孤独なふりした世界でのレビュー・感想・評価
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面白かったとは思う。 けどやっぱり前半部分長すぎかなー 2人の関係...
人類滅亡のふりした世界での男女の出会いw
ある日突然、人類が死に絶え、地球にたった一人残されたのが小人症の男。
彼はとくに目的もないまま、街はずれに墓を掘っては死体を埋葬し、図書館の蔵書を黙々と整理したり、湖で淡水魚を釣っては調理して日々を生き延びている。
ところがそこに、突然、若い女性が登場し、観客はどうやら世界で最後の女が残っていたらしいと思い直し、二人の共同生活を眺めていく。淡々とした日常ながら、なかなかタッチがよく、さほど退屈しないまま、この後どう展開するのかと興味をつないでいくと、今度はそこに娘の両親と称する中年の男女が訪れてくる。彼らによれば、世界は滅亡したのではなく、まだ多数の生存者がいるというのだ。
この後は、ネタバレになるが、結局、作品の設定はタイトルと同様「滅亡のふりした世界」に過ぎないことがわかり、こうして手の込んだ仕掛けを通じて描いたのは、単なる男と女の出会いだったことに気づかされるのである。
いろいろ手を変え品を変えて、これか…というガッカリ感が大きいが、これだけ日常の描き方が上手い監督なのだから、別の作品なら期待が持てるかもしれない。
ドッグ
もし人類が滅亡したら・・・町に一人残された男デル。人の家を整理して、死体を埋葬し、職場である図書館の片付けをする。数十年経てば町そのものが廃墟になってしまい、存在価値さえ無くなってしまうことを恐れたのか、生きた証を残し続けるのだった。
闖入者グレースのおかげで世の中は自分一人じゃないと悟ったデルだったが、美しさで溢れている町を破壊されたくない思いも強い。空き家にある個人の写真を見つめていたときに、思い出を噛みしめているデルの様子が素敵なショットなだけに彼自身のエターニティを証明するものだったろう。
一人増えたところで大丈夫。ましてや相手は異性だ。二人で将来も美しく土に帰ることを想像しながら今を生きる。これもまた彼らの存在証明だ。ところが、さらに大勢生き残っていることを知り、彼らが過去を消し未来だけを見つめていると知ったとき、複雑な思いを感じてしまう。
自分だったら、グレースとともに国内をずっと旅したいと思うし、町にはこだわりたくない。孤独だってみんな大地の子。地球とともに生きるって考えたらどこで骨を埋めようが生きた証になると思うがなぁ・・・ま、未来は考えたくないかも。
エル・ファニング目当て(笑)
このキャストでSFモノはレア
最初は良かったのに面白くなかった。
『孤独なふりした世界で』鑑賞。
*主演*
ピーター・ディンクレイジ
エル・ファニング
*感想*
ピーター・ディンクレイジは、他の映画でちらほら拝見している俳優さん、そしてマレフィセントのエル・ファニングも出演されてるので、鑑賞しました。
最初はめちゃめちゃ雰囲気が良かった。デル(ピーター・ディンクレイジ)以外の人々がいなくて、孤独感があって、謎が謎を呼ぶ雰囲気が漂っていて、とても良かった。そして、一人の少女グレース(エル・ファニング)と出会ったことから、孤独が好きだったデルにもある変化が訪れるというお話。
ん~、、正直面白くなかったです。最初は良かったんだけど、後半からよくわからなかった。個人的にダメでした。(^^;
もっとサスペンス的な展開があるのかな?って思ってたけど、あまり感じられず、台詞がほとんどないので、謎でしたw
キャストは良かったけど、面白くなかったです。すいません!
個独
ピーターディンクレイジをはじめて見たのはU2のAll I Want Is Youのプロモーションビデオだった。1988年である。
月日のあいだに、The Joshua Treeに入っているものと勘違いしていたが、スタジオとライブで構成されたRattle and Humに入っている最後の曲だった。
ダイアモンズリングオブゴールドとか、フロムザクレイドルトゥザグレイブとか、いまでも自然に口ずさむことがある。
そのPVを見たときはもちろんディンクレイジを知らなかった。
モノクロで、短いなかにも、印象的なストーリーがあった。
設定はサーカス団で花形のブランコ乗りに恋する小人を描いている。
おそらく、フェリーニの道のようなシーナリーを狙っていた──と思う。
そのあとディンクレイジを見たのはステーションエージェント(2003)である。スポットライトのトムマッカーシー監督の初期作で、後年躍進するマッカーシー監督の中核的な要素が、じつにたっぷりと詰まっている映画だった。
とはいえ、ステーションエージェントは日本では公開されず、見たのはスポットライト(2015)の前後だったと思う。
そのあたりになると、ディンクレイジはすでにハリウッドおよびアメリカのお茶の間の大スターになっていた。
2016年、ハリウッドではPeak Beard(髭人口過多)が、さかんに言われていた。
指標はジョージクルーニーで、かれが髭面になったら蔓延を意味する。
みんな俳優なので誰もがカッコいい。が、さすがに髭だらけになるとコンペティションの趣になり、誰の髭がカッコいいのか、またはブームに阿て(おもねて)いるだけなのか、下馬評があがってくる。
決まり過ぎているとステイタスになって出演作品中もそのままになる。
ピーターディンクレイジもそれだった。Peak Beardをサバイバルした、ハリウッドで最高に髭の似合う男──と言っていい。
いまやステータスになったわけだが、ステーションエージェントではNo Beard Dinklageだった。
ステーションエージェントを見てからディンクレイジを意識的に探すようになった。
眼窩に宿る寂しげな影。軟骨発育不全のかれは身長が132cm。それが映画のなかでは、何倍も大きく見える。
かれを検索するとパパラッチの撮った近影がゾロゾロ出てくる。
綺麗な細君と並んで乳母車を押しているディンクレイジは最高に和める。
彼はスターであり、その立地を自ら勝ち取った。
が、現実世界において小人は、All I Want Is YouのPVや、ステーションエージェントや、この映画がしめすような待遇を強いられる。
グレースの、世界の終わりに孤独を感じたかの問いに、かれはこう答えるのだ。
「俺が──」
「俺が孤独を感じたのは、この街に1600人の人間がいたときだ。ひどく孤独だったよ」
すなわち生き残った二人は象徴になっている。
かたや、好ましい外形を有し、人々に好かれ、調和のなかでのびのびと生きてきたグレース(エルファニング)。
かたや、疎外され、読書へ逃避するように生きてきたデル(ピーターディンクレイジ)。
二人が絵のなかにいるときでさえ、観る者は、そこに男と女を想像できない。世界にいるのはたった二人なのに、かれらにアダムとイブを想像できない。
なぜ、できないだろう?健康な男女なのに。
ひるがえって、原題「われわれは今、一人でいるんだと思います」とは、世界でたった二人になったグレースとデルが、崩壊していない現実世界の住人である観衆にたいして、そこだって、似たようなもんでしょ、と言っている──に違いない。
わたしたちは、往々にして自分とは形状や肌色や考え方のちがう人間を疎外、排除しながら生きている。何十億もの人が生きているのに、孤独を感じている人は大勢いる。
そんな人間社会のダイバーシティの欠如を風刺し、世界が崩壊してたったひとりになろうと、崩壊せず大勢の人々の狭間で生きていようと「似たようなもんでしょ」と示唆している。それゆえI THINK WE'RE ALONE NOW「われわれは今、ひとりでいるんだと思います」とタイトルしたのだ──と思われた。
映画は、世界崩壊の記憶を外科的治療により抜き去って生きる人々と、受け容れるデルとグレースの対比として描かれている。
世界崩壊へ至った敷衍が、ほとんど全くといっていいほど無いのに、個人的にはそれが気にならなかった。おどろくほど寡ない台詞から、おどろくほど僅かな描写から、アポカリプス後世界と、人間社会がかかえる普遍的な孤独を描いている、と思う。
この映画でいちばん打たれたのは、デルがたったひとりで秩序にもとづいて生きていることだ。
うろ覚えだが、むかしJTのコマーシャルで「だれもいない、だれも見ていない、そこにあるのは美意識だと思う」というコピーがあった。森かどこかで、たばこを吸おうとした男が、獣たちか、草木に気をつかって、吸うのをやめる──という絵だった。
ひとりになったとき、何をするのか。
小人閑居して不善を為すとも言う。
デルは小人ではなかった。
そうかー『侍女の物語』のドラマ版作った人かー。
たのしくはないけど、いい映画
ふしぎだけど2回目のほうがカメラワークとか映像の深みの意味に気づくようになる。
死に絶えた町の家の前にペイントで白く×印が印象的だ。
それと町の風景の静寂。
最初は単にトリッキーな映画なのかな?って思った。
2回目は、いい映画。
3回目は、まだ。
コピー機会で写真をコピーし、コピーした写真をまた機械でコピーする。
これを繰り返す。元の写真は荒い粒子で光の劣化がおき、写真が20世紀の新聞の写真のようになる。
今の映画の印象だ。映画の時代は終わった。
映画が終わったわけじゃない。
ただの他の多数のメディアとおなじになっただけだ。
写真や、小説や、詩や、ロックやジャズ。図書館やトルストイも。20世紀のそれらは、もう時代を動かすチカラはなくなった。
ぼくの幼少の時代は祖父に連れられて日本映画を見に行った。大学のときはTVを見たくてバイトの金でテレビを買った。
今は、インターネット検索とYouTubeとSNSで外の情報を得ている。
情報をすくうフィルターを間違えなければそのほうが現実を正確に把握できる。
ある教師が耳打ちした。
「時代が変わる」と「多くの古い人たちが死ぬ」
秩序
理由は不明だが人々が死に絶えて何故か独り生き残った男性が廃墟の街を片付けて廻る中、突如事故を起こして気を失った若い女性が現れる話。
図書館勤務の孤独で寡黙で無口な主人公が誰も居ない街の家屋を廻り、遺体の埋葬や部屋の掃除と図書館の本の回収や整理を行って過ごしている中、孤独を嫌いズケズケとプライベートなところに侵入してくる若い女性。
コンプレックスと差別から来るものであろう1600人の住民が居た頃の方がという台詞や、ギスギスしながらもグレースと心を開きあったところからの知ってしまったことによる心情の変化、乱れが哀しい浸みてくる。
なかなか面白かったけれど、首の裏の件からの策略はねらいすぎている上に辻褄があわず、それがオチで勿体なかった。
二人の演技
Yeah, oh yeah
Ooh, said I
I'm coming out to get you
Ooh, sit down
I'm coming out to find you
Ooh, yeah, ooh yeah
Finding my way
..........
..........(略)
Rush-Finding My Way
エミー賞に加えゴールデングローブ賞も獲得している今ノリに乗っている俳優の一人、ピーター・ディンクレイジと弱冠20歳にもかかわらず、キャリアの点ではハリウッドの中でもぴか一で姉のダコタ・ファニングをしのぐ勢いのあるエル・ファニング、身長でも姉より10センチ近くあり、かつ大人びている。
その二人の共演となれば、ファンなら見逃せない作品となるはずが、あまりにもストリー展開が遅く、雰囲気の暗い映画に加え、このディストピアの世界観や訳の分からない背景がこの作者の優しくないところであり、観るものを置いてきぼりにしているかもしれない。
ただ救いなのは、二人の演技が、個人的にはいい感じなのが飽きさせないところかもしれない。
映画ウェブサイト"ROGEREBERT"の女性ライターは、「 従来のイライラするようになる話。」
他の映画サイトでは、「ピーター・ディンクレイジが混沌から”秩序”を作り上げようとするのを理解するのは、簡単で、それは私たち自身について何かを伝えている。」と全く違った評価をしている。
一般の視聴者は良いか悪いかという判断が付きにくいようだ。まあそんなことは必要のない映画と言えるかもしれない。
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