経歴を偽り、営業と泣きついて契約を取り付け人を騙していた。会社の女性にもお金を借りたまま踏み倒していたり、どうやら不倫のようだが。
東日本大震災で行方不明になっているが、生きているのか死んでしまったのかあまりハッキリしていないまま終わる。
うーむ、なにか物足りない、綾野剛も松田龍平も魅力が今ひとつ😔いちばん印象に残ったのは中村倫也の女装かな!
あえてわかり易くしなかったのかも
映画って、監督が何を伝えたいか、まずその背骨があってこそだと思うのですが、だとしたらこの作品は「その背骨は観る人が入れてください」と言われているような映画。何か不思議な不完全燃焼感が...
リアリティにこだわっているのに、何を言いたいかは押し出してこない。
わかって欲しいのか、欲しくないのか。
あえてわかり易くしていない感じすらします。
それは主人公:今野(綾野剛)と友人:日浅(松田龍平)も、そう。
お互い信じたいのか、信じたくないのか。
このモヤモヤ感。
ずーっと続きます。
でもこれもリアリティかも。
リアリティとは現実感というより、気付いていなかった真実、と言い換えた方がよいのかもしれません。
現実の世の中は、影裏だらけ。でも人に影裏があるということは、小さな灯りや光もあるということ。影裏も光明も、両方あるのがリアリティ。
でも世の中は往々にして、光が足りてない。
誰かに照らして欲しがる人が多くて、自分で照らす人が足りないんだよ。
そう言われている気もしました。
映画を観るのも、灯を灯してくれるのを期待しているからですが、灯してもらいつつ自分で灯せる大切さをなぜか感じました。
主人公の変化を見たからでしょうか。
ラスト近く主人公は、行方のわからなくなった、今となっては信じていいのかもわからない友人日浅が、生存していることを、思いがけず確認します。互助会の更新案内に、手書きの担当者名が。
生きてた。
父親からすら不信の眼で見られ縁を切られた男。父親の言っていることはまっとうです。息子を信じていたからこそあざむいたことが理解できない(母親は他界)。主人公も日浅を手放しで信じているわけじゃない。でもわずかに反論します。ほんとに彼はそこまで非人間だろうか。主人公も隠し事をしてきた(LGBT)、でも人間なら誰にでも影の一つや二つはあるでしょ、そんな思いだったかもしれません。
とにかく、日浅は生きてた。よかった。
主人公は心底安堵して、涙に震えます。
別に二人はどうこうなりません。
恋人や友人や家族でなくても、この安堵の涙。それで充分だと思いました。
主人公はずっと受け身な繊細君でした。でも日浅が消え、いてもたってもいられず、自ら動いた。その結果友人の、知りたくもない別の顔を見ることになったけれど、生存を知り涙がこぼれた時、月のように照らされるだけだった主人公が、自ら光りを放ったようにみえました。
日浅自身の影裏はまだ不気味にうろついていますが、でも主人公は、もうそう簡単にはおののかない。自分で自分の影裏を見つめ、自分で光も灯せることを知ったから。
繊細君に、静かな強さが宿りました。
大友監督はムラがありすぎる
原作未読。綾野剛は結構好きな俳優だし、大友監督=「るろうに剣心」だからと安心してレンタル。が、大友監督ってムラが有るのを忘れてたw
原作未読なので、どこまで原作の通りなのか、どこからがオリジナル要素なのかは分からない(一応、原作のレビューで、原作は短編、今野がゲイ、震災は原作でも有りまでは確認した)が、本来はエンタメで実力を発揮する人が、純文学原作で芸術的な映像を撮ろうして失敗したパターンとしか感じられない。
観ながら、(このシーン、このカット要るかなぁ?)と思う箇所が多々。そして、時間は130分越えとなるとキツい。序盤、やたらに今野(綾野剛)のモッコリパンツとか出るし、雰囲気的に今野がゲイなのは想像出来たが、映画として必要なのかなぁ?と言う感じ。酒を呑んで部屋に泊まった日浅に無理矢理キスをした時には驚きは無い。拒否する日浅だが、その後も普通に友人として接して来る。無理矢理迫った事を咎める事も無いので、日浅が本当はゲイなのかノンケなのか分かりにくい。日浅の謎と言うか、秘密の部分は震災後に明らかになる部分だけで良かったのでは無いかな。
今野にしても、日浅への感情が恋慕なのか、単なる性欲なのかイマイチ掴みにくい。それは終盤を観ても、恋慕なのか友情なのか分からない。
役者がほぼ上手い人なので、一応最後までは観られるが、演出がそれに頼り切っている様にしか見えない。
ラストで、今野の新しい恋人(ゲイ)が出てくるが、如何にもゲイと言う感じで、演技の問題なのか演出なのか分からないが、あそこまでステレオタイプのゲイにする事は無いだろう。あのシーンは今野一人だけの方が締まったと思う。
終盤以外、外回りで顧客の病院の医師や、震災後に日浅の父兄に逢う時でも前髪で目が隠れる様な今野が、終盤でやっと髪型を変える。気持ちの変化を表すならば、とても陳腐な演出。
感じる人に、感じる映画。
暗く、じめっとした背景、切なくもあり、また不気味でもある、不思議な感覚に包まれました。
最後のシーンで、今野は互助会の契約変更の通知を見て、日浅が存命であると気づき、泣き震えながら笑みを浮かべたのが印象的でした。
私は、昔好きだった人と連絡が取れなくなり、嫌われた、距離を置かれた、と思い、絶望と苦しみで寝込んでしまったことがあります。時が過ぎ、ある日突然SNS上で私のページを訪れてくれていたのを見つけました。私は二人で食事をしていた頃の楽しい思い出や、突然居なくなってしまった時の苦しみ、そして探してはいけないと悟った時の悔しさを感じ、涙を噛み締めました。
それを思い出しました。
お前が見てるのは、ほんの一瞬、光が当たっているとこ
震災前後の岩手。やたら下着姿の綾野剛が出てくる理由は、なるほどそれかというそれなりの訳がある(そこが中村倫也の登場理由なのだから)。演じる今野の地味さは、自分を卑屈に感じている部分と人には知られたくない部分が彼の心に宿っているからなのだろう。
松田演じる日浅ははじめから、社交的に見えながらもミステリアスな存在である。山火事やザクロの話題は、彼の底の知れない人間性を想起されてぞわっとする。さらに、「苔はさ、木漏れ日の下の古木が好きなんだよ、死んだ木に苔がついて、また新しい芽が出る、その繰り返しだな」「人を見るのは影の裏から」「屍の上に立っているんだよ、俺たち」の台詞の意味深さ。だから、二人が交友を深める間柄になったとしても、今野はどこか見えない彼の本性に怯えている様だった。家族の話す彼の人物像(つまり、影の一番濃いところ)を知るに従い沸き起こる今野の戸惑いは、当然なのだ。父親に「あいつは元来、そっち側の、盗人の類のような人間なんです」と悪態をつかれるような男なのだから。だから、震災後の行方知らずの彼の消息が、不吉(不安ではなく)に思えて仕方がない。
ラスト、今野の笑顔の意味について解釈はいろいろあろう。ちなみに僕はあそこで、泣いた。日浅の勤めていた会社からの案内状に日浅の筆跡を認め、彼の存在を確かめた今野。その彼は今はどこにいるか不明ではあるにもかかわらず、彼が”存在したこと”の確認ができた安堵。その感情が見えたからだ。それは、かつて彼を疎かにしてしまった自分を悔いていたからだと思う。そして愛していた感情を改めて確認できたからだとも思う。
そう、今野は今、日浅の屍の上で生きているのだ。
僕はそう解釈して、するっと涙が出てきたのだ。
誰もが年齢にあったそれまでの人生を生きてきた。人に知られていない人生を生きてきた。人には知られたくない人生だってあった。それは今野だって、日浅だって、そして僕だってそうだ。
タバコをふかしながら見つめる日浅の幻影が、「ニジマスだってそうだろう?」と言った気がした。
描き方が今一歩。
製薬会社本社勤務から盛岡に転勤になった今野(綾野剛)、そこの職場で働く派遣社員!?の日浅(松田龍平)とパートの西山(筒井真理子)。
同僚ということから仲良くなり、釣り・飲み・キャンプ・互助会の会員に印と公私ともども仲良くなるが、途中で仕事を辞めてぱったりいなくなる。就職して数か月後いきなり今野の前にあらわれ、仲が再開する。
平坦な日常が淡々と流れてるような空気感だが、いろいろな要素を含んでいる。
LGBT
非正規雇用
東北の震災
田舎の閉塞感
ノルマのために無理やりの営業
4年間の空白
親子兄弟の確執
岩手の大自然
ただ、どの項目も中途半端で深く描かずに、日浅の言葉ですべてを解決しようとしているが、抽象的すぎてフワッとして伝わってこない。
日浅の空白の4年間何をしていたのか、どんな意味があったのか、偽造卒業証書の意味など未解決のままで消化不良。
愛したひとが別の面を持っていても愛せるかどうか
沼田真佑の芥川賞受賞作の映画化。原作は未読ながら、主役ふたりの顔合わせが楽しみでした。
岩手県・盛岡に転勤してきた今野秋一(綾野剛)。
勤務先は薬品卸会社の東北支社。
慣れない土地で心細さを感じていた今野は、ある日、ふとしたことから別部署で働く同い年の日浅典博(松田龍平)と知り合う。
馴れ馴れしいでもなく、ぶっきらぼうでもない日浅との距離感が心地よかった今野は、しばしばふたりで渓流釣りに行く仲になる。
が、その後、半年ばかりした後、日浅は会社を辞めて音信不通となってしまう。
姿を消して3か月ばかりしたある頃、ひょっこり今野の前に姿を現した日浅は、ライフイベント互助会の営業マンになっていた。
そして、東日本大震災が発生し、今度こそ日浅は行方不明になってしまう・・・
という物語で行方不明になった日浅を探そうとした今野は、日浅の別の顔を知ることになる・・・
こう書くとサスペンス映画、ミステリー映画のようだが、そうではない。
その手の映画ならば、原作小説は芥川賞ではない別の賞を受賞しているだろう。
この映画の主題とするところは、愛した人物が自分の知っている面と異なる面を持っていても愛することができるか(できる)、というところだろう。
で、その主題をわかりやすくするために、主人公の今野を同性愛者にしている(原作でもそうなのかは未読なのでわからないが)。
ただし、この設定を、説得力あるように描くには、少々演出の細やかさが欠けているように思う。
つまり、日浅が行方不明になるまでの間で、心底、今野が彼を愛していることを示す描写が少ない(唐突に今野が日浅に挑むエピソードは底が浅すぎる)。
途中、ふたりの間柄を示すアイテムとして煙草が登場するが、この扱いが上手くない。
1度目、今野が日浅から吸いかけの煙草を渡されるシーン。
今野は、急いで煙草を消すが、ここは少なくとも、ひと口、吸う仕草が欲しかった。
2度目、契約数が覚束なくなった日浅が、今野のアパートの前で待っているシーン。
日浅が帰った後、部屋の前の階段のところで、幾本もの日浅の吸い殻を見つける今野だが、この扱いがぞんざい。
少なくとも、部屋へ持ち帰るぐらいの細やかな演出が欲しかった。
最後、震災後、行方不明になった日浅であるが、彼が生きていた痕跡として、今野は震災前に日浅が書いた契約変更依頼書の自筆の名前を見つけるが、この映画はここで終わった方がよかった。
その数年後に、ふたりで出かけた場所で今野は日浅の幻をみるが、その時には今野には別の想い人がいる。
新しい恋人が出来ても・・・という文脈なのかもしれないが、まるっきりの蛇足のように感じられてしまいました。
最近の日本映画にしてはチャレンジングな内容の映画だけれど、全体的に物足りなさを感じる出来でした。
トンチンカン
テーマが分からない。
テレビ岩手開局50周年記念の映画だそうだが…声を大にして言いたい。
「なぜ、これにした!?」
テレビ岩手の企画部の意図が分からない!
なんじゃこりゃ?
崩壊と再生とか、繰り返しとか、色々こじ付けられはするが…震災ネタに必然性を感じない。その前と後では、扱うネタに差異があるように思うのだ。
序盤は綾乃氏のケツがやたらにクローズアップされて、この映画のターゲットってゲイの人達なのかと勘繰る。
足からのパーンはあるわ、白いピチピチのボクサーパンツだわ、局部のアップはあるわで、その趣向を持たない俺はえづきそうだ…。トランスジェンダー的な匂いをプンプンさせてはいるのだが、泥の中を進むようで起伏に乏しく嫌悪感が先立つ。
震災前までに作り上げたものを、震災で崩壊させて、震災後には別の物を作りあげる。
外見は同じでも中身は微妙に違うとか、変化を伴わず、完全な再現など不可能だとか…そんな事??
これだってだいぶ好意的に見たこじ付けだ。
役者陣は皆さま役割以上の仕事をしてて、さすがと感嘆する。
なのだが、なんか全員泥の中で蠢いてるかのようで気味が悪い…。
この映画を通して、テレビ岩手は何をアピールしたかったのか…甚だ謎だ。
エンドロールにて、今作に原作があった事に驚いた。「原作があんのにこんなにとっちらかってんのかよ!」ってのが率直な感想だ。
てっきりオリジナルだと思ってたよ。
んで、これが芥川賞??
…嘘でしょ?
なんかヒューマンミステリーとか書いてあって、得体のしれない人物像がなんたらかんたらって書いてはあるが…なんなんだ?
自分も含めて全ての人間は得体が知れないよ。なぜそんな当たり前の事を今更…。
人は見たいものしか見ないし、見せたいものしか見せないよ。
その裏側にあるものなんて憶測以外の何物でもなくて、良くて統計的な近似値だ。
なぜ自分の見解が物事の100%だと思えるのだろうか?どこまで傲慢なんだろう?
人への印象などその最たるものだ。
…こんな事がヒューマンミステリーの発端と思いたくはないが、どおにも答え合わせが不可能な事へ、答えを出そうとする思い上がりと浅薄さに怒鳴り散らしそうだ。
脱線した自覚はあるが、とりあえず合掌。
原作なのか内容ががっかり
盛岡のアパートの住人が怒ってくるシーンは
ああいう言い方で盛岡の人は怒鳴らないと思う。そおいう県民ではない。それに下着姿の場面が多いし、後ろ姿の綾野剛の裸のシーンも必要ないし。この映画に期待して岩手県人は鑑賞しにきているはずなのだから、ゲイとかキスシーンとかいらない描写だった。
ビックリしたなぁ~
冒頭から、綾野君のサービスショット…
うん?何だか穏やかでないなぁ、絵面が。
ジャスミンの鉢に水やり、霧吹きで…モッコリ(笑)そのモッコリ尋常じゃないし(笑)
二丁目のおねぇさん方が喜びそう。
後にこの予想が正解だったと明らかになるのですが。
原作は未読です。
人物像が今一つな感じ。
ルール守らない、あんないい加減な日浅がごじょかいの契約を取る仕事をあんなに一生懸命にやるかしら?と。
それが気になって物語に集中出来なくなった私が悪いのかもしれません。
ガブっといけよ!
この映画、ガブっといってもよくわからん!
実の親が、息子に学費出して、大学行ってなくて、
だまされた!もう勘当だ!
となるのはわかるけど、
しんだとしたら、やっぱり悲しいのが普通だと思うし。
ネタバレ見てわかったのは、
コンノが男か女かわからない小説だったっていう事。
これ、コンノが最初から女の子で、レズだったら、
すごく面白くなりそう。
松田に恋して、でも松田は両刀だったりして、なかなか不憫な恋になってしまったり、
課長と呼んでた同僚とは普通に男女の不倫してたのに、
自分は拒否されたとかしたら?
女の子なら、気になって最後まで探そうとするのは、
わかる気がするし。
だましの契約変更の知らせの請求書の手書き文字見て、泣くのもわかる。
あー、中味が女の子って意味なら、わかるけど、
あやのだからなー。
もし、若いスタイルの良い女優さんがやったら、
最初のシーンすごいエロいな!
誰がいいかねー?
恋したら、
コーヒーはブラック派です。
原作未読、ここに記されたあらすじ以外の予備知識無く鑑賞。
いつも以上に偏りまくりの支離滅裂抽象レビューなので要注意w
2009年夏、岩手に転勤して1ヵ月の医療品商社営業職の男と、同支社の物流課に勤める「課長」というあだ名の男が出会い交流して行く話。
2011年4月初旬、営業職の主人公の帰宅途中、同じ会社の物流課で働くおばちゃんが現れて、「課長」が死んだかもと告げるところから物語が始まり程なく2009年夏のシーンへ。以降そこから2011年4月に向けて流れて行く。
2009年夏に移りかわって初っ端、ツルツルあんよナメの白牌感をおぼえる主人公の描写から始まり、演者の影響もありの段ボール課長日浅の排他的感。
…からの突然の押し掛けに何を見せたいのか。
とりあえず裏を考えてしまいそうな不信感はあるけれど、すんなり受け入れる主人公に不穏さと不安を感じて行く。
話が色々な方向に向かっていて散らかっている様にも感じるし、収束しておらず判然としない様にも感じるけれど、山火事に石榴にニジマスに水楢等々からコーヒーにと、ところどころに散りばめられる生々しさや色や裏を伝え様とする描写。
火がどうとか屍がどうとかいう件や「その裏っ側、影の一番濃いところをみるんだよ」とかの日浅自身の暴露か吐露かというところから、それを感じる主人公の背景や人間性が感じられると、実は日浅の詳細なんかはどうでも良く、彼に対する主人公の想いがみえてきて、これはミステリーというより恋愛映画?という風になっていく。
ちなみに自分は普通のサラリーマンだし、そういうタイプではないけど、心情的には主人公より日浅の行動の方が想像はつく感じ。
個人的に感じたこの作品の軸は…片想いから発展出来なかった、ちょっと黒くてミステリアスな男に未練を感じる主人公が、自分も含めてキラキラ目で振り返った乙女な過去の恋愛武勇伝。かな。
複雑そうだけど、色々と難しく考えるより、感じたままが全てのヌメッとした作品に感じた。
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