劇場公開日 2019年4月5日

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「個独」孤独なふりした世界で 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5個独

2020年7月11日
PCから投稿

ピーターディンクレイジをはじめて見たのはU2のAll I Want Is Youのプロモーションビデオだった。1988年である。

月日のあいだに、The Joshua Treeに入っているものと勘違いしていたが、スタジオとライブで構成されたRattle and Humに入っている最後の曲だった。
ダイアモンズリングオブゴールドとか、フロムザクレイドルトゥザグレイブとか、いまでも自然に口ずさむことがある。

そのPVを見たときはもちろんディンクレイジを知らなかった。
モノクロで、短いなかにも、印象的なストーリーがあった。
設定はサーカス団で花形のブランコ乗りに恋する小人を描いている。
おそらく、フェリーニの道のようなシーナリーを狙っていた──と思う。

そのあとディンクレイジを見たのはステーションエージェント(2003)である。スポットライトのトムマッカーシー監督の初期作で、後年躍進するマッカーシー監督の中核的な要素が、じつにたっぷりと詰まっている映画だった。

とはいえ、ステーションエージェントは日本では公開されず、見たのはスポットライト(2015)の前後だったと思う。
そのあたりになると、ディンクレイジはすでにハリウッドおよびアメリカのお茶の間の大スターになっていた。

2016年、ハリウッドではPeak Beard(髭人口過多)が、さかんに言われていた。
指標はジョージクルーニーで、かれが髭面になったら蔓延を意味する。

みんな俳優なので誰もがカッコいい。が、さすがに髭だらけになるとコンペティションの趣になり、誰の髭がカッコいいのか、またはブームに阿て(おもねて)いるだけなのか、下馬評があがってくる。

決まり過ぎているとステイタスになって出演作品中もそのままになる。
ピーターディンクレイジもそれだった。Peak Beardをサバイバルした、ハリウッドで最高に髭の似合う男──と言っていい。
いまやステータスになったわけだが、ステーションエージェントではNo Beard Dinklageだった。

ステーションエージェントを見てからディンクレイジを意識的に探すようになった。
眼窩に宿る寂しげな影。軟骨発育不全のかれは身長が132cm。それが映画のなかでは、何倍も大きく見える。

かれを検索するとパパラッチの撮った近影がゾロゾロ出てくる。
綺麗な細君と並んで乳母車を押しているディンクレイジは最高に和める。
彼はスターであり、その立地を自ら勝ち取った。

が、現実世界において小人は、All I Want Is YouのPVや、ステーションエージェントや、この映画がしめすような待遇を強いられる。

グレースの、世界の終わりに孤独を感じたかの問いに、かれはこう答えるのだ。
「俺が──」
「俺が孤独を感じたのは、この街に1600人の人間がいたときだ。ひどく孤独だったよ」

すなわち生き残った二人は象徴になっている。
かたや、好ましい外形を有し、人々に好かれ、調和のなかでのびのびと生きてきたグレース(エルファニング)。
かたや、疎外され、読書へ逃避するように生きてきたデル(ピーターディンクレイジ)。

二人が絵のなかにいるときでさえ、観る者は、そこに男と女を想像できない。世界にいるのはたった二人なのに、かれらにアダムとイブを想像できない。
なぜ、できないだろう?健康な男女なのに。

ひるがえって、原題「われわれは今、一人でいるんだと思います」とは、世界でたった二人になったグレースとデルが、崩壊していない現実世界の住人である観衆にたいして、そこだって、似たようなもんでしょ、と言っている──に違いない。

わたしたちは、往々にして自分とは形状や肌色や考え方のちがう人間を疎外、排除しながら生きている。何十億もの人が生きているのに、孤独を感じている人は大勢いる。
そんな人間社会のダイバーシティの欠如を風刺し、世界が崩壊してたったひとりになろうと、崩壊せず大勢の人々の狭間で生きていようと「似たようなもんでしょ」と示唆している。それゆえI THINK WE'RE ALONE NOW「われわれは今、ひとりでいるんだと思います」とタイトルしたのだ──と思われた。

映画は、世界崩壊の記憶を外科的治療により抜き去って生きる人々と、受け容れるデルとグレースの対比として描かれている。

世界崩壊へ至った敷衍が、ほとんど全くといっていいほど無いのに、個人的にはそれが気にならなかった。おどろくほど寡ない台詞から、おどろくほど僅かな描写から、アポカリプス後世界と、人間社会がかかえる普遍的な孤独を描いている、と思う。

この映画でいちばん打たれたのは、デルがたったひとりで秩序にもとづいて生きていることだ。
うろ覚えだが、むかしJTのコマーシャルで「だれもいない、だれも見ていない、そこにあるのは美意識だと思う」というコピーがあった。森かどこかで、たばこを吸おうとした男が、獣たちか、草木に気をつかって、吸うのをやめる──という絵だった。

ひとりになったとき、何をするのか。
小人閑居して不善を為すとも言う。
デルは小人ではなかった。

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津次郎