アマンダと僕のレビュー・感想・評価
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フランスの今を表していますね
突然の悲劇で肉親を失った青年と少女の絆を映画いた作品。2018年の第31回東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリと最優秀脚本賞をダブル受賞。 “突然の悲劇”と言う事は「交通事故かな?」と思っていたんですが、いやぁ、余りにも現代の“突然の悲劇”ですね。ちょっと驚かされました。って言うか、フランスだと、シャルリー・エブド襲撃事件、パリ同時多発テロ事件など、リアルに起きている出来事。それが、映画で、こういう形で描かれるとは・・・。一般市民が、テロを恐れながら生きていかなければならない時代なんですね・・・。 ダヴィッドは、24歳。はっきり言って、ニートすれすれの生活の様です。そんな時に、いきなり姪っ子の面倒を見なければならないと言うのは、非常に困惑するのは間違いないです。でもそれが、彼の“何かのスイッチ”を入れたのかもしれませんね。それまでも、仲の良かったアマンダですが、良い保護者になっていきそうな感じがしました。 ラストシーンが、なんとも印象的。希望がある事を示しているんですね。
みなさんやたら高評価ですが
エルビスの使い方はいいなぁと思ったけど、結局何が言いたいのかって、イスラム系のテロリストのことかなぁ、と。
お姉さんが突然亡くなる理由がテロである必要ってあるの?交通事故じゃダメなの?と、疑問が。
なんか全体的に薄味かも?
アマンダ
フランス映画らしく叙情的な映像を多く取り入れ家族愛を描いた秀作です。 特筆すべきはやはりレナ(ステイシー・マーティン)の存在感と美しさですが、アマンダちゃんの抑えめの芯の強さを感じる演技にも注目です。
『映画の力』
死者130人、負傷者300人以上というパリ同時多発テロを土台にしていますが、この作品は、声高に何かを叫ぶことはしません。それでも観賞後、ひっそりと、我々の心に訴えかける『映画の力』を深く感じました。 エッフェル塔も凱旋門も出て来ない、日常に徹したパリの映像も、とても好感が持てました。 「Elvis has left the building」、それでもまだ終わりではないのです。
ささえあいにひとひねり
悲劇的な事件で、シングルマザーの姉を失ったダヴィッドと、残された娘のアマンダ。途方に暮れるふたりが支え合いながら、前を向く物語。もうこれだけでジーンと来る。 幼い子供が親と死別して…という設定で、昨年見た「悲しみに、こんにちは」を思い出した。そちらは両親が亡くなったところから話が始まっていて、引き取られた先で家族になっていく物語だった。こちらは前半、姉弟と姉娘の仲の良い平凡な暮らしを見せられた上で、急に姉が失われるので、より残された二人の喪失感が際立つ。感情的に塞いだり泣き叫ぶことはなく、ジッと堪える二人を見てると、なんとも言えない気持ちになる。突然大事な人を失い、7歳のアマンダはもちろんそうだけど、ダヴィッドだって24歳で、どうしたらいいかわからない。でも陽はまた昇り、日常の生活はしなければならない。 でも、ただ静かに耐えるだけの話ではなく、そこに2つの意外な取り合わせが、物語に深い味わいをもたらす。 1つ目が“Elvis has left the building”というワード。 直訳はプレスリーは、会場を出ました。コンサート後に、延々彼の再登場を待っている観客に、主催者が「もう待っても出てきませんよ」というメッセージを出したことが語源で、その意味は…。 そして、2つ目がテニス。唐突感満載だが、それは観てのお楽しみ。この、つながりの無い2つのキーワードが、物語のアクセントとなってこの作品を光り輝かせる。 ジーンという感動の涙しながら、鑑賞後の爽快感を味わえる。優等生的な良作とはこういう作品だ。
前半の突然のテロには
ビックリ(゚o゚)/でした! なんだったんでしょうか? レナも怪我したんですね!なぜ右手つっているのかわかりませんでした。 レナ可愛いですね!後半は興奮しました。 テニス観戦シーンのアマンダの表情よかったです! 141本目
悲しみには勝てないけれど、デュースには持ち込める。
実親を亡くした子供を、子育ての経験の無い主人公がひょんなことから引き取ることになり・・・という映画は今までにも何度も観たことがある。でもその場合は、大抵「親権」を争うような展開になり、「家族の絆」というチープな解決法に収まってしまうことも少なくない(その中にも名作はあるが)。
私が「アマンダと僕」において好きだったのは、必ずしも「絆」がテーマなわけではなく、まして親権を奪い合うような醜い展開にもならず、近親者を失った人々のそれぞれの「喪失」とその向き合い方が丁寧に描かれていたところだ。
時に「明けない夜はない」とか「明日は必ず来る」と言うような慰めの言葉を聞くことがあるけれど、夜が明けて訪れる「明日」というのが無神経なほどに「日常」だと言うのは、この映画の登場人物たちにとってあまりにも皮肉だろうと思う。自分の心や肉体が日常を取り戻せない状況下で、時間だけが日常を取り戻していくのはきっと辛い。事件を境に人生が大きく変わってしまったのに、その次の瞬間からまた「日常」を生きなければならないなんて、どう考えても心が追い付いて行かない。でもそうやって毎日襲い掛かって来る「日常」と少しずつ折り合いをつけていく、その様子が非常に繊細に丁寧に描かれていてすごく好印象だった。そしてその先で、家族との関係が見直されるという風に展開できているのもすごく良かったと思った。ドラマティックな展開で家族が涙ながらに抱き合って大団円だとか、まさか『ダヴィッドとアマンダが一緒にいられればそれで幸せ』なんて浅はかな結論には絶対に流れていかないところが良い。
またこの映画はラストシーンが良かった。アマンダは作中で突然(他人からするとそう見える)泣き出すことが度々あった。ラストシーンもそうだった。他人には分からないスイッチで悲しみが溢れてしまうことがある。その悲しみは絶対に消えないのだなと思う。あの後、あのテニスの試合は逆転ならず終わったかもしれない。それでも「デュース」の声にささやかな希望を感じた。「勝つことが出来なくても、デュースには持ち込めるはずだよ」と言われているようで、それは「頑張れば勝てるよ」と言われるよりよっぽど慰めになる気がした。悲しみに打ち勝つことは難しいけれど、なんとか折り合いをつけてデュースには持ち込めるはずだと思えたら、それは紛れもなく希望だなと思った。
アマンダと僕の心の機微が秀逸
「僕」はパリでアルバイトをしながら暮らす青年。 同じくパリに住む姉とは仲が良く、姉には「アマンダ」という幼い娘がいた。 ある日パリで起こったテロに姉が巻き込まれて死んでしまう。 ピアニストの恋人は腕を負傷してしまう。 「僕」以外に身寄りのいない「アマンダ」 養子にして自力で育てるか、施設に預けるか、幼い頃に離婚して離れてしまった母親を頼るか・・・ パリで「僕」は叔母と代わる代わるで「アマンダ」を世話するが、生きていくためのアルバイトと両立が難しい。 「アマンダ」は突如唯一の肉親を失い、心の拠り所を失ってしまう。 優しくて頼れる叔父さんの「僕」はずっと一緒にいてはくれない。 母親と一緒に暮らしていた家と、叔母の家とを日替わりで移動する日々。 不安に苛む少女。 この二人の物語なわけだけど、この作品にはワザとらしいドラマがない。 時系列に沿って、日々を淡々と描くだけだ。 突如として発生するテロと、残された家族の非可逆な日々。 生活の中で生まれる言葉や表情にやり場のない怒りや悲しみが散りばめられていて、やりきれない思いがスクリーンに映し出される。 そしてアマンダ役の子役がこれがデビューというのはかなり信じがたい。 素晴らしい作品でした。
我が身に降りかかる不幸と、そして希望について。
この映画は、見たままに感じればいいと思う。
映画好きなら、損はしないでしょう。
別の観点から考察すると。
無差別テロは、日本ではあまり考えられなかったが、
実際、日本でも起こってしまった。
それも、なんらかの思想犯とかでもなく、
突然に起きた。
それとは別に、いきなり暴走する車にはねられたりしても。
突然、親しい誰かを失ってしまうという事件は、
テロだけでなく身近に存在するのは事実。
その確率は、かなり低いと言えども、決してゼロでは無い。
だからと言って、そんな不幸を考え続けて生活する事も不可能な話。そんな事してたら、精神的まいってしまう。
逆に、宝くじがいつか当たるぞ!って
夢ばかり見ている人もいない。
どっちにしても、文字通り宝くじが当たる確率。
実際、この映画の青年の様に、突然その状況になり、
どうすればいいか悩み、行動する事になる。
何が正解かも、わからない。
映画を、見た後ぐらい、自分自身が、もしこうなったらどうしようとか
考えておくのも、悪くないどころか、是非すべきだ!
自分なんか、だいぶ年寄りの親父がいて、いつか絶対に死ぬのわかってたのに、なんの準備もしないでいて、
(具体的な準備も、心の準備も)しかもひとりっ子で、アタフタしてしまった。
まあ、逆に忙しくて、悲しむ暇無くて良かったとも言えるけど、体力的にはキツかった。
日頃、多少鍛えていたから、良かったけども、今考えると
もうやりたくないぞ。
あと、カウンセラーに相談するって、フランスでは一般的なのかな?自分の近くでは全然聞かないけど。
安くて、気楽なら、是非相談してみたい事もあるけど、
どんなもんかな?
映画みて、人生の疑似体験して、楽しんでレビュー書いて、自分で答えを見つける方が、今は良いと思う。
テロで母を亡くしたアマンダを見守る彼の決断
自分の姉が、無差別テロの被害者となり、一人取り残される娘アマンダ。この映画の作品名から「アマンダと僕」ということは、テロで亡くした姉の弟の目線から姉の娘を見守る作品ということになる。僕→ダヴィットが、残されたアマンドとどう繋がっていくのかという過程を丁寧に描かれている。ダヴィットの自身は、優しそうなキャラクターであり、この映画は、ほのぼのとさせてくれる印象を与えてくれる。母を亡くしたアマンダ。今後、彼女をどうすればいい良いのかダヴィットを思案する。24歳の彼が、7歳のアマンダを養女として受けけいられる決心をするのか。ダヴィットは、躊躇なく受け入れるのか。そこまでの心情の変化を監督の描き方は良かった。ラストのウィンブルンドンの試合の途中にアマンダが突然に泣き出す。この場面について訳が判らなかったが、選手がどんどん点差をつけられた際、生前の母とプレスリーが熱狂的な人気があった時代のこと、一緒に音楽聞きながら踊ってくれたこと「未来にどんなことがあろうとも大丈夫であるという未来」を教えてくれた記憶が、一気に蘇ったというところで辻褄があった。フランスの雄大な自然と関わりあう人々の温かさが、作品を引き立てた。
必見。いい映画。最後に泣けた。振り返ってもっと泣けた!
必見です! 姉が一人で育てている娘アマンダ、アパート経営手伝いをしながら、姉の子育てを手伝う僕(ダヴィッド)。そんな平凡でそれなりに幸せな日々が、突然の姉の死で一転、という話。 やられた。 淡々とした流れで、泣ける映画とは思わなかったが、最後に、すっかりしてやられた。泣けた。(好感) それも、テニス観戦シーンで泣くとは思わなかった。 伏線を回収するという言葉よりは、「全てのことはつながりあっているよね」という監督からのメッセージって感じ。 大好きなママが、一緒に踊りながら教えてくれた「エルビスは、もう出ていった。もういません」という慣用句が、そんな風な負のイメージで、アマンダの心に残っていたとは。そして僕(アマンダにとってのおじさん)が若い頃に打ち込んでいたテニスが、こんな形でその負のイメージを払拭してくれるなんて… ああ、今こう書いていても、また涙が溢れる。気持ちのよい(アマンダにとっての)「再生」を喜ぶ涙だ。 全編通して、明るく気持ちのよい映像が、この映画を支えてくれている。後半は重苦しい内容だが、映像面で救われながら、観続けることができる。パリの街を走る自転車の心地よさを含めて、是非堪能してください。 健やかな映像は、この映画の根底に流れている「生活していると、いろいろな不幸はある。しかし、生活している人たちに、悪い人はいないのだ」という信念みたいなものと、見事に重なりあっているように思える。 主人公の "僕" が、レナと恋人になる経緯と別れ。二人の関係は、別れた後もしっかりと語られる。それは、本編の主ストーリーと紡ぎ合う形で進む。そこもしっかりしてるし、なにより爽やかで気持ちがいい。 登場人物のなりや背景について必要以上の説明は避け、観ていればいずれわかるというスタンスでの作りは、107分という時間に収めるためとして当たり前なのだろうが、簡単なことではないと思う。すごくよくできた脚本だ。 2015,2016年と続いたフランスでのテロ事件と切り離しては話せない映画と思うが、それを中心にするのではなく、ひとりの生活の背景として描きながら、観客の心に「テロはいけない」とこれだけ強く植え付ける力もすごい。 いや、ほんとに傑作。こういう映画に出会えるから、映画ってやめられない。映画って、すごい!!
アマンダの可愛らしさに尽きる良質の作品♪
予告編を観てから、気になって鑑賞しました。
で、感想はと言うと…良いですね♪
あったかくふんわりとした気持ちになれます。
ダヴィッドは姉のサンドリーヌと姪のアマンダと共に仲が良いが、ある日姉のサンドリーヌが公園で無差別テロの犠牲になり、アマンダは天涯孤独に。
24歳のダヴィッドはアマンダの親代わりとなるが、7歳の姪の親代わりになることの重荷と姉を亡くした悲しみに苦悩と葛藤をする。
だが、アマンダと共に暮らす日々にダヴィッドは自身の取るべき道を模索していく…
と言うのが大まかなあらすじだけど、これだけで良いお話の匂いがプンプンw
大勢の人達が集う場所で突然の無差別テロに遭うと言うのは、日本でも決して対岸の火事ではなく、昨今の事件を見ても、いつ起こってもおかしくない出来事。
大事な人を失うと言う悲しみ以外にも様々な選択と決断に迫られる。
いくら仲が良くても7歳の女の子を引き取ると言うのは容易な事ではないと思うし、不安以外の何物でもないと思うし、それ以上に同じ屋根の下で毎日過ごしたら、嫌な部分も見えてくるし、だからこそ可愛い姪であってもなかなか難しい。
この作品に出てくる登場人物って、みんな良い人ばかりなんですよね。ダヴィッドも姉のサンドリーヌも姪のアマンダも恋人のレナも叔母のモードも。
皆、優しい気持ちを持ってます。
特に7歳のアマンダが可愛らしい♪
天真爛漫でちょっとぽっちゃりw
叔父さんが大好きで、大好きなお母さんを亡くした事をなかなか受け止められない。
それは7歳の女の子なら、当たり前過ぎて、そんな現実は辛すぎる。
時には感情のままに爆発してしまう所もあるけど、相手を思いやる気持ちがあって、観ている側が“もっとわがままでよいのに”と思ったり。
7歳の母親を亡くしたばかりの女の子が感情を圧し殺しているのはなかなか来る物があります。
特にダヴィッドにわがままを言っても、ダヴィッドを思いやる気持ちが十二分に伝わってきて、わがままを言った後にダヴィッドに“良い夜を”と言葉をかける台詞は思わず目頭が熱くなります。
恋人のレナも可愛らしい。レナも公園でのテロに巻き込まれ、右腕に怪我を負ってしまい、田舎に帰りますが、ダヴィッドの熱意と優しさに惚れ直すのも良い。
ツッコミ所があるとすれば…アパートの管理人のダヴィッドが入居者のレナと結果的に恋人同士になるのは良いと良いとしても、入りたての入居者に管理人が手を出すのは如何なものかと、田舎に帰ったレナを追い掛けて、レナに改めて告白するのは良いとしても、その後のラブシーンは要るのかいな?w
パリの美しくお洒落な街並み。自然豊かな風景は観ていても心がなんか豊かなって、楽しくなります。
フランス映画って、お洒落な映画が多いイメージですが、変態的なカルト作品も結構あってw、フランス映画の表の顔 = お洒落映画。裏の顔 = 変態映画。と言うイメージがありましたがw、この作品は見事に表の顔を代表する様な作品ですw
アマンダの可愛らしさと登場人物の優しい気持ちとパリの風光明媚な風景。
とても良い作品を観た気持ちになれる作品ですので、未鑑賞の方には是非お薦めですよ♪
喪失を乗り越える必要などない
主人公たちに大きな変化をもたらす事件こそ暴力的なものだが、映画の描写は常に抑制が効いており、美しいパリの光景の中で丁寧に描かれる。 日常生活とその生活を浸食する決定的な喪失。主人公たちは各々の喪失とゆっくりと向き合い、喪失を抱えたまま、悲しみを抱えたまま、寄り添ってゆく。 喪失を乗り越えることなど出来ない、乗り越える必要などないのだと、寄り添って生きてゆく。 皆素晴らしい演技だが、アマンダは特にスゴい。あの年齢で、あんなリアリティを持って演じることが出来るんだ…
悲しみに寄り添い合う2人
時間を追うごとにじわじわと心が温かくなる映画だった パリで暮らす7歳のアマンダはママと2人暮らし 学校が終わると、近くで暮らすママの弟のデヴィッドが迎えに来てくれる しかしある時、ママが亡くなってしまい、生活が一変する 24歳のデヴィッドは、大好きな姉を失った悲しみに暮れる間も無く、アマンダの後見人になって彼女を引き取るか、それとも、施設に預けるのか の選択に迫られる… これは人の喪失感についての映画だった 大切な人を失った悲しみから、どうやって立ち直るのかについて、子供の視点で描かれている 7歳の子供に、ある日突然「お母さんが死んだよ」と言った時、頭の中では「もう会えない」と理解できても、本当に「亡くなった」ことを理解するには時間がかかる この映画は、その「立ち直る時間とペース」を、とても自然に描いた作品だった アマンダはまだ7歳で、死を理解できないだけでなく、彼女の叔父さんであるデヴィッドも24歳で、まだまだ若い デヴィッドは、経済的にも、精神的にも自立する過程にあって、まだ頼りない そんな幼いアマンダとデヴィッドが、深い悲しみから立ち直ろうとしていく 私は、その同じ悲しみや、痛みを抱えた人々が、自分たちのペースで支え合い、助け合っていく姿がいいなあと思った この手のタイプの映画では、すごく悲しませたり、頑張って立ち直させたりしがちだけど、この映画は、それがない 彼らが、普通に生活する中で、呼吸をするペースで、悲しみ、立ち直っていく その自然な感じと、彼らを見つめる視線が優しくていいなぁと思った 自分が深く悲しんでいることに気付く瞬間も、また、そこから立ち直る時間も、人それぞれなのだ また、アマンダを演じている子役の女の子が、とても自然で驚かされた 悲しいことがあった時、無理に立ち直ろうとする必要はない 時には、周りの人たちに頼ったり、会話をしていくことで、自然と立ち直れているものだと、この映画を観て思った
喪失と前進の物語
事件、事故、天災、病。突然に舞い降りて、命を、体を、人生を、奪い去ってゆくもの。
喪失したものが余りに大きすぎて、人々は呆然と立ち竦む。飲み込める筈もない塊を喉に詰まらせたまま、時は過ぎていき、学校に、仕事にと、日常に体を押し込めて、時折襲い来る哀しみに打ちひしがれる。
それでも、人と寄り添い、思い出を携え、少しずつ今を消化して、新しい生、新しい関係へと、喪失を抱えながら進んでいくのだろう。
喪失をもたらしたテロ事件そのものについては、殆ど詳細は追われない。ただ1つ、犯人とされたイスラム系住民や宗教に対する人々の感情について、示唆するシーンがある。追い求めるべきは憎しみや諍いでなく、大切な人と当たり前に過ごせる日常だという、作り手の思いが感じられる。
姉、恋人、友人。周囲の人々を突然襲った悲劇に打ちのめされ、心を痛め、それによって変わってしまった自らの人生に動揺し、慟哭する。
登場人物の感情描写がリアルだ。
事件後、彼らの関係が変わる大きな出来事、例えば、アマンダの危機をダヴィッドが颯爽と救って一手に信頼を得るというような、劇的な展開は一切起こらない。ただひたすら、フランスの街角と人々の日常を、カメラは写していく。
その中で、喪失を体験した彼らの、共に寄り添い過ごす時間が、交わす言葉が、ゆっくりと変化をもたらしていく。
アマンダの生命力に励まされ、徐々に父性を育てていくダヴィッド。母の思い出を共に抱きながら、ダヴィッドとの生活を受け入れていくアマンダ。自らの喪失が大きすぎて、二人に寄り添えず離れたレナは、今は離れても想いを繋げる未来を模索し、アリソンは20年の疎遠を乗り越えて、家族の絆を少しずつ手繰り寄せようとする。
「時間ならたくさんある」「あなた達の助けになりたいの」「諦めちゃだめだ、まだ終わりじゃない」
確かに希望を感じさせながら、けれども何処かに不安を内包し、事件以前と同じ穏やかな公園と人々の風景と共に、フランス映画らしく淡々と物語の幕は降りていく。
アマンダの、涙でくしゃくしゃながら満面の笑顔に、彼らにも、我らにも、全ての人々にも、どうか良き未来を…と、祈らずに居られない。
慟哭に震える魂の救済
予告編だと「仲のいい姉弟だったのに、事故で姉が死に、姉の娘を弟が引き取るかどうか悩み、だんだん家族になっていく」っていう、漫画『マイガール』みたいな展開かと思いきや! 全然違った! ある事件で姉の命を失い、恋人のピアノ奏者も右腕の動きを失う。 恋人は、悲しみとトラウマを抱え、怯えながら田舎に行ってしまう。 主人公は姉の娘をどうこう出来る心の状態じゃなくて、悲しみと喪失感で、歩いていても仕事していても不意に泣き崩れてしまう。 誰にも頼れない状況で、しかも育てる自信のない姉の娘を抱え、どう生きていけばいいのか? 事件の遺族や被害者の家族らの、悲しみに打ちひしがれ、慟哭とともに彷徨する魂は救済されるのか?というテーマの作品であった。 重い。 が、つまらないわけではない。 生きていくことの意味を感じさせてくれる、すごい仕上がりでした。
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