蜜蜂と遠雷のレビュー・感想・評価
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私の知らない未開の世界を見る面白さ
映画っていうのは、自分が知らない世界を見れる、少しなりとも自分のものに出来て体感が出来る媒体なんだなぁという事が身を持って実感出来た作品。多分、食や性や恋などのほぼ多くの人間が持っている欲に重きを置いている作品というのは多少なりとも確実に共感が出来て、"共感が出来る"という意味でとても面白くて楽しい内容なんだけど、自分(私限定)が踏み込んだ事の無い世界…例えば警察や医療や力仕事、芸能界、闇金、暴力、反社会、競技かるたや囲碁、将棋なんてのも分かったふりしてその現場に居たことが無いから、そういう"未開の地を覗ける"作品と言うのは100%の理解や共感が出来なくともまた違った面白さや興奮やワクワクがあると思った。ピアニストという音楽家においても同じ事が言えた。とても特殊な人生でポリシーを持った人達が突き進む世界。
この映画は、ピアニストの世界を4人の異なる背景をもったコンクールの挑戦者たちを通して描いていて、それがまた面白かった。テーマとして、「ピアノ」というくくりだけではなく「音を楽しむ・表現する」というピアニストの世界に関して素人の私でも分かるところまで描いていてくれてそれも良かった。
その為、音を大事にしている作品だった。ピアノの音だけじゃなく自然の音や人が出す音が心地良く響いているシーンが沢山あって良かった。あと、こういう感想はあまり好みじゃ無いんだけど、映像が全編ずっと綺麗だった。編集?かカメラ?の種類的なものもあって色が綺麗で…あとは撮り方や映画独特のあの画角に収めるレイアウトなど…綺麗でおしゃれだった。(ここは日本の何処なの?と何度も驚いた)
映画の内容によっては無駄におしゃれだったりミュージックビデオみたいだったりインスタ映え的な映像だと作品として失敗してしまう可能性もあるけど、この綺麗な音を奏でるピアニスト達の映画という点では絶妙にマッチしていてとても気持ちが良かった…監督分かってる。この石川慶監督に関しては、「愚行録」だけ観たことがあって、あの映画はストーリーがあまり好きじゃなかったから映画自体は「…」と思ってしまっていたけど、愚行録のようなストーリーの映画のジメッとした気持ち悪い空気感や、今回のような透き通る音色のシーンが多数出て来る作品の綺麗な空気感を映像で表現してて、そう考えると「愚行録」も結構良かったなと思えた。
俳優陣…松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィル、鈴鹿央士、凄いねえほんと。ピアニストじゃないのに…あんな事出来るんですね。俳優ってバケモンみたいな職業だなーと改めて感心してしまいました。広瀬すずが昔「先生!」という映画の撮影中にエキストラで参加していた高校生を発見してマネージャーにスカウトさせた…そんな背景のある鈴鹿央士…。物凄く今回の風間塵という役、ハマり役やないか…。松岡茉優演じる天才ピアニスト栄伝亜夜が練習しようとした矢先に忍び込んで来て一緒にピアノを演奏するシーンとか超良かったんだけど…笑。あと演奏する指も魅入った。私は指とか手フェチというのが全然分からないけど、鈴鹿君の演奏する手や指はガン見してしまった。栄伝亜夜の演奏するシーンも、手も含めて全て圧巻ですよ…。
恐らく小説を読まないと分からない細かい設定や過去、トラウマや各種キャラクター達の想いがあるんだと思いますが、そこを置いておいても雰囲気で楽しめた。映画ってのは100%理解して楽しめない作品だとしても雰囲気が楽しければ途中でウトウトすることも飽きることもなく入り込めるんだね。こないだ「HELLO WORLD」を観た時も頭が混乱して爆発しそうにもなりつつ、雰囲気や続きやラストが気になってちゃんと楽しめたので、自分が理解しにくいストーリーや世界の話でも雰囲気で楽しんで良いんだなぁーと映画を観るということに対して肩の荷が少し楽になった今日この頃でした。
終わり方も良かったな。
あと個人的に自分の好きな事に対して没頭してる人萌えなのでそこもめちゃくちゃ良かったです。萌えました。
素敵な作品でした。
入り込めなかった・・・
世界を鳴らす人の成長物語に、静かな涙が溢れ出る
この世は音楽に溢れている。その事を再認識させてくれる、これは音楽映画なのか。しかし静かに溢れる涙の理由は別の所にあったように思う。
それは、幼くして母親と死別するという葛藤を抱えたまま、母親との想い出が一杯詰まった音楽との向き合い方に迷い続ける一人の少女の成長物語に感情が揺さぶられたからだった。
実は、昨年、後にも先にも一度きりのエキストラの経験を、この映画でさせてもらった。
ロケ場所等は箝口令が出されていたが、エンドロールにクレジットされていたので、もう書いてもいいだろう。
その時、客席から演奏中の栄伝亜夜の表情を伺い知ることはできなかった。
しかし、映画の中での松岡茉優の演技は想像以上だった。人目を避けるような冒頭の表情から、時折見せる本来の笑顔、そしてラストの己に克つ凄みの表情。と、葛藤の中で成長する主人公を共感の中に見せてくれた。
ピアノを弾きながらの演技はどれだけ難しいのかと考えると、この女優さんの演技の密度と集中力は、大したものだと思う。
きっと女優という仕事も、葛藤と迷いに満ちた職業だと思うが、劇中の栄伝亜夜のように更なる高みを目指してほしい。
原作の恩田陸さんと石川慶監督は、音楽という刹那な永遠を通して、人が己を乗り越える逞しさと尊さ、そして美しさを描いてくれた。
それは、美しく儚い映像と音に身を任せ耳を澄ませ幸せな時間を過ごさせてくれる、宝石箱に似た贈り物だ。
原作の読者には違和感しか残らない映画
恩田陸さんが「この作品の映像化は無理」と仰っていた意味が改めて納得できる映画。とにかく小説では緻密に描かれている人物の心理、背景などなどをなぎ倒して、理解出来ない幻想的なシーンの挿入で無理矢理映像化した作品。
公開初日に観に行ったが、演奏場面も少なく、架空の課題曲「春と修羅」もごく一部だけの演奏しかなく、ピアノコンクールを舞台にした映画としてはあまりに演奏シーンも少ない。
何より、塵の背景があまりに分からないのでホフマンの手紙の意味するところも分からず、また明石の言う「生活者の為の音楽」という言葉にも違和感しか覚えない。
原作の好きな方にはお勧めできない。
尺との闘い…
原作が素晴らしいので残念ながら2時間では表現出来ませんでした。
おかげで奏の面影すら無いし音大に入学している事すら描かれて無いし殿(松坂桃李)と亜夜が抱き合って号泣するシーンも無いし帰ろうとした殿に事務局からの不意の電話も無いし無い無い尽くしになってしまってます。
足りない部分を実演者の説明台詞でカバーすると言う暴挙に(まぁよくあるパターン)
画的には悪くはないと思います。
キチンと観られます。
原作ファンには物足りなさが残るでしょうが…
だって予選毎に成長?一皮向けていく亜夜が全く描かれていない。
原作後半にある「ガンダムかよ‼︎」って突っ込みたくなるようなニュータイプの様な掛け合いも全く無い。
原作読んで無いとちんぷんかんぷんな部分が多いんじゃ無いかな?
塵がいきなり日本に来てるしさ。
やはり先ずはアニメで2クールくらいかけてじっくりやるべき作品。
物語は薄い
本物のコンクールのようでした!
耳で感じ感性で創造して観る作品
オーケストラコンサートには年2〜3回行くが、やはりすでに歌詞が付いていたり背景がある音楽に触れることが多い。そのためそこから創造して音楽を頭で描き音楽を鑑賞してしまうが、この作品はまさに耳で感じ心や感性で創造して観る必要があると個人的には感じた。
その為まだまだ音楽を創造する事に未熟な自分にとっては理解がストーリー追いつけず気疲れしてしまった。
決して悪い作品ではない。しかし、人を選ぶ作品かもしれない。
僕が観賞した回は終盤涙している観客もちらほらいた。
こういった作品で涙を流せるような感受性を自分も育みたいと思った。
余談になるが、個人的にはブルゾンはこの作品には合ってないような気がした。浮いてるというか、少し言葉悪くなってしまうが登場シーンが割と多くて目障りだった。
音楽を楽しめる映画でした
弾き手の方が演者の方毎に違っていて、何て豪華な映画だろう!!と驚きました。
コンクールという同じ曲を弾く舞台で、聴いていて楽しめる映画でした。
あと、新人の鈴木央士さんのバンビのような目が可愛かったです♪
月明かりの下で連弾するシーンはぞわぞわしました。
春と修羅は何年か前シン・ゴジラを観たあと気になって読んではいましたが、明石さんのがやっぱり宮沢賢治っぽいですよね。
風間塵がギフトである理由
換骨奪胎(先人の着想やアイデアを借用し、新味を加えて違う作品に作り直す)と言えるほど、違う作品に仕上がってるわけではない。かといって原作本来の魅力が活かされているわけでもなく、ちょっと残念な出来でした。
風間塵がギフトである理由……風間塵の才能が起爆剤となって、他の才能を秘めた天才たちを弾けさせる。真に個性的な才能たちが、風間塵の演奏を触媒として開花していくこと。
であるならば、風間塵の天才振りがもっと具体的に描かれていて欲しかったのですが、出てきたのはお手製の木製キーボードとボロボロの靴だけでした。これだと、練習環境に恵まれていない養蜂家の家庭で育った自然児であることは分かりますが、天才であることまでは伝わってきません。
映画の中で描かれたオーケストラの一部の配置換えのエピソードなど、原作では次のように風間塵の特異な才能が伝わるようなものとなっています。
本選リハーサルの場で風間塵は、自分は客席に降り、オーケストラだけでバルトークの三番、第三楽章を演奏させる。そしてやおら舞台に登り、椅子を引っ張ったり、譜面台をずらしたりするが、それは床のひずみのことも含めて、すべて音のバランスや伸びの効果を向上させるため。その後、一緒に演奏するのだが、指揮者や楽団員もびっくりするほど見違えるように(聞き違えるように⁈)音が良くなり、彼自身のピアノ演奏も楽団員の方が付いていくのに必死になるほど力強くその場にいる全員を完全に飲み込んでしまう。
そういう天才であるからこそ、マサルも亜夜も予選から彼の演奏を聴くたびにインスピレーションを与えられ、コンクールの中で成長していく。塵もまた、マサルや亜夜や明石の演奏から色々なものを吸収していく。一次審査から観ている聴衆側が、大会中の甲子園で闘うたびに強くなっていく高校球児をいつのまにか親心的に応援したくなるように、それぞれのキャラクターに惹かれ、思い入れや応援の気持ちが強くなっていく。そのような原作の魅力があまり感じられませんでした。
その他にも。
風間塵とホフマン先生の約束。
音楽を世界に連れ出すこと。今の世界はいろんな音に溢れているけど、音楽は箱の中に閉じ込められている。お姉さん(亜夜)も自分と一緒に音楽を外に連れ出すことのできる人。先生、見つけたよ。
亜夜の本来の音楽を解き放つことのできる〝天才〟がマサルや塵との出会いで復活する過程で描かれる「トラウマ克服」について、この映画ではかなり観念的に(映像のイメージでいえば、ラース・フォン・トリアー監督のメランコリアのように)描かれていますが、背中を押してくれたものの正体が今ひとつスッキリせず、明石の前で見せた涙の意味も、原作での複雑な背景に比べると、安易な印象が拭えませんでした。
もうひとつ気になったこと。
原作ではコンクールの4位と5位には韓国の人が入るのですが、この映画では欧米系の名前だったと思います。亜夜さんの前のキム・スジョンさん?がなんらかの理由で欠席のため、出番が繰り上がってたようですが、昨今の日韓関係の悪化と関係があるのでしょうか???
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“天才の苦悩”は天才にしかわからない
日本の音楽映画では最上位に位置するのでは
芳ヶ江国際ピアノコンクール。
3年に一度開催され、前回優勝者が世界トップクラスの注目を浴びていることから、若手ピアニストの登竜門として世界から注目を集めている・・・
といったところから始まる物語で、コンテストに出場するピアニストたちのうちの4人に焦点があてられて物語は進んで行きます。
ひとりめ、栄伝亜夜(松岡茉優)。
天才少女と謳われていたが、母親を亡くしたことをきっかけにスランプに陥っている。
ふたりめ、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)。
ニューヨークの名門・ジュリアード音楽院の秀才。
ただし、幼い頃は、亜夜の母親にピアノを習っており、亜夜とは幼馴染。
さんにんめ、高島明石(松坂桃李)。
コンクール出場の年齢制限ギリギリの妻子あるサラリーマンピアニスト。
「生活者の音楽」が彼の心のよりどころ。
よにんめ、風間塵(鈴鹿央士)。
先ごろ他界した世界的ピアニスト、ユージ・フォン・ホフマンが送り込んだ未知数の少年。
「世界は音楽で満ち溢れている」と亜夜に告げる。
登場人物の背景などをあらためて文章にしてみると、かなりベタな設定で、これで(いわゆる)ドラマを中心に描くと、かなり世俗的でベタベタ、ウェットになりかねない。
そこんところを、脚本・編集も兼務した石川慶監督は、音楽を中心にみせることに徹しています(原作でも、音楽を文章で表現したらしいが)。
この試みは、成功。
4人の登場人物それぞれに別々のプロの吹替ピアニストを用意し(クレジットでわかる)、音楽をプレレコし、それに合わせて演技を付けている。
ピアノの音質も違うし、俳優たちのキータッチもスタイルも違う。
もっとも顕著なのは、二次予選の課題曲「春と修羅」のカデンツァ(即興演奏・自由演奏)のシーン。
カデンツァのフレーズは、それぞれ特別に作曲したと思しいが、それぞれのキャラクターに適した演奏、カット割りで魅せてくれます。
最終選考の協奏曲、オーケストラが登場してからは、アクの強い指揮者・小野寺(鹿賀丈史)が登場し、これまた、映画のタッチを絶妙に変えていきます。
全編がピアノを弾くシーンで満たされ、結末もこれ以上描くと蛇足になる、というギリギリ絶妙なタイミングでエンディングを迎えます。
日本映画(外国映画も含めてかも)の音楽映画では最上位に位置する映画ではありますまいか。
音楽はさっぱりわからないけど
音のすばらしさ
良い映画というよりも素敵な映画が正しいかな
駄作ではない
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