劇場公開日 2019年6月22日

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アマンダと僕 : 映画評論・批評

2019年6月13日更新

2019年6月22日よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー

生きるうえでいちばん大切なことは何かを、この映画はみつめている

親を亡くした子どもと、その保護者になった人物との触れ合いを題材にした映画には、佳作が多い。喪失を抱えた子どもと、子育てに不安を抱えた保護者が、距離を縮めながら互いに成長していく物語は、心の琴線に触れるヒューマンドラマの王道を行く。そのうえで、「マーサの幸せレシピ」は保護者が料理人、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は保護者が凄絶な過去の持ち主、「gifted ギフテッド」は子どもが天才、「うさぎドロップ」は子どもが祖父の隠し子と、多種多様な味つけがされている。「アマンダと僕」の場合は、保護者のダヴィッド(バンサン・ラコスト)が、人生の方向が定まらない24歳の若者であるところに特徴がある。

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姉の死後、姪のアマンダ(イゾール・ミュルトリエ)をどうするか友人に問われたとき、「子育てなんて心の準備ができていないし、頼る人もいない」と泣き出すダヴィッド。父親候補としては、かなり頼りない。そんな彼に、アマンダは2つのことを気づかせる。ひとつは、彼女がダヴィッドを必要としていること。もうひとつは、アマンダをいちばん愛している人間こそが彼女の保護者になるべきだということだ。「I need you」と「I love you」。生きるうえでいちばん大切なことは何かを、この映画はみつめている。

随所にちりばめられた自転車のシーンが印象的だ。ドラマの前半、ダヴィッドと姉は、速さを競いあいながらパリの街中を疾走する。その姉の死の現場に、ダヴィッドはペダルを踏みこんで近づいていく。そして、母を失ったアマンダは、ダヴィッドが漕ぐ自転車の後部席で彼の背中にそっと頬を押し当てる。さらに、笑顔が戻った2人は、かつての姉とダヴィッドのように、スピードを競って川沿いの道を駆け抜ける。ここでの自転車は、喜びと悲しみのターニングポイントをつなぎながら、2人の人生のロードマップを描き出していく。走ることと生きることが一体になった構成が、とびきり清々しい。

矢崎由紀子

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