「透明性が社会を変える」靴ひも Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
透明性が社会を変える
ガディは目立たない障がい者ではなく、目立つ障がい者である。この意味は、ガディと一緒にどこかに出かけたら、周りの人が障がい者ガディにすぐ気づくだろう。まず大きい声をだすし、感情のコントロールはできないからなんでも言う。歩くときは壁に沿った場所を歩くし、人にすぐ声をかける。
私の近所にガディと似た人がいる。名前はAで、一人で住んでいて、時々父親が迎えに来てどこかへ連れて行く。コロナのパンデミックなので、最近見かけないが、どこにいても大声で話しかけてくる。まるで皆が友達のように。よく表にいて陰に潜んでいないから、誰もが彼を知っている。でも、私は彼の父親に会ったことがない。
こういう存在感のある障がい者がでるの映画を観たことがあるだろうか? ザ・ピーナッツバター・ファルコン(2019年製作の映画のザックはダウンシンドロームであるが、https://filmarks.com/movies/81710/reviews/78661019
ガディの方がより大声で多弁であって、ザックとは障がいが違うと思う。
一般的に言って、社会のなかで、身体の障がいを抱えている人は見かける機会はあるが、薬で症状を抑えているような精神的に障がいを抱えている人にあう機会が少ないと思う。それにたいていガディが行くようなメンタル施設に入っているからだ。施設では彼にとって、似たような仲間がいて安全性がかなり保たれていると思う。
ガウディが家庭と住んでいる場合は、家族だけでなく、コミュニティーが協力していかないと。コミュニティーも彼を育てていかないと無理だと思う。彼の良さを発見して(歌が歌えるー歌詞を書いてCDを出す予定と。力持ちであると言っているーサムソンのようにちからがあると)それを反映させられる(食堂でお昼を食べているところで歌える)場所もいる。そして、コミュニティーの一人ひとりにとってもガディの存在は大きくなるし、微笑ましく寛大にみてあげられるようになる。この寛大さが別な意味でも社会を良くしていくと思う。困っている人に一人一人が一声かけることができるようになると思う。
靴紐だが、これを結ぶシーンが3度も出てく。人の手を借りず自分でできるという身しょう者の級を図る目安かもしれないが、最初は重度の障がいの証明により、負担金がいるため靴紐を結ばなかったが、二番目は自分の意思で腎臓を父親、ルーベンにあげる証明をしなければならなく、そのことに焦りとストレスがかかり、結びたくても結べなかった。三番目は自分そのままでいることができるから、だれにも自分を証明する必要がないので、結べた。精神状態が極端に現れる。
好きな言葉は誰かが父親にガディから腎臓をもらえと言ったとき『ガディはこれ以上何かを失えるようにみえる?』と父親が答える。愛の証。
この映画のように人々に寛大さの重要性を与えたり、身しょう者の課題に透明性を与えるテーマはインクルーシブ教育として社会に必要なことだ。
しかし、2箇所、気になった言葉使いがある。それは、
ガディがアデラ(ウェートレス)と結婚したいと言ったとき、父親は、彼女は相応しくないと答える。
その理由は彼女は黒人だからと。ガディは黒人の女の人たちはやさしいから好きだと答える。
もう一つはDr. Huri(フーリ)が医者だとルーベンがいうが、彼の弟はアラビア人?
その反応をみて、ルーベンは病院は彼は臓移植でトップだよといった。私は、パレスチナ側からの映画を良く観るが、お互いの偏見はなかなか消えない。
この映画は全米各地のユダヤ映画祭で上映された作品だ。