「国家のために特攻隊の肉弾にされる芸術家たち」ホワイト・クロウ 伝説のダンサー きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
国家のために特攻隊の肉弾にされる芸術家たち
冒頭、
パリに到着したヌレエフ。
見つめる先は
ルーブル美術館のジェリコーの大油彩画
「メデューズ号の筏」だ。
これから始まる「命を賭したヌレエフの行く手」を暗示する絵だ。
台詞の少ないこの作品を、破綻させずに「バレエ映画」として、実話ベースのドラマとして、ここまで格調高く仕上げた脚本家、演出家たち。そして有能なアドバイザーも大勢いたはずだ。もちろん出演する有名無名のダンサーたちの輝きは言わずもがな。
統括する映画監督はレイフ・ファインズ。
プロフィールを調べれば納得だ。彼らの実力は大したものではないか。
ルドルフ・ヌレエフの半生。
はみ出し者=ホワイトクローな彼、ヌレエフの、「誰とも上手くやっていけない非常にまずい性格」が、
―彼の幼少期にも、
―ロシアでのバレエ生活でも、
―彼を支えようとしてくれる人々への対応でも、そして
―彼を監視し、政治思想犯として連れ戻そうとする官憲に対しても、
ヌレエフは「困ったことに」丁寧な対応が出来ない。
けれど、
いくらかの問題があるから孤高の存在になれるのであり、
たしかに問題があるからアーティストはアーティストたる所以なのだろう。
ゆえに、
国境も、決まり事も、恋人の想いも踏みにじって、ただ彼は自分のためだけに舞う男だったのだ。
・ヌレエフの伝記として、また、
・そんなに彼に惚れ込み、攪乱させられた多国籍の人たちの物語として、とても興味深く観させてもらった。
・・・・・・・・・・・・・
僕は、
「EUがノーベル平和賞を受賞した時」に、
この世界がついに、満身創痍の泥沼から、
政治と文化と民族と歴史を超越して、とうとう我々人類が難波した船から「救難の筏」で脱出し始めたのだ!と思い、感動で胸が一杯になったものだ。
本作も、フルシチョフ時代のソ連が、一旦崩壊し、その後の、つかの間の冷戦の緩和を受けて、ロシア・フランス・イギリスの三国が協力して作り上げた作品。
サウンドトラックの管弦楽も、ロンドンとベオグラードが分担している。
自国の過去を省み、かつての自国のイデオロギーを否定し得る、「協調」。これが新しいロシアのキーワードだ。
それにしても
体制の波にもまれながら、じつにたくさんの芸術家たちがヨーロッパへ、そしてアメリカへと渡ったものだ。
追手の追跡を振り切って逃げたアーティストたちは、歴史に名を残すだろう。しかし亡命に成功した彼らは氷山のほんの一角なのだ。
その美談と名声の陰に埋もれて、ついに逃げ切れなかった者たち、そして
やはり亡命を選ばなかった者たち ( 選べなかった者たち) が、どれほどまでに多く、壁の向こう側にいたかと思うと、胸が痛まないではおれない。
・ ・
チリ人の裕福なパトロン =クララ (アデル・エグザルホプロス)や、先生の妻もとても良い味を出していて、ドラマを熱く息づかせている。
そして劇中でヌレエフを支え続けたパリ在住のダンサー役はウクライナ出身のセルゲイ・ポルーニンだった。
その後のロシアは、あろうことか、ウクライナ戦争を引き起こし、ペレストロイカの喜びはいずこ・・。ロシアは過去の恐怖政治に逆戻りだ。
プーチン支持を表明した僕の大好きな指揮者ワレリー・ゲルギエフが、西側からボイコットされて演奏旅行に出られなくなってしまった事も、本当に悲しい結末。
ヌレエフがふるさとに残してきたお母さんの面影が、幾度も白黒映像で去来します。
ここ信州には、徴兵によって家族と引き裂かれた画学生たちの「無言館」もあるのです。
アーティストも、アスリートも、そして誰ひとりも、国の威信のための肉弾になってはいけない。
抵抗しなければいけない。
逃げなければいけない。
·
こころさん
コメントありがとうございました。
気象・天候、そしてその土地の地形が、そこに住み続ける人間のメンタルに与える影響は大変に大きいのです。
茫漠とした悠久の大地に、陰鬱な曇り空。加えて長く厳しい冬・・
ロシアは、音楽も文学もそして政治や映画も、その地勢とお天気が、全てに深く影を落としているように僕は感じますね。
動画どうぞ ↓
・「暗さ」⇒ラフマニノフピアノ協奏曲1番の冒頭の部分。
・「暖かさ」⇒厳寒の冬の暖炉の前で、
チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ。
このアンダンテ・カンタービレの主旋律は、チャイコフスキーが実家に戻ったときに家政婦がハミングしていた子守唄のメロディだと言うことです。
とろけるような甘いメロディですが、よく聴くと底辺で刻んでいるリズムは、まごうことなきボルガの舟歌などと同じロシアの定番=足を引きずるような、苦労して舟を漕ぐような、重たいリズムですね。
きりんさん
コメントを頂き有難うございます。
実は先日「 チャイコフスキーの妻 」を某劇場で観たのですが( レビューは未だ書けていません。。)制作にロシア 🇷🇺 が関わっていると、何処かしら張り詰めた空気感や憂いが作品に加味されるような気がします。
それはグレーがかった色彩故かも知れませんが。
恫喝を受けながら、あのお母さんの眼差しを振り切って亡命した、その息子の苦しみをも思いました。
技術だけではない、苦しみのストーリーを踊れるダンサーだったのだと思いました。