「あえてわかり易くしなかったのかも」影裏 xmasrose3105さんの映画レビュー(感想・評価)
あえてわかり易くしなかったのかも
映画って、監督が何を伝えたいか、まずその背骨があってこそだと思うのですが、だとしたらこの作品は「その背骨は観る人が入れてください」と言われているような映画。何か不思議な不完全燃焼感が...
リアリティにこだわっているのに、何を言いたいかは押し出してこない。
わかって欲しいのか、欲しくないのか。
あえてわかり易くしていない感じすらします。
それは主人公:今野(綾野剛)と友人:日浅(松田龍平)も、そう。
お互い信じたいのか、信じたくないのか。
このモヤモヤ感。
ずーっと続きます。
でもこれもリアリティかも。
リアリティとは現実感というより、気付いていなかった真実、と言い換えた方がよいのかもしれません。
現実の世の中は、影裏だらけ。でも人に影裏があるということは、小さな灯りや光もあるということ。影裏も光明も、両方あるのがリアリティ。
でも世の中は往々にして、光が足りてない。
誰かに照らして欲しがる人が多くて、自分で照らす人が足りないんだよ。
そう言われている気もしました。
映画を観るのも、灯を灯してくれるのを期待しているからですが、灯してもらいつつ自分で灯せる大切さをなぜか感じました。
主人公の変化を見たからでしょうか。
ラスト近く主人公は、行方のわからなくなった、今となっては信じていいのかもわからない友人日浅が、生存していることを、思いがけず確認します。互助会の更新案内に、手書きの担当者名が。
生きてた。
父親からすら不信の眼で見られ縁を切られた男。父親の言っていることはまっとうです。息子を信じていたからこそあざむいたことが理解できない(母親は他界)。主人公も日浅を手放しで信じているわけじゃない。でもわずかに反論します。ほんとに彼はそこまで非人間だろうか。主人公も隠し事をしてきた(LGBT)、でも人間なら誰にでも影の一つや二つはあるでしょ、そんな思いだったかもしれません。
とにかく、日浅は生きてた。よかった。
主人公は心底安堵して、涙に震えます。
別に二人はどうこうなりません。
恋人や友人や家族でなくても、この安堵の涙。それで充分だと思いました。
主人公はずっと受け身な繊細君でした。でも日浅が消え、いてもたってもいられず、自ら動いた。その結果友人の、知りたくもない別の顔を見ることになったけれど、生存を知り涙がこぼれた時、月のように照らされるだけだった主人公が、自ら光りを放ったようにみえました。
日浅自身の影裏はまだ不気味にうろついていますが、でも主人公は、もうそう簡単にはおののかない。自分で自分の影裏を見つめ、自分で光も灯せることを知ったから。
繊細君に、静かな強さが宿りました。