「これはいい「映画」だったね」影裏 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
これはいい「映画」だったね
文芸作品みたいな映画で面白いなと思っていたら原作は芥川龍之介賞受賞作だった。
原作は読んでいないので正しく判断出来ないが、大衆娯楽よりも芸術に振っている芥川賞の感じは存分に出せていたんじゃないか。
そのせいで芸術を解さない輩には不評みたいで嘆かわしいが。
綾野剛演じる今野はその性的嗜好からか前に進めずにいた。
よくある劇的なストーリーテリングとしては悪い方悪い方へ落ちていくものだけど、今野は落ちているわけではなくて立ち止まってるだけってところがいい。
昔の同僚、昔の恋人、彼らが進んでいく中で進めずに停滞し続けることへのかすかな焦り。
全く無気力なわけではなくどうすればいいのか分からない感じが面白い。ただ時間を浪費するだけの無意味とも思える毎日。
そんな中、松田龍平演じる日浅と出会う。
彼は奔放で馴れ馴れしくミステリアス。駄目な男だとしても腕を掴んでぐいぐい引っ張っていくような厚かましさは停滞している今野にとっては眩しすぎたことだろう。
観る前からやんわりと、どちらかが同性愛者であることを知っていた。てっきり日浅の方だと思っていたけど、冒頭の目覚める今野のシーンでこっちかと気付いた。だってあんなの女の子みたいだもんね。
全く予備知識のなかった妻は開始10分くらいで、これってBL?と聞いてきた。ちゃんと観れていれば知らなくても気付ける。
そして、気付いてしまえば、今野が日浅への想いを募らせていく変化が面白くてたまらない。
そこまで好きでもなかった釣りにハマっていくところがいい。服装、道具、それらが本格的になっていく、もちろん釣りの腕も上達していく。それは日浅に向ける想いの大きさを暗喩する。
そして、今野の想いが最高潮に達するキスしてしまう瞬間の緊張感は素晴らしかった。
ゆるーく変わっていく様を演じた綾野剛は見事としか言いようがない。
物語後半で明らかになる会社の女性の話の中で一番ショッキングだったのは「恋人よ」と言ってしまったというところだろう。
思わず出たでまかせなどではなく本当に恋人だった。いや、彼女は恋人だと思っていた。ある意味で今野と同じ境遇なのだ。
自分は恋焦がれていても日浅にとっては特別でもなんでもないただの日常。突然消えてしまってもフラリと現れ厚かましくするのも、どこででも誰にでもすることなのだ。
今野にとって、同性愛者ではない日浅はノーチャンスといえるわけだが、日浅にとって自分が特別ではないという現実に打ちのめされたことだろう。しかし打ちのめされたことで今野の前に進む原動力が生まれる。
日浅を捜す中で彼の過去も知り、ずる賢く自由に人生を渡っていける存在だと分かった。
残されたのは文字だけ。それを見て涙しやっと気付く。目の前に日浅がいないということは彼の生死にかかわらず失ったのだということを。
そして、失ってはじめて今野の停滞がとける。
震災からの復興に物語がかかっているので、失ったからというのは適切ではないだろうが、失っても失ったから前進することができる。
ラストシーンの今野は今までで一番幸せそうに見えた。