「諦念」象は静かに座っている andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)
諦念
234分。インターミッションなし。約4時間の中にどん底の1日を追いかける。
長回し、背中、横顔、アップ、ぼやける背景。最後まで救いなど一片もない。喜びもない。疲れ、苦しみ、後悔、逃走、諦念、怨嗟...負の状況と感情たちは暴発しない。ただただそこを漂っている。派手なドンパチではない、リアルな暴力。痛み。怒り。
目の前で友人に飛び降りされた男。校内で幅を利かせるボスを突き飛ばしてしまい逃げる青年。母との関係に疲れ教師に寄り掛かってしまう少女。娘夫婦に疎まれる老人。
どことも繋がらなかったように見える4人が複雑に絡みあったり離れたり、4人の物語をそれぞれ生きる。男にある強い不信と自己保身は諦念に通じ、少年と少女ももはや未来を描くことなどできていない。老人が訪れる老人ホームにあるのは、虚無の姿。この物語は引き延ばされた諦念と絶望でできている。
そして、それをひたすら突き放すように撮る。背中の歩み。横顔の表情。目。どこかに入れ込むというより、その場を映し取る。
監督のフー・ボーはこの作品完成後、29歳で命を断った。光はなかったのだろうか。「どこに行っても同じだ」と思ったのだろうか。この物語に出口が示されないように、出口がなかったのだろうか。結局は分かりようもない。けれども、この作品を遺して逝ってしまうなんて、と思う。年齢を重ねたときに、また監督が見た、異なる風景を共有したかった。この作品で、鑑賞した皆がそれぞれの「彼の風景」を共有したように。
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